7.母親への贈り物

文字数 2,649文字

ひとみは、母親が彼氏と別れなければならなくなってから、何か母親を助けることが出来ないかと考えていた。そして、三年の夏、一つのアイデアが浮かんだ。母親は、電車とバスを使って仕事に行っているのだが、あまり便が良くなくて、かなりの時間がかかる。距離的には大したことはないので、もし、原付きでもあれば、ずっと時間の短縮になると思いついた。ただし、ひとみに原付きを買うだけの貯金はない。それで、もうじき、夏休みになるので、その間にバイトをしようと計画を初めた。

それで、ひとみは、富井にその事を話した。
「きみ、ちょっと相談があるんだけど」
「どうしたの?」
「わたし、夏休みに、バイトをしようと思うの」
「えっ、そうすると、ぼく達、一緒にいる時間が少なくなっちゃうってこと?」
「うん。それは、辛いんだけど。わたしね、お母さんこそ大変だと思って、何か出来ることがないか考えたの。それで、原付きを買ってあげれば、通勤がすごく楽になると思ったんだぁ」
「ひとみさんは、ほんとに、親思いだね。確かに、お母さんのところだったら、原付きがあれば、すぐだよね。大した距離じゃないもんね」
「そうなの。それで、辛いんだけど、夏休みの昼間、わたし達の会う時間があまりなくなっちゃうんだけど、働いてお金を貯めようと思うの」
「分かったよ。ぼくも辛いけど、それは、しかたのないことだと思う。我慢するよ」
「ありがとう」

ただ、これは、ひとみも富井も知っていることだが、中学生は法律上は働けない。それで、ひとみは年をごまかして出来るバイト先を探さなくてはならなかった。友達のミッカに、知り合いのそのまた知り合いで、電車で三駅行ったとこにある喫茶店のマネジャーを紹介してもらった。マネジャーは、年齢に目をつぶって、採用してくれるという。そして、その夏休みは、ひとみと母は、帰省せずに、家に居残ることになった。富井は、また家族と、今度は九州に二週間のドライブ旅行に出かけることになった。

ひとみは、初めて、自分で収入を得るということに満足感を味わった。何より、母親の喜ぶ顔が見たかった。仕事も順調にこなして、このままうまくいくように思われた。ただ、一つ、気になることがあった。それは、マネジャーの態度だった。働き始めてしばらくすると、マネジャーが、しきりに声を掛けてくるようになった。
「ひとみちゃん、ずいぶんうまく仕事をこなしているねぇ」
とか、
「仕事始めてから、二週間になるから、何かお祝いをしないと〜」
とか、言い始めた。

そして、実際に、二週間が過ぎると、マネジャーは、はっきりと言った。
「ひとみちゃん、じゃ、どこに行きたい? お寿司? それとも、焼き肉かなぁ?」
ひとみは困った。マネジャーはいい人だとは思うが、仕事以外で付き合うつもりは全く無い。ただ、マネジャーを怒らせたら、せっかくの仕事を失うことになるのではとも感じていた。そして、今、富井は旅行中だ。

ひとみは、あの手この手で、マネジャーの誘いを断っていたが、マネジャーは全く後に引く様子がない。そして、ある日、マネジャーは、ひとみに指輪をくれた。ひとみは、どうしても受け取りたくなかったが、断ったら、仕事も失うと思い、やむを得ず、受け取った。マネジャーは嬉しそうにしていた。それからは、仕事場でも、マネジャーが、何かと優しい声を掛けたり、時には、体に触れようとさえしてきた。ひとみは、出来るだけ巧妙にそれを避けようとしていた。

そんなことが続いていたある日、喫茶店に、突然、富井が現れた。旅行から帰ってきてすぐに、ひとみに会いに来たのだった。富井は、店のはじっこの席に座って、ひとみを待った。ひとみは、嬉しさと、マネジャーとの状態を気にする気持ちが混じり合い、うまく富井に対応できないでいた。富井はコーヒーを注文し、喫茶店の中を見回していた。その時、富井の目に入ったのは、マネジャーが異常に優しそうな顔をして、ひとみに話しかけ、その後、ひとみの肩に触れようとするところだった。ひとみは、迷惑そうな顔をして、体をかわそうとしていた。富井には、マネジャーがひとみに接近しようとしていることが明らかだった。富井は唖然とした。

富井は、ものすごく不快な気持ちに襲われ、コーヒーを飲み終わらずにそこを出た。その夜、富井のところに、ひとみから電話があった。
「きみ、マネジャーの態度見たでしょう?」
「うん。もう、耐えられなかったんだけど。ひとみさん、どうなってるの?」
「わたし、困っているの。わたしの出方次第では、仕事を辞めさせられちゃうんじゃないかと思って......」
「何かあったの?」
「う〜ん。何も。ただ、この前は指輪をもらっちゃったの。断りたかったんだけど、そうしたら、クビにされちゃうと思って、仕方がなく受け取ったの。きみ、当然やだよね、そんなの。許せない?」
「いや。そんなことは言わないけど......。ぼく、すごく不安なんだ。ひとみさんのこと、取られちゃうんじゃないかって」
「ごめん、きみのこと、不安にさせちゃって。わたし、思い出したんだけど、あの、バレンタインデーの時。あの時は、わたし、すごく不安だったじゃない。すると、今のきみも、そういう気持ちなのかなぁって。わたし、あの時すごく辛くて、きみに、ひどい仕打ちをしたよね。でも、きみは、今、不安だと言うのに、わたしに、全くひどいことをしていない。わたし、自分から、きみを不安にさせるようなことを辞めないと!」
「でも、ひとみさん、せっかくお母さんのために原付きを買ってあげようとして、バイトしているのに。ぼくが不安だからというだけの理由でそれを辞めるわけにはいかないよね」

暫く沈黙が続いた。その後、ひとみが言った。
「わたし、辞める。マネジャーにはっきり言う。だって、このままにしていたら、誰もいい思いをしないじゃない」
「ひとみさんが、そう言ってくれるのは嬉しいけど。でも、ぼくは、逆に辛い気もする」
「う〜ん。いいの。辞めたほうがいいの。分かったから。辞めたら、きみ、去年の夏みたいに、うちに来て? わたし、また、何か作るから」
「ほんとに?! 嬉しくて仕方がないよ。でも、原付きのお金なんとか出来ないかな?」
「それは、また、別のことを考えるから。今は、きみと一緒にいることが一番。だって、夏休みが始まってから、ほとんど会ってなかったじゃない。会いたかったの!」
「あー! 嬉しいな!!」
という訳で、思いがけず、また二人だけの夏休みを取り戻すことが出来た。
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