第6話 眼帯を、外せ。

文字数 928文字

 順応していた。
 いつの間にか。
 この世界に。
 今日のこのイベントに。
 戦いに。
 気づかない。
 僕は、なにも気づけない。
 それほどに、この世界に順応してしまっていたから。


 キラキラ輝く水上から差し込む光。
 自分がゆっくり落下しながらこぼす息の気泡。
 静かな海中。
 魚の姿は見当たらない。
 元から魚なんてものは存在しない。
 この世界にはプログラムされていないからか。
 それとも、観測者がここには存在しなかったからか。
 あの有名な猫の実験のように。
 波にたゆたうおれは、ゆりかごに揺られているみたいで。
 快く、心地よい。
 目を開けている。
 おれは、目を開けている。
 ここは海だ。
 文字列で出来た海。
 ソースコードが静かに流れ、おれを包み込む。

「外せ」

 何か聞こえる。
 なにかが、なにかを言っている。
 会場を、おれは仰向けになって眺めながら沈んでいく。

「眼帯を、外せ」

 声。聞こえるのは、声。この世界で、声がする。
「プロテクトを解除せよ」

 声じゃない。

 この音声の波形データは文字通り波の揺らぎが語りかける振動の音だ。
 左右に眼球を動かしてみたが、吹き出しはどこにも出ていない。
 おれは語りかけられた通りに、左目にあてられた伊達眼帯を外した。
 眼帯はゆっくりと、波に乗っておれから離れていく。
 眼帯を外したおれは、両目で海を眺める。
 画面がパノラマになったようだ。

「ああ、浸食されていく。この心音に。自らの鼓動に」

 眼帯を外し、我が心奥の中二病の心電図をモニタリングする。
 浸食される脳と身体。
 浸潤。魂の組織内で増殖し、染み渡る、並列処理による文字列の海との一体感。

 おれに、手が伸ばされる。
 水面から潜ってきたその広げられた手に、おれも手を伸ばす。
 手は、その身体は、潜水してきたファージだ。

 藤沼ファージ。

 ファージはおれの手首を掴むと、差し込む光のその光源、太陽の照らす地上へ向けて、泳ぐ。
 おれは身をゆだねるように手を引かれ、ファージに連れられ、陸に上がる。
 おれは自分の鼓動が響く海の音を反芻しながら、この文字列をあとにした。

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