第3話

文字数 15,871文字

二〇一三年十二月二十五日

 クラブから家に帰ってきた。二日酔いのせいか頭痛と吐き気があり、大音量の音楽の影響で耳鳴りがしてぼんやりしている。だからなのか、クラブに行ったことが夢のように感じられる。すぐ寝たいけど、この新しい経験を鮮明に覚えているうちに書こう。苦痛は我慢しよう。凄く楽しくて有益だった。重要なものなのに考察していなかった部分、わざと無視していたところがあったことに気付いた。

<二〇一三年十二月二十四日>の記録と考察

 バイトを終えて帰ってきてから熟睡した。昨夜、先輩は「夕方に連絡する」と言っただけで、正確な時間と場所は決まっていなかった。場所は渋谷だったから決まっていると言えるのかな。でも、待ち合わせ場所と時間が決まっていなかったから、これは良くない態度だと思って彼に少し失望した。
 連絡を待っている間に時間を活用して英語の勉強をしようとしていたけど、先輩とプライベートで会う緊張感と共にどのような遊びの世界が待っているのかという期待感から生まれた高揚感で落ち着けなかった。オートミールを食べながら連絡がきてないか何回かスマホを確認し、シャワーを浴びている時に連絡がきたらどうしようと思って浴びに行くかどうかも何回か躊躇った。付き合ったばかりの恋愛相手からの連絡を待っている訳でもないのに何だこの気持ち、新しい経験ってこれほど人の感情を弄るくらいに偉いものだったのか。俺が強烈に新しい経験を望んでいたのか、人肌恋しくて女の子との出逢いを期待していたのか、居ても立ってもいられなかった。
 4時半ごろに連絡がきた。
『渋谷のハチ公前に6時でいい?』
『はい、了解です』
 その後、遊ぶとしたらどんな服を着ればいいかのと命に関わる問題を解くかのように悩んだ。先に服を決めておけば良かったと後悔しながら最近は何も買っていないなと思った。寒いからインディゴブルーのジーパンに黒いタートルネックと茶色のムートンジャケットを着て、靴はチェルシーブーツを履いて出かけた。バッチリ着て遊びに行くことが久しぶりで冷たい空気も甘かった。
 太陽が沈んでいく。紺色の画用紙に赤とオレンジの油絵具を落とした風景は何だかヤラシイ雰囲気を出していた。普段は何処かに引きこもっているのか見かけることのないようなオシャレなイケメンと美女たちをぎっしり乗せて走る電車の中で、ふと眺めていた外の景色も古い映写機から上映される無声映画に見えて面白かった。
 渋谷駅のハチ公前に5時50分に着いて先輩を待とうと思っていたら、もうその犬の前に先輩が立っていた。約束時間を守る人だったもんな。私服の彼はあまりにも目立っていて、気付かずに通りすぎることはできそうもなかった。オシャレな服装も人より頭一つ分高い身長もそうだが、何より豊富な経験から形成された余裕満々な雰囲気が男女問わず人を魅了する。先輩に近づいたら、彼は力がありそうでなさそうな目をスマホから外し、素早く俺を確認して言った。
「早いね、飯は食った?」
「夕飯はまだですが、腹減っていないです」
「だったら、軽く飲みに行こう、行きたくない場所あったら先に教えて」
「久しぶりなんで、何処でもいいです」
「行こう」
 数秒で気配りを含めたリードをする彼の仕業に感心し、動き始めたその頼もしい背中に付き従った。
 着いた場所はバイト先とは違う派手なバーだった。財布の都合が心配になったけど、そんなそぶりは見せないでカウンター席に座った。すると、可愛いバーテンダーが親しく、嬉しそうに話しかけてきた。
「えっ何?この時間にウチの店に来たのは初めてじゃない?」
「変なこと言うな、俺はジャックコーク、お前は?」
「ゴッドマザーでお願いします」
「はいはい、他には?」
「軽く飯にできるつまみ」
「オッケー、イブなのに男二人で遊ぶの、私みたいな可愛い女の子を振った時から怪しかったけど、私は理解できるから」
「注文は以上だから失せてくれる?」
「はいはいー」
 そっと上がった口元で交わされる遠慮のない言葉から二人の仲の良さが伝わった。こんなに可愛い女性に告られて振ったのか、それでもこの仲の良さがあるという事実が彼と俺は生きている世界が違うと感じさせた。可愛い女性とも男同士みたいに近い関係になれることが羨ましかった。何かノウハウがあったら学びたい。
「知り合いの店の売り上げ伸ばしも兼ねて来たから奢る」
「あ、大丈夫です」
「誘ったのもこっちだし」
「僕も最近出かけてないんで、本当に大丈夫です」
「遠慮するな」
「でも…」
「そんなに遠慮されると距離を感じるんだけど」
「そこまで言うなら、有り難くいただきます」
「はいはいー、初めてのお兄さんはゴッドマザー、こっちはジャックコーク、つまみはポテト温めているけどいいでしょ?」
「お前の手作りよりはマシ」
「はあ?私の愛情がたっぷり入ったカレー食べたことないじゃん」
「食べなくても分かる」
「マジで腹立つ、今日うちにきて食べてみ」
「お断りします」
「はいはいーいつものパターン」
 会話の流れに付いて行けなくて黙っていたらバーテンダーが話した。
「このお兄さんは誰なの」
「この前言った店の新入り」
 先輩が俺のことを他の人に話すとは思わなかったから、それがどんな話であるかに関係なく驚いた。
「初めまして、翔太です、宜しくお願いします」
「うん宜しくね、でも、聞いてたよりは穏やかな感じ」
「俺も外でこいつと会うのは初めて」
「へえ、お兄さんオンオフが激しいタイプ?」
 話の流れが読めず彼と彼女を代わる代わる見た。
「勝手に話進めないでくれる?今から喋るつもりだから失せて」
「あっ、お兄さんごめんね、変なことは言っていないから気にしないで、私は消えるから思う存分仲良くしていってね」
「煩い」
 彼女は「バーカ」と言って去った。
「ごめん、あいつは人との距離がわかってない奴だから気にしないで」
「大丈夫です、面白いです、それよりは僕の話をしたというのが気になりまして」
「別に、店の新しいやつが深く考えているみたいだってだけ」
 先輩は照れているのか残っていたジャックコークを一気に飲んだ。俺もどう返事したらいいか考えて前を向いていたら、温かいポテトをカウンターに置いて無言でおかわりをくれる彼女と目があった。彼女はにこりと先輩に顎をしゃくった。変な人でしょうと言っているようでつい笑ってしまった。先輩は彼女の方向をみることもなく言った。
「酒を出したら、変なことしないで消えた方がいいんじゃない?」
「はいはいー、そうするつもりでしたー」
 こういう関係の女性の友達が欲しいなと思った、面白い。

 楽しくて様々な種類のカクテルを飲みながら語らった。先輩がバーの社員として働いていたことやアラサーであることや思慮深い人であることなどを知り、俺が考えていることや最近気づいたことなどについても話した。
「それでバイトの時は鋭い眼差しだったのか」
「僕ですか?」
「いつもヤクザも怖がるくらいに殺伐としたなオーラ出してるから、死ぬ気で何かをやっていると分かるだろ」
「いえいえ、そこまではしていないです」
「こういうのは自分では分からない、それでこれからはどうする?」
「まずは強弱調節して計画を立てようとしています」
「次は何処行きたいのかってことだよ」
 恥ずかしくて笑った。
「そういうことですね、今日は特に行きたい所は無いです、先輩は普段どう遊んでいるんですか」とすぐバレるはったりで答えた。先輩は俺がクラブに行ったことがないと知っているから、素直にあまり遊んだことがなくて分かりませんと答えた方が良かったのに。でも、連れられてだけど合コンは何回か行ったことあるから、遊んだことがないと言うのも良くないのではないかと思った。いや、認めよう、虚勢だった。
「俺はその時に行きたい所」
「そうなんですね」
「実はお前が断ると思ってた」
「何をですか、誘ったことですか」
「ああ、なぜ受けた?」
 俺が遊んでいない人に見えて受けないと思ったということか。俺もなぜ誘ったかを聞きたかったが、質問できなくさせる彼の話法に感嘆して後で聞くことにした。
 今日は真面目な話もしたから真剣に答えた。クラブのような遊びについての俺の考えは、特に意味もないことにお金と時間と体力を使ってまで行くのが理解できないということだった。そんなことをしている人々が灯に入る虫と同じく見えた。しかしながら、大勢の人々が継続的にやっていることを無視すべきではない。さらに、さっきの俺が無意識的に虚勢を張ったことを考えてみると、遊び上手な人というステータスはある能力を証明してくれる不名誉な勲章であることが分かる。人は何かを話す時、本能的に自分の手柄を膨らましたがるようになるから。異性との交際がない人をつまらない人間だとする社会の雰囲気も一役買っている。見えないプレッシャーから俺も二十歳で初めての彼女ができた事実を隠したことがあった。故に、遊び上手な人になるために必要な能力が何かも気になった。
 話を聞いた先輩は時間を確認して答えた。
「10時だからクラブ入るには早いけど、そういう理由なら今から行こう、まあ今日はイブだし」
「はい」
 残りのお酒を飲んでからバーを出た。カウンターに置いた2万円を見て「払わなくていいよ」と叫びながら追ってくるバーテンダーを、先輩は「払わせないと次からは会わない」と一言で黙らせた。

 寒いと予想していた外は、酔いの影響かイブの夜に対して抱いている期待からなる熱い心の影響か、上着を着ていなくても涼しく感じられて気持ち良かった。人ごみをかき分けながら15分程度、カップルが多かった周囲は既に酔っ払い過ぎて路上で吐いている人や寝ている人や大声で話し合っている人しかいなくなっていて気を取られた。
 また5分くらい歩いて長い行列ができている建物の前で止まった。先輩は「ちょっと待って」と言い、スマホを出して誰かに電話をかけた。短い会話で終わった電話の後、先輩に「普段もこの時間に並ぶんですか」と聞いた。この遊びが冬の夜に並んで待つ価値があるのか、早く入ってみたかった。
 「俺らは待たなくて良い」
 その理由を聞こうとしていた時、入り口の階段から上ってきた怖い印象のお兄さんが先輩を呼んで顔を確認し、嬉しそうにハグをした。先輩いったい何者ですかと思いながら、付いてきてと手振りで言う彼の後ろを追った。
 ひりつくような行列からの視線を気にしていないふりをして階段を下りた。階段からは透明な遮断膜があるのかと思えるくらいに外の雑音が一瞬で聞こえなくなり、もっと下りたら何となく知っていたクラブ音楽が薄っすらと聞こえてきた。内部に入ったのかと思ったらまたロビーと行列があり、たくさんの棒に縛られた赤いロープが行列の人たちを管理するように区切っていた。隣に立っている行列の人たちに、してもいない勝負に勝った気持ちになって勝利感を満喫し、鼻が高くなっていた。
 再び現れた検問所に体格の良い二人のガードマンが威圧的に立っているのを見て気をくじかれ、この待遇は先輩の能力によるものであることを思い出した。自分の能力でこうなった訳でもないくせに調子に乗ってはいけないと、頭では分かっていても慣れていない状況に適応するのは難しいと思った。そのガードマンは先輩と一緒にいる人をみて棒のリングに掛けられているロープを外した。これは今も恥ずかしくて悔しいけど、自信を失って周りを見回していた俺は彼らと4メートル程度離れていて同行者に見えなかったのか、ガードマンに胸を掌で叩かれて止められた。音が大きい所で働くからか耳が悪いガードマンは「連れです」と3回繰り返し言われてから、巨大な鉄門の前まで行った先輩達を呼んで確認した後に入らせてくれた。並ばずにここまで来たら一緒に来たと分かると思うけど、頭が悪い人なのかと考えて先輩と俺の差を見ないふりした。本当はガードマンはやるべき仕事をした、経験の少ない俺が悪かったと今も自分を納得させているが、怒りがむずむず頭をもたげて見つめてくる。物事の道理を理解しようとしていても、自分の状態が自ら想像していた姿と差があることを認めるのは何故これほど辛くてしんどいのだろう。
 先輩達と合流して最後の関門に見える巨大な鉄門の前に来た。先輩がクラブの案内の人と話していて俺はその隣に立っていた時、重そうな鉄門が軽く開けられて二人の女性が出てきた。可愛くて派手な服装。バイト先の店も美人のお客さんが多い方だが、ここのお客さんたちは全く異なる雰囲気だった。場所の違いがあるからかも知れない。そして、扉が開かれた瞬間ベースの音が全身を殴り、健康に悪そうな音量を実感して鳥肌が立った。人は体や精神に悪いことをする時に興奮するのかな。

 会話を終えた先輩に背中を押され、俺の手で開けた扉は丁度良い重さで秘密の場所に行く気持ちを盛り上げてくれた。入った時の記憶は忘れられない、多分一生覚えていられると思う。その別世界をどう描写したら良いのかな。
 暗いようで暗くない照明、華やかに出さられているレーザー、密集して踊っている人たち。 耳が遠くなり近くの人とも大声でないと話せないような音量に心臓が打たれて盛り上がり、現実とは思えない空間にいるようだった。皆んなはこの世界に入るために長い行列にも耐えられるのだと理解できた。
 眺め回していたら先輩がバーカウンターに行こうと囁いた。バーカウンターがある方向を見ると小さな体格の人でも通れなそうな人の壁が作られていたが、僅かな隙間を激しい勢いで突破する先輩を追ったらバーに着いていた。
「何飲む?」
「ここは僕が払います」
「いや、これあるから平気」
 彼の手には指2本くらいの大きさの紙切れの束が握られていた。
「それは何ですか」
「ドリンクチケット」
「いつ買ったんですか」
「さっきの知り合いが今日はテーブルの席用意できないからって、その代わりに貰った」
「先輩、本当に何者ですか」
「飲まないならいい」
 答えてくれる気配が全然ないので早めにメニュー板からチケットで注文できるカクテルを選んだ。
「ジン・トニックでお願いします」
 注文してカクテルを作る過程を見ていたが、材料は全てが安物で作るのも適当、700円も払いたくない質に驚愕した。それにプラスチックのコップで量も少なかった。先輩からジン・トニックを渡して貰ってから聞いた。
「ありがとうございます、これが700円ですか」
「場所が場所だから」
「酷いですね」
「ここではここなりの味がある」
 一口飲んでみたジン・トニックは不味かった。
「今日はイブだからこんなに人が多いんですか」
「ああ、でも、金土の1時半くらいにはいつもこれよりちょっと多め」
「これより多いって動けますか」
「何となく」
「凄いですね」
「それで、感想は?」
「あ、映画を見ている気持ちです」
「馬鹿かよお前」
「あの、これからはどう遊んだら良いですか」
「それ聞く?ダサいな」
「すみません」
「まだ時間はたくさんあるから、15分くらいは雰囲気と流れを読んどけ」
「はい」
 カクテルの質に失望したせいか熱くなった精神が急激に冷めた。先輩は誰かと連絡をしているのか忙しくスマホを弄っていた。暫く周りを観察していたら、最初の印象と違って踊らない人も多いことに気付いた。そして、音楽によって踊る時とそうではない時があることがうかがえた。踊らなくても良いんだと思っていたが、ここまで来たのに踊らないのは勿体無い気がした。しかし、実際に踊ってみようと想像しただけでも、緊張して体が固まり、俺だけが下手な馬鹿踊りになると考えたら恥ずかしくて怖かった。
 ここに入ったのは良い経験だと思うけど、これ以上は俺に向いていないのではないかと思っていたら、連絡を終えたのか先輩が話しかけてきた。
「お前の目的は何だ」
「目的ですか」
「遊ぶ時には目的を確かめるのが大事だ」
「上手く、楽しく遊びたいです」
「本当?」
「はい?」
「女の子との一晩じゃなくて?」
「それもなくはないんですが」
「俺はお前の目的に合わせて教えるつもりだから嘘をつくな、女の子と遊びたいなら機会を作ってやる」
 耳寄りな話でクラブに来た目的が、何より重要な人間と世界を知るための考察であったことを忘れてしまうところだったが、飛ぼうとしていた理性を頑張って掴んだ。
「それもしたいんですが、今はこの場を知りたいのが何よりです」
「分かった、そうするためには人の視線を気にしない必要がある、最初は楽しく踊ること」
「踊らない人も多いんですが、踊らないといけないですか」
「観察をするならしっかりしろ、あいつらが楽しそうに見えるか?」
「見えませんね」
「ただこの雰囲気を楽しみたいならそれで良いけど、大体ミーアキャットなんだよ」
「ミーアキャット?」
「獲物にできそうな女の子を探すことだけに集中しているから、背伸びしたりずっと見回している姿がミーアキャットに似ていて、俺はそう呼んでいる」
「確かにそう見えますね、ミーアキャットか、面白いです」
「目的がハッキリしていないと、そうなりがちだから、お前も気を付けた方が良い」
「でも、その人たちは確実に女性目当てなのでは?」
「そんなやり方では目的が達成できないし、偶にできるとしてもそうなるまでが楽しくない。ワンナイト目当でもミーアキャットにならずに楽しく遊ぶ方法もある」
「その方法は何ですか」
「お前はまず楽しく踊ること」
「実は、さっき踊ろうとしてみましたが、できませんでした」
「最初はみんなそうだ、慣れていた人でも久しぶりに来たら気まずい、俺も今そうだ」
「本当ですか、慣れてる場所にいるように見えてました」
「だいたいそうだろう、久しぶりか普段しないことをしようとしたら」
「僕は今自分に合わない所にいる感覚です」
「もっと飲んだら良くなる」

 いつもの適量を超えて飲んだけど、緊張しているせいであまり酔わなかった。少し酔い始めて踊れそうになったけど、周りから見る自分の姿が醜いかもという考えが生まれ、若干動いていた体がまた固まってしまった。なぜ俺はこのようなことをしているのだろうと、早く帰りたくなって落ち込んでいたら、先輩が「難しかったら俺を見て適当に真似しろ」と言ってから踊り始めた。慣れていて堂々とした態度が羨ましいと思った。どれほど派手なダンスを見せてくれるのかと集中して観察したが、音楽のリズムに合わせて上半身を少しずつ動かしているだけだった。その次に何かあるのかと期待して待っていたら、これで終わりだという視線で見られた。
 期待を脇ににおいて眺めた。視野を広げてクラブ全体を舞台にして観察したら、彼の踊りへの感想が真逆になった。度が過ぎない簡単な身振りで音楽に合わせ、気持ち良さそうに踊る姿は男から見ても魅力的で惚れそうだった。この瞬間を楽しんで音楽に乗っている感じ。周囲の視線を気にすることを忘れたのか、酔っ払ったからなのか、先輩に憧れたからなのか、何とか真似することに集中したら、徐々に踊れるようになって盛り上がり始めた。音楽に合わせて踊ることが楽しくて気持ち良い行為だと分かる瞬間だった。
 自分の感情に集中して踊っていたら、先輩が近づいてきて言った。
「今、良い感じ、踊りって派手じゃなくても良いんだよ」
「これならできます、楽しいです」
「これが慣れたら手と足も、こうやって」
 二の腕の長さほど離れた彼は上半身のバウンスを足まで繋げて絶妙に手の動きも加えた。明らかに簡単な身振りが追加されているだけなのに、専門的なダンサーの踊りと比較して劣る所がなかった。実はダンスについては何も知らないが、こう表現できるくらいにカッコ良かった。手と足も真似しようとしたが、意外と難しかった。普段の自分だったらもはや諦めたはずのことだが、クラブの雰囲気に心酔したこともあり、先輩の褒め言葉から力をもらって何回かの失敗の後、手と足も踊りに加えることができた。そして、ずっと先輩の踊りを真似するようにしていた動作を、自分なりに変えられそうな感覚が沸き上がってきて、あんよする赤ちゃんの決心に負けない決意で目を閉じた。
 より伝わる音楽、リズムに合わせた上半身のバウンス、その動きを上半身から足まで繋げ、先輩の踊りに似たような感じを出そうと想像して手を振った。すると、最初の気詰まりは跡形も残さず消えて、純粋な楽しさのみ存在していた。

 何処にいるのか何時なのかも忘れ、夢中になって踊っていたら、先輩の声が聞こえてきた。
「随分楽しんでるみたいだな、踊りはそのくらいで良いから、これからはミッションだ」
「はい?」
「今お前が見ている方向を基準に2時方向、ステージの近くに立っている2人組」
「サンタ仮装の人とトナカイカチューシャの2人組ですか」
「その、黒いワンピースの人」
「あ、はい、トナカイの人ですね」
「その人と乾杯してきな」
「はい?いや、それはちょっと、急に初対面の人にそれは失礼じゃないですか」
「連絡先をもらってきてって言った訳でもないし、一緒に遊んできてって言った訳でもないよな?」
「あ、はい、そうです」
「ここに来る人は何しにきたと思う?」
「人それぞれじゃないですか」
「目的は違っても、とにかく遊びだ遊び」
「はい、そうですね」
「おかしい人に見られても気にするな、今日以降一生会うことのない人だと考えろ、どうせお前のこと覚えてる人もいない」
「それはそうなんですが、これに何の意味があるんですか」
「知りたいと言ったのはお前だ、選択もお前次第」
 何の意味があるのかという疑問を振り払えなかったのだが、次の段階を教えていただきたくて駄目で元々だと、思い切ってやってみることにした。
 バーに行ってドリンクチケットでジン・トニックを頼んでその2人組を見つめた。覆っている部分より露出している部分が多いサンタの仮装は服の機能を失っていたが、その代わり着る人を美しさで覆っていた。トナカイカチューシャの人のすんなりした体にぴったりくっついている黒いワンピースは、色気を濃厚に出して男性に神経を使わせていた。その綺麗な2人は自撮りをしたり踊ったり笑いながら話したりしていて、近づいてきて話しかける男性に掌を見せることで断っていた。俺が行っても他の男性たちと同じ扱いをされるという怖さに襲われたが、駄目でも元々だと繰り返し自分を洗脳し、乾いた舌に水をやるために一口飲んだジン・トニックを右手で強く握って彼女たちへ向かった。
 心臓の鼓動が速くなったのが踊りと緊張のどちらの影響か分からないまま2人の前まで辿り着いた。間違いなくその2人の認知範囲の中に入ったと思ったけど、彼女たちは俺の方向を見てくれなかった。もうこれで断られたと判断しても良いのではないかと思い、フリーズした状態で30秒くらい立っていたら、トナカイカチューシャの女性と目が合った。心苦しい状況から1秒でも早めに逃げたくて、微笑を浮かべると彼女もほほ笑んでくれた。その笑みの意味が何か解釈する余裕がなくて、すぐプラスチックコップを持っている右手を上げた。彼女は俺の行動を見て何かを話していたけど聞こえなかった。しかし、口の動きで読み取れた。その時には読み取れたのが当然だと考えていたが、どうやって通じたんだろう。人間の無意識的な潜在能力は計り知れないという話は大袈裟ではないと思う。
 彼女の口の動きで読み取れた内容は「うん?何?私にくれるの、私も持っているから大丈夫だよ」
 俺が軽く首を横に振ると、「違う?当ててみるね、乾杯しようってこと?」
 首肯の意味で頷いたら、「正解ー、何これウケるんだけど。いいよ、乾杯しよう、乾杯ー」
 ミッションを成功裏に終えたこと、遊びの場で身知らぬ人と交流したことで、嬉しさの極みを味わった。
 単純にその2つの理由だけではなかったと思う。他の男性には素っ気なかった綺麗な女性が俺には優しくしてくれたことから、自分の魅力を認めてもらったと感じたからぴりっとする高揚感が得られたと思う。クラブのトナカイに「ありがとう、楽しんで」と言って先輩に戦勝の報告をしに軽い足取りを速めた。何があったのか話していないのに、先輩は「意外と簡単だろう?」と遠くからも状況を把握していた。
 やけに楽しくなって飲んで踊って飲んで踊った。この時、先輩が何か話していたのだが、これはどれほど頑張っても思い出せない。
 どのくらいの時間が経ったのかは知らないが、任務をする時に冷めた体がまた熱くなった時に先輩が言った。
「お前、人の目を気にしない資質あるね」
「先輩が教えてくれたことをしただけです」
「これが最初からできることだと思うか?」
「え、違いますか」
 彼は「実はさ、俺も分かんない」と言って爆笑した。
 先輩もお酒と雰囲気に酔い、盛り上がって楽しんでいる様子だった。
「次は9時方向の3人組」
「スマホばかり弄っている人たちですか」
「そう、乾杯してきな」
「はい、了解です」
 堂々とさっきのように行動したが、変な人をみる目で見詰められ、任務は失敗になった。落ち込んで帰ってくる俺を見て先輩は笑いながら言った。
「そんなことで落ち込んだら碌に遊べない、気にするな」
「慰めるか笑うか一つにしてくださいよ」
「ごめんごめん、急に落ち込むのが面白過ぎて」
 だけど、俺たちの笑いは止まなかった。何が面白いのかも分からず、笑いが笑いを呼んで腹筋が痛いほど笑い続けた。何で笑い始めたのかも忘れた頃、笑いが止んでトイレに行ってくることにした。

 クラブは一定の空間に何人まで入れるかを実験しているのか、人がより増えていてトイレまで行くことだけで疲れた。トイレの設備はけっこう良かったが、使用人数に合わない狭さのせいか汚れていた。クラブのトイレはこんなもんなのかな。
 靴を守りながらトイレから出ると先輩が両手にお酒を持って待っていた。
「酔っぱらうのもダメだけど、完全に酔いが覚めるのもダメ」
「はい、分かりました、ありがとうございます」
「さっき、俺らが踊っていた所みて」
 ステージではない所だったから、割と人通りが疎らだったが今は混んでいた。
「混んでいますね」
「違う、俺らがいた所の周囲がほぼ女の子だろう」
「あ、本当です」
「お前、楽しく遊んでいる人を見ていたらどう思う?」
「見る人も楽しいし、自分もそんな風に遊びたくなりますね」
「そう、だから目立つ」
 自意識過剰ではないかと思いながら聞いた。
「これが僕たちの影響ですか」
「さっき乾杯のミッション、1回目の組は俺らをチラッと見ながら合図を送っていたけど、2回目はそんな気配が全然なかった」
「そんなことまで見ていたんですか、それにしても見ようとしたって見られるものじゃないでしょう」
「慣れたら見える」
「だったら、2回目は何故いかせたんですか」
「男はこういう所で断られることに慣れる必要がある」
「拒絶されると気が引けますよ」
「慣れるって」
「さっきの話の続きなんですが、こうやって遊んだらいつも人が集まってくるんですか」
「いつもってわけじゃない、今日はイブだからかミーアキャットが多くてもっと注目されたと思う。お前が女だったらどっち行く?」
「多分、楽しく遊んでいる人の方ですね」
「そう、一緒に遊びたくなるだろう」
「そういう原理ですか、意外と簡単ですね」
 確かに重要な原理は大体簡単だ、それを実行するのが簡単でないのが問題であるだけ。
「でも、狂った人みたいに遊んだら逆に逃げる」
「自分が楽しくなるのが目的だったら、それでもいいんじゃないですか」
「ああ、女は気にしないで馬鹿踊りするのが一番楽しい」
 クラブで遊ぶことは女性目当てでなくても良いストレス発散手段だと思った。
「でも、これは先輩が高身長イケメンだからそうなるんじゃないですか」
「当たり前なこと言うな、遊び場で顔と見た目は大事だろう」
 不公平ですねと言おうとしたが、世の中は元々そういうものであることを思い出して口を噤んだ。
「生まれ付きのことは仕方ないけど、運動して痩せて筋肉を付けて、ファッションに興味を持って外見を磨いたら、先輩みたいにはできなくてもうまく遊べるんですか」
「お前がもうそうしているんじゃない?」
「何をですか」
「知らないふりはやめとけ、運動している体に見えるし、服装もヘアスタイルも悪くない」
 調子に乗らないために嬉しくなる気持ちを抑えた。
「お前なら充分できる」
「できるんでしょうかね」
「最後まで諦めなかったら、一人で何処に行っても上手く遊べると思う」
「誘ってくれたことも、今日教えてくれたことも本当にありがとうございました」
「臭いセリフはやめろ」
「すみません」
「本番は始まってもない」
「今日はこれ以上は無理ですよ」
「お前は吸収力が高そうだから、もっとできそうだけどな」
「これだけでも頭が爆発しそうですよ」
「今日以降、俺と遊ぶ機会が無いかも知れないのに?」
「もっと教えてください」
「冗談、冗談、次もあるから無理しなくていい」
「でも、言われてから考えてみると、機会を逃したくないです」
「分かった、一本吸おう」

 喫煙所で上着を脱いだらタートルネックが汗で大分濡れていた。
「これ運動にもなりそうですね」
「遊ぶ時にも真面目すぎる」
「すみません」
「いや、だから誘ったんだ」
 だからってさっきからその理由が気になっていたけど、今日は新しい学びに集中することにした。
 先輩は自分の上着と100円玉を3つ渡して「ロッカーに入れてきな」と言った。ロッカーがほぼ使用中で困っていたが、なんとか見つけたロッカーに上着を入れて戻ってきた。酔いが覚めないようにバーカウンターへ行き、俺たちの影響で女性たちが集まっている所を見ながら聞いた。
「そこで遊ばないんですか」
「目的を忘れるな。それに、今はまだ時間が早い」
 確認してみたら12時55分だった。ここではこれが早い時間なのか。それに、今の自分は何の目的で遊ぼうとしていたんだろうと、男としての本能に脳を支配されて目的を失ったと分かって恥ずかしくなった。
 より厚くなった人の壁の隙間を突き破って行きながらデジャビュを感じ、ジャックコークを4杯注文しながらこの壁はどこまで厚くなるのかと思った。1杯ずつ一気飲みし、1杯ずつ手に持ってクラブ内をみながら先輩と話した。
「お前、やりたいだろ」
「いいえ」
「正直に言え」
「今日こんなに楽しく遊べると思えなかったんで、ちょっと自分でも分かりません」
「俺も初めてなのにこんな上手くできると期待してなかった」
「女性と遊びたいです」
「分かってる」
「この後はどうしたら良いんですか」
「難しいけど、できそう?」
「やってみます」
「ちょっと休んでからまた楽しく遊ぼう」
「女性たちが集まったら」
「その中で俺らと遊びたい気配がある2人組を把握しろ」
「どんなふうに分かるんですか」
「それはやってみるしかない、そして、見ているのがバレないことが大事」
「バレたら何か悪いことがありますか」
「お前が超絶イケメンだったら構わないけど、駆け引きで強い確信を持たせたらダメ」
「殆どの男女関係ってそういうもんだけど、ここも同じなんですね」
「狙っていない相手がお前のことを気に入ってくれたら、目が合うだけで一緒に遊ぼうと合図を送っていると誤解されることもある、それは面倒臭くなる」
「気にすることが多すぎて難しいです」
「お前の目的がそうならな」
「また緊張してきますね」
「だからエッチが目的になると良くない、自然に楽しく遊ぶのが難しくなる」
 世の中、何であれ、易しいことはないのだ。
「他に気になることがあります」
「なんだ」
「まだ時間が早いと言ったじゃないですか」
「ああ」
「何時がいいですか」
「決まってはいない、日付と場所とその場の雰囲気で判断する」
「経験がないとできないことですか」
「センスがあると経験が少なくてもできる」
「今日は何時頃が最適だと思いますか」
「1時半から2時半」
「良い時間だという理由は?」
「早めにナンパに成功しても女の子はクラブから出ようとしないから」
「それはまだ遊びたいからですか」
「そうだ」
「何と無く理解できます、僕も異性関係なしでも楽しいと感じたんで」
「それはお前が変わっているからだろう、20代の男でお前みたいにできるやつは滅多にいない」
 5分程度のしじまの後、先輩が言った。
「一緒に遊ぶ時間が長くなる程、実力に気付かれる」
「だったらどうなりますか」
「粗探しの後、難癖を付けられる可能性が高くなる」
 人間関係は相互作用だからややこしいものだとは知っていたが、遊びの場ではより複雑で難しいと思った。
「踊ると早く酔いが覚めますね」
「普段より飲めるだろ」
「はい、こんなに飲んで平気だったことはありませんでした」
「いいね、もう1杯飲んでから踊ろう」
「はい、買ってきます」
 先輩はまた誰かに連絡をする様子で、俺はスマホに今日の出来事を簡略に書いた。お酒は飲んでいるが、動かなかったからなのか酔いが回り、やがて眩暈がした。更に、暴れる音楽と照明に襲われ、麻薬をやるとこのような気持ちになるのかなと思うほど楽しくなり、いつの間にか周りは気にせず踊っていた。
 思い出してみてもこの部分は記憶がない、気付いたら楽しく踊っていた自分と先輩がいて、俺たちに近づいて来る女性たちがいた。この時は本能を制御する機能が麻痺して先輩の教えを忘れていたと思う。俺は隣で踊っているタイプの女性を眺めていた。相手が先に笑ってくれたから返事として小さく手を振った。すると、彼女はより近づいてきて半歩の距離になり、踊りの仕草でお互いの身体の一部が触れ合った。鈍くなっていた意識と感覚器官は敏感になり、互いの好感を確認する過程からご無沙汰していた幸せが生じられ、自分が死んでいる者ではないと実感した。
 意識が戻ったからなのか、漸く2人組を選べという先輩の話が思い浮かんで彼がいた方向をみたら、すでに離れていた彼は俺を知らないふりをし、人差し指を口につけるジェスチャーをした。その意味を理解して女性に挨拶の言葉を伝えるために彼女の耳元へ頭を近付けたら、首に腕を回されて「楽しいイブだね」と言われた。慌てたことを可能な限り隠して「うん、そうだね」と答えた。彼女は俺と体を密着して「一緒に踊ろう」と誘い、俺は頑張って平然とした状態を保って「いいよ」と答えた。彼女は急にぐるっと後ろを向いて俺と同じ向きになり、腰とお尻を中心に振る踊りをしながら寄り添った。これにどう対応すればいいか全く分からなくて先輩を見て助けの視線を送った。他の女性とくっ付いて踊っていた彼は、俺のことをずっと気にしていたのか、すぐ視線を感じて状況を把握し、自分のパートナーの腰に手を回した。早速の対応に安心するのも束の間、勇気を出して上げた手はなぜか腰の直前で止まってしまった。今日出逢った女性の腰に手を回すことはとても難しかった。一思いにやってみようとしたけどまた手が止まった。緊張感で体が固まった。何の反応もしないまま立っていると、彼女は振り向いて石になった俺を見上げ、「つまんない」と一言残して去った。
 俺の常識では理屈に合わないことだとしても、今日は遊びを知りたくて来たのに、本能的にも一夜を期待するようになって覚悟もしたのに、なぜ手が動かなかったんだろう。自分にとっては許せない行動をしなかったことに喜ぶべきか、新しい挑戦のできない情けない臆病者であることを反省すべきか。独りぼっちになった寂しさを噛み締めていたら隣から声が聞こえてきた。
「身に余るビギナーズラックだったのに、勿体無いな」
「先輩、パートナーいたんじゃなかったんですか」
「要らない、明日昼に予定あるし」
 本当にそうなのか俺の世話をするためだったのかは謎のままだが、彼の優しさを感じた。

 答えは分かっているけど、遊び上手な人の価値観が気になって質問した。
「初対面の人の腰に手を回してもいいですか」
「普通は駄目だろう」
「でも、さっきは」
「さっきは相手が許可したから大丈夫」
「よく分かりません、無礼な行動だと思いまして」
「さっきは反応しないのが女の子にとって無礼、適切な言動って場所と相手によって違ってくるものだろ?」
「それは間違いないんですが、中心になるものは何処にいても守るべきだと思いまして」
「それもいいけど、ここは皆んな遊びに来る所だろう?全ての女の子が男と遊ぶために来る訳ではないけど、兎に角あんなに確実な合図をくれる人はあまりいない、普段はこれより弱い合図を受け取ってお前が自分で状況判断して近付かないといけない」
「すみません」
「いやいや怒ってない、その態度を変えなくてもいいし、さっきのような遊びは辞めてもいいし、選択はお前次第だろう、気になっているから教えるだけだ」
 頑張って作った自分なりの価値観がある人なんだ、先輩と仲良くなって良かったと思った。
「まだ2時半だからチャンスはあるけど」
「疲れました、今日はもういいです」
「いいよ、始発までどうする?」
「先輩はどうしますか」
「近くに24時間のマックがある」
「腹も減ったんで行きたいです」
「服持ってきな」
 彼の配慮に感謝しながら気が軽くなった一方名残惜しくもある気持ちでロッカーに行ってきたら、独りで軽く踊っている先輩は女性たちに囲まれていた。彼は踊って逃げての繰り返しをして遊んでいて、俺はその姿を観察したくて隠れた。踊り始めると女性たちが迫って来る。その距離が徐々に縮み、先輩は話しかけられそうなタイミングで移動する。本当に俺に何かを教えるために誘ったのかな。それが目的だとすると、彼は最後まで自分の目的を維持する人なんだと尊敬した。
 クラブから出ると、体が汗でベタベタな状態であったことを気付かせてくれる涼しい風が俺たちを迎え、はしゃいでいる人々の喧騒は現実に戻ったことを教えてくれた。マックに着いて食べたビッグマックは生まれてから食べた中で一番美味しいハンバーガーだった。始発まで俺はクラブであったことを記録し、先輩はいくつかの掛かってくる電話で忙しかった。「暫くは営業中止です」と聞こえてきた。バー以外に事業でもしていたのかな、何をしていれば夜から夜明けまでそれほど忙しく連絡がくるのだろうと疑問が生まれる。ホストをしているにしてはバーのシフトが多い。
 あ、先輩の名前は拓也だった。鈴木拓也、まだまだ謎が多い人だ。

二〇一三年十二月二十五日

 また昔のように出来事を詳しく記録する強迫観念が生き返った。だが、昨日のことは観察と考察が必要な新しい経験だから、この位に書かないと気が済まない。けれども、書き尽くすには物凄い時間と体力が要る。手首が痛い。安い中古パソコンでも買った方が良いかな。もう昼だ、眠い。何を基準にして詳しく書くかどうかを決めるのは、さしあたり保留しよう。
 早く寝よう。起きてからは残っている考察と英語の勉強をしないと。この前のバーでの吉田さんからのアドバイスも完全に吸収できていないのに、新しいことも考えないといけなくなって頭が痛い。脳が働きすぎて何から処理したらいいか決め難い。
 これ以上起きているのは無理だ、シャワーを浴びる気力もない。健太から連絡がくるかも知れないから午後4時に目覚ましを設定して寝た。
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