第13話

文字数 7,904文字

二〇一七年八月二十五日

 雄太の部屋に住むことにした。荷造りをしよう。

二〇一七年八月二十六日

 雄太の部屋にきた。何のために上京したのかと聞かれて正直に話した。彼は「なぜ自分がメシアだと思いこんでるんだ?頭どうかしたか?」と言った。「でも、不思議だし、面白い、どんな結果が出るか気になるから応援する」とも言った。これだけでもありがたい。雄太のお陰で他人に俺がどう見えているのかが分かった。率直に話し合える友達がいることは祝福だと思った。俺にそういう友達が多いことに感謝した。

二〇一七年八月三十一日

 何日か俺を観察した雄太が言った。可能性がほぼないと言ってもいいことにそこまで努力できるのが理解できないと。俺はこうしないと死ぬと答えたが、やはり彼は納得しなかった。東大の大学院に通っている人が見ても努力している姿だったことに満足した。

二〇一七年九月二日

 健太と会った。お酒を飲みたくもなく、節約しないといけないから、路上で歩きながら話し合った。健太は全ての給料を家族に渡している状況だったが、前よりは良くなったと話した。大手建設会社に入って助かったとも言った。

 健太に俺の使命の話をした。お前ならできると応援してくれた。

二〇一七年九月八日

 母から連絡がきた。兄の交通事故。都内の病院で手術室に入ったと聞き、電話を切ってすぐ出かけた。

 お医者さんから心の準備をしてくださいと言われた。変な気持ちになった。自分で考えても状況が極端すぎる。ドラマや映画の内容は単なる虚構ではないと思った。

二〇一七年九月九日

 手術が終わらない。このまま兄が死ぬと俺が爆言を吐いたのが兄との記憶の最後になる。誕生日プレゼントとして兄を生かしてください、これからはどれほど怒りに食い荒らされても言葉遣いに気を付けるからお願いしますと祈った。悲しくて悲しくても涙が出ないこともあるのだと思った。

 お医者さんが手術は上手くいったと言った。

二〇一七年九月十日

 頭に包帯を巻いているため、病室のベッドにかけられている名札が兄だと教えてくれる。意識は戻っていない。俺は母と交代して雄太の部屋に戻った。

二〇一七年九月十一日

 手術と入院費用は大手保険会社に勤めていた叔父(母方の叔母の旦那)が解決してくださった。返す能力はないのに、恩返しすべき人だけが増えていく。

二〇一七年九月十二日

 事故の詳細。兄は土方の仲間たちと一緒にお酒を飲んだ。皆んな運転しないと約束をし、酔っ払った兄は車の後席で寝ていた。しかし、ある仲間の一人が運転して車を壁に衝突させた。兄は寝ているままの状態で前に飛ばされ、頭が車のエアコンがある所にぶつかって頭蓋骨が粉々になった。ややこしい事件だった。経緯を纏めて整理して書き、いつか使えることを願った。

二〇一七年十月二日

 兄は意識が戻って回復している。保険金を貰った。複雑な過程だったが叔父のお陰で早く済んだ。親戚の方々も来てくださり、皆んな白い封筒を持ってきた。お金だった。分かっていたことだが、やはり人は助け合うしかないのだと実感した。本当に感謝してもしきれない。

二〇一七年十月三日

 エレベーターは信頼のボックスだと思った。約束でもしたように乗っている人は皆んな同じ方向を見ている。誰なのかも知らない人に何気なく後ろ姿を見せるのは、人間が信頼を元にした共同生活をする動物であるからなのではないだろうか。

二〇一七年十月四日

 恥ずかしいのだが、余った保険金でワーキングホリデーじゃなく、英語学習を真面にするために語学留学をすることにした。学生ビザは取得するまでにかかる時間も短い。

二〇一七年十月十五日

 明日から他国生活が始まる。期待半分と不安半分だ。

二〇一九年四月三日

 語学留学を終えて実家に帰った。馬鹿なことだが日記帳を忘れて帰国してしまった。住んでいた所の大家さんに連絡をしてみたが、清掃業者が整理した後だから何もないと言われた。記憶が霞む前に覚えていることを簡単に書こう。

 留学期間は1年半と2週間くらい。語学学校に通っていたため、色んな国の人たちと接することができた。文化と人種の違い。それが日常生活と人間関係にどのような影響を及ぼすのか学んで感じた。それで、沢山の考察をし、その影響で小説の内容も変わっていった。結果的に小説はまだ書き終えていない。

 英語試験TOEFLの目標にした点数を取った。字幕無しにドラマと映画を観ることができ、日常会話も完璧ではないが問題ない。

 留学している時も自然に仲良くなる人が増えていき、孤立した生活を送ることはできなかった。慢性胃炎だけでなく、不眠症も連れになった。

 家の金回りが良くなった。今も余裕があるとは言えないが、20万円で4人家族が住んでいた昔よりはマシになった。

 俺が整えておいた経緯書が役に立って示談金をもらったと聞いた。そのお陰で仕送りをもらうことが家に負担でなくなったが、この歳にもなって独立できていない自分が情けなかった。自分の経済的な無能さに胸がつかえたが、無理して何も得られなくなることを繰り返してはいけないから、図々しく環境的な条件を活用することにした。利用でなく活用。全ての手段を動員して利用することでなく、適切に必要なことだけを使う活用。成功するためには手段と方法をえり好みせずに利用する?いや、成功し続けるためには遠回りに見えるかも知れない手段と方法を使うべきであるのだ。腐った肉を一口食べたら止められなくなるのだ。

 健太が中近東で派遣勤務をすることになった。仕事も生活も辛いけど、年収が高くなって耐えていると言った。

 重要だった考察は3つ。

<1つ目>

 疑問だったことが分かった。俺が運動して服装に気を遣っていても、多くの女性に好意を持たせる外見ではないのに、様々な女性が近付いてきたこと。留学している時も同じだった。近付いて来る人、俺が近づいてくるように誘導する人。特に、匂わせるが自分から動かない人は飽きるほど居た。英語学習と考察と小説執筆だけでも忙しく、お金もないからなるべく我慢した。逸脱を日常に引き入れてはいけないと思ったこともあった。すると、反応は2つだった。誘惑してなどいないふりをする女性、より積極的になってあらゆる甘い言葉を投げかけてくる女性。両方ともプライドが傷ついた結果の反応であるのに、人の性格によって違う行動をすることが興味深かった。そういう女性たちの中には、周りに近付いてくる立派な男性が多いのになぜ俺を?と思うくらいに綺麗な人も、肉感的な体でお金持ちの娘だった人もいた。だからもっと理由が気になった。そして、綺麗で可愛い人が良くしてくれるから、俺も好感を完全に持たないことはできなかった。そもそも好意を持って来る人を嫌がることが難しい。それで、俺は何より目標が第一であり、1ヶ月間の生活費が2万円だと単刀直入に言った。相手の女性は理解して尊重する、むしろ格好良いと答えてくれた。それで、最低限の礼儀として告白は俺がした。先に近づいてきてくれたから、付き合う過程でもある程度負けてあげた。だが、皆んな2ヶ月を超えずに別れた。お金があまりかからないデートをしたこと、奢ってもらう場合が多かったことも影響があると思うが、不思議とそれを理由に喧嘩したことはなかった。別れた理由は一つ。彼女たちが最初に自分の口で言ったことを守らなかったから。俺の価値観を変えようとしてきた。理解してくれる?面白くもない。彼女たちは自分の思い通りに変わらない俺に怒って詭弁を弄し、俺が論理的に答えると泣いた。俺を理解して尊重するという言葉は、単に付き合うために投げかけられた責任と重さが無い空っぽな言葉だった。こういうことを繰り返しながら気付いた。本気で相手に向き合う態度は俺の生まれ付きの能力と見做して論外にする。女性たちが俺に魅力を感じるポイントは、多くの男性とは違って女性を誘おうとする気配もない点だった。俺が興味を持ってくれないから、誘惑できるかどうかで自分の価値を証明したかったのだ。勿論、関わってきた皆んなが意図的にそうしたとは思わない。それは本人も知らない深い内面の本能から生じる言動であるから。他人に認めてもらえと囁く本能。人は得意なことを主として使いたくなる。
美人の立場を大袈裟に表現してみれば、美を武器として持っている私を貴方みたいな奴がなぜ見てくれないの、貴方に通用しないのなら私の価値はどうなるの、付き合うことまで成功したらもう価値観も私に合わせて、というわけだ。例外はあるけど、女性は皆んな同じだ。目標のために生きていく途中で、いつか俺の内面を見てくれる人がいるかも知れないが、今まではいなかった。もし、そういう人と会えなくなるとしても構わない。

<おまけ>

 これは重要ではないと思うが、1つ目を書いていたら思い浮かんだので書く。セックスを長く強くすることがいつも良いことではなかった。勿論、常に強くする訳でなく強弱調節をするが、早く射精できない点が問題だった。相手の性欲が強い方で良く感じる人であっても、1時間を超えると相手が体力的に疲れてやめた場合が多かった。俺を射精させようと痛くても我慢する人もいた。遅漏であることが彼女たちには侮辱になると感じた。

 同じ相手でもどのくらい興奮したのか、お酒を飲んだのかなど、また、意欲の違いによって性器の大きさと硬さが大変異なった。

 男性の性器の大きさが相手に性的な快楽を与えることに関係あるだろうが、それとは関わりない部分で、体の相性が確実に存在すると感じた。

 遅漏でなくなる時があった。どのような違いがあるのかと考えてみた。まず、酔っ払いすぎた時がそうだった。そして、性的な能力で相手を狂わせ、雄として認めてもらいたい欲求が強いときに長くなり、その欲求が弱いとき、相手にあまり魅力を感じなかったときに比較的早く終わった。意志が体に及ぼす影響は恐ろしいのだと思った。

<2つ目>

 危険度の高い国に住んでみて分かったこと。危機やテロというものは日常を過ごしている時には全然感じられず、事件が起きて初めて確認できる怖いものだった。危険地域だったのに俺が本当に死ぬと感じたことは1回だけだったから分かった。前もって用意することがどれほど重要なことであるかを実感した。

<3つ目>

 沢山の好意をもらった分と等しいくらいに無視されてきた人として、無視という評価は辛くても自分が属している環境の中での成長可能性を意味していると感じた。また、アドバイスにも聞き手によって適切な段階があると思った。例えば、他人が俺を評価したことに左右されてはいけないという表現は、主観がなく、世界が見えず、自分の頭で考える力を備えていない人のためにある段階である。「誰にも貴方を評価させるな!他人の評価で貴方が定義される訳じゃない」という言葉も慰めのコメントでしかない。その段階に留まりたくないならば、現在の自分は他人の評価で定義されることを認めなければならない。その評価を越えようとする努力、更に環境を変える努力をするべきである。その過程で自分の状態と進む方向を間断なく確認して未来の自己価値を追求すること。世の中で完全に客観的なことはないが、自分をできるだけ客観化して進むこと。揺れてはいけないと言う訳ではない。揺れながらもより強力な台風を迎え撃つ準備として着実に根を下ろすのだ。そうするためには骨を削ること以上の苦痛が伴うだろうが、それは自分が決めた目標を叶えていく道の同伴者であろう。

 これからは中古パソコンを買って、そこに日記と考察と小説を書こう。

二〇一九年四月四日

 昨日、留学期間にあったことにちょっと書いたと思うけど、純粋な心から、えっと、だから性的な部分を除いて、新しい出会いを求める原動力について考えてみた。それは自分を理解してくれる人と会えるかも知れないという期待ではないかと思う。自分の考えと価値観と世界観を理解してもらいたいという願望。これも他人に認めてもらうことじゃないかな。もう恋愛なんかしないと決心した人も「もしこの人なら?」という期待で相手に自分の幻想を重ねようとする。しかし、自分から相手を理解しようとしないと、所詮、相手を誘惑して自分の価値を証明するか、無理やり相手に理解させて自分の価値を証明するかのように、つまらない駆け引きの繰り返しになるのだ。

二〇一九年四月五日

 雄太はパソコンが必須の専攻だから、周囲に中古パソコンを安く売っている人はいないかと連絡した。雄太は、丁度新しいパソコンを買ったばかりで、使っていた物を売るつもりだったと言った。皆んなから『帰国したら会おう』と連絡がきていたから、パソコンを買いに行くことも兼ねて雄太の部屋で何日か泊まることにした。久しぶりの東京だ。

二〇一九年四月六日

 雄太がパソコンを安く売ってくれた。本人も中古取引が面倒だったからちょうど良かったと言った。「今日は、貧乏野郎に俺が奢ってやる!」とも言った。相変わらず気遣いができる奴だ。宅飲みしながら各自が積み重ねてきた話を取り交わした。時間が経つことも知らなかった。

二〇一九年四月七日

 達也に連絡したら今夜自分の部屋で宅飲みしようと誘われた。彼は友達とルームシェアをしているが、今はルームメイトが実家に帰っているという状況だった。行ってみると2人で住むには狭い部屋で、どのような生活をしていたのかが伝わるくらいに汚かった。

 達也は音楽で成果を出せなかった状態で、ある女性との悲しい愛の経験から病んでいた。一年半が過ぎたのに忘れられず、近づいてくる他の女性と付き合ってみようとしても、結局は心が動かなくて霧散。彼はこの話をしながら泣いた。ルームメイトがお酒好きである点と達也の辛い時期が重なり、生活パターンは精神が回復できない方向に流れた訳だった。

 俺は恋愛を何回かしてみてもこのような感情になったことがなくて理解はできなかったが、彼が感じている苦痛が伝わってきたから最大限に共感しようと頑張って慰めた。まずこの環境から抜け出ることが大事だと思い、その意見を伝えたら、彼もそう考えているがお金がない状況だった。達也も進路で悩み、映像編集を独学で勉強し、小さな映像編集会社に勤めていたが、先月に会社が潰れたと言った。今まで貯めたお金はどのくらいなのか聞くと、彼にとって食べたり飲んだりすることは人生の楽しみの大きな部分を占めていると返ってきた。俺には重要でない要素だったが、その基準は人それぞれであり、自分も貯めたお金がないことを考えて理解した。

 達也はその女性の話が出る度に泣いた。俺にとって愛は多数の他人に施すことであるのだが、いったい愛というものは何だろう。

二〇一九年四月八日

 久しぶりに先輩と会った。俺がやってきたことを聞いた先輩は一喝した。命を懸ける覚悟と死んでも構わないという態度は違うと。確かに、考えてみたらそうだった。俺の態度は若者の稚気だとみるにも無謀な側面がある。先輩は「俺の人生を考えたら、こう言う資格がないと知ってるけど」という言葉を付け加えた。それは俺も内心良く言うセリフだったが、なぜか今の彼の場合は使ってはいけないと感じた。過去の後悔は引きずるものだと分かっているが、それにしても自ら足枷をはめる姿に腹が立って言った。
「なぜそんなこと言うんですか、だったら今までたくさん教えてくれたこと、良くしてくれたことは資格があってそうしたんですか、そもそも何故そんなに良くしてくれたんですか」
 彼は鼻白んで答えた。
「必死に生きていこうとしているのが見えたから」
 この一言を聞いて分かった。成功した人に対しての人間の嫉妬は本能であるが、頑張って踠いている人を助けたくなることも本能であるのだ。この矛盾している本能を抱えているから自分の内面の深いところまで見ないといけないのだ。

 先輩の話は書かないと約束したから我慢しよう。

二〇一九年四月九日

 実家に帰った。アメリカの大学に入学することが次の段階であるが、小説を書き終えていないから学費と生活費を賄えない。しかし、小説を書き終えてから勉強を始めたら遅くなる。悩んでいたら父から今後の計画がどうなるか聞かれて答えた。すると、本質を分かって行動に移すことと本質を扱って芸術の形で表現することはまるで別の領域だ、後者は年輪がない者は狂わないとできないことだ、父も小説を書いたことがあるから分かると言われた。そんな辛くて難しいことはしない方がいいと止められた。

 体を作る方法と原理についてある程度は熟練したから、自重トレーニングで鍛えることにした。

二〇一九年四月十日

 父が俺を勉強に集中させようとしたのかは知れないが周りに助けを求めたみたいだ。郵便局に勤めている叔父(父方の叔父)が、今まで貯めてきたお金で俺を支援してくれることになった。合格したら学費と生活費は気にしないでということだった。結婚せずこつこつと貯めたお金を俺に?そして、バイトしないで集中しろ、節約して生活費に使えと、100万円を送ってもらった。もう一度、経済的に無能な自分に情けなさ、助けてもらったことに感謝を覚えた。

二〇一九年四月十一日

 まだ問題がある。今からアメリカの大学の受験勉強を始めると、春学期入学を狙うことになる。春学期入学ができる大学の中にはアイビーリーグがない。一番有名な大学を選ぶとしても上位30校くらい。取り敢えず始めることが大事だということは分かっているが、最初から限界が決められている道もあるから悩む。

二〇一九年四月十二日

 ネームバリューが足りない大学を卒業したらどうなるのか。事業をするためには考えなければならないが、この問いには答えが出ない。

 写真館を継ぐ予定の高校の同窓生が俺の体を見て、もう少し体を作った後に撮影してみないかと提案してきた。本人も練習で撮ってみたいから無料でやってくれると。だが、彼が要求する体の状態を作るためには相当の努力が要る。小説執筆と受験勉強でも忙しいと思って悩んだ。すると、友達は現象して額縁に入れて写真のファイルもあげると言った。俺も30歳になる前に綺麗に作った体の状態を記録として残したいと思っていたからやることにした。彼と相談してバルクアップしてから脂肪を削ることにした。

二〇一九年四月十三日

 ネームバリューが足りない大学に入るとしても事業が上手く行くかどうかは自分次第であるという結論を出した。また、有名大学でないから無視されてコンプレックスになり易いことについても考えてみた。コンプレックスは上手く活用できたら、生涯を頑張れる原動力にもなりうると思った。

 春学期入学を狙って受験勉強を始めよう。そのくらいの大学を卒業した程度ではどうしても現実的に事業は無理だという判断が付けば、編入という道もあるから合格してから考えても良いだろう。

二〇一九年四月十四日

 高校の時に文系を選んだ自分が恨めしい。理系の勉強は量も多くて難しい。

 50万円で1年以上は生活できるから、達也に50万円を貸してあの環境から抜け出させることにした。

二〇一九年四月二十九日

 受験勉強が難しい。勉強に集中できない時には小説を書き、ストレスは運動で発散している。

二〇一九年五月八日

 達也から引越しを終えたと連絡がきた。急いで動いたみたいだ。頑張ってくれて嬉しい。俺を助けてくれた人も皆んなこのような気持ちだったのだろうか。もっと一生懸命やらないと。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み