第6話 ゴールデン・ドーン

文字数 5,833文字

 七月二十日。その日は、ゴールデン・ドーンの月次会合の日だった。クロウリーとマックスは夕刻にケンブリッジの図書館で待ち合わせ、そのまま大英博物館に近いゴールデン・ドーン本部へと向かった。本部は、歴史ある四階建ての建物の最上階を占めていた。窓が大きく開放的な書斎が会合室となっていた。書棚や暖炉に囲まれて、10×3メートルほどの大きな机が中心部にあり、この机の周りに団員たちが三十名ほど座っていた。
「ようこそ、新入り君」一番奥の、扉から向かい側の席に座っている、髪型をオールバックにした美男が顎を上げて言った。この男がメイザースだ。
「お会いできて光栄です。私はアレクザンダー・クロウリー。以前からオカルトには甚大な興味を持ってきました」
「君の事は皆、よく知っているよ。今日は古参の団員の参加は少ないんだ。君の右側に座っている若い者たちも、今日から入団してくれる者達だ」メイザースは左腕を鷹揚に挙げて言った。なるほど、確かに左側に座っているものは皆若く、服装などから、比較的裕福な出自が明らかだった。
「すでに皆さんお揃いですか」マックスが言った。新加入者達は、光栄そうにしている者もいれば、戸惑っている様子の者もいた。マックスとクロウリーは末席に着いた。
「・・・さて、今回の会合は新加入者が多いので、彼らの自己紹介と、神聖な書物について聞きたいと思います・・・・」メイザースの口調は馬鹿丁寧なところがあった。
 新参加者たちは、奥の席の者から、思い思いに自己紹介を始めた。まだ学生の者も多く、フランスやドイツからこの会合のために旅行を兼ねて来ている者もいた。貴族の師弟で、世界漫遊旅行中の者もいた。皆それぞれ優秀な経歴を持っていたが、『神聖な書物』についての質問への解答は興味深かった。メイザースは、新参者達に、各々この世で最高と思われる書物を指摘するよう支持した。ある者は新約聖書、ある者は仏典を挙げた。オカルトを学んだことのある者は、『アカシックレコード』(※一)や、『ジャーンの書』(※二)、『ゾハール』、『エメラルド・タブレット』などを挙げた。クロウリーは聞きながら、『アカシック・レコード』、この太古からの生命記憶の貯蔵庫が、最高の書物なのではないかと思えた。クロウリーは、この書物を最高のものと答えた青年、フランス人のリュリに興味を抱いた。リュリはクロウリーと同じく裕福な出自だが、イギリスから出たことのないクロウリーと違い、世界中を旅行していた。金髪の青年で、その緑色の目は快活に輝き、肌は旅行者らしく、小麦色に焼けていた。
 いよいよクロウリーの発表の番が来た。クロウリーは、自分がビール醸造家の長男であること、今はオックスフォードの英文学の学生で、オカルトの世界を実践も含めて渉猟してきたことを腹蔵なく述べた。クロウリーと聞いて、知っている者も多い様子だった。『パサデナの杖』は、ゴールデン・ドーンほどではないが、欧州のオカルティスト達には知られていたからだ。
いよいよ、自分が『世界でもっとも神聖な書物』と考えるものを披露する番だ。思案した挙句、クロウリーは『ジャーンの書』を挙げた。内心はアカシックレコードに傾いていたが、これは物質界の書物ではないからだ。ジャーンの書は、『シークレット・ドクトリン』や『ネクロノミコン』の原型ともされ、最古のオカルト書物とされている。この場の思い付きではあるが、最高の書物として挙げるに妥当だろう。
 皆の自己紹介が終わった。メイザースをはじめ、古参の団員達は興味深く聞いていた様子だった。
「・・・君たちの経歴は、大体分かった。また、『最重要の書物』として、君たちはかなりセンスのあるところを見せた。重要な書物を何に定めるかによって、その人の思想と性向がかなりの部分、明らかになるからね。特に、リュリ君の挙げた、『アカシック・レコード』なんかは面白いね。実際の書物じゃないけどね。・・・私はというと、古今東西で最高の書物は、『ゲーティア』(※三)だと思うね。真正の魔導書だよ。なんといっても、魔王を召喚する方法が書いてあるんだからね。英訳は、私が担当した」
「・・・恐ろしいですね。あなたは、魔王を召喚したことがあるのですか?」クロウリーが尋ねた。
「あるわけ無かろう。もし召喚に成功していたら、私は世界を総べるか、既に死んでいるはずだ。・・・クロウリー君、君も噂によると、本格的な召喚魔術を行ってきたそうじゃないか。・・・魔王召喚を試したことは?」
「・・・試したことはありますよ。成功しませんでしたけどね。術の最中、恐ろしく不吉な予感に襲われ、術を中断したんです」
「・・・このゴールデン・ドーンに入会する前に、実際に魔王召喚を試みた青年は初めてだ・・・。末恐ろしいね、クロウリー君」
 その後、メイザースは組織の詳細な説明を、新参者を前に始めた。一九世紀末に発足した同団体は、現在、団員を百名近くまで増やしていた。しかし、この団体は、思想信条の違いから二つの団体に分裂している状況である、とのことだった。クロウリーの興味を引いたのは、メイザースと他の二人が団を発足した時、『秘密の首領』という霊的・高次元の存在との接触があったという話だった。それは、天使や悪魔、はたして神智学のいう大師のような存在だろうか。高次元存在との接触が真実だとすると、これは生涯をかけて探求する価値があると思われた。あるいは都合の良い作り話か。
 クロウリーが参加した第一回目の会合は、このような卓上会議で終結した。二回目は、ようやく参入儀式だ。二回目の会合では、一回目で参加していたにもかかわらず、来ていない青年が二、三人いた。会の雰囲気が合わず、初回で実質退会する者も毎回何人かはいるとのことだ。
 二回目の会合で実施される儀式は、通称0=0儀礼と呼ばれている。これは、入会者専用の儀式であり、この儀礼を通過することにより、正式にオカルト的な意味でゴールデン・ドーンの同志となるのだ。儀式は、建物の地下にある会堂で行われた。メイザースを初め古参の団員達は、古代ドルイド僧のような、白色と黒色からできたマントを被っており、メイザースの額には、通称『万物の目』と呼ばれるピラミッドを象ったアミュレットが金色に輝いていた。彼は、さらに古代から伝わる錫杖を手にしており、顎を心持ち上にあげ、威厳のある姿勢で会堂の奥からメンバーを見渡した。
 0=0儀礼において、新参者たちは黒いフードを被ることを求められた。全てのコスチュームは、教団から支給された。メイザースが、会堂の奥まった処にある石版(大理石でできており、なにやら判読不明な文字がびっしりと刻まれていた)の向こう側に立ち、石版の前に新参者六名が並んだ。他のメンバーは、メイザースを頂点として、両脇に居並んでいた。メイザースが儀式の始まりを告げる詠唱を始めた。
「おお、大いなるオシリス神よ、大木から芽が生ずるように、この者たちの神性を目覚めさせよ」メイザースは錫杖を動かして五芒星を空中に描き、エノク語と思しき言語で詠唱した。
「ハーベー、キリ、アーデー、ウル、アイデル・・・」
彼は石版の前に膝まづく新参者の肩に錫杖を置きながら詠唱を続けた。一人につき、詠唱は十秒ほどだった。呪文の意味は不明だが、これで新参者たちは正式にゴールデン・ドーンのメンバーとなったというわけだ。
 会はその後、メイザースの祝辞の後、建物の二階にある食堂での会食となった。多種多様なオードブルや赤ワインが運ばれてきた。クロウリーは酒にめっぽう強かったため、気分よく堪能できた。上機嫌でハムを口へ運んでいた所へ、メイザースが近づいてきた。
「どうかね?ゴールデン・ドーンの入会式は?」
「素晴らしいですね。そもそも、こんな荘厳な儀式を受けるのは初めてですよ。魔術の実践なら負けませんけどね」酒のせいで、その場ふさわしからぬ強気の発言をしてしまった。
「魔術なら私に負けない?おいおい、不穏な発言はやめたまえ。過去一度、団員の間で黒魔術合戦が勃発したことがある。関連した団員は、全て除名処分にしたよ。君も入会草々、除名になりたくはなかろう?」
「・・・そうですね。会合があるごとに、ヴィンテージワインが味わえるなら・・・」クロウリーには珍しく、少し呂律が回らなくなっていた。
「ふふふ。いいだろう。我々は少しでも神々のステージに近づくために、魔術の探求を行う団体だ。魔術の腕を競ったり、殺し合いをする団体じゃない。よく覚えておきたまえ」クロウリーは渋々頷いた。まあ、楯突くなということだろう。彼は内心、気に入らなかった。魔術の腕を自慢しただけで、除名をチラつかせるとは。高圧的なやつだ。その後、クロウリーはなおもワインを煽り、あまり記憶もないまま第二回目の会合を終えた。
 ふらふらとイースト・エンドの夜の街を歩くうち、ふと背後からついてくる人の気配を感じた。さては夜盗か?クロウリーは百九十センチの偉丈夫なので、返り討ちにしてやる自信は十分にあった。警戒しながら歩くうち、後ろから夜盗かと思われた男が声をかけてきた。
「待ってくれ、クロウリー君」なれなれしい調子で、男は言った。良く見ると、先ほどゴールデン・ドーンの0=0儀式に参加していた新参者の1人だった。男は赤毛を肩まで伸ばしており、白いカーディガンを着ていた。妙に女性的なやつだったので、印象に残っていたのだ。
「君は、さっきの儀式で一緒だった人だね」
「ええ。僕はランド。ランド・マルカス。どうだい、君さえ良ければ、バーで一杯やっていかないかい?」クロウリーは、もう酒は十分だったが、他ならぬゴールデン・ドーン団員からの誘いを無下にしたくないとの思いから、この女性的な野郎に少し付き合うことにした。
 二人は、バー「フラミンゴ」に入店した。ランド・マルカスの行きつけの店らしい。バーの座席は円形のカウンターのみで、カウンター内では二人の男が酒をグラスに注いでいた。女っ気の全くない店で、腹に響くような低音のジャズが流れていた。しばらくして、クロウリーは、この店がいわゆる「オカマバー」であることに気付いた。マルカスはリラックスした様子で、カウンター内のオーナーと話していた。オーナーは少年のように身長が低く、女性口調で話す丸顔の男だった。
「マルカス、今日は随分男前を連れてきてくれたじゃないの。あなたの連れ?」
「いや、僕らは今日知り合ったばかりなんだ。クロウリー君も、このロンドンの学生さ」
どうやら、マルカスも同じ学生の身分のようだ。
「クロウリー君は、男性も愛するの?」ストレートな質問に、クロウリーは戸惑ったが、
「ああ、たまにはね」
「まあ、素敵!あなたのような男前がゲイなんて!」
「ゲイ、っていう自覚は無いね。女性と同様、男性を愛することもある、というだけで」
「・・・最近はゲイが増えて来たわ。ここロンドンでは特にね」
「マルカス君、君も大学生なのかい?」クロウリーはオーナーを無視してマルカスに尋ねた。
「ああ。僕はロンドン大学で服飾デザインを専攻しているんだ」
「君はよくこの店に来るのかい?」
「ああ、勉強で疲れた夜にはよく来るよ」
夜の十時となり、バー「フラミンゴ」には客が増えてきた。プライベートな話をマルカスに持ちかけるには好都合だ。
「君はもともと、魔術やオカルトに興味を?」
「いや、オカルトに興味を持ったのは、デザインを専攻してからだね。大学で、世界の紋章やデザインをテーマとした論文を発表したんだけど、そこに魔術のシジルに関するデザイン論も含まれていたんだ。それを見たオカルトサークルの学生と仲良くなってね。彼が僕をゴールデン・ドーンに推薦したのさ」
「今日の入会儀式については、どう思う?」
「素敵だと思うね。深い意味は不明だけれど、デザイン学を研究する者としては、服飾や道具立て、秩序だった儀式等、全てが興味深いよ。君はどうなんだい?」
「僕は、以前からオカルトの実践を少しばかりしていたので、今日の儀式に驚きはしないよ。これから、団に在籍する中で、オカルトの知識・経験をどれだけ深められるか、期待はしているよ」
 その後、彼らはお互いの学生生活を中心に談を咲かせた。フラミンゴでかなり酒が入った二人は、そのままクロウリーのアパートに入っていった。二人はシャワーを浴びた後、ベットを共にした。翌朝、マルカスは朝靄立ち込める早朝からクロウリーのアパートを去った。今日は休日では無かった。彼は自分のアパートに戻ると、ロンドン大学のデザイン学の研究室に普段通り向かった。
 問題は、彼ら二人がバー「フラミンゴ」に入るところを、ゴールデン・ドーンの団員の一人がたまたま目撃していたことだった。クロウリーがゲイである噂は周知の事実だったが、これで彼が確実にゲイである、という評判が団に行き渡ることとなった。これは、伝統的なカトリック出身者が多いゴールデン・ドーンの団員の中では、あまり良い評判でないことは確かだった。レヴィはこのような事項には無関心な様子だったが、クロウリーとマルカスがゲイ、もしくはバイセクシャルであることについて、これを問題視する団員と、あまりこだわらない団員に二分化されるような状況に至った。
 このような状況の中、新人団員の中には、半年もしないうちに脱会する者もいた。クロウリーは、ゴールデン・ドーンの教義自体には満足していたが、内心、メイザースのワンマンぶりが気に入らなかった。彼が心の中で心酔していたレヴィは、どちらかというと穏やかな神父の側面を持っており、メイザースほど権威主義的では無かった。クロウリーはメイザースほどの知見は無いにしても、他の団員よりは自分がオカルトに関して知識・実践共に進んでいる、という自負もあった。

【註解】
※一 アカシックレコード…宇宙誕生以来のすべての出来事が記録されているとされる記録層。
※二 ジャーンの書…神智学協会のブラヴァツキー夫人が実在を主張した、世界最古の写本。アトランティス大陸の叡智が収められているという。
※三 ゲーティア…ソロモン王が使役したという、七十二体の悪魔を召喚して様々な願望を叶える手法が示された魔導書。
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登場人物紹介

【アレイスター・クロウリー】

イギリスのオカルティスト、儀式魔術師、著述家、登山家。オカルト団体を主宰し、その奔放な言論活動と生活スタイルで当時の大衆紙から激しいバッシングを浴びた。スピリチュアル哲学のセレマ思想を提唱し『法の書』を執筆したことで知られる。その波乱の生涯の中で数多くの著作を残しており、多方面に影響を与えた。

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