第十八章 勇人 1

文字数 5,769文字

 勇人(ゆうと)


 まずその荷札に、勇人(ゆうと)は首を傾げる。
 そこに記された送り主の名。
 それが古い友人のものであることはすぐに理解はできた。
 が、こうしてフルネームで眺めてみると、あらたまっていてあまりにもよそよそしい。
 だいたい、苗字で呼んだことなど互いに無かったはずなのだ。
 しかし、はらい(、、、)(りき)む見栄っ張りな筆跡には覚えがあって。
 なによりその珍しい下の名前は、忘れようもなく。知り合った頃から勇人は単にそいつを、

 タイラ
 
 と。その名でしか呼んだことがなかったのである。
 その頃ふたりはまだ高校生で。
 勇人は気まぐれではじめたドラムに熱中しており、腕前(うで)(ちゅう)()
 それでも複数の学生バンドから引っ張りだこだったのにはわけがあった。
 親に頼みこみ、自宅屋上にプレハブ式の練習スタジオを置いてもらっていたのである。
 その無料(タダ)で使えるスタジオが求心力となって友だちが増えた。
 なりゆきでいくつものバンドをかけ持ってもみたが、なんせ年頃だ。酒、たばこ、チープ・ドラッグ。気を抜くとスタジオはたちまち溜まり場と化していく。
 なかには女を連れ込む者まで出る始末で。若い勇人はそんな()れ合いを嫌い、あくまでストイックに音楽を追求することをメンバーに強いた。
 ために、どのバンドも続かない。
 しょせんは無料(タダ)に群がった連中である。
 といって、技術力の高い連中のなかに紛れるには、勇人のテクはあまりに(つたな)すぎた。
 ならば、とばかりに勇人はあっさり生バンドをあきらめ、ただちに打ち込みにすがる。
 いや、正確には親にすがった。
 PCおよび音楽制作ソフト、MIDIキーボード……。ひとりでも音楽を作れる環境を一式買いそろえてもらい、それに没頭したのである。
 音楽理論はむろんのこと、コード名すらもろくすっぽ知らない勇人だったが、それでも童心でいじくるうちにどうにか音に目鼻をつけられるようにはなっていく。
 けれどその目鼻はよく言ってもピカソのパロディー。むろんシュールレアリズム時代のだが。
 デッサンを怠った者が陥りがちな、安直な思いつきの域を出なかったのである。
 よって、聴かされた友人たちの感想はおしなべて、こう。
「個性的だな」
 褒めず、けなさず、当たり障りがない。
 誰もが勇人の太っ腹の恩恵を、日常的に(たまわ)っていたせいでもあるのだろう。
 ところがこれをただひとり、ずけりと喝破(かっぱ)した者がいて。
福笑(ふくわら)いじゃないんだから」
 どこが耳やら、目玉やら。()もなければ、
()もない」
 それがタイラだった。
 授業中、タイラはそう吐き捨てて、作品をいれて貸しておいたディスクを隣の席から突っ返してきたのである。
 うぬぼれが強かっただけにこれにはさすがの勇人も凹まされた。
 そのときから、勇人はこのタイラという不思議な同級生に興味を抱いたのである。
 休み時間にはいつもヘッドホンをしてノートに絵を描いていた。
 好んで聴くのは勇人の知らないような古い映画音楽ばかりで。
 モノクロ時代のドタバタ喜劇につけられていたような、賑やかでコミカルな楽隊ものだ。
 ウンザ・ウンザというらしい。
 その時点で充分に変だ。が、それに輪をかけたのがタイラの描く漫画である。
 音楽の好みとは対照的に、どれも不気味なものばかりだった。
 たとえば最初に読ませてもらったのは、チェスの駒の物語。
 それをタイラは駒のキングの独白として描いている。
 というと、大概は童話めいたものを想像するのだろうが、まずその駒が普通の駒ではない。それに見立てて切り取られた人間の足の指なのである。
 切りはなされた瞬間、()らはその鮮血のなかで心を得、はじめて個となる。
 切断が誕生であった。
 その駒を助産夫よろしくとりあげるのが、若く実直な郵便配達夫で。彼は毎晩それにふさわしい指を探し歩いては、傷害を繰り返している。
 ところがクイーンだけがなかなか決まらない。
 大きさ、フォルム、爪の色、臭い、たたずまい。そのひとつひとつに彼は尋常ではないこだわりをもっていたのである。
 繰り返すが、これは指の視点で描かれた物語。
 横丁の床屋の、老いた亭主のその白く()えたつま先で、そよぐほどに毛をたくわえていた親指の独白なのである。
 馴染み客の郵便配達夫に見染められて切り落とされ、キングになった。
 キング指はクイーンがなかなか決まらないことにやきもきしていた。
 紆余曲折を経、郵便配達夫は寝たきりとなった老母の指こそがクイーンであるべきだと思い至り、ついにそれを切り落とすことに。
 ようやく決まったクイーン指にキングはひと目で恋をするのだが、一向にその想いは通じない。
 クイーン指は無理に連れてこられた理不尽に憤慨しており、(かたく)なにキング指の求愛を拒みつづける。
 しかし、互いは日々刻々と腐敗していく運命にあり、その現実がこの幻想純愛をおぞましくも壮絶な悲劇に仕立て上げる。
 腐り、(うじ)がわき、蠅がたかり、溶けて、流れて、白骨があらわになっても、キング指はクイーン指に恋い焦がれた。
 ある時、クイーン指は食べかけの板チョコの銀紙に映る自分の姿に驚く。それは腐りかけた醜悪なものだった。
 それを恥じると同時に、キング指の一途な想いに心を開き始めるのだが。
 なんせキング指はクイーン指より先に切り取られており。そのぶん朽ちるのも早く、もはや息も絶え絶え。
 ゆえにクイーン指は後悔にさいなまれるのだ。そこまでして愛を表明してくれるキング指を拒みつづけてきたことに。
 そしてついに、キング指の愛を受け入れようと彼女が決心したそのときである。つきとめた警察に踏み込まれて郵便配達夫はあえなく御用と。
 しかし彼が抵抗して暴れたために窓辺に並べられていたキングとクイーンは、配下のビショップ、ナイト、ルーク、ポーンらもろともこの逮捕劇のドタバタで蹴散らされてばらばらに。
 不運にもクイーン指だけは窓の外。餓えた野良犬たちがたむろする裏路地へと転落していってしまう。
 哀れ、ふたりの恋はついに実らず。永久(とわ)別離(わかれ)に。
 とまあ、そんな筋である。
 唖然とした。
 こんなことを考えている高校生が、それも隣の席にいるという事実に慄いた。
 絵も、強烈だ。
 何か独自の法則でもあるのか、線はまるで針金ハンガーで編んだよう。空間は不思議な磁場に引き延ばされ、ゆがめられている。
 いや、奇っ怪と言おう。
 それを的確に評じられるほどの言葉のボキャブラリーを、勇人は生憎(あいにく)と持ち合わせてはいない。
 しかし、当のタイラはそれを容赦しなかった。
 昼休みの図書室。
 作品を読み終えた勇人をテーブルの向こうからじっと見据え、感想を待った。
 しかたなく勇人は苦し紛れにこうつぶやくので精いっぱいである。
「個性的ぃ」
 その感想はタイラの腹の底からの、
「はっ」
 にて瞬殺。
 一笑にふされたことを勇人はいまも鮮烈な痛みとして記憶している。
 してそれ以来、勇人はミュージシャンを、タイラは漫画家を、といった具合に夢を持つものとして互いを意識しはじめたのである。
 人気(ひとけ)のない図書室や非常階段で、よく映画や漫画を論じあった。
 ヘッドホンを分け合って、未体験の音楽も聴いた。
 そして勇人の屋上スタジオで、互いの作品を批評しあった。
 時には身も蓋も吹き飛ばすほど言葉をぶつけあって、喧嘩をしたこともある。
 やがてふたりは高校を卒業。
 タイラはそれを機に家を出て。
 いまもアルバイトに(いそ)しみながら漫画を描く日々を送っていることだろう。
 勇人はといえば進学はしてみたものの、なんとはなしに出席を減らし、ずるりずるりと単位を 落とした結果、二年目の夏についに退学。
 それでも音楽ばかりは続けていた。
 いや、音楽を退学の言い訳にすらした。
 その無理は自覚していて。歳とともに己の才能の(かさ)を見限りだした今日この頃である。
 むろん、いくつかの音楽事務所に作品を持ち込んではいる。
 しかし、ひとつとして手ごたえは得られない。
 評価は決まって、
「可もなく不可もなく」
 ならばいっそのこと強く罵ってくれればよいものを、どの担当も勇人をいたわりさえした。
 むろんネットにも公開している。
 が、やはり反応は似たり寄ったり。
 それらは顔の見えない赤の他人の言葉であるだけに、優しさのぶんだけ傷は深まるわけで。
 こうなってくると、夢から目を背けたい。
 かつての夢は、いまや重荷となりつつあり。
 となれば、愚直なまでに夢を追い続けているタイラの存在が、(にが)くなる。
 卒業してから付かず離れずといった関係を保ってはきたのだが、ここ数年はメールですらも捨て置いてしまう距離感になっている。
 いっそタイラの記憶からフェードアウトできたなら。
 夢から(そむ)けた勇人の目は、より現実的なものへと向けられていくのであった。
 
 
 この男。いまも親元で生活している。
 といっても現状はほぼ独り暮らしに近い。
 というのも、一棟まるごと親の所有であるマンションの、その一室が勇人にあてがわれた住まいなのだから。
 で、そのマンション。
 いつごろからか勇人と同じフロアの一室に、いかがわしい連中が出入りするようになっていた。
 ドアに表札もなく、出入りする顔も一定しない。
 毎晩不特定多数がそこを訪れては、明けがた近くに帰っていく。
 のちにわかったのだが、実態は違法のカジノだった。
 バカラ賭博。
 それを親が知らないはずがないわけで。
 おそらくは家賃以外にうまみのあるマージンでも発生しているのに違いないと。
 素人考えにも背後に暴力団の存在を容易に連想できる物騒な事態であった。
 が、そうとわかれば、それはそれ。
 触らぬ神になんとやら。
 勇人はそう高をくくっていたのだが、ひょんなことからそこの住人と親しくなってしまうことになる。
 例の屋上。プレハブスタジオで気晴らしにドラムをたたいていた時のこと。
 ひと汗かいて外に出ると、そこに見知らぬ男がいた。
 ダブルのスーツにグラサン、金のカフス。
 でもって、てっかてかのオールバックである。いまどき。
 うんこ座りでスマホを見ながら、晴れ渡った都会の空にパーラメントの煙をふかしていた。
 屋上は住人の出入りを禁止している。しかし勇人がうっかり鍵をかけわすれたために、上がりこんでしまったらしい。
 勇人の姿を認めると男は、飲み終えていたジンジャーエールの空き缶に、
 じゅっ。
 吸殻を落として、
「あんちゃん、バンドやってんのけ」
 スタジオを顎で指して立ち上がった。
「んじゃ、あれけ。髪の毛とかおっ立てて、化粧(メイク)とかすんのけ?」
 言いながら脱いだ上着を勇人に押し付け、返事も待たずにスタジオのドアを開ける。
「すんのけって」
 あわててあとを追うが、男はもう椅子に腰を下ろしスティックを握った手でシャツの腕をまくっている。
「どうなのよ」
 いかん、いかん、いかん。
 じゃーん、とシンバルをやらかす寸前に、外からドアを閉めた。
 ぽこぽこやっている姿が、防音ガラス越しにも、苦い。
 なにごとかがなりながらやっているようで、首に浮いた静脈とそのぎくしゃくしたフォームだけで腕前の程は充分に見て取れた。
 二度と屋上の扉の施錠を忘れまいと勇人は密かに誓い、それを忘れたこのたびの己の非をうらみ、耐え、しのぶほかない。
 やがて飽きたらしく、男はご満悦で出てくる。
 ドアが開くと同時に、鳴りやまないシンバルが轟いて、勇人をあわてさせるが男は、
「え?」
 え? って何よ。
「んじゃ、あれけ。やっぱガッデム・ポイントとか聴くんけ?」
 意外や意外、知っている。
「あ()このタイコはさぁ、オカズで突っ込むとこがいいんだよな」
 ほお。
 あそうか、スタジオの壁に貼ったハンチントン・ガーデンのポスターを見たのだ。ガッデム・ ポイントはハンチントン・ガーデンのドラマーG・Gのソロ・プロジェクトだから。
 勇人はそれを受けて「でもガッデム・ポイントはベースがかわっちゃったから」
「線がほせえよな、渥美さんのラインはよ」
「悪くはないけど」
「良くもない」
「そつがないけど」
「コシもない」
「華がないのも」
「しょーがない」
 とまあ、びたっと趣味が合ってしまったという。
 その男、「島田」と名乗った。
 その日、勇人はハンチントン・ガーデン唯一のライヴ盤をこの島田に貸すはめとなる。
 デビュー前にライヴ会場でのみ配布されていたというレアもので、島田はまだ聴いたことがないというのだ。
 それを渡すのに自分の部屋の前まで案内した。
 CDを受け取ったときの島田のハニカミようったらなく。
 まるで(わらべ)のよう。
 しかし、かえってその仕草が相手の腹の底を探ろうとするグラサン越しの目つきを際立たせてしまったのは残念で。猜疑するのが癖になっているのだろう。ちょっと不気味ですらあった。
 なで肩と長い首。あいまって、まるで臆病な小動物。
 そう、フェレットだ。
 CDのジャケットは水墨画風に描かれた海底都市である。
 その絵がG・G本人の作だと教えてやると島田はしきりに驚嘆した。が、妙にしゃっちょこばって言うことには、
「俺も、ちっとばかし絵ぇ描くんだ」
 訊かれもしない趣味の告白だ。
「といってもマジック画だけど」
 なんだ、マジック画って。
「そこそこじゃねえかって。よく言われんだわ。素人にしてはって」
 ほお。
「俺なんか、おもにマンホールよ」
 ん?
「もおねマンホールばっか描いてんのよ」
 勇人は適当に相槌(あいづち)をうってスルーに徹する。
 要は話し相手がほしいのだろうが、見たことのない絵の話をされてもリアクションのとりようがないわけで。
「ホントだっつの」
 つの、と云われてもそもそも疑ってやれるほどの興味もなく。
 にもかかわらず、
「今度、見せっからよ」
 あえなく約束をされてしまったのである。
 レアなCDを借りたことに対するおかえしのつもりだろうが、天秤(はかり)に載せるまでもないほど、釣り合いが取れていない。
 とそんな勇人のためらいが痛々しいほどの()を生んで。
 それでようやっと空気を読んだのか島田は「じゃあ、またね」と出ていった。
 やれやれ。なんとまあ賑やかな人か。
 と思うのもつかの間。インターホンが鳴ってまた島田の声だ。
「俺、だいたい609号室に居っからよ」
 それで勇人は、島田が例のいかがわしい部屋の住人なのだと知ったのである。




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