1.男の子

文字数 2,419文字

ひとみの家は、車がやっとすれ違えるくらいの小さな道に面している。そして、家自体はその道より一階分以上高いところにあるので、その道の見晴らしは良い。ただし、家への出入りは反対側のもっと狭い道からしかできない。ひとみが窓の外を除くと、いつもの男の子が下の道の反対側からひとみの家を見上げている。少しすると、男の子は動き出した。ひとみは、男の子が今度は家の反対側の道に来るに違いないと思った。

それで、家の反対側に移動して、窓からこっそり覗いていると、やっぱり、男の子が見えた。少し離れたあたりから、ちらちらとひとみの家を眺めている。それを見届けると、ひとみはサンダルをつっかけて、外に出た。郵便箱を覗いてみたが、何も入っていない。それから、おもむろに、男の子の方を向き、目を合わせた。そして、今度は、振り返ってドアに手をかけた時に、もう一度男の子の方を見つめた。男の子と視線があったとことを確認すると、ひとみは家に入ってからもドアを開けっ放しにしておいた。

男の子は、興味津々の様子でひとみのことを見ていたが、開けっ放しのドアに誘われるように、そこまでやってきた。そして、ドアの外から家の中を覗くと、中には待ち構えるようにひとみが立っていた。男の子が少しうろたえたような表情をすると、ひとみは問いただした。
「きみ、何してたの?」
男の子は戸惑った様子で、何も返事をしない。ひとみはもう一度聞いた。
「ねぇ、何してたの?」
男の子は、仕方ないという様子で答えた。
「なんにも」

ひとみはその答えを真に受ける訳はなかったが、やっと男の子の声を聞いて少し安心した。
「あがっていいよ」
男の子はかなりびっくりしているようだったが、靴を脱いで、言われた通りにした。
「こっち」
ひとみは男の子を台所に連れて行った。
「水飲む?」
男の子はうなずいた。ひとみはコップに水を注いで渡すと、男の子は一気に飲み干した。そして、急に落ち着いた様子で、「あー!」と声を発した。

ひとみは笑い出したい気分だったが、それを抑えて質問を続けた。
「ねぇ、わたしのことが気になってるの?」
男の子は、また黙ってしまった。
「いいんだよ、ホントのこと言って。わたしのことが気になってんでしょ? いつも見てるの、知ってるんだから」

すると、仕方がないと言った様子で、男の子が口を開いた。
「うん、気になってる。ひとみさん、きれいだよね」
ひとみは、思わず吹き出した。
「あー、おかしい! やっと口を開いたと思ったら、ずいぶんと大胆じゃない。ところで、どうして、わたしのこと、知ってるの? きみ、一年生でしょ?」
「だってぇ、みんな知ってるよ。ひとみさん、きれいだから。それから、そう、ぼくは一年だけど」

ふ〜んと言った顔をして、ひとみが急に切り替えした。
「ふ〜ん。富井君でしょ?」
男の子はびっくり仰天した様子だった。
「え〜、どうして、ぼくのこと、知ってるの?」
「みんな知ってるよ。だって、富井君、可愛いじゃない。わたし達、二年になった時、みんなで、可愛い新入生をリストアップしたんだから。それに、きみ、この前の陸上競技会の時、幅跳びで二位だったでしょ。運動神経もいいね」
男の子は目を丸くして、驚きが隠せない。そして、何か言うことを探しているようだ。

「他に誰もいないの?」
「あぁ、うち? わたしはお母さんと二人だけで、お母さんは夕飯時にならないと帰らないから。わたし、ずっと鍵っ子だから」
「さびしくない?」
「ん〜? だって、それが当たり前なんだから。でも、今は、きみと二人だけどね」
男の子は顔を赤らめた。そして、何かが必要だという表情で言った。
「水、もう一杯くれる?」

「はいっ。よっぽど、のどが渇いてるんだね。それとも、緊張しているわけ?」
男の子は、一気に水を飲み干した。そして、また、「あー!」と言った。
「ここで、突っ立ってるのも変だから、そこの椅子に座ってもいいよ」
男の子は黙って言われたとおりにした。ひとみは小さなテーブルの反対側にあったもう一つの椅子に座った。しばらくの間、二人共、何も口をきかなかった。

「あ〜ぁ。きみ、せっかく来たんだから、なんか話してよ。うちはどこ?」
「う〜んと、団地のはじっこにある住宅地。バス通りの少し手前の、川沿いだけど」
「ふ〜ん。あの辺の住宅地、みんな大きな家だよね、ここらへんとちがって」
「そんなことないよ。普通だよ」

「きみ、運動神経いいくせに、部活やってないの? 放課後、こんなところをうろついちゃってさ」
「最初サッカー部に入ったんだけど、すぐ辞めちゃった。運動部はあまり性に合わないと思う」
「ふ〜ん。もったいないじゃない。サッカー部に入っていたほうがもてるんじゃない?」
「え〜?! そんなこと考えもしなかった。ねぇ、ひとみさん、何やってんの?」
「なんにも。きみはもう見たことあると思うけど、時々、友達のミッカとブラブラするだけ。わたしは勉強も運動もできないし、特に取り柄もないから」
「そんなー! ひとみさん、きれいだよね」
「きみ、ずいぶんわたしのこと気に入ってるみたいだね」
「うん! こうやって、話ができるなんて、嘘みたい」
「じゃ、よかったじゃない。わたしだって、いやじゃないよ。やっぱり、ひとりだと、寂しい時もあるから」

その後も、なんだかんだと話をしているうちに、夕刻になった。
「ぼく、そろそろ帰らないと」
「そうだね。わたしのお母さんも帰って来るから、わたし、何か準備するんだから」
「えっ? 食事のこと?」
「うん。まぁね。簡単なものだけ。今度、何かつくっててあげるよ」
「えっ、また来ていいの?」
「うん。また来て。え〜と、明日、学校終わったら、校門のところで待ち合わせしようか?」
「ほんとー?! 一緒に来ていいの?」
「うん。気になる?」
「ちょっと照れるけど。みんな見てるよね?」
「そうかも。でも、いいよね、一緒に帰ったって」
「うん。嘘みたいだ、外でひとみさんと一緒に歩けるなんて」
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