第7話 魔術戦争

文字数 11,182文字

 さて、ゴールデン・ドーンには、オカルト知識に精通したディレッタント達が多く在籍していたが、何分壮年の者が多かった。彼らは普段仕事を持ち、家族を抱えている者も多かったので、月一回の会合以上に、団に関わる時間はあまりなかった。そこで、些末な実務は、独身者に任されているのが現状だった。クロウリーは法学部に在籍しており、財産管理の知識に親しんでいたので、間もなく先輩団員から、教団の財産の保管に関して任されることとなった。具体的には、財産目録の作成、税務署調査への対応、役所への登録・更新作業等だ。
 ここで、クロウリーの反抗心が実践に移された。彼は、メイザースが所有権を持っていた教団の主要財産の登録を、自分名義に変更してしまったのだ。主要財産の中には、高価な魔術道具や稀覯本などが含まれていた。この登記変更はしばらく誰にも知られることは無かった。クロウリーとしては、財産の所有権者には、保管責任者である自分が相応しい、との言い分であった。しかし、こういったクロウリーの出過ぎた振る舞いは、やがて教団員に知られるところとなり、すでに不安定に陥っていた教団に、内紛の火の粉を降り注ぐこととなった。
 ある月のゴールデン・ドーンの会合終了後、メイザースはクロウリーを書斎に呼びつけた。
「クロウリー君、君には教団の財産管理という重要な任務を与えたが、間違いだったようだ。君は教団のトップである私を差し置いて、教団の財産を差し押さえてしまった。いったいどういうつもりなんだね?」メイザースは、緑色の鋭い視線でクロウリーを睨み付けながら言った。
「・・・私は、単に教団の運営を円滑にするためにそうしたまでのことです。いろいろ些末な税務署からの対応から解放され、感謝されるものだと思っていましたが?」クロウリーは、大きな肩をすくめながら答えた。
「・・・君には困ったものだ。このような越権行為は、見過ごすことは出来ない。私としては、遺憾ながら、君を除名にする他無い」メイザースは言い放った。
「・・・それは、『秘密の首領』のご意志ですか?」
「『秘密の首領』?なぜ、『秘密の首領』が関係するんだね?」
「聞きましたよ。古参の団員の一人からね。ゴールデン・ドーンの設立・入会・脱会・昇進等については、全てこの団の設立にかかわった超自然的存在である『秘密の首領』の同意が必要だと」
「口の軽い者が、高位の団員の中にもいるようだな。確かに、創設には『秘密の首領』との接触が大きな契機となっている。しかし、会の人事の些末なことに、彼が関わると本気で思っているのか?彼は、重要な決定事項以外に関わっている暇など無いのだ」
「・・・それでは、高位霊と接触した経験もある私を除名にするなど、『秘密の首領』が許可するとは思えません」
「・・・君は自分を買い被り過ぎているようだ。『秘密の首領』は、秘術の伝統を絶やさぬために団を設立したのだ。目立ちたがりのディレッタントを取り立てるためでは無い」
「その言葉は、そっくりそのままあなたに返しましょう。私は、ただ単に伝統を守るための団など他に任せておけばよい、という考えです」
「・・・では、話すことは何もない。もはや君の顔は見たくない。引き取りたまえ」
メイザースは、憤然とした様子で言い放った。そこまで言われては仕方なく、今日のところはクロウリーは引き下がった。
 クロウリーは、帰宅してこの件について熟考を重ねた。もとより、団を抜けるつもりは無かった。これ以上レベルの高い団は、ヨーロッパでは考えられない。もはやメイザースを排除し、団を牛耳るしか、クロウリーが生き残る道は無いように思われた。彼は自分の知識を総動員して、メイザースに魔術合戦を挑む決意をした。黒魔術をもって、彼を呪殺するのだ。しかし、メイザースは今日一級の魔術師だ。入念な準備、これ以上無いほど完璧な防御魔術が要求される。メイザースを呪殺できたとしても、自分まで魔界の瘴気で命を落とすようなことになってはならぬ。
 クロウリーは、自宅があるマンションに戻り、少なくとも一週間分の食料や日用品を近所のスーパーで買いあさり、自室に立てこもった。シャワーを浴び、聖水を身に振り掛けて身を清めた後、『黒の間』に入室した。早速、書棚の『ゲーティア』から魔王六体のシジル(※一)を紙に写し、黒魔術の準備をした。魔王を召喚し、その溢れる瘴気をメイザースにぶつけるのだ。
 そして、部屋の四方や扉や窓の継ぎ目、『黒の間』のみならず、階下の窓や扉、壁にも護符を貼り付け、白魔術の呪文を唱えて護符に効力を与えた。自らは黒い法衣を纏い、聖別された十字架のアミュレットを首から下げた。
 いよいよ、黒魔術を実行する時だ。攻撃を始めるや否や、メイザースはすぐに気づき、反撃を試みてくるだろう。一気加勢に叩き潰さねばならぬ。長期戦になれば、二人とも消耗し、相打ちになる可能性が高くなる。二人の家族や友人・知人など、関わる人間まで影響が及ぶだろう。死ぬのはメイザース一人でよい。クロウリーは、全ての知識を結集し、早期戦で片を付けるつもりだ。
 クロウリーは、防御魔術を完璧なまでに施したことを確かめると、魔王の召喚儀式に移ることにした。地獄の大侯爵アスタロトを召喚し、一気に方をつけるのだ。彼は、黒い三十センチ四方の上質紙に、緑の蛍光マーカーでアスタロトのシジルを描いた。アスタロトのシジルは均整のとれた五芒星で、この侯爵の高貴な心性を現しているようだった。クロウリーは、このシジルの精神と一体化するよう努め、呪文を唱え始めた。レヴィは古代の魔術師である「ティアナのアポロニウス」の霊を召喚したが、自分はレヴィを超えるべく、アスタロトを召喚するのだ。
「我は汝を召喚する!ああ、アスタロトよ。天の王よりいただいた力を込めて汝に命ず。ベララネンシス、バルダキシンスス、パウマキア、アポロギアエ・セデスによって、最も強力なる王子ゲニィ、リアキダエ、およびタタールの住処の司祭によりて、また第九の軍団におけるアポロギアの第一王子によりて・・・ああ、汝、大侯爵アスタロトよ、我は汝に命ず。言葉を口にすればただちにその命令を成し遂げられん御方によりて、またすべての神々の名によりて、またアドナイ、エル、エロヒム、エロヒ、エヘイエー、アシェル、エハイエー、ツァバオト、エリオン、イヤー、テトラグラマトン、シャダイ、至高の主なる神の名において汝を浄め、全力を込めて汝に命ず。・・・我が命令の通りに成し遂げよ。我が求めに応じて可視の姿となり、従順として我に語れ・・・」
 心なしか、否、明らかな実感として、『黒の間』には冷気が立ち込め始めた。・・・そして部屋の中心に、なにやら雲のようなものが立ち込めはじめ、かの地獄の大侯爵と思しき輪郭が姿を現し始めた。
 アスタロトほどの高級悪魔を召喚するのは、クロウリーとて初めてのことだった。寒気とともに、心臓が激しく脈打つのを感じながら、彼は頭脳を冷静に保とうと努めた。
「大いなる地獄の大侯爵よ、地球にお出でいただいて感謝に絶えません・・・」
しかし、侯爵は意外とせっかちな性格らしく、クロウリーの発言に割って入った。
「・・・少年よ、悠久の太古より存在するワシを呼び出したからには、それだけの理由があるのであろうな?返答によっては、貴様を我らがパンデモニウムのペットにするぞよ」
 クロウリーは、内心恐怖におののきながらも答えた。
「・・・地獄の大侯爵よ、小生は、魔術の道を志す者であります。今、私が属している魔術クラブの『ゴールデン・ドーン』が危機に陥っております。この団は、古の秘宝を守り、人類の叡智の向上を目的とする団体なのですが、不届きな者が団長を務めているのです」
 妙に女性的な侯爵は、目を少し細めながら応えた。
「人の子よ、ワシはそのような団は知らぬ。ワシが把握している人間の団は、クムラン教団と、フリーメーソンだけじゃ。クムランの輩どもは、我らが仇敵を産んだ。フリーメーソンには、我らが首領の叡智が流れ込んでおる・・・。しかし、それは汝には関係のないことじゃったな。汝が言う『不貞の団長』は、いかなる罪を犯したのかな?」
 この悪魔は、クムラン教団のことを口にしたとき、その眼を見開いて血走らせたが、いまや穏やかな雰囲気に戻っていた。クロウリーは、この悪魔の性格に底知れない不気味さを感じていた。
「・・・彼は、古の叡智の伝統を閉ざさんとする者です。彼は、教団の財産を私物化し、自分の意に沿わぬ者を排除してきました。彼は、叡智の追求よりも、私服を肥やすことに興味があるのです。・・・彼は、団の長として相応しくありません」クロウリーは、きっぱりと答えた。
「・・・ワシには、人間には想像もつかぬ千里眼で、その者を見ることが出来る・・・。そなたと彼、メイザースという者が反目し合っているのは明らかじゃな」悪魔は目を細め、ニタニタと下品な笑みを浮かべながら答えた。クロウリーは、アスタロトの千里眼に驚愕すると同時に、危険を感じた。メイザースは確かに高飛車な独裁者ではあるが、魔術の追求よりも金銭に興味がある訳では無い。その嘘を、アスタロトに見破られたのではないか?  

 悪魔は、鷹揚に話し出した。
「・・・よかろう、おぬしが望むのなら、かの頭目にワシの呪波を送ってやっても良い。彼奴めは、即座に絶命するであろう。これまで味わったことのない恐怖に、顔をひきつらせながらな。・・・それはそうと、おぬしはワシへの見返りとして、何を用意してくれているのかな?」 やはり来た。見返りの要求だ。本来、魔術では、術者は絶対の権威を持ち、サークル内の悪魔に命令を下す。サークルの防護壁の外に悪魔は出ることが出来ないので、術者の言うなりになるしかないのだ。しかし、クロウリーは、交渉を円滑に進めるため、悪魔に譲歩した方が得策だと考えた。何といっても相手は地獄の侯爵だ。アスタロトにとって、魔術師一人を呪殺することぐらい朝飯前の筈だ。
「寛大なる地獄の大侯爵よ、あなたへの見返りは、ゴールデン・ドーンの教義に、あなたへの崇拝を加えることです。地球における高位の魔術師の崇拝が、今後末永くあなたへ放射されることになるのです」クロウリーは、嘘をついていた。彼は、メイザースを呪殺さえできれば、もはや教団に未練は無かった。ゴールデン・ドーンが所蔵する知識は十分吸収したし、この一件が終われば、世界旅行にでも繰り出そうと密かに計画していた。彼の莫大な財産を持ってすれば、造作の無いことだった。必然的に、団からは退団することになるだろう。
「ワシを、教団の神として崇拝すると?そなたの団は、特定の霊的存在を崇拝する団では無いようじゃが・・・」アスタロトは目を細めて言う。
「・・・しかし、具体的な霊的高位者を足掛かりとしなければ、知識は進化しないと見做されております。あなた様を高次元の霊的世界への導師として皆に認識させれば、団の崇拝対象とすることは十分可能だと思われます」
「・・・よかろう。その約束、違えるでないぞ。ワシは汝らが団の影の首領となろう。そなたらの団の由来は知らぬがな・・・。もし約束を違えれば、汝の命はもちろん無いが、そればかりでは無い。貴様の魂を貰い受けることになる。パンデモニウム(万魔殿)のワシの宮殿の魂保管庫のコレクションとなるのだ。そうなれば、もはやそなたは転生することが出来なくなる。ワシが気まぐれにも汝を地獄から解放しようと思わぬ限り、永遠にパンデモニウムの牢獄で過ごすことになるのだ」地獄の侯爵は赤い目を剥いて威嚇した。
「そのような怖いことを仰らずとも問題ありません。私は現在、教団のNo.2です。メイザース亡き後は、私が教団の全権を引き継ぐことになるでしょう。そうなれば、崇拝する対象などいかようにもなりましょう」クロウリーは、きっぱりと言い切った。
「・・・よかろう、メイザースとやらに我が瘴気の片鱗を送ろう。この呪殺は、いかなる防御魔術をも突破し、かならずやお主の敵を死に至らしめるであろう」アスタロトが目を見開くや否や、すさまじい光がその体から発せられた。クロウリーは、とっさに目を閉じた。
 彼が次に目を見開いたとき、既にサークルの中の悪魔は跡形もなく消え去っていた。今の白光がメイザースに送られた呪殺波なのだろうか?いや、あれは魔界に戻るための念体分解光だろう。・・・いずれにしても、最初の攻撃はなされたのだ。
 クロウリーは、階下のリビングに戻った。ワインセラーからシャルドネを持ち出し、味わいながら、八十インチのモニターで映画を鑑賞し始めた。後は、メイザース死亡の連絡を待つだけだ・・・。
 
 ロンドン郊外の高級住宅地に、メイザースの住居はあった。クロウリーが呪波を送ったその日、メイザースは自宅で休日を満喫し、リラックス状態にあった。彼は常に護符を身に付けていたが、部屋の壁や窓にまで護符を貼ってはいなかった。そんなことはしたことも無い。彼は黒魔術にも長けていたが、自分と同等の技量のある魔術師と魔術戦争を交えたことは無かった。
 この日は、何事も無く日中は過ぎ、夕食を終えて自室に戻った時、メイザースは奇妙な感覚を覚えた。誰かに見られているような感じ。いつもと異なる部屋の空気。彼は胸の護符を握りしめた。悪しき者が彼の部屋に侵入している、と彼は判断した。護符を握りしめた時、違和感を感じたため、彼は護符を胸に手を入れて取り出した。彼は驚きのあまり、護符を鎖ごと引きちぎって、ごみ箱に捨ててしまった。・・・護符は、十字架上のキリストをあしらったものだったが、その首が無くなっていた・・・。
 メイザースは、クロウリーと同じように、急きょ防御魔術を張り巡らせた。屋敷中の壁や窓、ドアに至るまで、呪文で聖別した護符を貼り付け、大量の聖水を敷地内にばらまいた。その後、彼は自室にこもり、早速反撃魔術を実行することにした。彼は考えた。早く手を打たねば、自分の命は危ない。しかし、確実な手を打たねばならない・・・。彼は、『アブラメリン魔術』(※二)で、黒魔術を迎撃することにした。
 メイザースは、カルマの悪影響から自分を安全地帯に置くよう、常に気を配ってきた。従って、彼自身の落ち度で、このような悪しき使い魔の攻撃を受ける謂れは無いはずだった。しかし、彼は黒魔術を仕掛けてきた人間に目星はついていた。クロウリーに違いない。教団において、メイザースに反感を抱く者は多くいたが、実際に強力な黒魔術を仕掛けてきそうな人間は、クロウリーを置いて他にいない。クロウリーは、おそらく必殺を狙い、強力な黒魔術を仕掛けたと思われる。
 しかし、確証は無い。黒魔術に対抗して、こちらも高位悪魔を召喚してクロウリーに呪殺をかけたとする。もし、黒魔術を仕掛けてきたのがクロウリーでなかった場合、メイザースの魔術はクロウリーがおそらく普段から張り巡らせているであろう防護魔術に跳ね返され、その呪殺効果は術を仕掛けたメイザースに跳ね返ってくることになるのだ! 従って、術を仕掛けたのがクロウリーと仮定しても、こちらから攻撃するのは得策では無いとメイザースは判断した。最高の防御魔術で、この攻撃を仕掛けた術者にそのまま呪殺波を跳ね返すのだ。そうすれば、こちらはカルマの危険を負うことなく、攻撃者が何者であったとしても、打ち負かせるだろう。アブラメリン魔術は、メイザースが知りうる最高の防御魔術だ。
 メイザースは、樫の木で出来た魔術机の上で真っ白な紙を広げ、その上に黒い水性インキで、魔法陣をフリーハンドで描いた。少し歪な形ではあるものの、十×十の方眼で区切られた正方形が姿を現した。彼は、方眼の上に、古式アルファベットで防御呪文をしたためた。呪符を描き終ると、麝香の線香に火を点け、方眼紙に描かれたのと同じ呪文を唱えながら、呪符に怪しい匂いのする煙を万遍なくかざした。このようにして、方眼紙は聖別され、アブラメリンの魔術符は完成した。呪符が完成すると、メイザースは呪符を注視しながら、防御魔術を唱えた。
「古の守護者よ、我を悪意ある存在から守りたまえ。我に呪いをかける者は、その呪いをそっくりそのまま身に浴びるであろう。太陽が5千万回輝く分、その者は5千万回悔いるであろう。マリス・パペス・ベベロイ、アポロロロデス、テトラグラマトンの名において、そうありますように」
 集中して十分間瞑想した後、メイザースは通常意識に戻るために、部屋の中を見廻し、日常使いの文房具等に触れることで、一連の儀式を終了した。これで一安心だ。どのような強力な黒魔術も、とりあえずはアブラメリン防御壁が跳ね返してくれるはずだ。彼は、完成した護符を皮のケースに入れて首から掛けた。
 一週間経ったが、クロウリーのもとに、メイザースに何らかの厄災があった知らせは届かなかった。この頃、しかし、クロウリーの実家から、不幸な知らせが届いた。彼が中等生の頃から可愛がっていた愛犬四匹が、突如死んだというのだ。母の話によると、この四匹の美しい漆黒のグレート・デーンは、番犬として広大なクロウリー家の庭園に放し飼いとなっていたのだが、ある朝起きて庭を見ると、血を吐いて四匹とも絶命していた。
 クロウリーはこれを聞き、明確な黒魔術の反撃がなされたと見做した。おそらくメイザースは、攻撃を悟り、防御魔術もしくは明確なクロウリーへの攻撃を執り行い、呪波は完璧な防御魔術を備えたクロウリー身辺を避け、身近な者への攻撃となって顕れたのだろう。犬はずっと健康であったため、クロウリーにとっては、黒魔術の攻撃の結果であることは疑い無かった。これだけ効果的な反撃に対し、クロウリーとしては早急に迎撃する必要があった。彼は、もう一度アスタロトを召喚することにした。
 現状を把握せねば。クロウリーはその日の深夜、『黒の間』にて再度召喚儀式を執り行った。魔法陣に向かって呪文を唱えると、例によって急激な部屋の気温の低下と共に、地獄の侯爵が姿を顕した。
「・・・なんじゃ、小さき人の子よ。まだワシに頼みがあるのかえ?」
「偉大なる地獄の侯爵よ、事態は把握しているはずだ。私はあなたにメイザースの呪殺を依頼したが、まだやつは生存している。のみならず、私の遠く離れた実家で愛犬が呪殺された。・・・状況を詳しく教えてもらいたい」
「・・・やれやれ。六十六の軍団を統率するワシが、そんな細かい点まで気を配っているとでも?我が必殺の呪波は、汝が憎むメイザースに間違いなく及んでおる。我が魔力の効力は、おいそれと防げるものでは無い。中世フランスで、ある修道士を呪殺した時は、防御魔術に阻まれ続け、殺害に八年を要したが、それほど長くワシの呪波は持続するのじゃ。従って同志よ、心配には及ばぬ。せいぜい、メイザースの呪文反射から身を守るよう気を付けることじゃ」
「ならば、私はもはや防御一辺倒で良いと?」
「それ以外に、どんな手段を取れると?ワシ以外の地獄の幹部にすがるとでも?そのようなことは許されないし、不要じゃ。人間が、ワシの呪波を防ぎきれることなど有り得ぬ。もっとも、おぬしが魔術の解除を願い出るというのであれば、話は別じゃ。ただ、その場合でも、ゴールデン・ドーンの支配者がワシになる、という約束は違えることは許さぬぞ。違えれば、汝が我が呪波の犠牲者となるだけじゃ」
「いいでしょう。あなたの言葉を信じましょう。ただし、メイザースは魔術の達人。あなたの呪波が彼を倒す前に、私が死なないようにしなければ・・・」
「そうじゃな。そこはおぬしの腕次第じゃて」地獄の侯爵は顔を歪めて笑った。
 翌日以降も、メイザースの攻撃は止むことが無かった。夜半、クロウリーは悪夢に苦しめられて目が覚めた。女吸血鬼四人に襲われる夢だった。吸血鬼どもは、その特殊な眼力でクロウリーの体を麻痺させ、動けないようにしてから、彼の体の方々に噛みつき、血と共に精気を吸い取るのだった。
 目覚めると、クロウリーは生気を吸い取られてぐったりとしていた。 自然界から精気を吸収する呼吸法でやや回復させ、精神的に無防備になりがちな夜間の防御魔術を強化することにした。部屋の周りだけでなく、ベットの四隅にも聖別した灰を入れた銀の皿を置き、白魔術で聖別した。さらに、枕の下にはテトラグラマトン(※三)と共に五芒星を記したシジルを忍ばせた。シジルは聖別した羊皮紙でしたため、他の法具と同様、白魔術で聖別してある。これだけの防御を施した結果、睡眠中に邪悪な存在が近寄るのを防げるようになり、悪夢は見なくなった。
 翌月のゴールデン・ドーンの会合に、クロウリーは出席した。メイザースの消息に異変はなさそうだが、どんな様子でいるのか気になった。いつもの様に首席に座ったメイザースは、しかし、目の下に隈を作っていた。妙にアルコール臭い。悪夢にうなされているのは明らかだった。最高度の緊張を必要とする魔術合戦の最中に、酒びたりになるのはクロウリーには解せなかったが、精神を病んでいるのか。勝利は近そうだ。
 一通り、主要団員の報告が過ぎ、いつもの食事会へと進んだ。メイザースはやはり気分が悪いらしく、皆が談笑する中、隅の椅子に座って、宙に視線を彷徨わせていた。考え事をしているらしく、眼球は盛んに動いていた。クロウリーは、メイザースの様子を時々観察しつつ、団員たちと談笑していた。やがて、メイザースもクロウリーに視線を定めだした。クロウリーのことを、なにやら怯えた目つきで見ているようでもあった。
 クロウリーはメイザースの視線を感じながら、彼の方へとさりげなく近づいて行った。メイザースは、クロウリーが目の前を通り過ぎようとするタイミングで、声をかけた。
「クロウリー君、少し話したいのだが・・・」その声は少し弱弱しく、掠れていた。
「いいですよ、何でしょう?」
「いや、ここでは無く、別室で話そう。人に聞かれたくない話なのだ・・・」
「・・・分かりました」
 二人は、団の事務資料や、団が所有している稀覯本を保存している事務室件図書室に入り、鍵を閉めた。
「・・・ここらで、休戦協定といこうじゃないか」メイザースが、疲れ切った表情で切り出した。クロウリーはとぼけようとしたが、思い直した。
「・・・休戦協定。わたしは、あなたが団の長として相応しくないと判断し、確かに攻撃を仕掛けました。・・・少しは反省してくれたという訳ですか・・・」
メイザースは、呆れたという風に片手を顔の前で振りながら答えた。
「君の思い上がりには、呆れたものだ。処置無しだよ。ただ、君の黒魔術の力量には敬服した。だから、休戦しようというのだ」
「いいでしょう。私は魔王を召喚する能力がある。そんな人間は、今の世界では私だけです。私に勝てるはずがないのです・・・。ただ、私が手を引く条件があります」
「・・・何だね?私に団長の職から引退せよとでも言うのかね?」
「いえ、そう言いたいところですが、あなた以外に団を率いる人間はおりますまい。なにより、あなたの古臭い儀式魔術の信奉者が、この団には多過ぎますからね・・・」
「・・・それで?」
「あなたには、私への魔術(防御魔術を含めて)、非難中傷、あらゆる世間的・私的な攻撃を止めていただきたい」
「・・・いいだろう。それだけで良いのかね?」
「ええ。本当は、私はあなたにいなくなってもらい、この団を掌握するつもりでいたのですが、もはや興味が失せたのです。私は団を去ります」
「ほう?ここまでしておいて、団を去ると?」メイザースは右眉を上げて驚いて見せた。
「ええ。ただし、最後に、これは条件では無く強制的な結果として、あなたに伝えておかなければならないことがあります」
「なんだね?言ってみたまえ」
「ゴールデン・ドーンは、今後、設立に携わった『秘密の首領』に関わりなく、魔王アスタロトの支配下に置かれる、ということです」
「・・・なんだって?君は本気でそんなことを言っているのかね?」
「ええ、本気ですとも。私はあなたを黒魔術で攻撃する際、魔王アスタロトを召喚したのです。魔王はその見返りに、ゴールデン・ドーンの支配権を求めた。私は承服しました」
「・・・団は創立時、『秘密の首領』の庇護を受けている。にもかかわらず、魔王に団を託すと?君は、『秘密の首領』のことを知るまい」
「・・・ええ。私が団について知らないことがあるとすれば、そのことぐらいですね。『秘密の首領』は、魔王の影響をものともしないほど強大なのですか?」
「そんな筈もあるまい。『秘密の首領』は、我々人間よりも高位の存在であり、メンタル界(※四)に住むが、黒魔術師に過ぎず、魔王にはとても及ばない。ただ、魔王よりも我々人間に近い分、我々に容易に影響力を及ぼすことが出来る。おそらく、今回のことは『秘密の首領』はご存じであるに違いない。彼は団を見限るだろう。お前は手を引く、と言ったが、私も同じだ。休戦だ。もうこんな危険なことに関わり続ける気は私には無い。」
「あなたも手を引く、と?」
「無論だ。魔王と争う気は無い。このような小競り合いではなく、私は保身に赴く」
「・・・では、休戦だ。私は団を去る」
「君も奇矯な人間だ。私が団を実質譲ると言っているのに、去ろうというのか?」
「このまま団にいても、魔王の操り人形となるだけだ。私は探求の旅に出る」
「何を探求するというのかね?」
「私も魔術師の一人として、やはり高位の存在との接触に興味がある。『秘密の首領』について、詳しいことを教えてもらいたい」
「・・・よかろう、教えよう。・・・一八五〇年代のある夏の日、私は睡眠中、高位の存在からの接触を受けた。それが『秘密の首領』だ。彼は高位の黒魔術師であり、メンタル界の住人であるが、この世に実在する人物でもある。最近、私は彼と接触が途絶えている。アスタロトの干渉が影響しているのかもしれない。最後に彼のヴィジョンを見た時は、メキシコの砂漠の風景が映っていた・・・。」
「『秘密の首領』はメキシコにいると?」
「おそらくは。 ちなみに、首領の名は魔術名で『ルックス・エ・テネブリス』という」
「フランス人のような響きだな。名前とメキシコという地名以外に、何か情報は無いのか?」
「・・・彼の現世での本業は医師らしい。その名前の医師を探せば、見つかるのでは?ああ、そう、彼は世俗では、『ドクター・ティソン』と呼ばれている。魔術名では無く、世俗名で探すべきだろうな」
「それだけ分かれば十分だ。団の今後が良きものとなるよう、祈っているよ」
「魔王が掌握する団になるわけだから、そんな世辞は空々しいな。君こそ、ドクター・ティソンからよく思われているわけもないから、気を付けたまえ」
≪続く≫

【註解】
※一 シジル…主に西洋魔術で使われる図形、記号、紋章、線形。
※二 アブラメリン魔術…天使や悪魔を使役し、様々な願望を叶える魔術の一種。ラテン文字を方形に配しただけの、シンプルな護符を用いる。
※三 テトラグラマトン…ギリシャ語で「四文字の」を意味する。特にヘブライ語で神を表すYHWHもしくはJHVHを指す。
※四 メンタル界…神智学の用語。肉体、感情界(アストラル界)の上位に顕現している知性の階層。
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登場人物紹介

【アレイスター・クロウリー】

イギリスのオカルティスト、儀式魔術師、著述家、登山家。オカルト団体を主宰し、その奔放な言論活動と生活スタイルで当時の大衆紙から激しいバッシングを浴びた。スピリチュアル哲学のセレマ思想を提唱し『法の書』を執筆したことで知られる。その波乱の生涯の中で数多くの著作を残しており、多方面に影響を与えた。

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