最終話

文字数 17,107文字

二〇二一年八月十四日

 連載サイトにアップした小説に反応がなかった理由が分かった。狂った状態で書いたからなのか文章が可笑しい。

二〇二一年八月十五日

 起業するための全体的な流れは知っていても、どう始めるかは分からなかった。だが、小説の修正をしている途中、最初どんなスキームで始めたらいいか思い浮かんだ。現実的に実行できるのか考えてみたら、何回かの失敗を基に11年程度かかってグローバル大手企業を作れる道が見えた。やるべきことが増えるばかりだ。現実の壁はいつも想像より厚くて高く、また一つのみとは限らない。急ごう。

二〇二一年八月十六日

 拓也さんから連絡がきた。丁度、小説でバーをやめて復学する部分を修正していたから、先輩はどう生きているのか気になっていた。タイミングも良い人だ。先輩に近況を聞かれて事業のスキームを見付けたと答えた。先輩はより詳しく話して欲しいと言った。素直に話したら一緒にするのはどうかと聞かれた。彼は一般的な仕事を基準に評価すると、営業と流通に才能がある人だった。しかし、彼は俺より年上であり、彼から何かを教えてもらった立場だったから、仕事的に上手く行くかと心配があった。だが、それは要らない心配だった。先輩は自分についてよく知っていて、同業者としての立場を求めるのではなく、自分にできる仕事をする役割のみ求めていた。更に、日常の楽しさの大部分を我慢しないといけない、人間らしい生活は10年間を諦めないといけない、本格的に始まる日程は大学を卒業してからだという条件も受諾し、それ以上のことまで俺に合わせようとしてきた。後は俺がやるべきことをやったら済むのだ。頑張ろう。俺は運が良い。

二〇二一年八月十九日

 俺は悟りを得て小説の修正と勉強をやっているはずだ。それなのに、このしきりに起こる発作、号泣、呼吸困難、嘔吐、全身の震え、幻聴などはなぜだろう。まだ吐き出されていない文章があるからなのか?いや、違う、全てのことはそのもの自体に意味がないと知っているのに変な意味づけをしようとしている。記憶が消える程の苦痛、狂ってしまう程の苦痛を、正気で受け入れようとするから辛いのは当然だ。変な意味づけをしないように注意しよう。だが、どれも意味がないとしたら、人間が存在する理由、その本質は何だろう。

 人間の遺伝子には様々な本能が核印されている。その本能の目的は淘汰されないことである。社会的にも異性的にも能力的にも、多方面で淘汰されたくない本能が存在する。簡単に表現すると、性行為を沢山することは一次的な快楽を味わうことだが、自分が魅力的で子孫を残せる状態であることも意味する。そのため、そのような行為から淘汰されていないと感じられる。だが、人間の本能が変わる速度と文明の発展速度は異なる。文明の発展によって生き方が多様化して複雑になっている。現代は、長距離の移動ができる交通手段と物理的な繋がり無しに会話できる連絡手段により、個人が数多のことを経験できるようになって挑戦の機会も増えた時代である。これを他の側面で解釈してみると、苦痛を感じて辛くなる状況も増えたとも言える。その影響か、現代を生きていく過程で産まれる苦痛を上品な態度で減らそうと努力する本能がよく観察される。恐らく社会的に淘汰されたくない本能が作用したと思う。その一つが文化である。創作物を通じて感動と悟りを得ようとする。しかし、果たしてそれが正しい方向であると言えるのだろうか。感じるためのものと定められてから観察して感じようと努力する偽善的な教養。自ら大事だと考えていることのみ意味を持たせる傲慢な意味づけ。それらは人間らしさという殻を被った虚栄と自慢にすぎない。ややもすれば、この考えも人を見下す態度に変わりやすい。人間らしさという殻を被っている虚栄を批判する振る舞いを人間らしさだと勘違いしやすい愚かな存在。人より価値のある人になりたい本能と淘汰されたくない本能に、そのまま従ったら所々にある落し穴に落ちてしまうのだ。あ、小説修正の方向性に変える必要がある要素が見付かった。読者に興味を齎すために刺激的に書くのでなく、品が無いように見える殻に伝えたい中身を入れるのだ。真の価値というものは存在せず、全てが意味づけであり、そうであるからこそ、正しく生きようとする態度に意味が咲くのだ。小説の刺激的な表現を変えても、変える前と似ているように見えるとは思うが、きっと差はできるはずだ。人間が存在する理由、その本質が分かった。

 人間が存在することに対しての本質は生存である。現代で生存しようとすることに対する落とし穴は、全ての本能に忠実に従おうとする心そのものである。我々は生存に都合の良い状態に達してから自ら滅びへの道を歩もうとしている。生存を主として進むと同時に自分の目的に相応しい本能を選ばないといけないのだ。本人の欲のみ満たそうとしたら、精神的に倒れるか倒すかのことになるのだ。

二〇二一年八月二十一日

 連載サイトにアップした小説に反応がなかったもう二つの理由が分かった。俺は狂っている状態でも読者に成美を悪く思わないで欲しかったようだ。それで、成美が俺にしたことをたくさん省略したと思う。また、この世に完全な秘密はないから、俺を実際に知っていて大切に想う人がこの小説を読んだ時、心を痛めて悲しまないで欲しくて狂った時の記録を変えて書いたと思う。そのため、連載サイトにアップした小説は文章が可笑しくて所々の展開が自然でなかったのだ。だから反応がなかったのだ。それにしても、狂った時の記録をそのまま入れるのは残酷すぎる。どうしたら良いかな。今は答えが出ないと思う。とりあえず、修正をやっていこう。

二〇二一年八月二十三日

 今も号泣して歯を食いしばって全身が震えている状態で小説を修正している。だが、大きな苦痛の中で幸せを感じる時もある。幸せというものは何なのだろうか。

 昔は、社会で一人前のできる人になって飯を食って行きながら、結婚して子供を産んで生きることが普遍的な幸せであった。飯を食って行けるようになるのが難しかったことは言うまでもなく、沢山の経験を積んだり挑戦したりすることが難しい時代であったから、その状態に達することで生存したという幸せが生じたと思う。だが、現代は違う。時代と環境によって人間の本能が作用する方向も変わるのだ。我々の認識が変わっていないだけである。我々は昔のようなことをして生存すれば自分が幸せになれると勘違いして生きている。全世界的な比較から自由になれない現代人は、頑張って成功したとしても内的な満足感が長続きしない。上には上があることを知りたくなくても知らされる強制比較の時代。自分の成功が大したことでなかったと分かるまで長い時間はかからないのだ。しかし、無理やり満足感を長く掴んでいようとすると、過去の光栄に酔いすぎて発展できなくなる。そして、もっと褒めてと、他人に褒め言葉を言わせる気持ち悪い奴になってしまう。もしくは、一次的な快楽を幸せだと勘違いしてつい追ってしまうようになる。そうやって虚しさを刺激で満たしながら壊れていく。長続きする幸せは簡単に三つ挙げられると思う。
 一つ目、大勢が一般に貧しい生活をしている中、窮乏でない状態でいることから来る幸せ。これが昔の普遍的な幸せであり、現在も無いとは言えない。
 二つ目、強烈だった最悪の時期を過ごした経験があり、現在はその状態に属していないという安心感から来る幸せ。
 三つ目、正しい意味づけを続けてやっていく途中で来る幸せ。
 うん?三つとも同じ脈絡だと思うけど、これをどう表現したら幸せの本質に近くなるのかな。うーん、分からないけど、やってみよう。

 幸せは、直近の状態より少しでも良い状態である時に来る一時的な感情である。もしくは、苦痛の地獄から抜け出た時から生じる小さな感情である。それが物質的であろうが、身体的であろうが、精神的であろうが。
 唾を飲み込むことも痛くなる喉風邪が治ってから健康な身体というだけで感謝するように。
 生計に喘いでから得られた職場の苦しさが、一杯のお酒と美味しい食べ物を添えた軽い文句で耐えられるように。
 戦争後の退屈な平和が愛しく感じられるように。
 平穏という名の大陸に停泊した時の思い出と停泊予定への期待が、自己憐憫の憂鬱な涙が作った海での彷徨いから抜け出させるように。

二〇二一年八月二十五日

 小説の修正をしていたら偶然によって展開する部分が多いと感じた。若干の脚色をしたとしても実際にあったことを基にして順番通り書き記したのだが、主人公は数多の偶然に影響を受けて目的地に向かって行く。我々は思ったより自らの意志で進んでいないのかも知れない。去年、世界的な災厄となったウイルスでアメリカから帰国しなかったら?自分の感情に忠実でなかったら?小説に必要な女性の資料を確保している状態だったら?達也が3対3で遊ぼうと何度も誘わなかったら?成美が書いた短編集を読まなかったら?また、成美が軽い気持ちで嘘をつきながら誘惑しなかったら、彼女から俺の価値観を変えようとしない態度を見つけて肯定的な諦念を感じられなかったはずだ。すると、俺は成美を愛するようにならなかったと思う。そして、成美のタブレットPCを弄っていた時に地図アプリのタイムライン更新通知が押されなかったら、長く付き合うことになったとしても成美が付けた傷の深さが狂い始める程には達さず、内心で10年間積み重ねてきたことが沸き起こって本格的に書くということはなかったと思う。すると、小説を書き終えられなかったか望んでいた深さが表現できなかったかのどっちかになった確率が高い。この偶然の連続はどのような原理で起こるのであろうか。

 世間では目標を叶えることは大きな苦痛を伴うと言われている。その苦痛は目標に向かって行く途中で何度も妨げられること、また、努力の量だけでなく質と方向も定期的に確認しながら頑張っても、成果を出せない時間が長くなることを意味するのであろう。それでも諦めないでやり続けたら失敗した経験と苦痛が合わさってより良い成果が出るのではなかろうか。目標を叶える過程で必然的に経験すべき苦痛に導く偶然が幸運と呼ばれているものではないだろうか。かつて計画できず、予見できず、計算できなかったことに対して一つの機会として与えられる幸運。それが健康と精神に良いか悪いかは別として、目標を叶えるために適時に必要な要素として与えられたとも言える。放棄せずに歩んで行くと過程を一つ一つ意図した通りに進められなかったとしても、どうやら目的地まで辿り着くようになる幸運。そういえば、偶然による展開という表現も可笑しいと思う。全てのことは完全な予測が不可能で偶然性を持っているのに、特定の瞬間を切り取って偶然に頼っていると言えるのだろうか?我々が偶然と呼ぶ起点と事件は、理性より内面の声(もしくは、直感)に従った選択をした時であったと思う。そのため、後から意味づけをして偶然だったと鮮明な記憶として残るのだ。分かれ目に立っている状態での選択は自分次第であるから、必然でなく偶然としか表現できないのだ。

 自分の場合をなるべく客観的に考えると、数ある偶然が耐えて勝たないといけない幸運ではないかと判断がつく。心から願って頑張ると叶えられるということ、自分の現状がその過程の中にあると思う。だが、この過程に幸せが存在するとしても、それを圧倒する苦痛がある。目標を叶えるための一段階目の計画は、内的な問題を解決しながら自らの苦痛だけを担う期間であった。二段階目の計画であるアメリカでの起業は、大勢の人を担わなければならないから今までより何倍も苦しい過程であろう。芸術的でなく理性的な道であるから、一段階目のように狂うことはないだろうが、今から経験する予定である大きな幸運が怖い。過程での苦痛は良い結実のためであると思っていても、再び経験したくない程に恐ろしい。

 図らずも、最初の2文だけ読んだ父の手紙が思い浮かび、30分を探してからその手紙を見つけた。

<父の手紙>

 頂上に立っている人は常に孤独だ。そのため、独りになろうとする欲望は若いから持てるものだ。人間はこの二つの前提をもとに環境を克服するために才能を磨く。生まれる環境は選べないが、そこで何をするかは自分にかかっている。生まれてみたら有名な企業家や政治家や芸能人などの子供であった環境は、どうやって才能を磨いても乗り越え難い。それでも、人間であるから現在の環境を超え続けるために気負い立つようだ。無論、そうする人は少数であるが…
 努力して才能を発揮し、辛抱強く倒れて起き上がることを繰り返すことで得られるものは何であるのか?大勢に恵みをもたらす生意気な力から生じる喜悦を味わうためであろう。それは精神修養の度合によって、生意気な仕草にもなり、優しい仕草にもなれるのだ。

 結実のない怪我も成長だ。大多数の人は真面な努力や挑戦をしない。努力するとしても本人が好きで楽なことをしようとする部類の人間が多い。努力にも正しさがある。極少数の人のみ正しい方向に行こうとする。人生の旅程にある折々の分岐点で出逢う人達。本人が必死の努力をしているとき、導いてくれる人と偶然に出逢うと、それを恩人に出逢えたと言う。本人が好きでやりたいことのみしているとき、もしくは、快楽を追っているとき出逢う人や偶然は、他日に悪縁と見做す逃避先になる。正しく努力すると長期的には悪人と悪い事件からも学べる。従って、恩人に出逢えたという表現には過度な謙遜がこもっているのに他ならない。偶然の中に内包されている恩人の導きという面白くない表現は、真の正しい努力をし続けている者のみに伝わる。しかし、正しい努力と準備をした人が必ずしも成功するのではない。その中の何人かあるいは目標の一部が成功する場合が多い。非常に悲しい現実であるが、これが人事を尽くして天命を待つことであり、目標が叶えられなかった場合はその意志が後代に継承されるのだ。よって、実らなかった残念な怪我の涙は一人で流し、許されていない何かを望んで世の中を恨んではいけない。精進しろ!若さは一時だ!

 父の手紙を読みながら、静かにやるべきことをやっていても見てくれる人が居ることに嬉しくなり、父が俺のことを気の毒に思っていることが伝わって悲しかった。嬉しさの涙と悲しさの涙が交互に手紙の中の大切な文字を消すのが心配で、2枚の手紙を読むのに長い時間がかかった。もしかすると、俺は読んだこともない父の未完成小説を受け継いで書いているのかも知れない。いや、小説だけでなく目標も。

 黙々と仕事をしながら俺と兄を育て、家庭を守った母にも感謝の気持ちしかない。生涯をかけて貯めてきたお金で支援してくださった叔父(父方の叔父)にも、その他にも感謝してもしきれない人が多すぎる。俺に許されるとしたら、出版された後にお金をたくさん稼げるなら、両親に余裕のある人生の最終幕を作ってあげたい。その後に全ての恩人に恩返しをしたい。この偶然も見ろ、まさに今必要な内容だった手紙、やはり俺は運が良いのだ。そう、俺は果報者であるのだ。これだけ考えて進もう。他のことは考える必要がない。怖がる必要はないのだ。精進しよう。

二〇二一年八月二十六日

 偶然から成美を愛するようになったと分かっているが、彼女に対する感情が調節できない。成美が小説の多くの部分を占めているから、この小説から手離れしていないからであるのだろうか。アメリカに来る直前、物事を見る価値基準が似ていた女性のことも、アリサのことも思い浮かび、真の愛というものが何であるのかという疑問が振り払えない。これは日が暮れてから指で血を吐いた時に書いた気がする。部屋の掃除をする時に探してみよう。

二〇二一年八月二十七日

<日が暮れてから書いたメモの整理>

 極少数の場合を除いて、社会的な人間関係の埒外にある本能が齎す引き合いによって愛が始まる。その愛を維持するために大事なことは、相性でなくお互い譲り合って負けてあげること。理解という大したことでなく肯定的な諦念が要る。だが、我々は自分を理解して満たしてくれる同伴者を探すという名目のもとに、相手を自分の枠に合わせようと配慮と犠牲を強要する。結婚は現実であるから持続可能性が重要だと言い、経済力や能力を求める。好感を保てる見た目と性生活を欲しがる。一緒に生きるために性格や人間性や趣味などが合うことを望む。そうやってあれこれ計算しながら心が冷めていく理由を探し、その理由を他の人と会う口実として使う。真の愛は相手との時間の中で咲く言葉として形容できない非合理的な花だ。芽ぐんで咲く過程に気付けないほど早く咲き、いつ咲くのかどうやって咲かせるのかどうして散るのかも分からぬ、相手だけを想う心に咲く花だ。この花は現実と気紛れに負けない。ただ愛の対象がくれる痛い栄養分で根が腐っていくのみだ。そうして花が散った後には、以前と同じ花が咲くか、以前と異なる花が咲くか、完全に萎れるかのことになる。自分の中にある花はどのような姿をしているのだろう。目を閉じて成美を思い浮かべたら小さな植物が見えた。痩せた茎に何箇所か折れた痕跡があり、干からびた萼の上には何も無かった。それなのに、なぜ胸が痛いのだろうか。今も涙が出るのは、この花が生き残るために必要な最低限の栄養分であるのだろうか。俺は初めて見たその美しい花が散らないでほしくて、どうにか生き返らせようと身を投げ打ったのかも知れない。花の棘が肉に深く入り込み、棘の毒が染み込むことも甘受したままに。もう手放そう。

二〇二一年九月八日

 学期が始まった。小説修正はまだ終わっていない。忙しい。

二〇二一年九月九日

 誕生日を口実にレストランに行った。今の自分には高い値段だったが、何でもいいから何かしたかった。だけど、美味しくなかった。食欲がなかったのか食べ残した。帰り道に小さなケーキを買った。今日は大金を使った。甘いものが好きだったが、ケーキも美味しくなくて食べ残した。

 喉は何かを入れるより吐き出す用途として使われる。

二〇二一年九月十七日

 授業中に誰かの視線を感じる度にぎくりとする。そうならないために頑張っても治らない。人と関わりたくないと思っている訳でもない。むしろ、専攻分野の理解を深めようと一緒に勉強できる友達を探している。だが、自分から近付いて行っても何故か避けられている。

 日本人と仲良くなったら、自分について話したくなるのが怖くて俺が避けているが、他の人とは何故こうなるのだろう。物理化学のような科目や化学実験などは、各自が理解した内容を話し合うことによって理解が深まるから、同じく勉強に興味を持ってそうな人に話しかけたりしている。なのに、友達が一人もできていない。日常の俺が女性を魅惑するようになることが心配で、普段よりも馬鹿らしく振る舞って話しているが、もしかして、これが原因であるのか?そうだとしても、今の状態で異性間の関係を作ってはいけないから、この態度は捨てられない。

二〇二一年九月十九日

 小説修正、授業、課題、勉強。寝る時間も足りない。明日になるとまた課題が増える。

二〇二一年九月二十一日

 自分の目を疑った。現実でなく夢の中にいるのか疑った。また狂ったのか疑った。成美からメッセージが来ていた。
『元気?日本にはいつ帰るの?』
 連絡が来ると思ったこともないが、連絡する口実まで無くすため、SNSに俺の誕生日が表示されないように設定しておいた。それなのに、一番大事な時期である今、なぜ今、成美から連絡が来るのだろう。そうだ、小説の最終修正をしているのに、成美から連絡が来たらまた修正しないといけないから、だから変な気持ちになるのだ。普段は成美に会いたくて泣いていたが、このような考えが先に浮かぶことを見たら、泣いて苦しんでいることは努力しないための自己憐憫に違いないのだ。心臓が早く打つのは、修正する部分が増えるから、腹が立ったからなのだ。

 どう返信したらいいか悩んだ後、『ただ学校に通っている、来年の休みに一回帰ると思う、元気?』と送り、腕立てをし始めた。1セットに35回、21セット目を終えた時に返信がきた。
『うん何となく元気アメリカのユーチューブ見てて、英語が思い浮かんで!!!アメリカにパブが多いのが羨ましい』
 酔っ払っているのか文章も可笑しく、一体なぜ連絡したのか理解できなかった。俺が貴方をブロックしたのか確認するために?今も俺が貴方の傷付ける大会で授与されたトロフィーとして残っているのか確認するために?今も俺が貴方の掌の上にいると確認するために?アメリカに行っていることを前提として話したことを見ると、俺に電話を掛けて回線が止まっていることを確認したのかな。本当にどう返信したらいいか分からない。連絡しないでと答えたら?既読無視したら?だが、妙に成美の精神が崖から落ちて掴んだ紐が俺であるかも知れないという不安も感じられた。問題はその紐が俺の首に縛られていること。成美の連絡が単純に感情のゴミ箱やプライドを高めてくれる存在を確認するためであったとしても、俺は万が一という悪い状況が起こるのが心配でその紐を切れなかった。
『それがアメリカの魅力、でも偶にずっと話しかけてくる人がいて疲れる』と返信し、成美から連絡がきたことを小説の後半部にどう反映したら良いか悩んで書き続けた。
 50分くらいすぎて返信がきた。
『だけどーまだ私は気になることが多いみたい』
 その返信を読んだ瞬間、12月29日と12月31日に成美が言った言葉が思い浮かんだ。
「感情だけをみたら翔太が完全に上位にいる」
「でも、私はまだ気になることが多いし、もっと色んな男と会ってみたいから、翔太が上位にいても未来に会える可能性がある人より上だと言い切れない」
「私が安定的になって誰かと付き合いたくなったら翔太と付き合うかも知れないし、その時は翔太の環境が変わったから私と会ってくれないかも知れないし」
 成美がその時の話を記憶しているようで嬉しい安堵を覚えた。いや、貴方は相変わらずわがままなのね。だけど、もう少しだけわがままで、もっと悪くなって俺のことは気にしないで全部忘れてくれたら良かったのに。姫、俺さ、このままだといつまで耐えられるか分からない。

 メッセージが来てから40分くらい後に返信した。
『分かった、元気でいて』
 成美は自分が気になっていたことを一つ一つやっているのであろう。ああ、成美は他の男と楽しく生きているのであろう。手足が痺れ始めてから震え、胸が痛くなった。あの花がまだ生きているようだ。あの花に聞きたい。この苦痛はまた花を咲かせるための過程なの?完全に腐って萎れる過程なの?
 目が霞んでから頬に乗って降りる雨滴が感じられ、また視界が戻ることを繰り返す。雨漏りがあるようだ。夜が明けたら大家さんに連絡しよう。
 息苦しくて目眩がする。空気が悪いようだ。窓を開けて換気しよう。
 気分が悪くて吐いたのに治らない。酷い胃もたれであるようだ。消化剤を飲んで小説修正を続けよう。

 集中して小説を修正していたら成美から返信がきた。
『うんうんウイルス気を付けてねっ』
 何も考えられない。
 窓外は太陽が照っているが、部屋の中は今も雨漏りする。狐の嫁入りであるようだ。
 今の俺には平穏に向かって歩いているという錯覚さえ許されていないようだ。小説を修正して勉強して起業準備をしよう。体力が余る日があったら運動して掃除して料理してご飯を食べて寝よう。

二〇二一年九月二十五日

 成美のSNSに旅行写真がアップされた。
『午後3時、思い立って旅行、夜になるのが楽しみ、ロマンチック成功』
 これからSNSは見ないことにしよう。

二〇二一年九月二十七日

 高校を卒業してからは人々の前で話すことに緊張しなかった。だが、授業の発表中に目が見えなくなって吃った。

二〇二一年十月一日

 未だに一緒に勉強する友達ができていない。

二〇二一年十月四日

 涙は独りになった時だけ流そうと頑張ったが、最近は外で涙が出る時がある。だが、観察と考察を繰り返しながら感情を殺そうと努力してきたお陰なのか、表に現そうとしても棒読みのように感情が伝わらないという周りの反応があったことと同じく、外で涙が流れていても人に気付かれない。マスクしているお陰なのかな。ただ知らないふりをしてくれているのかな。分からない。もう俺を覆っている平穏で明るい殻が嫌いだ。

二〇二一年十月十日

 独りで繁華街に行った。群衆の中に居るとここには俺の居場所が無いことがより感じられる。2時間ほど歩いてからの帰り道は寂しくて孤独で辛かった。自己憐憫に陥らないために部屋の中に雨が降っても気にせずやるべきことをやってきた。しかし、小説を修正しながら起業のための実力をつける時期だと分かっているし、そうしているのに日常の中に激甚な苦しさで大丈夫でなくなる日がある。いや、正直に書くと大丈夫な日を数えた方が早い。特に今日はお酒が飲みたかったが、飲んだらどうなるか分からないから、健太と達也と先輩に電話を掛けた。あ、日本はまだ夜明けか。でも、昨日は土曜日だったけど、以前に送ったメッセージにも返信がない。雄太は研究室と会社のことで忙しすぎると知っているから連絡もしなかった。辛いから慰めて欲しいと言うつもりでなく、ただ些細な日常会話が欲しかっただけだった。俺は別に何もなくて大丈夫だ、忙しいなら余裕のある時に連絡しようと、繰り返し言ったからこうなったようだ。いつも人との連絡が多くて辛かったのに、理由もなく連絡を断ったことがなかったのに、俺は人に恵まれているはずなのに、最も辛い時期に俺の周りには誰もいない。いや、耐えよう、自ら招いたことだ。

 午前から曇っていたが、よりによって帰り道に雨が降り始めた。持ってきた傘を差してスーパーに寄った。お酒が目に入り、我慢を続けてきたから今日だけ飲もうと思うようになった。もう正気でこの苦痛に耐えたくない、今日だけ、一日だけ飲もう、これは自己憐憫だ、自分を可哀想に思うのは馬鹿がやることだ。お酒コーナーを何回も巡ってから我慢できた。何も考えないために頭を空にして買い物をした。家に着いてから何を買ったのか分かった。リンゴ、バナナ、ジャガイモ、鶏の胸肉、卵、韓国のインスタントラーメン、コーヒー、牛乳、湿布、そして、アメリカに来てからは初めて買ったサーモン寿司。今の自分の一食としては贅沢だから買わなかったはずだが、なぜ買ったのかなと思いながら口に入れた。日本の回転寿司屋さんに行きたくなったが、少しは慰められる味だった。食べ終えてからは掃除をし、課題をし、今は小説修正をしている。もう日が暮れた。死のう、いや、辛いだろう?耐えられる、死んだら楽になれる、無責任な行動だ、死んだら終わりだから気にしなくていいだろう、それも現実逃避だ、しちゃダメ?うん駄目、成美は今も他の男と遊んで楽しんでいるのに耐える意味ある?どうせ意味なんか無いただやるべきことをやっていくだけ、何でそんなにつまらなくて苦しく生きているんだもっと楽になれ、そうかな楽になっても良いかな、そうその態度だ、いや生きることは元々こういうもんだ、成美がお前にくだらない話ばかりするくだらない男だって言っただろう?そう言った、未来を見せてくれないって言っただろう?そう、まだ成美を愛しているだろう?多分、だったら愛している人にそう言われたのに耐える必要ある?分かんない、お前がどれほど情けない男だったから成美の部屋に住んでいる時も他の男と遊んだのか考えてみろ、そうなのかな?お前が何の価値もないからそんな扱いされても成美の隣にいたんじゃない?そうかも、その歳にもなって何も持ってないじゃん、頑張ってはいるけどそれが現実だ、馬鹿また泣くのかよ、だけど成美から連絡きたじゃん、それはお前が保険として残っているのか確認するための連絡、そうなの?もっと良い男がいたらその男と付き合って結婚するつもりだから曖昧な言葉使っただろうお前が一人で誤解したと身を引けるようにさ、嘘つくな俺は保険になれるような成果もない、だからお前は彼女が精神的な安定を得るための手段だし自分が持っていたくはないけど人にあげたくもないって訳だ、そういうことか成美がそう言ったことがある、助けてやるから死んで楽になろう、そうしようか、お酒買いに行こう、違う悲しさを分けて担うことと無理やり受け取らせることは別のものでこれは俺が責任を取らないといけないことだ、今日も失敗か、これからもお前が成功することはない、昨日よりは成功に近かったけど?集中したいから黙ってくれない?夜が明けた。もはや夜は死の会議の時間でもなくなった。こうやって俺は毎日死の導者に本心を隠す。彼は知っていて騙されてくれる。

 じっと座っていられないと思ったら胃が痛かったからだった。トイレで変な匂いがして見たら、また吐いて水を流していなかった。服にも付いていた。血は出なかったから大丈夫。掃除をしてシャワーを浴びてリンゴと鶏の胸肉を食べて学校に行こう。

二〇二一年十月十五日

 やっと一緒に勉強する友達ができた。嬉しい。

二〇二一年十月二十九日

 実験も実験レポートを書く方法も少しずつ身に付けていっている。早く小説修正を終えて勉強と起業準備に集中しよう。

二〇二一年十一月七日

 今日から連載サイトに小説修正版を毎日1話ずつアップすることにした。こうすると目標として決めた12月内に小説修正を終えられると思う。頑張ろう。

二〇二一年十一月八日

 誰も居ない部屋の中で「大丈夫、大丈夫、大丈夫、俺は生きていても大丈夫」と、何時間も言いながら小説修正をしたり課題をしたりする。そうすると偶には大丈夫になる時もある。

二〇二一年十一月十二日

 睡眠時間が短いからなのか意識が2時間くらい途切れる時が多い。学校に行く時間帯にそうなることが多くて欠席した授業が増えていく。勉強友達との約束を守れなくなった日もある。人間関係は信頼が一番大事なのに、これは駄目だ。早く小説を手放したい。

二〇二一年十一月二十三日

 狂った時の記録をどう脚色したらいいか悩む。表現を和らげて書くとしても実際に俺を知っている人は衝撃を受けると思う。その時の記録を読んでいるだけで狂いそうになるから、この部分は早めに修正を済ませたい。号泣、全身の震え、嘔吐は慣れても苦しい。まあ、どうせ記憶もないからそれが事実なのか狂った状態の自分が嘘を書いたのか誰も知らない。小説にはなるべく和らげて書こう。

二〇二一年十一月二十五日

 勉強友達に叱られた。実験レポートの締め切りが来週の金曜日で、実験科目の方がより大事なのに、他の課題に力を入れようとするのが可笑しいということだった。確かにもっともな話だった。9歳も差がある人に叱られて恥ずかしかったが、今の自分が真面に勉強していないことは本当だ。助言を受け入れて実験レポートから始めることにした。

二〇二一年十一月二十九日

 肉体的には大分前から限界を超えた状態で、昨日からは精神的にも耐えられなくて倒れそうな気がしていた。今朝、アリサからメッセージがきた。俺が強要した自己省察から自分を見つめ直して小さな夢ができたという内容だった。アリサは感謝の気持ちを伝えてきたが、感謝は俺が彼女にするべきだった。アリサのお陰で精神的な苦痛を涙として気持ち良く流した。またこのタイミングで救われた。俺は間違っていないかも知れない。

 また、アリサとのことを小説に書きたいと頼んだら良いと答えてくれた。

二〇二一年十一月三十日

 教授に実験レポートの質問をした。すると、実験の時にも良くやっていたことを覚えている、質問も実験の大事なポイントに関する内容だと褒めてもらった。また、来年からやりたい研究についても少し相談に乗ってもらった。自分が知らなかった方法を幾つか教えてもらった。

 勉強友達と話し合いながら実験レポートを書いた。最初から思っていたが、物事を見る目が鋭い人だ。一緒に勉強することが楽しい。昨日から今日まで、嬉しくて感謝することしかない。

二〇二一年十二月二日

 実験や実験レポートや課題や試験勉強などで今日アップする小説の修正が終わっていない。また、アリサとのことを修正に入れようとしていてより時間がかかる。もう少しで終わるから頑張ろう。

二〇二一年十二月三日

 気のせいなのかと思ったが、気のせいでなかった。授業中に人の顔が区別できなくなる時が多い。勉強友達から返信があまり来なくなり、話しかけてこないことも見ると、授業で出会した時に俺が挨拶をしなかったようだ。やっとできた勉強友達を失った。いや、自分の事情を話さないと決めたのは俺だ。今の人間関係は俺の選択で俺の責任だ。

二〇二一年十二月五日

 やっと小説修正を終えた。このくらいなら人事を尽くしたと思う。あとは待つことか。疲れた。寝よう。

二〇二一年十二月六日

 連載サイトに最終話をアップした。今からは何をしたら良いのだろう。勉強と起業準備をするために12月までに小説修正を終えると決めたくせに何を言っている?あ、確かにそうだった、あのさ、ずっと聞きたかったけど、貴方は誰?

「俺は空虚という名で呼ばれている、悟りを得た人、強烈な刺激を味わった人、また、小さな目標でもそれを叶えた人は俺が生涯の同伴者になる。多くの悟りを得るほど、より強い刺激を感じるほど、続けて目標を叶えていくほど、影響力が強くなるほど俺の体は大きくなる。まあ、どれも強い刺激だけど、分類するとこうなる。そして、俺の体の大きさ分の刺激を満たしてくれないと、どのような方法を使ってでも満たしてもらう」
「だからいつも死なせようとしたのか」
「その通り」
「その願いは叶えられない」
「どういうこと?俺が本当に翔太を死なせようとしたと思ってるのか?」
「そうしてきただろう?」
「いやいやいや、違う、俺は翔太に死んで欲しかった訳じゃない」
「だったら何故そう言い続けた?」
「なかなか落ちないとよく分かったから、そう言ったら翔太の苦痛がより一層になるから。何より快楽が美味しいけど、量が多かったら苦痛も悪くはない」
「酷いね」
「そうやって褒めてくれなくても頑張るよ、ありがとう」
「話をやめよう」
「え、何で?」
「もういい」
「分かった、翔太は黙ってろ、俺はずっとしゃべるから」
「黙ってくれない?」
「刺激が足りないから仕方ない」
「そう?だったら聞くけど、快楽が一番美味しいと言ったのに、成美に連絡しようとしたことをやめさせた理由は何?」
「俺は翔太に死んで欲しい訳じゃないって」
「それは答えになってないと思うけど」
「だから、俺は翔太の状態が悪くなって欲しい訳じゃないし、刺激をたくさん食べたいだけ。そして、どのような刺激を食べさせてくれたのかによって俺の性格が変わる。翔太は俺に綺麗な刺激を食べさせてきただろう?」
「綺麗な刺激って何?」
「うーん、どう言ったら良いかな、あ、正しい努力で作られた苦痛って言ったら分かる?」
「何言ってるのか分かったけど、綺麗な刺激を食べたと言うには、俺に言った言葉が残酷すぎると思わない?」
「翔太の代わりに他の人が苦しんで欲しい?」
「いや」
「それを知っていたから翔太だけを苦しめたけど?」
「本当に死ぬ直前まで行って危なかった時が多かったけど、死んで欲しい訳じゃないって?」
「願い事を叶えてあげたのに、いきなり責任転嫁?」
「お前があんなに苦しませたからだろ!」
「それは翔太が世の中にある悟りをほぼ得たから、叶えようとする目標が大きいから、それに比べて刺激が足りなくてそう話したけど?」
「話が通じない」
「人間の価値観で俺を判断しようとするからだよ、実は分かってるくせに八つ当たりしてるだろ?」
「はい、負けました」
「腹減ってるから早く刺激くれ」
「少し休ませてもらいたいけど」
「長くは待てない」
「待てないとどうするつもり?」
「今の俺が翔太を目標に向かうように手伝う理由は、綺麗な刺激をたくさん食べてきたからだけど、それを長く食べないと性格がまた変わって、最も楽な方法である快楽を求めさせたくなる。俺もさ、綺麗な刺激は美味しくない」
「だったら、今、俺が成美に連絡しようとしたら、どうするつもり?」
「翔太が成美と一緒にいた時は、快楽の刺激と綺麗な刺激を同時に食べられてたから、まあまあ美味しかった。でも、今は連絡やめさせるつもり」
「理由は?」
「翔太が成美と会わないで起業した方が刺激をたくさん食べられるから、それも長期間。あ、目標を叶えるためにも成美と会わない方が良いからでもある」
「聞きたかったのはそれじゃない、真の愛は刺激の中でどう分類される?」
「真の愛?それが何なのかは知らないけど、相手に傷付けられても相手のために完全に離れないことを言っているのならば、それは綺麗な刺激」
「だったら成美に連絡する」
「やめた方がいいって」
「大きな刺激を長く食べれなくなるから?」
「翔太は俺が死なせようとすることは耐えられそうだけど、成美からこれ以上傷付けられたら精神が可笑しくなると思う。そうなったら言葉が我慢できなくなるよ」
「食いしばって我慢すれば良い。いや、それに、俺が何かを言ったとして、それがそんなに問題?」
「成美は翔太の言葉に耐えられない」
「それは成美を無視してる考えだ」
「それは一般的な場合の話。翔太はさ、悪意で相手を傷付けようとしないから問題なんだな。現実を付きつけられる方がもっと辛いんだよ。父と母が翔太の言葉に傷付いたこと忘れた?」
「覚えてる」
「でしょう?それも現実をほんの少しだけ投げかけただけだったのにね?精神が可笑しくなって成美に現実をたくさん突きつけたらどうなると思う?そうやって成美が死んだら翔太も死ぬじゃん、だったら刺激食べられなくなるから嫌だな」
「だから今まで通りに生きろってこと?」
「ああ」
「小説が出版されて売れなかったら進めないのに?」
「また現実の否定始まってる、悟りを得ても人間は仕方ないのかな。まあ、人間という器に盛られているし、その器で社会に属しているから煩悩から自由になれないか。翔太、金銭的に余裕がなくても、どうにか方法を見付けて進めるって知ってるだろう?それが辛くて知らないふりしてる?」
「ああ。そして、俺も少しは楽になりたい、幸せになりたい」
「使命だから少しは休んで楽になっても大丈夫とか何とか言うつもりならやめとけ。使命というものがあるとしよう、だったらその重要なことの候補が翔太しか居ないと思う?運命を変えるとか馬鹿なことも言うな、使命や運命は必死の努力を続けても左右できると言い切れるものじゃない。使命を果たすために必死の努力を続けても出来るかどうか分からないって、だから休まず進むしかないって、毎日自分の口で何時間も言っていたのは翔太だけど?切りがないから言うけど、俺の言葉は、ほぼ翔太が独り言で繰り返し言った内容だ」
「そっか、だから話し方がそうやって変わるのか」
「ああ」
「運動と勉強も刺激だろう?」
「当たり前なこと言うな」
「分かった、暫くは運動と勉強だけで我慢してくれ」
「足りないけど、我慢してみる。早めに起業準備しな」

 何回も分かれ目に立って迷うばかりだ。平穏は留まらないのだ。

(完)



<小説を書き終えてから…>

 自分の才能とやりたいことを見付けるのは難しいことです。見付けた後にもどのような目標を立てたら良いのか決めることが苦痛であり、それを実行するために生きていくことはなおさらです。私は成功してから来る幸福は長く続かず空虚な感情が残ると思っています。だったらそれほど頑張る必要がないのではないかと思われるかも知れません。しかし、筆者はこう考えています。認めてもらうための踠きという努力は少数の人だけがやっていることではないと。我々は皆んな頑張って生きているのです。ただどのような手段を選んだのか、努力の量と質と方向の違いのみがあります。目標を叶える道は一歩一歩が苦しくて辛いものですが、自分の限界が何処までなのか自分が選んだ道の果てが何処までなのかを確認し、綺麗な空虚を大きく育てることが楽しさであり、副次的に得られる富と名誉で楽しむ瞬間のモノは、一時的でありながらも自分の内に積まれる幸福であるのではないでしょうか。属している世界で認めてもらった状態を維持することより、新たな大きい環境に行って無視される若輩者として生きていくことを繰り返すと、最後まで絶えず歩んでいる自分を発見するようになるのではないでしょうか。我々が九度に渡る艱難の果てに、いずれ武陵桃源の世界へ辿り着くことを願いながらこの小説を書き終えます。

 九渡 源世



<私を大切に想う人たちへ>

 一文字に十滴の涙と一滴の血。実際の私を知っていて大切に想う人たちよ、この小説を読んで心を痛めないでください。我々の人生は本来どのような意味もなく、どう生きても辛いものです。そうであるからこそ、正しい意味を与えるために必死の努力で踠く身振りに意味が咲くのではないか、正しく楽しんで幸せになろうとする行為が何より尊いのではないかと、私は考えています。私の人生と努力は貴方たちの心からの涙一滴で意味が咲くので、それ以上は悲しまないでください。その代わりに、貴方たちが自らの人生を正しく生きようとしている姿が、私にどれほど大きな慰めと力になるのかを分かってください。私は現在も自らの生き方が間違っているのではないかと激しく揺れています。その過程で、私と同じような努力をしている貴方たち、その人生を見ることで絶えず進んでこられました。私が貴方たちとあまり会えないこと、連絡も碌にできないこと、お許しください。嫌いで憎んでいるからでなく、能力が足りない私という人が休まずに進むためでした。皆んなを愛して大切に想っていることを分かってくださると幸いです。

 今も嵐の中で揺れながらも前に進もうとしている、翔太としての私より
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み