僕にとっては憧れの。ワタシにとっては思い出の。

文字数 2,264文字

ボンジョルノ! あるいはボナセーラ、かしら?

ワタシは鏡の魔女。残念ながら名前は教えてあげられないの。

教えてしまうと魔力が弱くなってしまうからね

 鏡の向こうでご機嫌に旅の支度を進めている女の子、「みく」は、ワタシのお友達。


 鏡の向こうに見えているのは、「ワタシの世界とうりふたつ、でも少しずつ何かが違う世界」。


 ワタシは鏡を介して、「数多ある異時空の世界の中でただひとり、最も自分と似た顔の人」と、こうしてコンタクトを取ることが出来るのよ。

随分楽しそうじゃない。

家族旅行にでも行くの?

ワタシが声をかけるまで、みくはこうして見られていることすら知らないの。でもそれを不快に思ったりはしないみたいで、
あ、見てたんだ。こんにちは♪
こうやって、にこやかに応えてくれる。せっかくの作業を中断させてるっていうのに、大らかよね。



家族旅行じゃなくってね、

生まれて初めての「ひとり旅」に挑戦するんだ!

みくって、まだ高校生よね。

ご両親は心配じゃないのかしら

行き先がごく普通の街中だし、人通りの少ないとか、

とにかく怖そうなところには行かないって約束でね

そんな不自由な思いをしてまで? 

お友達でも誘った方が安心じゃないの?

実はねぇ、行き先が憧れのプラネタリウムなもんで。

そういうの、ひとりでじっくり味わいたい質なんだよね

 女の子らしくないよねぇ、なんて、てへへ、って笑うみくだけど。ワタシは彼女のこういうところ、気に入っているのよね。誰かと一緒じゃなきゃ好きなことも出来ないなんてコよりよっぽど好感が持てるもの。
憧れのプラネタリウムって、どんなところ?
 そこで彼女が口にした名前を聞いて、前言撤回。これは、今回ばかりは信条を曲げてでも、ワタシもご一緒させていただかないと!

 ワタシは愛用の、六角形の黒い手鏡を目の前の卓上鏡へ放り入れる。すると、みくが向き合っている彼女の部屋の鏡からそれが飛び出して、慌てて手を差し出してキャッチする姿が窺える。

その鏡をあなたの旅にご一緒させて欲しいの。

鞄にしまっておくだけで、あなたと見ているものを共有出来るから

そんなことが出来るの? だったら今までも、

この鏡を貸してくれたら一緒にお散歩出来たんじゃない?

 みくは川沿いのお家に住んでいて、自宅周辺の自然豊かな場所をひとり歩きするのが趣味。部屋の鏡でしかワタシと会話出来ないのがほんの少し残念で、一緒にお散歩したいってこれまで思ってくれていたみたい。これも、ワタシが一方的に覗き見して知った彼女のささやかな願い。そのお気持ちは光栄なのだけど。



この手鏡はワタシの魔法の最も大事な道具で、おいそれと貸出は出来ないのよ。

今回だけはどうしても見たいものがあるのよね

いいけど、どうして今回だけそんな特別に?

理由っていうなら、みくと同じだわ。

ワタシも会いたいのよ

 みくの憧れのプラネタリウムで今も現役で稼働している投影機。カールツァイス・イエナ社製、Universal23/3に。



 ワタシが鏡の魔法を使えるようになったのは大人になってからのことで、子供の頃はごく普通の女の子だった。幼い頃、遠足で、繁華街のデパートの屋上にある大きなプラネタリウムの投影を見た。正直、行く前はそんなに興味もなかったのだけど。


 デパートの屋上のドームはとても大きくて、生まれて初めて見る人工的な星空はまるで自分の目の前に光が迫るように見えた。手を伸ばしたら触れそうな光なのに、いざそうしたら全く掴めない。


 季節は冬だったから、星空解説は冬の大三角……こいぬ座のプロキオン。おおいぬ座のシリウス。オリオン座のベテルギウス。


 冬の夜空に見える一等星はそれだけじゃなく、ふたご座のポルックス。ぎょしゃ座のカペラ。おうし座のアルデバラン。オリオン座のリゲルの四つにシリウス、プロキオンを加えて結ぶ冬のダイヤモンドもある。


 星座に詳しくない人でも見上げれば一目でそれとわかるオリオン座の派手さもあって、とにかく冬の夜空というのは花形といっていい。その解説ともあればワタシの幼心も鷲掴みにされちゃうってものでしょう。


 すっかり虜になってしまったワタシは思春期には何度かそこへ通った。天文部にはいっときは入部してみたものの、誰かと連れだって見る星空っていうのがどうにも性が合わなくて途中で辞めてしまったわ。そういうところ、ワタシとみくってやっぱり似た者同士なのかもね。



 当時は今みたいにインターネットで誰もが最新情報を入手できるってわけじゃなかったから、まさに青天の霹靂だった。その、ワタシの人生初の、思い出のプラネタリウム。デパートそのものの老朽化と町全体の再開発のタイミングが重なって、閉館になってしまった。プラネタリウムとしては割と有名どころだったはずだし、まさかなくなってしまうなんて。大人になった今ならそんなことはいくらでも起こり得るって知っているんだけど、若い時分のワタシにとっては何の心の準備も整っていない突然のお別れになってしまったわ。
 みくが秋のゴールデンウィークで決行する、憧れのプラネタリウムへ向かう、初めてのひとり旅。そこで稼働する投影機はワタシの思い出のプラネタリウムで投影していたのと同系機だって有名なの。近年の投影機はデジタル化、小型化が進んでいて、昔ながらの二球式の巨大な投影機はもはや日本全国でも稀少になっている。「その投影機の映す星空が見たい」っていうだけで全国のプラネタリウム好きがそこへ足を運んだりもする。いわゆる聖地巡礼、ってやつかしら。そういう意味でも有名な場所なのよね。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

名前:みく

星や石や虫などの自然が大好き。素直な16歳の女の子。

記憶力が弱くて好きなことを勉強してもすぐ忘れてしまうのが悩みの種。

その対策として、忘れたら思い出せるようにクローバー柄のノートにメモを書くのが習慣。

一人称は「僕」

名前:秘密。教えると魔力が弱くなってしまうから、とのこと。

通称:鏡の魔女

みくの部屋の鏡の向こう側から、みくに話しかけてくる不思議な友達。

年齢も秘密。みくは彼女のことをほとんど何も知らないけど、

彼女はみくのことをなんでもお見通し。

わかっているのは、お酒を嗜むのが趣味なのと、鏡を用いて魔法を使えることだけ。

一人称はワタシ。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色