第13話 エイワス

文字数 5,325文字

 彼はもはや、東洋・西洋を問わず、魔術を究める道を突っ走った。彼の次の目標は、魔王召喚のような危険の伴うものでは無く、自らの守護天使を召喚することだった。大師の道は、リーフス師との決別により自ら絶ったため、彼は西洋魔術の世界で、自らの導師を探し当てるしかなかったのだ。
 その後彼は、伴侶である妻のローズと共に、ハネムーン旅行でエジプトに向かうことにした。以前から、ギザの大ピラミッドを訪れてみたいと思っていたのだ。これまでイギリスの自宅で、ピラミッドをイメージした瞑想を何度か試みたことがあった。理由は不明だが、古代エジプト語による詠唱は、ヨーロッパの言語よりもより物理的に、より強力に自己に作用するようだった。それは詠唱したとたんにアストラル体に作用し、強力なバイブレーションを引き起こす。エジプト魔術によるアストラル界の旅は、もっともエキサイティングであった。
 しかし、ロンドンで何度も試したにもかかわらず、『ハイアーセルフ』に会うことは叶わなかった。確かに、大師クラスの存在には出会うことが出来た。リーフス師だ。しかし、その道を今は歩むことが出来ない以上、『ハイアーセルフ』に接触することが次の課題と思われた。『ハイアーセルフ』は高位の自己であり、人は無意識に彼もしくは彼女に耳を傾ける。精神が静寂で研ぎ澄まされている時、人はハイアーセルフの導きを得、高位への道のヒントを得るのだ。
 世界中を旅するにあたり、裕福であるというのは恵まれたことだ。夫妻は準備が出来ると、ロンドン空港からエジプトに向けて飛び立った。ハネムーンとの名目で。エジプトに着くと、カイロ観光もそぞろに、早速、上エジプトのピラミッド群目指してセスナを借りた。眼下にナイル川が延々と伸びている。ゆるやかに蛇行するナイルの湖岸には、ヤシの木やキャラバンが所々に散見される。その左右には広大な砂漠が広がっている。このような荒涼とした土地に、かの偉大なエジプト文明が栄えたとは不思議なことだ。おそらく数千年前は、この辺りは植林されていたか、もしくはもともと森林地帯だったに違いない。
 そうこうする内に、遥か彼方に巨大な三つのピラミッドが見えてきた。なんとも不思議な景観だ。一面黄色の大地に、そそり立つ正三角形の建築物。それは近未来的でもあり、地球外文明のようでもあった。しかし、それは紛れも無く太古の産物であり、諸説あるが、紀元前4千年~1万年という気も遠くなるような古代の産物だ。そしてこの建造物は、現代の技術をもってしても建造が不可能と言われている。それはどういうことなのか?人類は退化したのか?ペストで数百万人が死に、つい最近まで魔女裁判などという謂れなき冤罪が幅を利かすヨーロッパ。人類は、古代の理力を忘却したのか。このような文明を生み出す叡智とは、どのような来歴なのか?
しかし、古代エジプトの前には、メソポタミア文明があるのみだ。それは最古の文明であり、ナイルの文明とはあまりにも違う点が多すぎる。まるでエジプト文明とは、異次元からの訪問者が人類に授けた文明であるかのようだ。
 セスナは、ギザのピラミッドから二百メートル程の地点に降り立った。幸運にも砂嵐は来ていなかった。辺りには、発掘作業をする現地人や、それを指揮するヨーロッパ人、また世界各国からの旅行者などが散見された。クロウリー夫妻は、ピラミッドを見上げた。
「まあ、すごく立派なお墓なのね。クフ王は、余程の権力者だったのね」ロザリーが呟いた。
「いや、これはお墓じゃないんだ」
「お墓じゃないとすると、何なの? 巨大な天文台?」
「そういう説もあるが、僕は違うと思う。これは黄泉の国と交流するための、魔術装置だと僕は考えている」
ロザリーは、呆れたという顔で夫の横顔を見つめた。
「随分巨大な魔術装置だこと・・・・」
夫妻はピラミッドを中段部まで登り、その石造りの内部に足を踏み入れた。この日は、クロウリーがピラミッド内部への観光を貸切としていた。従って、夫妻が内部に入るや否や、随行員が入り口に進入禁止(貸切)との表示を設けた看板を立てた。
 夫妻は僅かな随行員に間を挟まれながら、薄暗い通路の中を松明の明かりを頼りに、奥へ奥へと進んでいった。緩やかな上昇が続いていた幅一メートル半の道を、30メートルも進んだころであろうか、通路は急に高さを増し、なお且つ急勾配となった。高さは5メートル程度ある。これが有名な『大回廊』だ。大回廊の高さは異様だ。人間が通る分には、このような高さは無駄だ。機材を運搬するにしても、入り口からここまでの通路が狭いため、無意味に思われる。不気味さを感じながら、一行は前へ前へと進んだ。途中クロウリーは、何か上方へ体が引っ張られるような妙な感覚を感じた。知識のあるクロウリーにははっきり感じられたのだが、これはアストラル体が上方に引っ張られる感覚だ。だとすれば、この回廊は生身の人間では無く、霊体が通る通路なのか?
 ・・・そんな考えを巡らすうち、約二十メートルは続いた大回廊も終わりを告げた。そこからは狭い『控えの間』に入った。控えの間で、クロウリー夫妻と随行員は大理石の床に腰掛けてしばし休憩した。蒸し暑く不快なため、あまり休憩という感じはしない。クロウリーはペットボトルのミネラルウォーターをごくごくと飲んだ。なぜ古代人は、こんな石の内部に部屋を拵えたのか?全く謎は深まるばかりだ。控えの間で息を整えた後、一行はいよいよ最終目的地である王の間へと向かった。王の間は控えの間の真上にある部屋であり、十メートル四方ほどの大理石の密室だ。一行はカンテラの明かりを頼りに、王の間に入った。明かりに照らされた王の間は、写真で見たように殺風景でシンプルな部屋だった。
 そこは密室であるだけに、かなり蒸し暑かった。このような石造りの建物の中枢で、クロウリーは何をしようというのか?彼は登山家であり、冒険者でもあるという側面を持っていた。これも観光であり、アドベンチャーなのか?ある意味ではそうだ。彼はここで、ハイアーセルフ(高位自己存在)に接触するための魔術を行おうとしていた。そのために、彼は入念に月日を選んでエジプト旅行に臨んでいた。今晩は新月であり、冥界への扉が開かれる時だ。彼は随行員を下がらせ、妻と二人になると、儀式の準備を始めた。
「いったい、何をしでかすつもりなの?」部屋の四方に置かれたカンテラが、真剣なクロウリーの顔を陰鬱に映し出していた。
「心配することは無い。かつて1万5千年前、賢者たちはこの部屋で高位存在を召喚していたと僕は信じる。今日は、人類が1万5千年ぶりに高位存在と接触する晴れの日となる。君の霊媒体質を生かして、僕のハイアーセルフを召喚するんだ」
「あなたのハイアーセルフが、私に憑依するということ?」
「まさにその通り」
「それはおかしいわ。あなたのハイアーセルフなんだから、あなたにのみ、あなたの深奥で、その声は聞き取れるものじゃなきゃおかしいわ。私に憑依するのは、少なくとも私のハイアーセルフじゃないかしら」
「自分の内奥で、自らのハイアーセルフの声を聴くのは、高位の秘教徒のみが成せる技だ。それは、かのゴールデン・ドーンで言えば、メイガス以上の地位の者のみが可能だ。私は高位の魔術師ではあるが、まだその段階では無い。おそらく、深い瞑想状態でハイアーセルフのメッセージを聞くこと自体は可能だろうが、瞑想状態が覚めた時、記憶には残っていないだろう。しかし、霊媒に憑依させる形であれば、明確な意識のままハイアーセルフとのやり取りを記憶することが出来る」
「さて、どうかしら?まずは私が、完全な憑依状態に入る必要があるわけね」
「そうだ。いつも通り、やってもらおう」
 ロザリーは、いつもロンドンのクロウリーの魔術部屋でやる通り、横になろうとした。だが、ここは床も壁も、全てが固い岩で出来ており、快適に横になる場所が無いため躊躇した。
 「君にはふさわしい寝床があるじゃないか」クロウリーはそう言うと、旅行鞄からタオルケットを取り出し、王の棺の中に敷いた。
「まさか、この中に?」
「もちろん。王の棺は、君も知るように、クフ王の死体が横たわっていた訳では無い。そこはトリップするために、司祭や魔術師が身を横たえた神聖な場所だ」
「こんな暑苦しい場所で、トランス状態に入れるかどうか・・・」ロザリーはぶつぶつ言いながら、王の棺に身を横たえた。
 クロウリーが儀仗をかざし、詠唱をし始める。
「ラー・アル・ウール、ボイ・マーメン、ファー・ラー・オーン・・・」
クロウリーの低音が効いた声音が、王の間の壁に反響し、ロザリーは次第に深い瞑想状態へと誘われた。暑さと湿気の苦悩から逃れるように、ロザリーの意識は遠のいて行った。クロウリーは、王の間のエーテルが微妙な振動を発しているのを感じながら、ハイアーセルフを召喚するための呪文を詠唱した。
 「深き王の寝所より、我は汝を召喚する。汝、我がハイアーセルフ、神の道程への導きよ、我が精神の前に姿を現し、私に霊感を与えたまえ。ベララネンシス、バルダキシンスス、パウマキア、アポロギアエ・セデスによって、最も強力なる王子ゲニィ、リアキダエ、およびタタールの住処の司祭によりて、また第九の軍団におけるアポロギアの第一王子によりて、ああ、汝、精霊バールよ、我は汝に命ず。言葉を口にすればただちにその命令を成し遂げられん御方によりて、またすべての神々の名によりて、またアドナイ、エル、エロヒム、エロヒ、エヘイエー、アシェル、エハイエー、ツァバオト、エリオン、イヤー、テトラグラマトン、シャダイ、至高の主なる神の名において汝を浄め、全力を込めて我は聖守護天使に訴えかけん。・・・我が召喚に答えたまえ。我が求めに応じて可視の姿となり、真なる霊魂として我に語れ・・・」
クロウリーの詠唱は朗朗と続いた。やがて沈黙が訪れる。彼は耳を澄まして、待った。五分ほど、熱気が満ちたこのエーテルの海で、彼は霊的存在が近づきつつあるのを期待を込めて感じていた。この王の間に、霊的存在が結晶して彼女に憑依していく。そして、ロザリーが明らかに彼女のものでは無い声音で喋りだした。
「ハド・ヌイトの顕現・・・我は汝にホルスの劫を告げるものなり」それはロザリーの声とは似ても似つかぬ、威厳溢れる声だった。
 クロウリーは震撼した。近接を感じ取っていたとはいえ、明らかに高位の霊的存在が接触してきたのだ。霊言は続いた。
「ハド・ヌイトの顕現!全ての男と女は星である・・・」クロウリーは、急いで旅行鞄からスケッチを取り出し、高位存在の口述を筆記し始めた。
「我は汝に、人類の新しき劫を告げるものなり。神の子生誕以来続いた『オシリスの劫』は今や終わりを告げるものなり。次の2千年は、『ホルスの劫』となろう」
 クロウリーは、ロザリーが眠っている棺の上に、霊的生命体の精妙な実体がうっすらと存在するのを見た。それは白いチュニックを着た、長身の男性のようだった。漆黒の長い髭で口元を覆い、その眼差しは凶暴と言えるほどに鋭く、古代シリアの暴君のようであった。
「『ホルスの劫』とは如何なるものか?教示したまえ」クロウリーは、高位存在の会話が途切れたのを見計らい、質問した。
「ホルスの劫は、人の子が自らの意志で生きる時代なり。過去の教えに縛られることなく、汝の欲する道を進むことにより、神への道は見いだされん」
「過去の教えとは何か?キリスト教のことか?」
「メシアの教えのみならず、記憶と知識に頼ることなく、汝は道を歩むべきなり。これこそ、ホルスの道なり」クロウリーは衝撃的な啓示を手にしていた。高次存在は、新たな知識ではなく、知識・記憶からの解放を示したのだ。
「自らの意志で生きることが、神への道へと続くということなのですね」
「その通り。救世主や神を求めるのではなく、自らが神の境地に至ることによってのみ、神を見出すことが出来る」クロウリーは震撼した。これこそ、自分が心の奥底で求めながら、叶わなかった教えだという直観に打たれたのだ。しかしながら、彼には一抹の疑問があったので、確認した。
「神を求めるのではなく、神の境地へ至るこの意志のみが、神を見出すことに繋がるということなのですか」
「然り。汝は誠に、ホルスの子なり」クロウリーは恐れに震えながら、名前を訪ねた。
「あなたの名前を教えてください、高位存在よ」
「我はエイワスなり。汝の聖守護天使として顕現せん」
 エイワスとクロウリーの対話は、食事や睡眠をはさみながらも三日間も続いた。エイワスは、告げるべきことを告げ終わったと見るや、クロウリーに口述筆記したものの出版を指示し、煙のように消え去った。
 クロウリーはロンドンに戻ることにした。エジプトの砂漠に点在する遺跡群や、カイロ観光もそぞろに、口述筆記した全十一冊になるノートを、バックパックに常に携行し、片時も離さなかった。
≪続く≫
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登場人物紹介

【アレイスター・クロウリー】

イギリスのオカルティスト、儀式魔術師、著述家、登山家。オカルト団体を主宰し、その奔放な言論活動と生活スタイルで当時の大衆紙から激しいバッシングを浴びた。スピリチュアル哲学のセレマ思想を提唱し『法の書』を執筆したことで知られる。その波乱の生涯の中で数多くの著作を残しており、多方面に影響を与えた。

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