第1話 プロローグ

文字数 765文字

 冬のはじめを告げる十一月の朝、銀座の街並みはすこし肌寒い。ベージュやグレーのコートをまとい、両腕をポケットに忍ばせている会社員が足早に行き交っている。

 地下鉄の駅の改札から階段を昇り銀座の街に出ると、喫茶店のなかに入ってコーヒーを注文した。脱いだコートを反対側の椅子(いす)に掛けてゆっくりと腰をおりし、新聞を読みながらコーヒーが運ばれて来るのを待った。腕時計を確認すると、始業時間まであと五十分ある。遅刻しないために思いついた新田(にった)の習慣であった。

 四十六歳の時、新田は銀座にある準大手の広告会社に転職した。正社員ではなく半年ごとに更新する契約社員である。配属部署は経理局で、主に売掛金管理を担当することになっていた。

 前任者は、新田が入社したその日から有給消化で不在であった。上役と何かトラブルがあったのではないかと直感して、新田は漠然(ばくぜん)とした不安に駆られた。前任者からの引継ぎはなかったが、直属の上司の福山(ふくやま)部長がつきっきりで仕事を教えてくれたので、ほとんどストレスを感じることなく業務の引継ぎを受けることが出来た。

 ちょっとした、簿記の知識があれば誰でも出来るような単純な業務であったが、営業社員一人ひとりの売上金と売掛金を、項目ごとに一致させなければならないので、それが面倒でならなかった。

 広告会社であるためか、職場の雰囲気は華やかであった。同僚も懇切丁寧(こんせつていねい)に仕事を教えてくれた。新田に厳しい態度で接する上役もいなかった。この職場であれば定年まで勤めることが出来ると新田は思っていた。ただ気がかりなことは、あまりにも何も言われないことである。職場に入れば誰かしら問題人物がいるものだが、居心地が良すぎるのがかえって不可解だった。そしてその違和感は、あながち見当違いなことではなかったのである。

―なにか、もくろみがあるのかもしれない―
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