第16話 フランス

文字数 6,710文字

 失意のうち、クロウリーとロザリーはロンドンに戻った。彼はこの一件以来、私生活ではふさぎ込むことが多くなり、ドラッグや性魔術に溺れていった。そこまでは、従来の彼にも見られた傾向だった。しかし今までと違ったのは、実践魔術の方法に違いが見られた。従来の彼ならば、豊富な研究経験をもとに、慎重な結界魔術を敷くのが常だった。身につけるものや、部屋のギミック、魔術を執り行う日時等、厳密且つ入念に選択し、最大限の効果と、最大限の防御を図るのが常だった。
 しかし彼は儀式魔術の実践に際し、防御を怠るようになった。無防備魔術は、魔術師達が最も避ける行いだった。しかし彼は気にしなかった。娘の死後、やけになったかのように。彼は知識の全てを駆使し、儀式魔術に没頭した。得体の知れない高次元生命体や、悪魔か黒魔術師かも判然としない霊的存在と接触し、宇宙の秘密を探求した。無防備魔術の結果、彼の健康は冒され、いつも病的にビクビクし、夜中は悪夢で頻繁に目が覚めるようになった。もはや彼は、自分の命を何とも思っていないかのようだった。
 無防備魔術の障害は、彼を蝕んでいったが、後追いではあるが、白魔術の加護を召喚することにより、死に至ることは無かった。しかし彼は、精神世界のみならず、現実世界においても、多くの敵を作る行いをしでかした。彼が個人発行していた『春愁分点(イクノイックス)』というオカルト雑誌があったが、これは主に彼の魔術に関するレクチュアや、『銀の星』での活動内容を披露するものであった。この雑誌において、彼は何を思ったか、かつてゴールデン・ドーンで得た秘儀を暴露するに至ったのだ。
 これは、世俗での無防備な行いであった。彼は世間のディレッタントの好奇心を満足させるために、かつての会友である高名な魔術師達を敵に廻したのだ。
 それにしても、魔術結社を敵に廻すことは、ある意味、無防備魔術より恐ろしいと言えた。彼の知識の道は容易では無くなったし、人間の魔術師達の絶え間ない攻撃も予想された。このような意図的な攻撃を前にして、防御魔術を怠るのはまさに自殺行為だった。
 そのような逆境の中でも、彼を高く買う連中もいた。ドイツの『東方聖堂騎士団』の幹部達だ。この団は、フリーメーソンの秘儀体系を継承していたが、形骸化した感のある近代魔術体系とは異なる秘儀を求め、クロウリーに接触した。クロウリーはイギリス支部を設立し、騎士団との接触から僅か二年の後、イギリス支社の棟梁となった。
 私生活では、リリス亡き後、次女のローラが誕生し、クロウリー夫妻には久々に笑顔が戻った。しかし魔術団体の活動に東奔西走するクロウリーは、ロザリーと疎遠になり、妻はいつしかアルコール依存症に陥ってしまっていた。度々癇癪を起す妻にうんざりし、とうとうクロウリーは離婚する決定を下した。離婚後は、案外穏便な交流が続けられ、ローラの親権はロザリーに移譲された。
 クロウリーはその後も東方聖堂騎士団の活動・研究に没頭し、『銀の星』の活動は衰退した。彼はこの頃、もはや理論を究めたと自認した。そして超越感覚と、新たなる領域への侵入を試み、魔術を実践し続けた。
 彼は召喚魔術に没頭し、これを究めるために、喧噪渦巻く都会を離れ、郊外に拠点を求めた。温暖な地中海に拠点を求め、シチリア島に居を定めた。莫大な財産をつぎ込み、地元の寺院を改修して自らの寺院とした。シチリア島のケファルに建立されたこの寺院を、彼は『セレマの僧院』と名付けた。彼はそこでラブレー(※一)の思想を復活させようとした。イギリスの二十人ばかりの信者と、ヨーロッパ各地から東方聖堂騎士団のメンバーを合計四十名あまり呼び寄せ、『セレマの法』を実践しようとした。そこで彼らは、寝たい時に寝、起きたい時に起き、食べたい時に食べ、あるいは誰からも食べることを強要されず、したい時にセックスし、ヨーガや礼拝、魔術を実践した。要するに、『汝の意志することを成せ』という『セレマの法』の忠実なる実践だ。
 しかし、彼らの行いは、健康的な範囲を逸脱していた。即ちドラッグの多用だ。セレマの民が、しばしば真昼間から酩酊していることを見聞きしていた地元の住民が、シチリア警察に通報した。当局は、初めはカルトの問題であるとして、犯罪等が生じない限りは深入りしない方針だった。当時の社会は、ドラッグに寛容だったのだ。しかし、メンバーの一人の若者が、急性薬物中毒で死亡するに至り、状況は一変した。ついにセレマの僧院に警察の捜査が入ることになり、ここに至って僧院は解体を余儀なくされた。
 クロウリーはその後、イタリアに滞在し続けることを希望したが、時の独裁者によるムッソリーニ(彼の強面の容貌は、クロウリーにそっくりだった)によって、国外追放となってしまった。
 クロウリーは失意のまま、祖国イギリスへの帰途についた。ロンドン行きの飛行機の中で、今後はまっとうな人生を送ろうと思ったりもした。ドラッグとは手を切って。しかし、そんなクロウリーを待ち受けていたのは、政府の無情な決定だった。霧のロンドンエアポートに降り立ったクロウリーは、空港で入国を拒否されたのだ。生まれ故郷イギリスへの入国を。政府は、世論を鑑みたのだ。特にマスコミが、悪徳知識人、フリーセックスの薬物中毒者としてクロウリーを各誌で糾弾し、これをイギリス政府は無視できなくなっていた。クロウリーは失意と憤慨の内に、ロンドンを発つことにした。どこへ行こうか空港のカフェで試案した後、フランスへ向かうことにした。しばらく安全に身を潜めるには、ヨーロッパが良いように思われた。
 クロウリーの危惧をよそに、パリ空港でパスポートを見せた時、受付の女性は笑顔で入国を迎えてくれた。クロウリーは内心安堵し、パリの曇天を見上げて感慨に浸った。祖国に拒否されたが、祖国と同じくヨーロッパの文化大国であるフランスは、自分を受け入れてくれた。
 パリ市街は小雨が降っていた。パリは文化・思想の街でもあったが、クロウリーの目には、ロンドンほど攻撃的では無いように思われた。近代のパリには友愛の精神と、伝統的な洒落っ気が横溢しているようだった。彼は、この国が生んだ偉大な魔術師であるエリファス・レヴィに思いを致した。思いは若かりし十代の学生の頃に飛んだ。彼は家族と一緒に住んでいた広大な屋敷の自室で、レヴィの著作を読み漁り、中でも『高等魔術の教理と祭儀』はその頃の彼のバイブルだった。
 小雨の降る曇天のパリ市街の石畳を逍遥する内、クロウリーは少し疲れを感じ、オープンカフェでアイス・カフェラテを注文した。パラソルの影から往来を行きかう人々を眺めながら、彼は今までの人生を振り返ってみた。裕福な家に育ち、思春期を迎えた彼はオカルトに興味を持ち、世間では認められていない現象の世界に触れた。その知覚は彼の求道心を刺激し、魔術師の道を歩むことに決めた。学生時代から黄金の夜明け団を経て、彼は第一級の魔術師へと成長した。さらに決定的だったのは、エジプトでのエイワスの降臨だった。かの存在の教えは間違っていたのだろうか?何故に彼は、自ら設立した教団が解散し、さらに国外追放という憂き目に遭わなければならなかったのか?エイワスは自分を高次元に導く天使ではなく、人を惑わす悪霊だったのか?・・・否、俺は早すぎたのだ。エイワスの教えを受け入れるには、世界が準備不足なのだ。エイワスの教えは、近いか遠いかは不明だが、将来、人類に新しい教えとして受け入れられる日が来るだろう。初期のキリスト教が迫害され、キリスト没後200年余にして時のローマ皇帝コンスタンティヌスによって公に受け入れられたように、エイワスの教えも、一歩先んじてこの世に顕れたのだろう。
 彼は機嫌を持ち直した。思想家が、死後に名声を高めるのはよくある話だ。そう思い、行きかう人々を観察し続けた。スーツを着たビジネスマンや、世界中からパリを訪れた観光客。行き先は不明だが、速足でさっそうと歩く若い女性、噴水で戯れる幼い子供・・・。彼らはエイワスの洗礼を受けることなく、この世を去るだろう。彼らはキリスト教の支配下にあり、その洗脳の影響から逃れられるのは、ヨーロッパでは困難だ。
 彼は、『法の書』を出版し、セレマの教えを流布したことで満足した。それが、彼が生まれてきた目的だと自認していたからだ。その目的は達せられた。後は余生を楽しむだけだ。祖国は自分を受け入れてくれないが。
 クロウリーは、街の喧噪を避け、フランスの古城巡りでもすることにした。若い頃、世界漫遊旅行をしたが、都市部を中心に旅行したので、郊外の観光地は手薄だった。それに、クロウリーは有名人なので、パリの知識人やオカルティストが自分をどう扱うかも不安だった。
 彼は青春時代に、訪れたいと願いながら、訪問が叶わなかったロワール川沿いの古城巡りをすることにした。故郷のイギリスとはまた違った、典雅な雰囲気がその地には流れていた。スコットランドの緑は明るかったが、フランスは今日の様に快晴でもイギリスほど明るくは無く、少し曇っているかのように、景色が青みがかっていた。どちらの国も、甲乙つけがたく美しい。
 クロウリーは、シノン城、シュノンソー城をそぞろ歩きながら、歴史に想いを致した。ロワールの川は静かに流れ、鴨の群れが水浴びをしていた。森の入り口には、イノシシの親子が速足で歩き、森の暗闇の開墾地では、鹿が耳をそばだて、周囲を警戒していた。フランスの貴族はこのロワールの森で狩りを楽しんだ。かつてはクロウリーも、精神世界を優雅に渉猟する冒険者だった。それが今は、故国にも受け入れられぬ流浪の身だ。
 彼は肌寒いロワールの森を、考え事に耽りながら歩き続けた。このような静けさも悪くは無い、クロウリーはそう考え、小鳥の囀り、小川の流れに耳を傾けた。やがて草原が広がり、彼方にシャンポール城の威容が顕れた。左右対称の白亜の城はフランスの曇天に映え、イギリスの堅牢さとはまた違った華麗な美を体現していた。城は現在、観光地として解放されており、そこここに観光客が点在していた。
 クロウリーは白亜のシャンポール城に足を踏み入れた。まず訪問者を待ち受けるのは、有名な『二重螺旋階段』だ。シャンポール城は、かの偉大なる、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計した。『二重螺旋階段』は、その名の通り、螺旋階段が二つ交差する形で並列しており、クロウリーは脊柱を通る気の通り道であるイダー、ピンガラを連想した。この稀な構造の階段は、訪問した客と今から帰る客が顔を合わさなくて済むという利点もあったらしい。いずれにせよ、思いつきそうでなかなか思いつかない、ダヴィンチらしいアイデアだ。
 クロウリーはこの螺旋階段を昇りながら、自分は生涯でどれだけ進化の道を上昇しただろうか?と自分に問うた。自分は魔術・オカルトの知識を蓄積し、アストラル界を旅した。過去世の記憶なしにこの世に生を受けたが、アストラル・トリップの術を身に付けたからには、今後の転生において記憶の連続性を期待できる。
 精神の連続性、それこそは、凡人と超人を分け隔てる基準ではなかろうか。久しぶりに自分の経験に満足感を覚えながら、彼はシャンポール城内を逍遥した。城の塔の窓から眺めるロワールの地所は壮観だった。近代以降は無くなってしまった、特権階級の眺めだ。広大な薄緑の芝生の丘には、深緑のイチイの木が、幾何学的に計算された配置をされている。丘に続いてロワールの森が続いており、クロウリーの頬を、新鮮な風が撫でていた。
 クロウリーは、晩年に差し掛かっていた。彼は六十歳代の後半であり、世界中を旅するのも体力的に容易では無かった。しかし、このフランスの古城のような素晴らしい場所がまだ世界には多くあるはずであり、彼は魔術の知識よりも、この地球の美に触れたいと思った。絶え間なき探求に駆られるのではなく、この地球に生きる幸福を彼は感じていた。しかし、彼にも悪への断ち切れない誘惑があった。麻薬だ。
 彼は不意に抵抗困難な衝動を感じ、城内の人家の無い場所に行き、肩からかけていた革の旅行鞄から白い粉を出し、そのまま舐めた。とたんに全身に爽快感が走り、リラックス出来た。彼はここ三十年余りコカイン中毒だった。コカインを止めることは困難に思われた。それは知性を研ぎ澄ませ、体力を回復させ、儀式や精神世界での集中力を高めてくれた。エジプトでエイワスを召喚した時も、コカインの影響下にあった。もちろんコカインが無かったとしても今の境地には辿り着いただろうが、要するに酒や煙草と同じく、やめられないのだった。クロウリーはロワール、パリ、ノートルダム大聖堂、サクレ・クール寺院等を観光し、かつて何度もしたように、神に、高位存在に対し祈りを捧げた。そのような自分の純粋さに彼は満足していた。
 彼はフランスの優雅さ・アンニュイさに、数か月浸り続けた。そして気候も冬となり、そろそろ寒さが身に染みてきた。
 フランスを離れ、暖を求めて南国へ旅立つことにした。入国を拒否されるのはまっぴらなので、どの国に行こうか思案した挙句、フランス領のチュニジアへ赴くことにした。
 後ろ髪をひかれる思いで、憂愁のフランスを発ち、地中海を抜けてチュニジアに到着した。気候が温暖なのが助かる。フランスほど感情に訴えかけるものは無いが、石造りの古い街の上には明るい蒼天が広がっており、滞在しているホテルから少し歩けば、古代ローマが残した円形闘技場があった。彼がチュニジアに来た目的は、もちろん南国の暖かさを求めたのが一番大きな理由だが、ヨーロッパ以外の古代ローマの遺跡を観光したいという思いもあった。ホテルにチェックインして二日目。クロウリーはラフなポロシャツスタイルで、街中に遺跡として今も残っている円形闘技場に辿り着いた。『エル・ジェムの円形闘技場』だ。
 それは古代ローマの闘技場としては、ローマのコロッセウムに次ぐ規模で、最大三万五千人の観客を収容できた。闘技場の観覧席からその全景を眺めながら、クロウリーは人殺しを娯楽にするという野蛮な風習が残っていた時代に想いを馳せた。それは民衆に娯楽を供する必要から生まれた風習だった。彼も闘争を繰り返してきた人生だったが、主に精神世界での闘争、魔術戦争だった。それは肉体のみならず、エーテル体やメンタル体、さらにはカルマに影響を与える、大変デリケートで破壊力のある戦いだった。即ち、死んで肉体が滅んで終わりでは無く、死後の形態にも影響を与えうる戦いだった。そのような戦いを彼は生き残り、記憶の継続性と魔術の奥義を手にした。彼は実践者という意味で、自由民としての地位を勝ち取った剣闘士と自認した。チュニジアで、しばらく古代ローマの遺跡を逍遥し、見るものが無くなったので、彼はアフリカを発つことにした。
 もはや老境に差し掛かっていた彼はイギリスへの帰国を望んだ。しかし電信での打診は、失望に終わった。チュニジアを旅し、やはりヨーロッパが懐かしくなったので、次の拠点をドイツに定めた。1935年のヨーロッパは、第2次大戦が勃発しており、ナチスドイツが次々と領土を広げていた。クロウリーは、同じゲルマン・サクソン民族としてのドイツ民族の優秀さをかねてから認めていた。戦時である今では、その工業力・科学力は、優秀な兵器の開発へと向けられているように思われた。彼は自分の生涯が終わりに近づいていることを、何となく感じ取っていた。最後は故郷のイギリスで迎えたい、と思っていたが、入国許可が出るまでの間、ドイツで過ごすことにした。
≪続く≫

【註解】
※一 フランソワ・ラブレー(フランス語: François Rabelais フランス語: [fʁɑ̃swa ʁablɛ]、 1483年? - 1553年4月9日[1])は、フランス・ルネサンスを代表する人文主義者、作家、医師。ヒポクラテスの医書を研究したことで著名となり、次いで中世の巨人伝説に題材を取った騎士道物語のパロディー『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』(『ガルガンチュワとパンタグリュエル』)で知られる。これらは糞尿譚から古典の膨大な知識までを散りばめ、ソルボンヌや教会など既成の権威を風刺した内容を含んでいたため禁書とされた。(Wikipediaより引用)
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登場人物紹介

【アレイスター・クロウリー】

イギリスのオカルティスト、儀式魔術師、著述家、登山家。オカルト団体を主宰し、その奔放な言論活動と生活スタイルで当時の大衆紙から激しいバッシングを浴びた。スピリチュアル哲学のセレマ思想を提唱し『法の書』を執筆したことで知られる。その波乱の生涯の中で数多くの著作を残しており、多方面に影響を与えた。

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