3.夏休みの昼食

文字数 2,734文字

夏休みに入ると、富井は朝からひとみの家に行くようになった。時間はたっぷりあるので、家の中だけでなく、近くをうろついたり、駅のそばのスーパーに涼みに行ったり、また、雨の日は富井の持ってきたゲームをしたりもした。

そして、昼時になると、ひとみが昼食を作るのが決まりとなった。ひとみが一番最初に作ったのは、きゅうりの塩漬けだった。まず、きゅうりのへたを切り取り、縦に線が入るような要領で皮を一部だけ剥く。そして、たっぷりと塩をまぶして、しっかりもんだ後、しばらくそのままにしておいてから、二人で食べ始めた。
「あ〜、おいしい。こんなにおいしいきゅうり食べたことないよ」
「よかった、気に入って。かぶりつきがいいんだよね。でも、きゅうりだけじゃお腹すくから、もう一つ出すね」
今度は、きゅうりを用意している間に電気釜で炊いておいたご飯を酢飯にし、ザーサイを入れた手巻き寿司を出してくれた。ひとみはなんでも寿司ネタにしてしまう。
「これも、がぶりついてね。そして、ザーサイが好きだったら、おにぎりにしたっていいんだよ。わたしの好きな中身は、ザーサイとオリーブ!」
「へ〜、梅干しとかサケとかじゃないところが面白いね」

次の日は、バナナ・クレープだった。ひとみは、小麦粉と卵と牛乳をボールに入れてかき混ぜ始めた。
「きみ、ちょっと手伝っってくれる?」
ひとみは、ボールと泡立て器を富井に渡した。富井は、かき混ぜ始めたのだが、あまりに不慣れな手付きだった。
「きみ、料理したことないの?」
「う〜ん。だって、男だから」
「だめだよ、それじゃ。これからは、男女同権、男だろうが、女だろうが、何でも一緒にやらないと」
「ふ〜ん。そういうもんかなぁ。じゃぁ、教えてよ」

それを聞くと、ひとみは富井の後ろに周って、富井の右手を掴んで、泡立て器を一緒に回し始めた。すると、手を動かすにたびに、二人の体も動き、富井は、背中にひとみの胸と腰を感じた。そして、段々とひとみの息がハーハーしてくると、富井は首筋にそれを感じて、思わず声を出した。
「アッ!!」
ひとみは驚いて手を止めた。
「どうしたの? 何が、『アッ』なの?」
「あ......、せ......、いや、なんでも」
「きみ、変だよ。とにかく、もっと続けるよ」

生地が出来ると、ひとみは、それをフライパンにたらし、さっと両面を焼いた。そして、その最後に、板チョコを溶かしながら片面全部に塗った。それを皿にとって、皮を剥いたバナナを丸ごとくるんで、ホイップクリームをかけて、出来上がり。
「ひとみさん、ナイフとフォークある?」
これを聞いて、ひとみは大笑いだった。
「きみ、これはね、こうやって食べるんだよ」
ひとみは、両手でクレープを掴んで端からかぶりついた。

そのまた次の日、ひとみはいいことを思いついたという顔つきで言った。
「この前は、フランス風だったけど、今日は、スペイン風でいこうか。きみ、チュロス食べたことある?」
「何、それ?」
「一言で言えば、ドーナツを真っ直ぐにしたようなものかな。でも、一番の特徴は、表面がギザギザなことかも」

説明をおえると、ひとみは材料をまぜあわせ始めた。
「きみ、またかき混ぜて」
富井は、もう、一人でも出来るとは思ったのだが、前日のことを思い出して、わざとうまくかき混ぜられないふりをした。
「きみ! なかなか覚えられない人だね!」
ひとみは、この時も富井の後ろに来て、一緒にかき混ぜ始めた。富井は、ひとみの体と息を感じて、密かにほくそ笑んでいた。

それが出来ると、ひとみは星型の絞り器を使って、表面にギザギザをつけ、油でサッと揚げた。最後に、シナモンと砂糖をふりかけ、お皿に盛り付けた。
「はいっ! 流石に、今日はナイフとフォークとは言わないよね!」
「分かってるよ。いただきま〜す!」
二人は、チュロスにかぶりついた。

ひとみが次に取り掛かったのは、ベトナム風生春巻きだった。豚肉とエビを調理し、刻んだ人参と春雨も入れる。ベトナム風の薬味はなかったので、三つ葉で代用した。タレには、カタクチイワシのエキスと砂糖、それにライムを絞ったものと、にんにくをすったものを加える。
「ひとみさん、いろんなもの作れるね。ひとみさんをお嫁さんにもらう人は幸せだね!」
「きみ! まだ女が料理するものだと思ってるの?! これからの世の中はそうじゃないんだから。わたしは、たまたまお母さんが夜まで働いているから、食事を用意しないとならないの。そして、今はね、可愛いきみのためにやってんだから。一応、努力してるんだよ!」
「はい、はい。ひとみさんの努力の結果、特別にありがたくいただきます」
二人は、さっそく春巻きにかぶりついた。

ひとみの料理は続いた。
「今日からは、少し違うタイプのものを作ろう。今日は、イタリア風で、シェル・パスタのチーズ詰めにしよう」
「わ〜、良く分からないけど、しゃれてるね」
ひとみは、貝殻の形をしたかなり大きめのパスタを持ってきて、ゆで始めた。固めにゆであげた後、中にモザレラとパルメザン・チーズを入れて、トースターで焼き始めた。
「普通は、リコッタ・チーズを使うんだけど、わたしは、その代わりに、パルメザンを入れるの。その方が、味が鋭くなるから」
「へ〜、料理研究家みたいだね」
「えへへ。気に入ってくれるといいなぁ」

焼き上がったパスタには、ひとみが前日の夕食に使ったパスタソースの残りを掛けてお皿によそった。
「ひとみさん、ひょっとして、これもかぶりつくの?」
「やっだー! これは、別。はいっ。ここにフォークがあるからこれで食べて。これは、貝殻の中をやさしく撫で回してから食べてね」

その次の日は、メキシコ風だった。ピーマンの中に、ひき肉と玉ねぎを炒めたものを詰めて、チリとか、メキシコ風のスパイスで味をつけて、チーズをのせて焼き上げる。そのまた次の日は、はまぐりの酒蒸しだった。
「すごい! ぼくは、はまぐり大好きなんだ。でも、高いからうちではめったに買ってくれないよ」
「そうだよね。うちでも、めったに食べない。でもね、今日は特別。きみの誕生日だから。昨日の夜、特別に買いに行ったんだよ!」
「えー! どうしてぼくの誕生日知ってたの?」
「内緒。わたしだって、ちょっとした情報網はあるんだから。はまぐりを殻から丁寧にもぎ取ってね。それから、おつゆをご飯にかけて、三つ葉と塩を少々ふってから食べてね」
「ありがとう! いただきます」

この、昼食の体験を通して、二人の仲は更に深まったようだ。
「ひとみさん、ほんとにいろんな物作れるね」
「お母さんが、料理の本を買ってくれたから。でも、お母さんには、それが自分のためでもあるからね。とにかく、きみが喜んで何でも食べてくれたから、すごく嬉しい!」
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