第12話 帰途

文字数 1,697文字

 入院してから十一日目に新田は退院した。病院では、後から入室する患者のため、午前十一時頃になると病室から追い出される。新田は、バック二つに荷物を詰めて談話室で待機した。この時間の談話室は、入院手続きをする者と退院手続きをする者とでひしめいている。

 新田以外の患者には、家族や親戚が付き添いに来ていたが、新田だけはひとりぽつねんと椅子に座っていた。やはり寂寥感(せきりょうかん)は拭えなかった。しかし、このようになることは覚悟の上だった。それは、父方の血筋が影響していたのである。新田が若い頃に亡くなった父親も、自己本位で他人の感情が理解出来ないという父方の血筋が濃厚であった。そのため、心の悩みをかかえているにもかかわらず、家族に兆候を気づかれることなく自ら命を絶ったのである。新田はどちらかというと人情の厚い母方の血筋を受継いだようだが、姉は、父方の血筋を一身に受け継いだようである。

 しばらくすると看護師がやって来た。看護師から一ヶ月分の薬を受け取って、今後の予定の説明を受けた後、会計をすませて帰路についた。

 帰宅すると、母親が畳部屋の(ふすま)の前に腰を下ろしていた。その場所が認知症にかかってからの母親の定まった居場所だったのである。

 母親は、大学病院から帰宅した新田の顔を見ても、日だまりのなかにいる野良猫の姿でも眺めるような表情を浮かべ、挨拶(あいさつ)もしないでぼんやりと座っていた。ただ一言、「お金ないよ」と(つぶや)いたのである。

 新田ははじめ、母親の言っていることが理解出来なかった。それでも、「お金ないよ」という言葉にすぐに反応して、押し入れから母親の通帳を引っぱりだした。通帳をぺらぺらめくっていると信じられない印字を目にしたのである。新田が入院したその日に、入金されたばかりの年金二十六万円がすべて引き出されていたのであった。

 母親は、自分の意思では貯金を引き出すことが出来ないはずである。他に貯金を引き出せる者は姉しかいなかった。入院する前に、生活費三万円を姉に渡していたにもかかわらず、姉は、新田が入院したその日に、入金したばかりの年金をすべて引き出していたのである。

 新田は、派遣の仕事から帰宅した姉を問いただした。すると姉は、すました顔で本棚の奥に隠していた十万円の札束を差し出した。すでに十六万円は使い込まれていたのであった。

 入院している時、五万円貸してくれと母親に頼んだ次の日に姉がひとりでやって来て、何か悪巧みのある笑みを浮かべながら、五万円の札を差し出したので不審に思っていたが、その理由がやっと理解出来た。これが宗教に傾倒した者の愚行なのかと、思わず閉口(へいこう)してしまうのだった。母親の年金も生活費に充てていたからである。

 退院後、新田は三日間有給休暇をとって自宅療養した。歩くと時々腹部が傷むのである。入院して、規則正しい生活を送っていたためか目覚めの朝は早かった。初夏であった。鶏鳴(けいめい)の時刻になると、新田は家の近辺を散策することが習慣になっていた。雀のさえずりがこころを穏やかにする。すがすがしい朝の陽光を浴びた。

 次の診察日は一ヶ月後の予定である。その一ヶ月の間に手術で取りだした大腸とリンパ節の顕微鏡検査が行われ、浸潤(しんじゅん)状態とリンパ節に転移しているかどうかを調べるのである。

 新田は恐怖に支配されていた。初期の癌であると言われていたが、リンパ節に癌が転移していれば、ステージ三で五年生存率が約七十パーセントになる。癌が筋層まで浸潤していると、ステージ二で五年生存率が約八十五パーセントになるのである。家にいてはパソコンで、外に出ては書店に入って大腸がんについて調べていた。するうちに、顔が蒼白になって鳥肌が立つのを感じてくるのである。

 食べ物についても気を配っていた。大腸癌になる要因の一つとして、牛肉や豚肉を食べる食生活にあると言われているため、出来るだけ鶏肉や魚を食べるようにしていた。特にハム、ソーセージ、サラミなどの加工食品は大腸癌によくないらしいので、手術後しばらくの間はそれらの加工食品を食べることが出来なかった。サンドウィッチを食べる時は、ハムだけを取りだして食べていたのである。
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