魔法のノート

文字数 1,898文字

 おばあちゃんの鏡はお化粧には使っていないけど、髪型を整えるのには便利だ。鏡に向き合いながら、休日限定のとっておきの髪型に仕立てる。肩甲骨あたりまでに伸びた赤茶色じみた髪の毛を右のこめかみあたりでまとめるサイドポニーテールってやつ。それを、結ぶと四葉のクローバーみたいに見えるって売り文句で売られていた緑色のシュシュでまとめるんだ。こういう目立つアクセサリーは校則で禁止だから、お気に入りでも休日しか使えないんだよね。

 窓を開けて今日の空模様を確認する。うん、六月の爽やかな青空、雲ひとつない。今日は太股までの長さのサロペットジーンズと薄手の白いシャツを着て、予定通り、ひとりで外出することにした。虫刺されには気をつけなきゃだけど、やっぱり動きやすいしミニスカートと違って翻りを気にしたりせず、ただ自然な風を全身で味わえるのが好きなんだ。

 僕のいちおしプラネタリウムは、生まれて初めて、両親に連れて行ってもらった施設。さすがに赤ちゃんではなかったけど、その頃の僕はまだよちよち歩きだったと思う。そこは当時、日本で二番目に小さな投影ドームとして記録されていたらしい。リニューアルのため数年ほど閉館して、無事に生まれ変わった。二番目に小さな、という肩書きは少し規模を大きく作り変えたため返上したみたい。

 なんとこのプラネタリウム、新しくなってからは近隣の小学校と渡り廊下で繋がってしまった。たぶんだけど、そこに通う小学生は授業の一環として投影が見られたりするんだろうな~。あまりにも羨ましすぎて、今すぐ小学生に戻ってこの辺に住み直したい! って、ここへ来て渡り廊下を道路から見上げる度にしみじみ思ってしまう僕だった。

 何がいいって、小学校と繋がってるくらいだからここは公的な教育施設の一環みたいなもの。星空解説は最近流行りの派手な映像でも有名人の録音解説でもなく、プラネタリウム解説員さんのリアルタイムのお話がメインだ。何より学生の僕にとって大助かりなのは、リーズナブルだってこと。内容に見合った対価を払うのは当然のこととはいえ、現実問題、僕にもお小遣い事情ってものがありまして。


 六月の星空解説は春の大三角とさそり座にまつわる神話についてだった。今までの僕だったら今日聞いた話を忘れないように、家に帰ったらすぐクローバーのノートにしたためていた。けれど、今回はそれをぐっとこらえる。彼女の貸してくれた、黒と赤の魔法のノート。その効果を試すチャンスだったから。






 翌週の休日はあいにくの雨模様で出かけられなくて、僕は机に向かって魔法のノートを開く。忘れたくないことを書き残す、ではなく、思い出したいことを書くノート。


えぇ~っとぉ。春の大三角は……
 当然、三角形を結ぶために必要な星座は三つ。しし座、おとめ座、は覚えてるんだけど後のひとつは何だっけ。ほら、たった三つなのにもう忘れてるっていうね。
ん~……しし座、おとめ座……
 呟きながら、思い浮かべながら、ノートに書く。すると、手が自然に、さらさらと動いた。
そうだ……三つ目の星座、うしかい座だった……
 自分の記憶だっていうのに、取り出せなかったはずのそれが不自然に浮かんでくるみたいな、奇妙な感覚。

 星座だけだったら割と思い出せるんだ。もっと思い出せないのは三つの星座の一等星。三角形を結ぶのは星座全体じゃなく、それぞれの星座で最も強く輝く星なんだから。

あれはデネブ、アルタイル、ベガ……

って、それは夏の大三角だってば

 とっても有名な歌のフレーズにあるから、そっちは強烈に覚えてしまっているんだよね。
春の大三角……
 そう呟きながら書いていたら、また、操られるようにペン先が動く。さっき書いたそれぞれの星座の下に。

うしかい座、アルクトゥールス。

おとめ座、スピカ。

しし座、デネボラ……

 今までの人生で何度も耳にした情報だから、思い出すことさえ出来たならその響きはとてもしっくりくるものだった。
すごい……本当に思い出せちゃった……
 せっかくなので夏の大三角も思い出せるか試してみよう。あっちは逆に、一等星の名前を強烈に覚えすぎて、それぞれの星座を忘れがちだから。

 デネブ、はくちょう座。ベガ、こと座。このふたつは元から自信がある。
アルタイルはぁ、えーと……わし座!
 こっちも成功だ。これはもう偶然とは思えない。

 好きなことなのに、覚えられない。覚えていたいのに忘れてしまう。今までそれでずっと悩まされてきたから、こんな簡単に、それも道具に頼って覚えられるんなら便利なのかもしれない。

 でも……、どうしてかなぁ
 なんだかちょっと、すっきりしない心地だった。
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登場人物紹介

名前:みく

星や石や虫などの自然が大好き。素直な16歳の女の子。

記憶力が弱くて好きなことを勉強してもすぐ忘れてしまうのが悩みの種。

その対策として、忘れたら思い出せるようにクローバー柄のノートにメモを書くのが習慣。

一人称は「僕」

名前:秘密。教えると魔力が弱くなってしまうから、とのこと。

通称:鏡の魔女

みくの部屋の鏡の向こう側から、みくに話しかけてくる不思議な友達。

年齢も秘密。みくは彼女のことをほとんど何も知らないけど、

彼女はみくのことをなんでもお見通し。

わかっているのは、お酒を嗜むのが趣味なのと、鏡を用いて魔法を使えることだけ。

一人称はワタシ。

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