2022年2月12日

文字数 3,243文字

2022年2月12日
 「釜石の軌跡」を導いた片田敏孝群馬大学名誉教授は誕生日を死にまた近づいた記念日と言っている。その日がいつになるかわからないが、周期的に迎える区切りの記念日であることは確かだ。Facebookを通じて送られてきた誕生日メッセージに返信する。今年は自主隔離中で、いつもの誕生日と違う。この状況をポジティブに考えたいところだが、欲しいのは検査のネガティブ判定だ。

 歯磨き後に体温を計測する。37度2分で、平熱だ。パルスオキシメーターは97%を表示する。いくら計っても97%が最高で、年齢のせいかとやはり寂しくなる。昨夜はのどが痛く、トイレに起きた時、痰がからむ咳をする。

 美紀は発症してから発熱が一度もない。彼女は平熱が35度台だ。一般の人より1度くらい低い。兄妹なのに、平熱が2度も違う。人類は幅広い。

 美紀は今日も熱もなく、パルスオキシメーターは100%を表示している。る夜寝ている時に、時々咳をするくらいだ。むしろ、帯状疱疹の痒みの方がつらそうだ。

 YouTubeで『NHK古典購読』の西行についての動画を聞きながら、30分ほどストレッチ、その後は屋内を5000歩程度ウォーキングに励む。正直、個のみで言うと、死に対して受動的な平安の貴族文化よりも能動的な武家文化の方がいい。「道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ」(西行)。

 土曜日は西友が5%OFFだ。いつもなら2人で買い溜めをするところだが、今日は1人なので抑えて買わざるを得ない。混む前の10時半頃、西友に食料品の買い出しに出かける。連休の中日のお昼前とあって、比較的空いている。

 今日は天気がいい。教会通りを抜けて、衛生病院を眺める裏道を歩いて帰る。外の空気を吸いたいけれども、濃厚接触者が人通りの多いところをウロウロしては申し訳ない。

 さらに住宅街に進むと、誰も歩いていない。かすかに飛行機の音がするだけで、耳鳴りが聞こえるほどだ。空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっている。その青空の下、歩いている黒い人影の自分自身が見えてくる。ここのところ、景色を見渡す余裕もなかったと気が付く。冬眠から目覚めたような感じだ。まだ2月なのに、春がすぐそこまできているような気がする。

 3000歩ほど歩いて、うちに戻る。食料品を冷蔵庫に入れて、ウコン茶を飲む。痛みのあるのどに沁みることはないが、頭がボーッとする。窓に近寄り、外を眺める。外にいた時同様、いい天気だ。このままビールでも飲んでしまいたくなるほど、やる気がしない。1日が終わったような気さえする。とにかくぼんやりとする。

 NHKのニュースサイトを開くと、文学に関する興味深い記事がアップされている。子どもたちが自分の好きな本を選挙で選んでいる。『NHK』は、2022年2月12日 13時34分更新「こどもの本”総選挙 1位に『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』」において、それについて次のように紹介している。

子どもたち自身が最も好きな本を選ぶ「“こどもの本”総選挙」の投票結果が発表され、幸運な人だけがたどりつける不思議な駄菓子屋を舞台にした児童小説「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」が1位に選ばれました。
「“こどもの本”総選挙」には16万8000票余りが集まって都内の会場で投票結果が発表され、テレビや映画でアニメ化もされた廣嶋玲子さんの「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」が1位に選ばれました。
作品の舞台は、幸運な人だけがたどりつける不思議な駄菓子屋で、店主が勧めるお菓子を食べると望みがかなう一方で思わぬ出来事も起きるというスリルのある展開が魅力です。
賞状を受け取った廣嶋さんは「子どもたちが選んでくれるとてもすばらしい賞で、1票だけでもうれしいのに、1位になることができて本当にうれしい。本を書いてきてよかった」と喜びを語りました。
2位にはさまざまな生き物の意外な生態を紹介する「ざんねんないきもの事典」、3位には絵本作家、ヨシタケシンスケさんの「あるかしら書店」が入りました。
アンバサダーを務めたお笑い芸人で作家の又吉直樹さんは、子どもたちに向けて「外で遊べずに寂しいと思いますが、今は本を読める時間なんだと捉え、いろいろと工夫して過ごしてほしい」と呼びかけていました。

 教科書と違い、文学書は読まなければならないものではない。読んでもいいものだ。そもそも読書は「QOL(生活の質)」のためのものである。本がなくても、生きていける。文学は、医療と違い、生命に不可欠ではない。ただ、食事が空腹を満たすためだけではなく社交や美食の幸福感もあるように、QOLに寄与する。

 近代以降の文学のアイデンティティは「社会の中の文学」である。前近代において、古典を含め共同体の範を共通理解にして美意識を交歓するのが文学の楽しみ方だ。しかし、近代では価値観の選択が個人に委ねられている。その自由で平等、自立した個人が集まって社会を形成している。だから、作者と読者の共通理解の基盤はその社会である。ベストセラーは言うまでもなく、古典のリバイバルや国外作品の流行が起きた際、今なぜこれなのかという問いが文学者やメディアなどから発せられることがそうした証の一つである。

 子どもにとって読書は「作者の死」が前提である。ものの見方を広げ、その世界に入って登場するキャラクターに交感・共感できる作品を子どもたちは好む。子どもにネームバリューは通用しない。厳しい読者だ。子どもは社会化が不十分である以上、児童文学は近代文学である必要は必ずしもない。社会的コンセンサスの影響は受けるものの、発達心理学の精神性・道徳性の発達段階に応じて作品が子どもたちに向けられる。そこでもQOLに寄与するもので、価値観の教え込みが目的ではない。むしろ、価値は子どもたちが創出していくものだ。

 新しい価値を築くための権利を獲得すること--これは辛抱づよい、畏敬をむねとする精神にとっては、思いもよらぬ恐ろしい行為である。まことに、それはかれには強奪にもひとしく、それならば強奪を常とする猛獣のすることだ。
 精神はかつては「汝なすべし」を自分の最も神聖なものとして愛した。いま精神はこの最も神聖なものも、妄想と恣意の産物にすぎぬと見ざるをえない。こうしてかれはその愛していたものからの自由を奪取するにいたる。この奪取のために獅子が必要なのである。
 しかし、わが兄弟たちよ、答えてごらん。獅子でさえできないことが、どうして幼な子にできるのだろうか? どうして奪取する獅子が、さらに幼な子にならなければならないのだろうか?
 幼な子は無垢である。忘却である。そして一つの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。
 そうだ、創造の遊戯のためには、わが兄弟たちよ、聖なる肯定が必要なのだ。ここに精神は自分の意志を意志する。世界を失っていた者は自分の世界を獲得する。
(フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』)

 夕食はナポリタン、肉じゃが汁、野菜サラダ、キャベツの酢漬け、赤ワイン、食後はうこん茶、パール柑をとる。誕生日と言っても、感染者もいるので、いつも通りのメニューにする。ウォーキングは10134歩だが、いつもと違い、屋外比率が高い。都内の新規陽性者数は11765人である。

参照文献
F・ニーチェ、『ニーチェ全集』10、吉沢伝三郎訳、ちくま学芸文庫、1993年
「こどもの本”総選挙 1位に『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』」、『NHK』、2022年2月12日 13時34分更新
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220212/k10013480521000.html?fbclid=IwAR33kXtF5uGwgLc7qxqsA3JBTTjA2Q8NbaPDjKyD1Ab290l2BkLfOmNJTe4

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