第1話

文字数 12,427文字

日記を編みながら…

 これは私の11年を簡略に纏めた物語です。今になって振り返ってみると、高校卒業後の11年は長い時間であったと同時に瞬く間に過ぎていきました。しかし、大したことは全然なかったと感じていた私の11年は、意外と様々な経験が複雑に絡み合っていたのです。その全てを一つの物語に編むことは、現在の私の能力では手に余ることだったため、伝えたい内容を損なわない限りの日記を選びました。
 この日記は一般常識の基準で考えると、必要以上に率直に書いた内容による作品です。したがって、話が散漫だったり読んでいて気分が悪くなったりすると感じた方には、文章が固かったり柔らかったりする点も含めて先に謝りたいです。皆んなを満足させることはできないから、一般人のふりをしている狂人もいるのだと考えてお許しください。
 ちなみに、日記に含まれている雑な考察なんかは理解せずに読み流しても、この物語を楽しめると思いますので、何卒気軽に読んでいただきたいです。

 今まで私を支えてくれた全ての人(登場人物でなくても)、私に愛を教えてくれた人、惨めだったと勘違いしていた20代の自分に、この物語を捧げます。

二〇一三年十一月二十七日

 寂しい。部屋の中で寂しいと独り言を口に出すのが習慣になってしまった。六畳より少し大きい約10平方メートルにベッドと机が置かれ、寂しさという奴が籠る空間はないはずなのに、俺は一体誰に向けて話しかけているのだろう。死ぬほど苦しいと語るほどではないが、生きる気力が出ない日々の繰り返しを送っていますとは言える。
 このような日常がもはや半年くらい続き、何より大事だと考えていた日記も書いていない。書きたいことがあるのに書かなかった日は、体が疼いて罪悪感に苛まれた。それなのに、精神が求めるように身体を動かす燃料が足りなかったのか日記を書けなかった。その燃料が何かは知らないが、今日になって、情緒が不安定になった、心が病んだと、様々な理由を付けた末に、やっと初心に返った。
 誰かが人はそれぞれ執着することが必ず一つはあると言ったのが思い出せる。誰なのかは知らないが、おっしゃる通りですと言ってあげたい。俺の場合はその対象が日記だとこれからは断言できる。まだ何も書いていないのにもう心地が良い。でも、久しぶりに書くせいなのか頭の中が纏まらない。
 ちょっと整理しよう。日記のために休学までしたくせに、半年も書けなかった理由は何だったのだろう。書きたいのに書けない時がまた来たら困る。俺にとって日記は何を意味するのか考えよう。

 高校生の時から日常の記録として始めた日記は、いつの間にか周りの出来事や社会や人間などの原理について自分なりに考察し、その答えを整理することでモヤモヤする心を落ち着かせる手段になっていた。しかし、書き始めると些細な事まで書いてしまう強迫観念で多くの時間を費やすことになった。
 大学に入ってからは、行動範囲が広がることによって、出会う人や出来事の数が急に増加し、日記を書くのにより一層の努力が必要となった。大学の勉強とバイトを両立しながら、物事への考察を深める時間がなかった。
 それでも、考えることをやめてはいけないと、睡眠時間を削った二年を過ごしたら、健康を損なって精神も疲れた。精神的なストレスが肉体的なストレスより苦しいと言っている人がいるのだが、そういう人は肉体が疲れる労働を長くしたことがないのに違いない。実は俺も精神力で耐えられると思っていたが、体力がない状態では疲れた精神を回復できなかった。少なくとも俺はそうだった。
 成績も下がって給付型奨学金を貰えなくなった。大人になったから自分の力で生活したくて、学費を貯めることを言い訳にして休学することにした。日記の量を減らすか書くことを辞めるかを選ぶのが一般的であるのは知っていたが、俺の場合にはそうではなかった。
「お前の好きにしたら良い」と許可してくれた両親には今も感謝している。
 最初はどこにも所属していない状態が自由に感じられ、なんでもできそうに思えた。時間の余裕があるからバイトのシフトを増やし、英語学習や運動などの他に自己啓発もしようと計画を立てていた。その頃は自分の意志がこれほど弱かったことを知らなかった。
 一時的に溢れ出す意欲に伴って行動力が高まり、ジムを一年キャンペーンで登録し、英語の本を3冊も用意した。2ヶ月間は成功裏に計画通りの日々を過ごした。この時の充実した生活は自分に半端ではない満足感を与えてくれた。
 だが、高い時給を求めてバーで働いたことが問題だったのか、俺の弱いメンタルでは2ヶ月が限界だったのか、起床時間が遅くなることから始まって体がダルくなり、怠けるようになった。その度合いが徐々に強くなって、あっという間にバイト時間以外には大体ユーチューブと映画とドラマを観るばかりの生活を送る自分がいた。体力が余っている日には必ずAVを見てオナニーをした。あまりしたくない日にもオナニーをしていたことを考えてみると、性欲があってそうした訳ではなく、楽に得られる刺激を探すのが習慣となったのではないかと思う。
 故に、物事についてじっくり考えて日記を書く日が少なくなっていき、ある瞬間から完全に書かなくなった。このままでは、ダメ人間になるだけだと考えながらも、手は自然にスマホを持つ日常の反復。まるで、体が意思に従わないものになった感覚だった。
 心は乾いて栄養をくれと言っているのに、体は栄養がなく刺激的な物だけを食う。こういう情報と画像と動画は人生になんの得も意味もなく、その瞬間だけ笑えて楽しむだけのものであり、すぐ忘れるような内容しかないと分かっていても、やはり、体は俺のものではなかった。したがって、精神は砂漠化した土のように、もうこれ以上に疲弊することはできないと思えた。それが今日の日記を書く前の状態。今はその土に小雨が降っている気持ちだ。

 そもそも俺は日記を書くことによって何を得ようとしたんだろう。自分で考えても非常識的な執着である。あ、そうだ、ある渇望のせいだ。何処から来たのかも何を欲しがるのかも知らない内在する渇望。世の中に対する疑問を解くのが目的だったけど、その次は何だ。高校に通っていた頃には理由があったけど、日記を書くのが習慣になってからは忘れた。そうだ、生まれた理由、いや、生きていく理由を探すためだった。これが出鱈目を言うことになるとは分かっていても、真理を究めるために人間と世界を観察して日記を書いてきた。この生き方を選ばなかったら、俺は既に死んでいたか、もしくは、魂が抜けたような人になっていたと思う。生きることに対する欲求を渇望が担っている。俺は最初から壊れた人間かも知れない。だから、この生き方が時間の無駄遣いだと感じる時があっても辞められない。

 これからは日記を書いて自己啓発もしてバイトをする日常を維持することに集中しよう。今回は自分の意思で動けなかった身体が急に操作できるようになったことについてより詳しく考察しよう。
 最初は日記とバイトと英語の勉強と運動をバランスよくしていたが、やりたかったことも義務だと思えてくると、負担を感じるようになった。やるべきことが山積みだという認識に疲れた。それで、残っている義務を無視した。どれほど頑張って無視しても、実際にはより大きい責任を問われることになると、分かっているから必死に怠けた。それで、運動しに行く日が少なくなり、その時間にユーチューブを観ることになった。体力の調節や精神が疲れないように休むためだと理由を付けてユーチューブを楽しんだ訳だ。
 時間が経つと、もっと怠けて英語の勉強の割合が減り、その部分を映画とドラマが占めた。英語圏の映画とドラマを観ることで英語の実践勉強と楽しさを両方得られる素晴らしい計画という考えだった。全部言い訳ばかりだった。本気でドラマを観ることで英語を勉強するつもりなんかなかったから英語力は伸びなかった。
 日記は一番大きい目標だったため、最初から逃げて諦めはしなかった。でも、自分には手に余る考察で日記が滞り、時間は俺を待ってくれないから書いていない日が積み重なり、自己嫌悪をし始めて手が止まった。怠けの沼は一回掴んだ足を放すことはなく、俺を蚕食しつつあるだけだった。
 ある日、日記に多くの時間をかけるのは意味がないと有り得ない理由をでっち上げた。その時間で勉強と運動をした方が効率的で良いのではないかと。そうしたら俺も常識的な人間になれるのではないかと。自分を騙す愚かな防衛機制だったが、その時は気付かなかった。ユーチューブと映画とドラマの割合を減らすという簡単な最適解があったのに、何故そういう馬鹿な選択をしたのか、俺も全く理解できない。結局、俺の一日はバイトとユーチューブと映画とドラマとオナニーばかりになり、計画していたことの中で残ったのは生活費と学費を稼ぐことしかなかった。

 俺は「取り敢えず生きていたら失敗ではない」などの甘い慰め言葉で販売部数を上げ、人をある基準以上に成長できなくさせるベストセラーを名作だと呼ぶ人間は馬鹿だと思っていた。成功と失敗は社会や他人の基準で決められるものではなく、冷静な状態の自分が決めた目標を叶えたかどうかであると考えていたのに、誰かが決めてくれた基準は甘くて甘くてずっと食べていたくなるものだった。
 足が止まるとすぐに方向性が失われた。止まっている時間の量が蓄積されるほど動きにくくなった。止まっていた自分の時間が無駄だったと否定したくないからであろう。しかし、認めざるを得ない、人は易い方向に流されていく存在であり、俺はその押し流す力に抵抗する努力が足りなかったということを。俺もそのベストセラーを買うために進まない行列に並んだ馬鹿だったのだ。

 この内容を書いていたら、子供の頃に祖母が口癖のように話してくれた言葉が理解できた。人は仕事をすることによって幸せで健康的に生きていけるということ。同じニュアンスでトルストイもこう言った。
「人間が幸福であるために避けることのできない条件は勤労である」
 この勤労というものは楽な方向へ流される力に抵抗する行為ではないだろうか。世間では、「最近の若者は仕事もすぐ辞め、弱くて甘い」と言う人が多い。どういう意味で言っているのかは何となく分かるが、完全に同意するわけにはいかない。全てのものには時代性がある。昔の言葉と基準をそのまま受け取ってはいけないと思う。
 昔と今の違いに強制性がある。祖母が若い頃の時代は現代より社会の貧しさと厳しさが激しかった。よって、適当に頑張っても飯は食って生きていけるし、楽しいことが手を伸ばせば届く距離にある現代とその時代は大きく異なるのだ。つまり、自由度が高く寄り道が多い。したがって、最近の若者は弱くて甘いという表見は、我々が力を入れる方向が分散されていることがわからない人の勘違いから産まれたとも言えるだろう。
「一つのことをやり遂げろ、一つに集中しろ」と言われているが、強制的に集中できた時代と何をすればいいか悩まされる時代では言葉の重さが違う。世界が多様化したことやどの分野でも上達するまでの道が複雑になったことなども関係がある。
 こう書いていたら、自分を含めた最近の若者を庇っている感じがするが、表面的なことのみ比較してみると現代人は昔の人より労働に弱いのは確かである。逃げ道が多いから耐えようとせずに諦める。少し疲弊した途端がんばった自分のためにご褒美をあげると言って休んで楽しむ。要するに、現代の労働は単純に働いて稼ぐことでなく、ある成果物を得るために楽な状態を避ける抵抗そのものであるのだ。
 昔より多い誘惑に抵抗しながら生きていくから疲れ易いのではないだろうか。さらに、寄り道に目もくれない行為が労働であるとハッキリ認識していないから、自分を情けない人間だと責めるばかりになってもっと沼に沈む。自分がどの部分に力を入れているのかを認識している状態とそうでない状態は雲泥の差なのだ。
 インターネットや通信機器の発達も一役買っている。その影響で、人との比較や人との繋がりから自由になり難くなり、辛い自己省察をするよりも他人から見える自分を磨きたくなる。そうやって、人から持て囃されることを望むばかりになり、段々相対的な貧困に喘ぐようになる。だから昔の人から見ると最近の若者は一般的に甘いのだ。

 日記を書いたからなのか分からないが、考え方を変えただけで頭の中がきれいになった。
 近づいてきたバイトの時間が面倒臭くなくなった。さあ、飯を食っていくための労働をしに行こう。

二〇一三年十二月四日

 もう今年の最後の月だ。外に出かけると冷えた空気が頬を荒っぽく撫で摩る。多くの人々がマフラーに顎を隠す時期が始まった。その反対に、街はキレイに着飾った自分の姿をキラキラと自慢し、山下達郎の歌を飽きる程に歌っている。
 他にも変化があった。バイト先の売れ筋のカクテルが変わった。ホットワイン、ホット・バタード・ラムのようなホット系の注文が増えた。オーセンティックバーではあまり注文されない見た目だけが派手なジュース味のカクテルも人気を呼んでいる。普段はバーに訪れない人も街の雰囲気につられて、また、年末を楽しみたくて、浮かれた気持ちともしかして何か素敵なことが起こるのかなという期待と一緒に厚い扉を開けるからであろう。同じ空間でたった一週間の差なのに静かな店内が懐かしい。
 面白いのは常連と新しいお客さんの話題がほぼ重なることだ。人それぞれ好みが異なっても季節の変化による関心事は似ているようだ。何処かのイルミネーション、今月の24日や25日の恋人との予定、合コン、パーティ、クラブ、プレゼント、ケーキとケンタッキーとレストランの予約など。
 認めたくはないけど、冬がきた、今年はもうすぐ終わるのだ、クリスマスが近づいてきた。信仰を持っていない者として聖誕祭とその前日に意味付けはしたくないが、俺も周りの雰囲気につられて少し浮かれている。
 できるならば、イブとクリスマスにも働きたかったが、よりによってお店はどの日も休みだ。マスターは儲けたくないのかと心中で文句を言ったけど、常連が多くていつも売り上げが良く、元々休業日も少ないお店だから不満を抱くことも止めた。せっかく取り戻した日常のバランスを崩してはいけないから落ち着く必要がある。
 この一週間は勉強と運動を含めてよくがんばれたが、またいつ怠けてしまうか分からない。充実した日常を頑張って続けよう。適応するまでは頭痛と筋肉痛で苦労するだろうが、それは仕方ない。でも、先週にした考察で得た勤労の考え方で生活したからなのか、疲れていても気持ちは良い。とは言え、自信を持って生産的で発展的だったとは言えない一年だったから憂鬱な気持ちもある。来年は胸を張ってがんばったと語れる自分になりたい。

 バイトの時にサンタについて書きたいことがあったけど、なんだったっけ。簡単にメモしたナプキンを何処に置いたのかも忘れた。
 そうだ、お客さんの話を聞いてからだった。カウンター席に座っていた女性の方。彼女は隣の男性に自分の天然な可愛さをアピールしようと、サンタがいると信じているコンセプトで話していた。
 俺は彼女とは違って本当にサンタがいるのではないかと思っている。勿論、赤い服を着た白髭のふっくらしたおじいさんが深夜に訪れると信じているわけではない。幼稚園生の時に園長がサンタの仮装をして親が買っておいたプレゼントを配るだけだと気付いた俺だ。その時からサンタはいない、大人は皆んな嘘つきだと恨んでいた。
 しかし、その考えは大学1年生の冬に変わった。人生で初めての彼女にあげるクリスマスプレゼントを選んでいた時に感じた気持ちのためだった。幸せだと表現したら大袈裟だけど、内面に生まれた暖かい何かが体を軽くして一歩一歩が飛べそうで、普段通っていた街がことさら新しく綺麗に見える気持ちになったことがある。本気で好きだったと言えない相手だったにもかかわらず、そのような気持ちになった。
 サンタは自分の存在を現して称えられるより、王冠を外して皆んなに誰かのサンタになってあげる機会を譲り、俺たちに喜びを配ってくれたのではないだろうか。きっぷの良いふっくらしたおじいさんだ。色々あってクリスマスになる前に別れたけど、お陰様で毎年お気に入りのマフラーを巻いている。

 昨夜のバーでサンタについて書こうと考えながら、リンゴジュース5ozを温めて、ブランデーを1oz入れ、クローブ1個、そして、バニラビーンズ1.5cm、シナモンスティックを3cm、プンシュを作ってお客さんに渡した。
 すると、鈴木さんから「お前、最初よりは手慣れたようだな」と言われた。
 ほぼ一年くらい働いたからそれは当たり前でしょうと思ったけど、無口な先輩からこんなことを言われたことに驚いた。一緒に働く時に教えてもらうこと以外何か話したことのない人。お店がどれだけ混んでいて煩くても1回で注文を取り、頼まれなくてもタイミング良くチェイサーを出したり灰皿を交換したりする。こういうのは仕事になれたら誰でもできると思っていたが、1回のミスもしないことは誰にでもできることではない。
 これだけではなく、お客さんに自分から話しかけて豊富な話題を提供したり、聞いているばかりだったり、一人で寂しそうにいるお客さんを放っておく時もあり、多数で来たお客さんに話しかける時もある。気心の知れた常連さんだけではなく、初めて訪問したお客さんも彼の仕事ぶりにやられたら常連になっていた。このように彼は常に完璧な仕事ぶりを見せる冷静な人で、俳優をしても売れっ子になれるような容貌、優れた外見に負けない神秘的な近づきにくい雰囲気の魅力を持っている。女性のお客様達からの秋波にも揺れず、節操を守って一線を越えることもしない。
 彼は俺が今まで接したことない種類の人で、どういう価値観で生きているのか知りたかった。この人には世界がどう見えているのだろう。何回かプライベートな話をしようと声を掛けたが、気分を害さない範囲で無視された。自分の領域を守りながらも人の気分を害さない素敵な人だと思い、好奇心を抑えて個人の領域を尊重することにしていた。シフトが重なる日も多かったのに、彼がここで働いている期間がどのくらいなのか、何歳なのか(20代半ばから20代後半に見えるけど)、バーテンダーが本業なのかバイトなのか、何一つ分かっていない。したがって、その一言にとても驚いて一瞬戸惑っていた。ありがとうございますと返事もできずにいると、先輩は何気なく続いて話した。
「クリスマスイブに予定ある?」
 今回は失礼にならないようすぐ答えた。
「ないです」
「遊ばない?」
 普通の会話を先輩が始めたことも恐ろしいのに、誘ってくれるなんて耳を疑った。一先ず、「はい」と答えた。
 一見、無口で良い人に見えるが、遊んでそうな人にも見えたから、俺と噛み合わないかも知れないという心配もあった。望んだのは普通に話し合える程度の親密度を得て観察できるようになることだったけど、イブに遊びに行くのはハードルが高い。この人がイブに女性との予定がないのも不思議だった。

 俺は社交的な人間ではないが、相手に合う姿を見せる能力がある。建前でなく内在する本音と態度を相手によって変える能力。それにより、活発でない性格の俺に様々なタイプの友達ができたのだろう。
 短所は、自分の意思でオン・オフできず、仲良くなった人との距離を調節できないこと。高校時代に不和の中に挟まれて困ったことが一度ならずある。
 鈴木さんと噛み合わないのにプライベートで仲良くなったら、バイト時間が辛くなるのは火を見るより明らかだ。イブになる前に約束をキャンセルした方が良いか悩んでいたが、先輩がまた声をかけてきた。
「クラブ行ったことある?」
「ないです」
「じゃあ、渋谷行こうか」
「はい、行きましょう」

 やっぱり彼がどんな人なのか知る機会を逃さないことにした。その時によって異なる言動で一貫性のある結果をもたらすが、その中心にある基準が何なのか読めない人を近くで観察できる貴重な機会。正直、クラブに行くことも好奇心を刺激した。自分では試みもしなかったはずの全然知らない領域を、その分野のベテランに見える人と行くということ。望んでいた観察と新しい経験、一石二鳥ではないか。そして、起こるかも知れない見知らぬ女性との出来事に対する期待は俺を妙に興奮させた。遠足に行く前の幼稚園生のようにイブまでぐっすり眠れそうにない。

二〇一三年十二月七日

 最近、一日の計画を全部やり切ることからくる充実感を味わっている。そして、寝る直前のような短い残り時間にユーチューブを観るのが楽しみになった。刺激的な楽しさを節制していた影響なのか、面白さが以前と比べて何倍にもなって脳がじいんとする。続けて観たくなるけど、日記とバイト以外にも英語の勉強と運動をするには、時間と体力がけっこう要るから、翌日のために我慢して寝る。それで、十日間オナニーをしていない。完全に体力調節をするためだった訳でなく、日常に満足して余計な刺激が要らないと感じる日もあった。
 今日は時間も体力もあって性欲が起こった。十日ぶりのAVは全てを忘れさせる位に刺激的で、オナニーをする時には感覚が自分のものでないと思えるほど快感が甚しかった。中学時代の思春期に入った男子のように性欲が爆発して、連続でしたい気持ちを抑えるのに苦労した。30分を耐えてから正気に戻った。人間の体と精神は思ったより単純だ。その単純なことを行動に移すのが難しいけど。

 バーで働き始めてから睡眠の助けになっていたアイマスクが壊れた。少し悲しい。物には愛着を持たないことにしていたけど、もっと練習が必要なんだ。早く切り替えようと、新しい物を買うためにネットショッピングをした。幾つかの商品を比べながら、何が一番いいのか悩んでいた時、お勧め商品の遮光カーテンが目に入った。値段が高い物だと思っていたから買うつもりはなかったけど、軽くみてみようかとクリックした。予想より安くて使えそうな商品が多かった。質の良い睡眠は日常の集中力とやる気をあげるから、これも投資の一種ではないかと思った。
 節約が身に付いてお金の無駄遣いをしていなかったし、バイトを休んだこともないし、生活費通帳に書かれている数字が少なくはない。もうちょっと広い部屋に引っ越そうかな。
 いや、その前に、来年から復学するか再来年にするかを決めていない。学費通帳に毎月10万円の貯金をして10ヶ月、残り2年間の学費が約105万円。休学できる最長期間は2年だから、あと1年間を今までのようにバイトすると、学期中のバイト時間を減らしても家賃と生活費に余裕がある。国立に入って良かった。いや、来年に復学して貸与型奨学金を貰うことにした方が良いのかな。就職した後に返したら良いし、いや、でも、そうしたらやりたいことを探さなくなった状態で流されるまま生きることになるかも知れない。それは怖い。週一日休みの生活には慣れたから、また怠けるようになってもお金の目標には問題がない。しかし、来年に復学してもバイトの時間を増やせば、お金は何とかなりそうだ。そうしたら考察と勉強が問題か。卒業をもう一年延ばす意味があるのか考えてみよう。
 自主的に立てた計画を履行する能力も養わないといけないから、もっと無所属の状態でいる時間が欲しい。再来年に復学するとしたら、やりたいことを何も探せなくなったとしても、バイト人生でない大学生活を送ることができるようになる。うーん、来年の2月までに決めたらいいから、今は考えることをやめようか。遮光カーテンから変な所まで来ちゃった。
 アイマスクが遮光カーテンに変わったことを考えても、現代は情報が氾濫する時代で、適切にお得な情報を取ることが大事な能力だと言える。それをインターネットやスマホを使う度に感じる。無用な情報は遮断する目を養うこと、必要以上の情報を取り過ぎないように我慢することも勤労として認識した方がいいと思う。この二つを大事にする素養に追加しよう。遮光カーテンは見る目を養うための経験として買うことにしよう。無用かどうか判断する基準は、使ってみないと立てられないこともあるから。

 他人の話を陰で聞くことは良くないと知っているけど、やたら気になってマスターに鈴木さんがどんな人なのか聞いた。
「彼はこの店の宝物のような存在です」という曖昧な答えがもどかしくてしつこく聞いたら、「本人が許可した人だけに内面を見せてくれる人です。直接聞いてみたらどうですか」と返ってきた。
 何も答えてもらえなくて失望したけど、人柄がわからないのは俺だけではないんだと安心もした。この気持ちが読まれたのか、マスターは続けて話した。
「他には、そんな人の内面を見抜く目を養うという方法もありますね」
 そうしたい気持ちは山々ですがと思いつつ鎌を掛けた。
「マスターは許可してもらったのですか、見破ったのですか」
 マスターは「私はまだ彼がどんな人なのかを知っているかどうかについて何も言っていないのですが」と言葉を濁してにっこりと微笑んだ。伊達に水商売していないな、怖い人だ。
 世界を知ってどんな人の内面も見抜ける能力を手に入れるまでにどれくらいの努力が要るのだろう。
 そういえば、先輩と私的な会話をしたこともなく、彼が下品な言動をしたのをみたこともないのに、俺はなぜ彼を遊んでいる人だと考えたんだろう。高身長でイケメンだから?何回か見た私服の姿がオシャレだったから?それもあるが、それだけではない。清楚な美人、キレイなギャルのお姉さん、銀座のキャバ嬢、花街で働く人など、俺としては平然と話すこと自体が難しい様々なタイプの女性客の大体が彼の常連であり、女性に接する態度が自然というより、弄んですらいる。必ず相手の気持ちに合わせる訳ではなく、自分のペースを乱さないまま話を進める。
 お客様なのに逆に意地悪くいじめる時もある。暴れそうな気配のお客が自分を標的にするように仕向けて店から追い出す。そんなことをしてもいいのかと心配したが、次にそのお客さんが来た時にはもっと仲が良くなっている。適切に嫌われる原理を分かった上で、役者みたいに素早く切り換えて演じる。相手がどんな人なのかを一瞬で把握することは本当に難しい。さらに、その対応法を知るのには多くの経験と考察が必要だと思う。実際に行動するのはもっと難易度が高い。
 俺も意図的に相手の気分を害そうとしたことがあるけど、相手のイラッとする気配にひるんで諦めた。まだ若いとも言える先輩が持っている余裕のある態度は普通に生きていて得られるものじゃない。だから、いつも混乱の種を含んでいる遊びの場でたくさん経験を積んできたのではないかと無意識的に思っていたようだ。
 クリスマスイブにしっかり観察しよう。

二〇一三年十二月十一日

 怠け始めてから同棲していた寂しさという奴がやっと家を出てくれた。その名を呼んでも顔を出さない。最近、忙しい毎日を過ごしていて道草を食う暇もなかったからかな。このまま日常を続けられたら良いが、人生というものは平穏を乱したがっている性格の悪い奴だ。これは昔から感じていた。まるで、世界には人間に完全な平穏を与えない自然の法則が定められているのではないかという感覚。少なくとも一つはストレスを与える成分が追加される。日々問題なく過ごしていたら、巻き爪になったり顔にニキビができたり便秘になったりするように、些細なことだとしてもなにか新しく悩みの種が生まれる。
 イブに先輩と遊びに行く予定は考察が主な目的であるから、浮かれた気持ちを鎮めることができた。
 しかし、今日友達からの誘いの連絡が12件もきて困っている。断るのもストレスだ。休学してから2ヶ月間、誘いを断ってやっと連絡がこなくなったのに、年末になってまた始まった。無論、連絡をくれたのはありがたいと思う。だから断るのがしんどい。全部受け入れて会えば楽しいに決まっているが、時間的にも金銭的にも計画を進めるためには断るしかない。余裕を持って緩めても今月は2件が限界だ。
 中学生からの友達である健太、高校生からの友達である雄太、大学同期である達也と大樹、大学の後輩である翔平、大学の学科飲み会、中学校の同窓会3件、高校の同窓会3件。同窓会は場所が地元で割と断りやすいから問題ない。返事をしたり掛かってくる電話に出たりすることが疲れるだけ。学科の飲み会も行かないことにした。
 イブに予定があるから2件は無理だと思って久しぶりに健太と会うことにした。だが、健太から『イブに会おう』と返信がきた。バイトの休みがその日しかないという。
『お金持ちの御坊ちゃまがバイトするなんてどういうこと?』
『長くなるから、それは会って話そう』
 この1年の間に何かあったのかな、こうなると会うしかないんだけど。
『イブには予定入ってるけど、他に休みない?』
『クリスマスに時間作れるかも』
『分かった、その日は空けておくから分かったら連絡して』
『了解』

 連絡を返してようやく得られた自由の時間、英語の勉強をしようとしていたところにラインの通知音が連続で鳴った。大樹だった。
『今回の合コンは中々ない機会だって、女子大側の主催者が仲良しだから教えてくれたけど、みんな可愛くて恋人探しとエッチ目当てだって、こっち来てよ、お前しかいない、他に誘えるような奴は彼女と予定あるって、ブサイク連れていっちゃダメじゃん、お願い』
 大樹は仲がいいとは言えない関係だったのに、本当に誘える友達がいないみたいだった。でも、彼は普段も人間性が低いと感じていたし、言い方も下品であまり行きたくなかった。どっちみち合コンがクリスマスだから断固として再び拒んだ。
 だが、大樹は『誰も都合つかなかったら、当日また連絡するね、マジで良い機会だからもうちょっと考えてくれよ』と答えた。
 この図々しさは学ぶべきだと思う。

 遮光カーテンが届いた。設置するのは難しくなかったが、意外と時間がかかった。何かを作ったり組み立てたりする手際がよくないことは、中学校の文化祭で小道具担当になって分かったけど、思ったより酷くて一人で笑ってしまった。連絡とカーテンの設置でもうバイトしに行く時間だ。勉強は寝る時間を削ってするしかないか。自分で決めたから文句言わずにやろう。
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