第9話 ラヴレター

文字数 3,127文字

 ―2023年7月23日、彼女と別れた。本当は別れたくなどなかった。大好きだったのだから。でも彼女はとても才能がある。僕とは住んでいる世界が違うということをまざまざと見せつけられた。そして彼女の才能を僕が奪ってはいけないと思って、自分でも納得した上で別れたつもりだった。でも別れるためにキツイ言葉を言ってしまった。それを僕は一生後悔しながら自分の中にしまって自分のした罪として墓場まで持っていくつもりだ。僕は彼女の笑顔が好きだった。泣き顔も好きだった。僕が守ってあげたかった。誰にも言わないが、彼女の両親に「別れてくれ」と頼まれた。「娘はこの家を継ぐことになっていて、大学を卒業したら同じ身分の相手と結婚させるつもりだ」と。僕は正直憤りを覚えた。何故なら彼女はいつも家のことで悩んでいた。あまり多くは話さなかったが僕には家のことを話すときの彼女の表情がいつもどんよりと曇って見えた。その上彼女に好きでもない相手と結婚させるなんて酷い話だと思った。時代錯誤もいいとこだ。もう令和になったというのに・・・。僕はきっぱりと彼女のご両親に「娘さんがそれを望んでいるのなら別れますが、本当に娘さんもそれを望んでいるのでしょうか?彼女には彼女の人生があるし、彼女はあなたたちの道具ではありません。あまりにも酷すぎませんか?」とストレートに返した。するとご両親は「あなたにはわからない世界なんです。身分が違いすぎます。口出ししないでください」と更に返してきたがこれ以上この人たちと話していても仕方ないと思ったので、僕は「申し訳ありませんが、僕は彼女と別れる気はありません」と捨て台詞を吐いて「失礼します」と言ってバタンと席を立った。この時はまだ僕は彼女と別れる気などなかったし、逆に彼女を守りたいと思った。その後も彼女にはそういうことがあったことは伏せて、いままで通り付き合っていた。でもある日大学の教授に呼び出された。僕がお世話になっている教授ではなく彼女のゼミの教授だった。予想通りご両親からの差し金だった。でもそこにプラスされていたのは「才能」という言葉だった。彼女にはその年の9月から留学の話が出ていたが、彼女はそれを拒んだという話だった。「才能があるからフランスの提携大学に招待された」と。その教授は「彼女は日本で学びたいことがあるから、海外へはいまの段階で行くつもりはないと言っていたが、君が別れてくれればきっと行ってくれる気がしている」と言った。そして続けて「彼女の才能を潰さないで欲しい」と頭を下げられてしまった。僕はそれから悩みに悩んだ。彼女にとって一番いい道はどの道なんだろう?答えは見つからなかったが、彼女の才能を奪うことだけはしたくなかった。そんなふうに悩んでいたある日ネット上に彼女がアレンジして生けた花がデパートで展示されていることを知った。彼女からは聞いていなかったのでちょっとだけ悲しい気持ちになった。僕は実際にそのデパートへと足を運んだ。圧巻だった。ものすごいエネルギーを感じたし、あまりの感動に鳥肌が立った。僕はこの時彼女と別れることを決めた。そしてその時はきた。僕には一方的に突き放すしか方法がないと思った。だから僕は彼女にキツイ言葉を突きつけた。彼女は僕に「俊とじゃないと幸せになれない」と言って僕を追いかけてきたが僕は心を鬼にして後ろを振り返ることもせず立ち去った。その後知った話では彼女は転んで頭を打ってしばらくの間意識を失っていたらしかった。でも意識は無事戻り、その後すぐフランスに留学したということだった。そして彼女は有名な華道家となり日本を代表するフラワーアレンジメントアーティストとなった。その活動の傍ら彼女はSDGsを広める活動をはじめた。彼女は将来の為にも未来の子どもたちの為にも東京でも農業を推進することを訴えた。ヒートアイランド現象の解消の為にも、食料自給率を高める為にも。そしてすべての子供たちが平等に英語を学べる環境作りにも力をいれていた。その頃僕は種メーカーで品種改良の事業に取り組んでいた。その時に偶然彼女のチームと僕の会社が合同で東京でも作りやすい小麦の品種改良を行うことになった。僕はたまたまその改良部門のプロジェクトリーダーに抜擢された。それから開発まで数年の月日が経ったある日僕は彼女と再会をした。彼女は「お久しぶりです」とにこやかに微笑んだ。僕は「お久しぶりです」と緊張で強張りながら一生懸命の笑顔を浮かべて見せた。彼女はとても輝いていた。でも僕もそれなりに自分のやっている仕事に自信を持っていたので惨めな気はしなかった。でも僕は謝りたかった。でもそれは身勝手なことだとわかっていたので彼女が向けてくれた笑顔に感謝しながら話をした。僕はもう結婚して子どもにも恵まれていた。彼女もてっきりご両親が勧めたお相手と結婚したものだと思っていたが、独身を貫いているとのことだった。彼女は僕が結婚して子どもがいることをとても喜んでくれた。やっぱり僕が好きになった人だと思った。そしていきなりスマホの画面を開いて僕が付き合っていた頃の彼女と僕の若い頃に似ている男性の映った写真を見せてきた。僕の若い時に似ていたがちょっと違う感じもした。そして彼女は「この子はあなたの玄孫よ」とおどけて言ってみせた。僕は混乱した。「大丈夫、あなたに似ていい子よ。彼女もいてしっかり大切に守っているわ」と付け加えた。僕は呆気にとられると同時に「僕は大切に守ってあげられなくてごめん」と思わず口にしてしまった。彼女はすべてを悟ったかのように「ありがとう。私は大切にされていたよ。大切に思ってくれていたからこその決断だったんでしょ?だからもう自分を責めないで。私の方こそごめんね」と言って、「この話はもう終わり。そろそろミーティングに戻りましょう」そう言ってミーティングルームに戻り彼女は新しい小麦についての説明を熱心に聞いていた。実際に試作している畑で出来た小麦粉を使ったパンを出したところ、彼女たちのチームの皆が口を揃えて「美味しい」と言ってくれた。開発者冥利に尽きる有難い言葉だった。彼女のチーム側からこの小麦の品種名は決まっているのかと聞かれた。僕の部下が口を滑らせて「決定ではないのですが”Beautiful a Leaf”と我々は呼んでいます」と言ってしまった。彼女のチームの一人が「東さんの名前だ」と驚いた表情で言った。そして「偶然ですか?」と聞かれた僕の部下は「この小麦は揺れる葉が美しいからとリーダーが名付けたんです」と答えた時、僕の顔は真っ赤になっていた。彼女の下の名前は“美葉”と言った。偶然でもなんでもなく僕は美葉のことを想って名付けた。美葉は無言で涙を流していた。僕は美葉のこの涙を無駄にしないように責任をもってこのプロジェクトを遂行しようと心に決めた。それがせめてもの償いになる気がした―

こんな文章が昔のパソコンの中に残っていました。すべて完全に憶えていた訳ではないから間違っているところ、抜けているところがあったらごめんなさいね。
美葉は言葉を失った。そして泣きたいのに涙が出てこなくて、ただただ布団を拳で叩きながら悔しい気持ちと自分を守ってくれた俊に対する複雑な気持ちをぶつけていた。そんな美葉を見て楓はなにも言えなかった。それからどれくらいの時間が経っただろうか。リンたちが仕事から戻ってきた。美葉はスマホを持ってリンに「写真一緒に撮ろう」と言ってツーショット写真を撮った瞬間に自動でフラッシュがパシャッと焚かれ、その眩しいフラッシュの光が目に入った瞬間美葉は眩しくてクラクラとして意識を失った。
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