第12話

文字数 11,152文字

二〇一五年三月七日

 マスターにバイトは今月までにすると話した。復学してからも働けるようにシフトを調整してあげると答えてもらった。夕方に出勤して終電の前に帰るバーテンダーがどれほど迷惑なのかを分かっているから断った。そこまで気を遣ってもらうことは駄目だ。

二〇一五年三月十日

 大学の近くにあるファミリーレストランの面接を受けた。4月3日から働くことになった。結果を聞くまでは時間がかかると思ったが、この業種は人手が足りないのかな。

二〇一五年三月十七日

 先輩と新宿のトランスジェンダーバーに行った。俺が今月でバイトを辞めるから色んなことを経験させようとしてくれたのだと思う。その店には、まだ男に見える人、照明の影響なのか性別の見分けが難しい中性的な魅力がある人、男だったと言われても信じられないくらいに美しい人がいた。この分野は良く知らないが、心が女性である方々だと思って振る舞いに気を付けた。店員の中で美しい人が先輩に話しかけてきた。
「あら、拓也さん、本当に来てくれたんですね」
「約束したからな、この前はごめん」
「大丈夫ですよ、こうやって会えるだけでも嬉しいです」

 その女性の方が席を去ってから先輩に聞いた。
「あの方が例の彼女さんですか」
「今は友達、彼女だったこともないけど」
 先輩が前に話した通りに夜の世界は広くて深いと感じた。あまりにも好奇心を刺激するもので、この業界をもっと経験して考察したいと思った。だが、それはただの興味本位であろう。今の段階の俺に必要な考察でない。今日は復学という現実から逃げたくてどうでもいい話をしながら無理やり笑った。

二〇一五年三月十八日

 新しい経験を一口味わっただけなのに考えが溢れ出て困る。考察の発端になるようなことを書き、脚本に登場させる人物を追加した。面白い。

二〇一五年三月二十四日

 最後の休み。明日もバイト先で先輩と会うことになるだろうが、何だか内面に悲しさが生まれた。先輩と渋谷のクラブに行った。狂った人みたいに踊った。心が少しは軽くなったと感じた。教えてもらったように、こうしていたら合図を送ってくる女性の方はいなかった。気にしないで遊んだから見逃したのかも。

二〇一五年三月三十日

 このバイト先で最後の日。自分の時間と経験が溶け込んでいる空間から離れることは嬉しくない。いつでもこの場所に来られるし、いつでも連絡できるのだが、新たな生活で忙しくなると徐々に忘れていくのだろう。年月を積み重ねていくほど、振り返ってみる時間が切なくなり、進もうとする一歩一歩が重くなるのではないかと思った。

二〇一五年五月十二日

 観察して考察すること、脚本を書くこと、ファミリーレストランのバイトに適応すること、授業と専攻の勉強、ストレス発散や健康管理としての運動。忙しい。大学内で関わって来る人がいなくて良かった。そうでなかったら、この危うい日常のバランスが崩れたと思う。

二〇一五年六月二日

 バイトにはある程度慣れた。大学の勉強もどうやら付いていけるようになった。

二〇一五年六月十五日

 やっと映画の脚本を書き終えた。何かから解放された気持ちになった。これからは製本すること。そして、脚本を送る映画会社を探すこと。

二〇一五年六月十七日

 応募期間でないと個人創作脚本を受け付けない会社もあり、郵便で送ってくださいと言う会社もあり、直接持ってきてくださいと言う会社もあった。製本は10冊することにした。

二〇一五年六月十八日

 製本料金が思ったより高い。今の生活以上に節約するのは無理だけど、アイスやお菓子などを我慢するしかないか。

二〇一五年六月十九日

 製本した脚本を送った。自分の子供が社会に出る時にこのような気持ちになるのかなと思った。

二〇一五年六月二十日

 同じ専攻の授業を受講する後輩たちがバイト先に来ることは多かったが、今まで俺の存在に気付く人はいなかった。しかし、今日はある後輩が俺の顔を覚えていたのか、見て分かった気配を出した。好奇心と好意が混ざっていたことを考えてみると、そのうちに話しかけてくる可能性が高いと思う。

二〇一五年六月二十一日

 その後輩がまたバイト先に来た。日曜日なのにラフな服装で来たから、大学の近くで一人暮らしをしているかも。仲良くなると日常のバランスをまた調整しないといけなくなる。不安だ。

二〇一五年六月二十二日

 授業が終わってすぐ映画会社に行った。急いで待ち合わせ時間通りに着いたが、担当者の方が約束した時間の30分後に現れた。礼儀正しく話してはいるが、見下している内心が読めて辛かった。今の俺の身分にふさわしい待遇であろう。仕方ない。

 今日と明後日はバイトを休むから余裕がある。脚本も書き終えたし、早く家に帰って寝よう。

二〇一五年六月二十五日

 この前の後輩が話しかけてきた。
「明日、授業終わってから飲み会あるけど、良かったら来ない?」
「何時?」
「6時」
「その時間は用事があって、ごめん」
「でも、夜遅くまでだから。カラオケも行くよ、気が向いたら来て」
 連絡先を交換した。歳が2年離れているからだとは思わないけど、瑞々しい雰囲気を出す彼女が微笑ましかった。バーで働いて接した人々に慣れたからかも。

 明日は映画会社に行ってきた後に時間はあるが、飲み会に行こうかどうかは悩む。そろそろ世の中の本質でなく新しい人間像に対する考察が必要だと思っていたのだが、誰かと仲良くなって日常のバランスが崩れるのが心配だ。次の脚本を書くための核心内容はもう決めたから、登場人物の深みを増すために行ってみようかな。

二〇一五年六月二十六日

 授業が終わってから製本した脚本を家に置いてきたと分かった。今日は一昨日より待ち合わせ時間まで余裕があったが、急いで映画会社に着いた時は20分遅刻だった。ロビーの係員さんに話して1時間も待ってから担当者に会えた。彼は露骨に不機嫌な感情を見せた。遅れたのは俺だから仕方ない。けれども、最低限の礼儀もない態度は辛かった。

 連絡先を交換した後輩に今から行くとメッセージを送った。居酒屋に入ると声が大きいある後輩が「はいっ、美穂が逆ナンした例のオシャレな陰キャさま登場!」と言った。その一言で俺が皆んなにどのようなイメージを持たれているのか分かった。オシャレだと思ってくれたからマシか。バーでバイトしていた時に経験したことに比べると、可愛い悪戯だったから気にせず自己紹介と挨拶をした。誘ってくれた後輩、美穂が自分の隣に席を作ってくれたから、断るのも失礼だと思って素直に従った。少しは気持ち良かった。

 俺を先輩と呼ぶ人も、同じ学年だから友達のように接してくる人も、興味を持っていない人も、気になるけど話しかけてはこない人もいた。皆んなのありのままの姿に合わせた態度を取りながらも建前は言わないようにした。そして、考察したい人間像を幾つか見付けた。美穂は距離を置かないと面倒なことになりそうだから気を付けよう。2軒目のカラオケに行きたかったが、節約するために断った。

二〇一五年六月二十九日

 飲み会の時にいた後輩たちが俺を見る度に話しかけ始めた。学生食堂でも俺がいるテーブルに来る。良い人として見てくれている気持ちを面倒だと思ってはいけない。観察と考察を兼ねて本気で向き合った。

二〇一五年七月一日

 三つの人間像を同時に考察し始めた。彼等の内面まで観察してみよう。

二〇一五年七月七日

 映画会社からはまだ連絡がきていない。

二〇一五年七月十六日

 一つの人間像の考察を終えると、新しく観察したくなる人ができる。

 映画会社からは未だに連絡がきていない。

二〇一五年七月二十一日

 3社の映画会社からメールがきた。今回は一緒に働けなくて残念だが次の作品を期待しているという内容だった。悲しいけど、7社が残っているから、落ち込まないように頑張ろう。

二〇一五年七月二十七日

 他人を理解しようとする度に精神が汚れる感じがする。

二〇一五年七月三十一日

 2社の映画会社からメールがきた。後5社残っている。

二〇一五年八月三日

 胸の中央が焼ける感覚、寝て起きた時に喉の痛みと口に残っている酸っぱい味の液体。ネットで調べてみたら、逆流性食道炎の症状だった。最近、人間像を考察するためにストレスを受けているとは思ったが、こんな症状が出るほどではなかったはず。残りの映画会社から連絡がこなかったからなのかな。キャベジンを買おう。

二〇一五年八月九日

 キャベジンを飲んでからはマシになった。

二〇一五年八月十四日

 大学で仲良い人が増えていくからなのか、一人の考察を終えるとすぐ二人を観察する機会ができる。これが俺の欲望のせいなのか偶然なのかは分からないが、力の及ぶ限りやってみよう。

二〇一五年九月四日

 キャベジンを飲んでいるのに逆流性食道炎が悪化している。残りの映画会社から連絡がこないと思ったからなのか、多くの人間像の考察をした影響なのか分からない。両方なのか。

二〇一五年九月九日

 今日は何するのと聞いてくる美穂に、バイト終わったら寝ると答えた。

 バイトが終わってからは考察に集中したくて、休憩時間に連絡してくれた友達に全部返信した。疲れる。

 家に帰る時コンビニに寄ってケーキを買った。このような誕生日も悪くない。ケーキは美味しいし、考察も沢山できるし、日常のバランスは良い。

二〇一五年九月二十八日

 同時に多くの人間像の考察をすること、大学の授業と専攻の勉強、バイト。明日からは脚本も書き始めよう。

二〇一五年十月五日

 逆流性食道炎が日常の連れ合いになった。この痛みにも慣れている。

二〇一五年十二月十二日

 イーロン・マスクという人の話を聞いて調べてみた。もう成功した人だが、今も非常に低評価されている人だと思った。

二〇一六年一月十日

 何日か前からご飯を一口食べると空えずきをするようになった。病院に行った。お医者さんから慢性胃炎だと言われた。胃袋にやさしい食べ物を調べよう。

二〇一六年二月二十七日

 胸焼けが酷い時は座っていても立っていても寝ていても痛くて転げるようになった。大学は春休みで良かったけど、バイトはどうしよう。

二〇一六年二月二十九日

 歯を食い縛っても耐えられなくて、バイトを辞めると店長に話したら、体調が良くなった時に雇ってあげると言われた。本当に感謝の気持ちしかない。

二〇一六年三月六日

 寝る時間が増えたからなのか胃袋に良い献立に変えたからなのか症状が治っている。

二〇一六年四月六日

 給付型奨学金を貰ってからもバイトしていて良かった。後4ヶ月くらいは余裕がある。体調を治すことに集中しよう。

 現在の日常:考察、脚本、授業、専攻の勉強

二〇一六年五月一日

 学期が始まってから体調がより悪くなった。

二〇一六年五月十四日

 体調が良くならない。両親には申し訳ないが、退学することにした。

二〇一六年六月三日

 寝る時間が増えて体調が良くなっている。俺にはもう書くことしかない。

二〇一六年八月一日

 学費を払わなくてもいいから、後8ヶ月は生活できる。その期間内に脚本で決着をつけよう。

二〇一六年九月二十八日

 健太の家の事情がまた悪くなった。彼は急いで就職しないといけないと言った。

二〇一六年十月四日

 歯を食い縛る習慣のせいなのか奥歯が割れた。なぜ頑張っても辛いことばかりなのだろう。歯科は高くて怖いのだが、行くしかないか。

二〇一六年十月五日

 歯科に行ってきたら1ヶ月分の家賃が消えた。残りは後5ヶ月。

二〇一六年十二月二十六日

 二つ目の脚本を書き終えたが、完成させた後に読んでみたらゴミだった。どこから直したら良いかも分からないくらい。悔しい。俺には向いていないことなのかな。

二〇一七年一月九日

 世の中を観る目が開けたと感じた。自分の脳内でどのような過程があったのか分からないが、些細なことからも人を把握することができ、未熟ではあるが世界の流れが読める。揉め事の原因となりそうな人だと判断したら、案の定何かの事件を起こしたり巻き込まれたりしていた。

二〇一七年二月十日

 人間と世界を観る目が開けたこと。時間が経つほど俺が判断したことが合っていると確認できている。自分で考えても不思議だ。

 また書きたくなった。

二〇一七年二月二十三日

 会社員生活をしている同期達と会って話し合った。友達の話を聞いただけでも、その部署がどう回っているのか、部署の人がどのような性向なのか、どのような意図で友達を苦しめているのか、どのような態度を取るべきなのかが思い浮かんだ。それらについて素直に話したら会社に勤めたこともない奴が何を勝手なことを言っているんだと責められた。意見を言う時にはそれに相応する影響力が必要であることが分かった。

二〇一七年三月二日

 実家に帰った。

二〇一七年四月十七日

 健太が大手の建設会社で働き始めた。本当に良かったと思って祝った。

二〇一七年四月二十一日

 兄が両親に八つ当たりする姿を見た。兄と喧嘩をした。後で父に聞いてみたら、だいぶ前からそうだったことを知った。自分の人生が上手くいかないことを両親のせいにしているらしい。腹が立った。

二〇一七年四月三十日

 3Dプリンターが重要で大きな産業分野になることに気付いた。

 兄が両親に八つ当たりする姿を見る度、兄と喧嘩をしている。ストレスだ。聞き流そうとはしているけど、「お前に何かできると思うか?お前みたいなクズはそうやって現実逃避してばかりで、ゴミみたいな人生を送って死ぬんだ」という言葉が俺を刺す。兄の言うことが合っているかも知れないから、その言葉が忘れられない。しかし、不安はあっても生きてきたことについて後悔はない。

二〇一七年五月十一日

 我々の日常の舞台が仮想現実に置き換わる方向に行くという世界の流れを読んだ。

 俺がコンビニでバイトしている時、兄が父を突き倒したと聞いた。殺したいと思うくらいの怒りが収まらない。

二〇一七年六月五日

 世界を作る企業家という表現は間違っていると思う。世界の流れは権力と富などで統制はできても、流れ自体は誰かが作るものではない。世界の流れを読み取って予測した道に自分のアイデアを置いておいた人に、世界を作ったという形容詞が付けられているだけだ。学者と政治家についてはまだ判断する能力がない。

二〇一七年六月十六日

 大学の同期たちから連絡がきた。自分たちの会社について俺が話したことが合っていたということ。教えてくれてありがとうという感想になる友達と、その時聞いていたら良かったのにと言う友達に分けられた。

二〇一七年六月二十日

 実家での暮らしが苛立たしい。友達から連絡がくることや友達が会いに来ることなどに疲れていく。彼等が好意を持って接して来ることを分かっているから無視できなくて辛い。集中できる所に行きたい。

二〇一七年六月二十三日

 兄と大喧嘩をした。彼は住み込みの土方の仕事を見付けたと言って家を出た。兄が出る時に俺は言った。
「お前が死んだとしても、その連絡も受けたくないから、これで絶縁だ、クソ野郎」

二〇一七年六月二十七日

 他人ならば徹底的に観察者として自分の感情を殺せた。だが、家族にはそれができない。感情の調節が未熟だ。より深い考察のために、また、俺が俺として生きていくために、もっと内面を殺そう。こうやって徐々に一つずつ自分を思う感情を消していこう。

二〇一七年七月四日

 友達と会う時に明るく戯ける俺はただの殻に過ぎない。死なずに生きているから仕方なくその殻も自分なりに鍛えるだけだ。だとしても、建前を言うことは許されないから殻にも本音を入れる。だから、友達との関わりに感謝すると同時に辛い。だが、感情を消していくほど前より楽になっていると感じる。

二〇一七年七月十七日

 高校の同窓生たちがバイト先まで来た。もう何度も彼らの誘いを断ったせいで、今夜は断る名分が立たなく、予定になかった飲み会に行くことになった。俺は胃袋が痛くてウーロン茶を飲みながら、友達が酔っていく姿を観察した。彼らは大したことでも無い話から喧嘩を始めた。いつものようにすぐ言い争いが終わって仲直りすると思っていたが、二人の溝が深まっていることが感じられた。ここまでの問題でもなかったのになぜだろう。

 これは単に友達同士の喧嘩を見て考えることではない。相手を少しでも理解しようとしたら生じ得ない葛藤と誤解を多く見て来たのである。お互いに異なる意見を持っているから衝突し、片方もしくは両方が疎ましくなる。生きている限り衝突は避けられない。俺はこういう衝突で相手を尊重して話を聞こうとする態度から見聞を広められると思う。それで、プライドを捨てて考える態度を取ると、過激な飲み会での口論も無駄なことにならず、礼儀正しくする討論よりも学べることが多く、意味と価値のある時間になる。それなのに、他人を理解する努力をせず、衝突によって産まれるストレスから自分を守るために、相手を無視して貶める手段を選択する理由はなんだろう。社会の枠組みに合わせた生活を送った後には、相手を理解する力が残っていなかったり勿体無いと思ったりするのであろうか。このような選択を繰り返したら、頑張って作ってきた自分なりの価値観が我執となり、精神的な歪みがある人になって行くと思う。これは高校卒業してから友達と知り合いを観察してきて共通に見られる現象であった。妙に変な人になった同窓生が多かったのである。もしかして、大人になったから自らの意見に責任を持とうとする考えが、自分が正しいと思っていることを疑わないように作用する可能性もあるのではないだろうか。

 生まれたからにはマトモに生きよううとしているが、あまりにも辛抱が要ることで疲れる。

二〇一七年七月十八日

 努力して解決できる葛藤なら問題を大きくせず正面から取り組んで解決すべきなのにそうしない人が殆どだ。政治と事業も同じである。自分の集団や会社や地域や国などの利益を守るために、仕方なく非合理的な選択をするしかなくて衝突を避けられない時があることは分かっている。しかし、今のままでは良くない。

 まだ事業と政治と学問については詳しく語れるほど分かっていない。ただ、現代の技術水準では、我々が生きていく世の中では、規模が大きな集団を維持するためには必ず病弊が伴うことは分かっている。それで、一つの地域以上に影響を及ぼす規模のモノには政治が関わっていることも分かる。そして、それらは汚くて血なまぐさいモノで覚悟が要り、無闇に批判してはいけない分野であることも分かる。だが、この過程では被害を受ける者が次々と出てくる。また、いくら理解し合おうとしても、お互いの差異から生じる欠損は多いものだ。つまり、世界的に努力のロスが続けて生じる。現在の社会構造がそうだ。

 改善するためにはまず4つの条件が必要だと考える。人工知能の技術発展により、人が仕事をしなくても社会が回ること。仮想現実の日常化による、環境的な問題と地理的な限界の解決、人間のエネルギーとストレスを発散しながらも人に被害を与えない時空間ができること。3Dプリンターの技術発展により、何処にいても欲しい物を出力できて流通のシステムが改革されること。ベーシックインカムにより、生活の基準が仕事に依存せず、人間の思考が自由で創意的な方向にいけるようになること。ベーシックインカムは今の段階ではとても危ないモノであるから考えないことにする。これらの条件が充足されてからは俺たちの努力が学問と凡ゆる技術の発展に尽くされないといけない。今の仕事の概念が学問や研究や開発や応用などに変わる必要があるのだ。太陽系にも寿命がある。ここから抜け出るための知識を積み重ねるべきなのに、今のように努力のロスが多い状態では不可能であるのだ。

 これが現実的に可能であるか、どのくらいかかるのか、どんな過程を経ていくのか、今の自分には分からない。妄想にすぎないのかも。やはり俺は政治はよく分からない。

 あ、教育、環境汚染、食料や飲料水の問題もある。また、環境的な問題無しに仮想現実のサーバーを支えるためには必ずエネルギー革命が必要である。

二〇一七年七月十九日

 世間で言う成功を手に入れても何の意味もないと分かった。虚しい。更に、俺は成功できる道が見えても、それを履行する能力がない。

二〇一七年七月二十一日

 世界の摩擦、葛藤、誤解、苦痛、紛争、猜忌。それらが躍如として感じられても何一つ変えられない無力感。改善する能力がないだけでなく、その悪の連鎖の本質を見抜く能力さえ持っていない。自分が情けなさすぎる。寝てから目覚めない明日になって欲しい。

二〇一七年八月二十三日

 鮮明な夢を見た。水が満ちて世界が滅びる夢だった。生まれてこの方感じたことのない心地良さが俺を包んだ。起きてから使命が分かった。俺が何をするために生まれたのか分かった。いや、しなければならないと分かった。今まで積み重ねてきた考察が卵の殻を破って再び生まれ、一筋の光が当たるように使命が降りてきた。数多の孤児院を開くこと。正しい教育に力を入れること。他人のために生きていくこと。理由は分からない。なぜだろう。この目標を言葉として表すためには理由を考える必要がある。降りてきたのが先で表現するために理由を探すって自分で考えても笑える。

 自意識過剰であるかも知れないから落ち着いて考えてみよう。俺が今までやってきたことは、ある目標を叶えるためにどの方向に行けば良いのかを知る能力、それを養う努力であったとも言える。しかし、俺は目標がなかった。あるとしても実行できない状態であった。また、俺は目の前の目標の成就のために日々を送ることが中心になると、考えることが止まって心性が捻れた人になる確率が高い人間だ。更に、上には上がいるから死ぬまで絶えず進んでいかないと虚しくなると分かっていたのだ。止まってからそういう化け物にならないためには、結婚して子供を産むように一緒に生きていく連れがいなければならない。だが、自分の性向を踏まえてみるとそれに満足できそうもなかった。だから虚しかった。これが何かを手に入れたこともなく感じる偽りの虚無感であるとは分かっていたが、なぜか俺はしっかりした目標を決めておかないと化け物になりそうな気がしていた。そのため、自分を騙して言い訳をでっち上げて退学したのかも知れない。今は分かる。害悪の性質を持っていないことであるならば、どの手段で成功するかは関係ない。成功するということは易しい道ではないが、本人の素養に合うことの中で何かを選び、実力を付けながら歩むと不可能ではない。俺にはどの手段が合うのかについて考えよう。それが止まらずに絶えず歩める道でないといけないことも忘れないように注意しよう。人間は気力がある限り黙って動かないままいられない存在であるから。

 全てのものは産まれてから死の方向に進む。故に、永遠なものはない。誕生も死も続けて循環する。俺が他人のために生きていくしかない理由が分かった。それだけが尊厳を持った人間としていられながらも無限に近い原動力になれるからだ。なぜ、孤児院を開かないといけないのかについても考えよう。

 俺は両親が元気に生きていて、余裕があるのではないが、飢え死する環境ではなかった。これは誰もが得られる幸運ではない。したがって、多くの子供達に、大人になるまで支えられて飢えることのない環境で生きていって欲しかったのかも知れない。だから孤児院なのか。ふーん、そして、俺は当たり前のように教育を受けた。より高い学歴を得ることでなく、学びというものが人を大幅に成長させることが大事だと思っている。だから教育に力を入れるべきなのか。あまり納得できない。でも、この目標を諦めることもできない。なぜだよ。

 理由は探せなかったとしても、実現するための過程で、どのような態度を取ったら良いのだろう。対象が大勢の人であるから沢山のお金を稼ぐ必要がある。この目標は俺のためではあるが、世間では良いことだと言われるだろう。なので、どのような手段でお金を稼いだとしても良いことをするから許されるという安易な考え方になりやすい。それは禁物である。過程も人と世界のためでないといけない。少なくとも、害を与えることを避けるべきである。

 どうやって成功させるのか?答えはもう決まっている。世の中の流れを読み取り、予測した道にある産業へ飛び出すこと。スケールが大きな事業を成功させるためには3つの中で1つは備えるべきである。技術、人脈、お金。現在の俺は何も持っていない。革新的な技術を研究して開発できるほどの頭脳でないと分かっている。真の人脈というものは作ろうとして作られるものでない。やはりお金だ。時代性も考えてみよう。現代は昔と違って学んだ人が多い。賢い人がごろごろ転がっている。人材が相次いで輩出される。ということで、学業は俺が最前線に立って専門家になるより、彼らの研究を理解できるくらいが良い。事業をするに本人の資質が重要ではあるが、人材を把握して各分野を融合すれば済む。今の俺には学業と生計を問題なく維持し、事業を始める程度のお金をどう稼ぐのかが第一関門であるのだ。害を与える可能性が高い近道でなく、時間と努力をつぎ込むことを選ぼう。

 しかしながら、ここまでして生きていく必要があるのかと思う。俺がなぜ?だが、この道でないと俺の精神は日々死んでいくことが確かである。自分なりの博打をして、それが成功するならば、この道の果てまで歩もう。今まで考察してきたことを小説に書くのだ。脚本は場面で伝えたいことを表現しなければならないから、書きたいことを入れながら自然に展開させることが難しかった。些細なことまで書かないと気が済まない俺には小説が合う作文の形だと思う。本質を扱いながらも、現代という時代性を表現し、面白さと刺激も入れるのだ。小説が出版されて売れることになったら、俺の考察が理に適っていることの傍証にもなり、備えるべき本質が人々の内面に根ざすことになるのだ。これは俺の価値を認めてもらいながらも、世界を少しでも良くさせるためでもあるのだ。また、事業のための初期資本も稼げる。もう書いていたことを捨てて1から始めることになるのが勿体無く、どこから書き始めたら良いか見当が付かないが、ぶつかってみながらやれば良い。やってみてできなかったとしても諦めるつもりはない。生きている限りやり続けていった方が良い。悲涙に生きるとしても魂が死んだ遺体になるよりは良い。

 今までのように目の前だけを見てはいけない。小説が出版されて売れるようになった後も考えるべきである。俺が考えている分野は3Dプリンターと仮想現実。この妄想を叶える舞台はアメリカ。英語が話せないといけない。世界を確認することを兼ねてワーキングホリデーをしよう。ここにもう一つの博打の条件を加えよう。危険度が高い国であること。そこで俺が死ななかったら第一関門を突破するまで続けて歩くのだ。知り合いがいない所で自分を孤立させ、やるべきことに集中して生きてみるのだ。

 周りから見ると奇跡を願っているように見えるだろうが、俺の目には可能性が見えている。見えている道を歩けば良いのだ。その過程が険難であるだけなのだ。

二〇一七年八月二十四日

 ワーキングホリデーをする国を決めた。ビザを取得するには実家より東京に居た方が良いと思い、東京に住んでいる友達に暫く一緒に住めるかと連絡した。
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