第7話 憂慮

文字数 1,263文字

 入院一日目の夜食はカレーライスだった。この食事を終えた後は、しばらく食事が出来なくなる。その間は点滴で栄養を摂取することになるのである。

 点滴を行ったのが、看護学科を卒業したばかりの新人看護師であったため、悲惨な目にあった。点滴の針を刺すのに三回も繰り返したのである。血だらけになるわ痛いわで散々な目にあった。刺し終わった後も痛みを感じたので、他の看護師に頼んで反対の腕に針を刺してもらった。看護師のなかには、ベテランの看護師もいるのだが、大学病院では附属大学出身の看護師が多いため、概して若い年齢層の看護師が多かった。

 病棟の廊下を歩いていると、看護師長に呼び止められて挨拶(あいさつ)をした。新田は一瞬目を疑った。刹那に二十代後半のように見えたからである。顔立ちの良い看護師長であったが熟視すると、つぶらな瞳の目尻には(しわ)が無数刻みこまれている。唇は真紅の口紅であった。おそらく三十代後半だと思われるが、大病院の看護師長にしては若すぎるのではないかと新田は思っていた。

 入院中は暇だと聞いていたので、小説を数冊持っていったが、とても読む気にはなれなかった。手術をすることがはじめてであったので怖かったのである。ひたすらテレビばかり見ていた。ニュースを見ていると、どの番組でも連続幼女誘拐殺人事件で死刑判決を受けていた、死刑囚の死刑が執行されたことを頻繁に報じていた。そのようなニュースを見ていると、なんとなく手術について不吉な予感がしてくるのである。

 手術は三日後の午後に行われた。母親、姉、恵子さんが見舞いに駆けつけた。姉は当初行きたくないと駄々をこねていたが、恵子さんが説得してやっと来たらしい。恵子さんの話では、姉は院内で三時間も新興宗教のお祈りをしていたらしい。しかし、新田からすれば有難迷惑なことであった。一度だけ、姉のそのお祈りというのを見たことがあった。それは、座ってはお辞儀をして立ち、座ってはお辞儀をして立つ。それを何度も繰り返すのである。あの儀式を院内でやっている姉の姿を想像すると、新田はやるせない思いであった。

 午後、体温と血圧を測って手術室に運び込まれた。助手の医師や看護師がひとりずつ新田に挨拶をした。その後、執刀医がやって来て「昨日眠れたか」と新田に尋ねた。「一睡もできませんでした」と言うと、執刀医は「あはは」と甲高い声で哄笑(こうしょう)していた。

 手術台の上に寝かされると、なぜだか気分が落ち着いてくる。恵子さんから「全身麻酔は五秒経つと意識がなくなる」と聞かされていたため、新田は数字を数えることにした。

 麻酔科医が「これから麻酔を流しますからね」と言ってから数字を数えはじめた。一、二、三、四、五、六まで数えた時、名前を呼ぶ声が聞えてくる。(ほお)を平手でピシャピシャと叩きながら何度も名前を呼んでいる。頬を叩かれているうちに徐々に意識がはっきりしてきた。

「新田さん、新田さん、聞こえますか。手術が終わりましたよ」

 新田が六まで数えてから頬を叩かれるまで、三時間も経過していたのである。手術は無事に終わったようだ。
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