5.母親の彼氏

文字数 3,763文字

夏休みが終わり、秋になった。その日、ひとみが富井と一緒にひとみの家に向かっている時、やけに気難しそうな顔で話し始めた。
「きみ、事件なんだけど」
「何? なんのこと?」
「実は、この前の日曜日にわたしのお母さんが男の人をうちに連れてきたの。仲良くなったみたいなの」
「うん、それで? いいことだよね?」
「う〜ん。そうじゃないんだから。だって、来週からうちに住むって言うんだよ!」
「えー! ほんと?」
「それだけじゃないの。その人、警備会社で夜働いているんだって。だから、昼の間、うちにいることになるんだって」
「それって、もしかして、放課後の時間も?」
「そうなの!!」
「それは、確かに事件だ。ぼく達どうする?」

二人は、しばらく黙って歩いた。ひとみの家に着いた時、富井がアイデアを出した。
「ねぇ、ひとみさん、とりあえず、来週は、ぼくの家に来ない? その間に、何か考えようよ」
「うん。とりあえず、そうしようか」

次の週の月曜日、学校が終わると、二人は一緒に富井の家に向かった。富井が初めて女の子を連れてきたのを見て、母親はかなりびっくりしているようだった。
「あらっ、いらっしゃい。お友達?」
「うん。ひとみさんって言うんだ」
「ひとみです。こんにちは」
「どうぞ、あがって」

二人はさっさと富井の部屋に入った。
「やっぱり、きみの家、大きいね」
「そんなことないよ。とにかく自分の部屋があればいいんだ」
「そうだよね」
そんな話をしているうちに、遊びから帰ってきた富井の弟が、ノックもせずに部屋に入ってきた。
「お前、おれの部屋に入るときはノックしろって言ってるだろ!」
「お兄ちゃん、ちょっと、ゲーム貸して」
「ほらっ、持っていけ」

弟が出ていってから、ひとみが笑いだした。
「ひとみさん、何がおかしいの?」
「だって、きみ、ずいぶんと偉そうにしているから。でも、あの弟君、きみの言うことを聞きそうにないね」
「全くしょうがないやつなんだ。うちの前の川に投げ込んでやりたいよ」
「やだー。そんなこと言わないでよ。可愛いじゃない」
「ひとみさん、待ってよ! ぼくより可愛いなんて言わないよね?!」
「きみと比べているわけじゃないよ。だって、まだ、小さいじゃない」
「そうだけど、生意気さと言ったら、一人前以上なんだよ。やだ、やだ!」

そうしているうちに、また、弟がノックもせずに入ってきた。
「お兄ちゃん、ゲームの充電器、貸して。バッテリーが切れちゃった」
「うるさいやつだな、全く。ほれっ。もう来るなよ」
「なんで来ちゃいけないの? 何も悪いことしてないのに!」
「こいつ! いい加減にしろ! 早く出て行け!!」

ひとみはまたすぐに笑いだした。富井は気に食わない顔で言った。
「おかしくないよ、全く」
「そうかもね。あの調子で、一日中相手をさせられてたら、確かに参っちゃうかもね。わたしは、一人っ子だから、想像も出来なかったけど」
「あいつ、今度来たら、サーカスに売り飛ばしてやる!」
「きみ、ずいぶんといろいろな手があるんだね」
「へへへ、もっと残酷な手もあるんだけど、ひとみさんには言えないかな」

少しすると、今度は、富井の母親が来た。さすがに、母親はノックをしてから入ってきた。
「おやつはどう? ジュースとクッキー持ってきたわよ」
「ありがとうございます。いただきます」

母親が出ていくと、富井はもう我慢が出来ないと言う様子だった。
「ひとみさんは、いいなぁ。ひとみさんの家はいいなー。誰も邪魔者がいなくて、あそこだったら、ぼく達、好きなことが出来るんだけど」
「そうだよね。今となっては、わたし達、プライバシーが必要だから。でもさ〜、お母さんの彼氏、なんとかならないかなぁ〜」
「あ〜、それで思い出したんだけど、今度の金曜日の放課後すぐに、ぼく、歯医者に行かないとならないんだ。虫歯の詰物が取れちゃったんで、直してもらうことになった」
「え〜〜! じゃ、わたし、一人で家に帰らないとならないの?」
「うん。でも、歯医者が終わり次第、ひとみさんのところに行くよ。多分、一時間はかからないと思うんだ」
「仕方がないかなぁ。早く来てね」

その金曜日、ひとみは、一人で家に帰った。そこには、母親の新しい彼氏が寝ているはずだ。ひとみは、なるべく音を立てないように、そーっと自分の部屋にこもった。しばらくした時に、台所に飲み物を取りに行くと、母親の彼氏もそこに現れた。
「やー、ひとみちゃん。学校はどう?」
「普通です」
「あっ、そう。その、普通って、ほんとうは、どういう意味なのかな? 若い子がよく使うよね」
どうやら、彼氏は、ひとみと話をしたがってる。反対に、ひとみは、一刻も早く自分の部屋に戻りたかった。
「そんなに急がなくても、ちょっとここに座って話でもしようよ」

ひとみは、嫌な気配を感じた。それで、すうーっと、そこを抜け出そうとした。ところが、彼氏は、急にひとみの腕を掴んで、無理矢理にテーブルのところに座らせた。ひとみは、ますます不安になってきた。「この人は、いったい何をしようとしているのか?」そう思いながら、すきを見て逃げ出そうとしていた。彼氏は、そんなことはお構いなしに、ひとみにいろいろと聞いてくる。そして、段々と、椅子の位置を動かして、ひとみに近寄ってきた。
「ねぇ、ひとみちゃん、お母さんまだ帰ってこないから、おじさんとちょっと仲良くしようよ」

これを聞いた時、ひとみは完全に「やばい!」と思い、彼氏を押し倒して、玄関から、裸足で逃げ出した。彼氏は、一瞬、たじろいだようだったが、それでも、「ひとみちゃ〜ん!」と言って追いかけてくる。

ちょうどその時、近くに富井が見えた。
「きみーっ! 助けて!!!」
富井は事情が分からなかったのだが、ひとみの叫び声を聞いて、非常事態だと言うことは飲み込んだ。すぐにひとみのところに駆け寄り、ひとみが指差す方を見ると、中年の男がこちらに向かって、小走りにやってくる。この時、富井はひとみが裸足なことに気がついた。
「ひとみさん、靴取ってくる」
「だめ、だめ! あの男に捕まる!!」

ちょうどこの時、近所で評判の武術ばあさんが、背中に木刀をしょって、自転車で通りかかった。富井は、この人を止めて助けを求めた。
「すいません。ひとみさんが、あの男に追いかけられているみたいなんです。助けて下さい!」
武術ばあさんは、自転車に乗ったまま言った。
「よっしゃー! あの男は、あたしが食い止めよう。その間に、近くの家から110番してもらいなさい」
武術ばあさんは、自転車で男のところまで行き、さっそうと降りると、木刀で男を叩き始めた。男は、「いてっ! イテッ! 何すんだよ、このくそババア!」と叫び続けた。その間に、ひとみと富井は、ひとみの知っている近所の家のドアを叩いて、警察を呼んでもらった。

間もなく、駅前の交番から警察官が自転車でやってきた。その後暫くして、パトカーも来た。ひとみの母親の彼氏は、武術ばあさんに叩きのめされ、道に横たわっていた。そこで警察官に取り押さえられ、警察署に身柄拘束されるようだった。

ひとみと富井のところに来たもう一人の警察官は、ひとみに、警察署で事情聴取をしたいと言った。富井もそこに居合わせたということで、一緒に警察署に同行することになった。同時に、仕事中のひとみの母親にも連絡がいき、彼女も仕事を抜け出して警察署に駆けつけた。

事情聴取の後、ひとみの母親は、警察署から出るとすぐに泣き出した。ひとみは慰めようとした。
「お母さん、泣かないで。もう、終わったことだから」
「......。ひとみちゃん、ほんとうにごめんなさい。私、自分の事ばかり考えて、あんな男をうちに泊まらせて。もし、ひとみちゃんの身に何か起こっていたら、私、生きた心地もしないわ」
「お母さん、わたし、大丈夫だったんだから。お母さんだって、お父さんが死んでから、一人でわたしのことを育ててくれて、大変だったじゃない。お母さんだって、少しぐらい楽しみがあったっていいじゃない」
「でも、ひとみちゃんが一番。そのためだったら、私はどんなことだって......」
ずいぶん長いことかかって、ひとみの母親は泣き止み、少し落ち着いたようだった。
「ところで、こちらは?」
母親は、富井の方を向いて言った。即座に、ひとみが答えた。
「富井君って言うの。わたしのこ......、か......、ボ......、友達。わたしの一番の友達。今日はね、歯医者さんが終わってから、うちに寄ってくれたの。それで、富井君のおかげで、なんとかあの男から逃れられたの」
「あら〜、富井さん、ほんとうに、どうもありがとう。いつからお友達なの?」
「え〜と。一学期の途中からです」
「すると、もう、半年ぐらい付き合ってるのね。私、全然知らなかったわ。同じクラスなの?」
「え〜と。あの〜」
富井が少しためらっていたところ、ひとみが口を挟んだ。
「富井君、まだ一年生なの。可愛いでしょ?」
「そうね。そうだったの。じゃ、どうして知り合ったの?」
「お母さん、もうそのぐらいでいいでしょう?」
「あっ、ごめんなさい。やっぱり、可愛い娘のお友達と聞いて、興味が湧いちゃったのよ。でも、二人が仲良しならいいわよね」

いずれにしても、これで、ひとみと富井の放課後のひと時が戻りそうだった。
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