二.
文字数 5,835文字
このノイ派道場で、謝金と階梯の登録を済ませ、エルドレッドは道場の玄関から表通りへと出た。
途端に、爽やかな風が彼の髪を優しく揺らす。
爽快なのは、風ばかりではない。自分の力で階梯を上げた、そんなささやかな達成感が、街路を渡る風も、普段と違って感じさせる。
もちろん、エルドレッドが階梯を上げられたのは、相棒の助言があったからこそだ。
何かお礼をしなくては。
「シオンに何か買って帰ろうかな……」
小さく独り言をつぶやき、エルドレッドは街路を見渡した。
ひとが四人並んで歩けるほどの、石畳の広い道だ。この通りは、そのまま街と街とを繋ぐ街道と繋がっている。エルドレッドと相棒シオンも、この街クローケスへと街道沿いにたどり着いたのだった。
宿場町でもあるこの街の表通りは、往来の旅人や商人、荷馬車がにぎやかに往来する。
もちろんエルドレッドと同じように、盾を背負った剣士やローブ姿の魔術師も、ちらほら目に付く。
そんな客を当て込んだ宿屋や食堂、それに土産物屋や屋台が、通りの左右に軒を並べている。建物は石造りの見慣れたものがほとんどを占め、この国では平均的な街、といえるだろう。
「何がいいかな……」
通り沿いの店をゆっくりと見て回りつつ、エルドレッドは考える。
……シオンは肉をほとんど食べないから、串焼きとかは却下だ。
かといって、シオンが好む酒は高価で、道場に謝金を払った今は懐が心細い。
しかし果物では味気ないし、第一、甘物を食べているシオンなど、見た記憶がない。
あれこれと真剣に迷うエルドレッドは、ふと思う。
……この熱心さ、傍から見たら、恋人への贈り物に迷う若者のように見える、かも知れない。
――恋人――
何か締め付けるような痞えが、胸の奥底に蟠った。伏せた瞼の裏に、別れた少女の後ろ姿が映る。だが、もう違う道を歩き始めたのだ。軽く首を振り、彼女の鏡像を脳裏から追い払ったエルドレッド。
髪をくしゃくしゃやりながら、苦笑を洩らした彼は、ふと気が付いた。
――誰かが見てる――
自分を凝視する視線を感じ取り、ぴくんと顔を上げたエルドレッドは、往来に視線をぐるりと巡らせた。
行き交う人々の目は、誰もが自分の行く方を向いている。エルドレッドのことを気にする様子など、微塵も窺えない。
それが当然なのだ。多少、冒険者たちの口の端に触り始めたばかりのエルドレッド。
ほとんど無名の一冒険者に過ぎないエルドレッドなど、誰が見て……、と苦笑したエルドレッドの目が、建物の陰に釘付けになる。
建物と建物の間に溜まった影の中に佇む人物。
年かさはハッキリとは分からないが、エルドレッドはもちろん、シオンの見かけよりもずっと年上の人間のようだ。全身をだぶっとした外套に包んでいて、職能は判断が付かない。
しかしエルドレッドを観察するその胡散臭い佇まいは、堅気の庶民とは明らかに違っている。
さらにその男、独りではなく仲間がいるようだ。やたらと長身の人物が、男の傍らにいるのが分かる。他にも仲間がいるのかも知れない。
……どうして自分を見ているのだろう?
男たちの様子からは、エルドレッドへの明らかな敵意や害意は感じられない。が、近寄ってくるワケでもなく、離れてゆく気もなさそうだ。
何となく居心地と気色の悪さを覚えつつも、エルドレッドは男たちから視線を外した。そして相棒への手土産を物色するべく、立ち並ぶ店の方へと足を向けた。
建物の隙間の小路から、買い物へ向かう少年戦士、エルドレッドを見つめる男が小さくつぶやく。
「アイツで間違いないんだろうな?」
茶色のざんばら髪に、堅そうな髭を口の周りに生やした男。
その男は諧謔的に肩をすくめ、ヘッと言い捨てた。
「ウワサとはだいぶん様子が違うな。もっといかつい野郎かと思ったが、大したコトぁなさそうだ」
「見た目で判断すると、痛い目に遭うだろう」
男の横で、建物の石壁にもたれた長身の人物が、冷たく突っ込んだ。
緑の幾何学模様が染め抜かれたポンチョ姿の異人種。長い手足、砥の粉色の肌とぼさぼさ髪を持つ、いわゆる爬虫人だ。
このワニめいた顔を持つ男は、通りに玄関を構えたノイ派の道場を一瞥してから、金色の大きな眼を髭の男に向ける。
「ノイ派の戦士は、どんな抵抗をするか分からない。しぶとくて厄介だから、私は嫌いだ」
「じゃあやめとけ。分け前が増えていい」
髭の男の嘲笑に、爬虫人は眼を細めて彼を睨む。
「我々は偶然に来合わせただけで、手を組むなどとは言っていない」
爬虫人が、裏路地の奥へと金色の視線を向けた。建物同士が造る重層的な影の中に、誰かが立っている。
「それはあなたも同じ筈だが? ザイ殿」
『ザイ』と呼ばれたのは、長身の爬虫人に輪を掛けた、さらに背の高い男だ。
黒檀のような黒い肌、無感情な黄色い切れ長の目。総髪にした長い髪も、ほぼ黄色に映る。通った鼻筋といい、整った顎のラインといい、相当な美男子だ。が、何故か右耳がない。
袖のない黒い外套を着込み、鋒のない剣を抜き身で提げたその姿は、黒づくめの容姿と相まって、得体の知れない威圧感を伴う。
爬虫人の問いに対し、このザイという男は一言も発さない。ただ酷薄な一瞥を、爬虫人と髭の男に注ぐ。
途端に、髭の男が仰け反った。ぶるっと身を震わせた男に対して、爬虫人は皮肉めいた色さえ浮かべた眼で、ザイを見返す。
髭の男が、怯えた雰囲気を漂わせたまま、肩を竦めた。
「ま、まあいいや。共闘は標的探しまでだ。ここからは好きにヤる、ってコトでいいな? こうなりゃ早いモノ勝ちだぜ、“首狩り”の旦那。それに、チマルポポカ、だったか? しっかし呼びにくい名前だなー、おい」
「失敬な男だ」
爬虫人チマルポポカが、髭の男の軽口に不快感も露わな顔を見せる。
「我々“コアトルの民”の栄誉ある名を揶揄するのは、やめてもらおう。“飛石のミゲル”殿」
「へいへい」
名前を呼ばれた髭の男が、不真面目に肩をすくめた。
「まあいいや。じゃあオレたちの共闘は、ココまでってことで……」
髭のミゲルが、チマルポポカの不機嫌な口元から、路地の奥へと目を移した。
しかし、路地の暗がりにはもう誰もいない。あのザイという黒い異人種は、いつの間にか忽然と姿を消していた。物音も、気配のかけらさえ感じさせないうちに。
「ウワサどおりの不気味さだなー。“首狩り”の旦那は……」
小声で恐々とつぶやいたミゲル。
へっ、と小さく笑ってから、彼が不機嫌な相好を崩さないチマルポポカを見上げた。
「じゃあオレも行くぜ。他の連中が嗅ぎつけて来ねえうちに、カタ付けた方が良さそうだ。お先にな」
それだけ言い残し、軽く手を振ったミゲルが、大通りの往来へと踏み入っていった。
ミゲルが雑踏に紛れて見えなくなると、細い路地に取り残されたチマルポポカも、先の二人とは別の方向へと立ち去った。
大通りに出ていた屋台から、東大陸由来の煮卵と軽いエール酒を買い入れたエルドレッド。薄茶色の素朴な紙袋を小脇に抱え、彼は人通りの少ない裏路地へと足を進めてゆく。
建物と建物の間の細く入り組んだ小道を縫って、程なくエルドレッドがたどり着いたのは、路地裏の商店街だった。
奥行きは数十歩、数歩ばかりの薄暗く細長い小道に、数軒の店が倹しく看板を掲げている。ほとんど地元の住人にしか分からないような、裏路地の奥でひっそりと息づく商店街だ。
しかし相棒には馴染みの場所らしく、エルドレッドが戻ろうとしている小さな旅籠も、相棒の常宿らしい。
そんなちんまりとした商店街をぐるりと見渡して、エルドレッドは小さく声を上げた。
「あっ、あったあった。やっと戻れた……」
ふう、と息をつき、エルドレッドは『蔓草亭』という看板が軒に下がる、質素な玄関をくぐった。
入ってすぐの狭いカウンターで主人と軽く挨拶を交わし、エルドレッドは狭い階段から二階へと上がる。細く奥行きのない廊下を挟んで、左右の壁に一枚ずつ扉が見えている。
エルドレッドは、片方のドアを三回ノックした。
「エルドレッドだよ。入るから」
そう声を掛けて、彼は扉を押し開けた。
戸口をくぐった先は、二基のベッドと窓しかない、狭苦しい部屋だ。正面の小さな格子窓の下に、質素なベッドがある。そこに人の姿はない。
エルドレッドは、ドアを後ろ手に閉じながら、部屋の左側の壁へと目を向けた。
その壁際に据えられた、もう一基のベッド。粗末な上に胡坐をかくのは、薄汚れた身なりの青年だ。わざと汚した純白の肌と髪。恐ろしく端麗な容姿。だが漂う雰囲気は捉えどころがなく、どこか冷たく乾いている。
壁にもたれ、小太刀を肩に預けた姿勢のまま、目を閉じた彼は、ピクリとも動かない。息遣いさえ感じさせない異人種の若者に、エルドレッドがそっと声を掛けた。
「……ただいま、シオン」
即座に返ってきたのは、目を開けずに放たれた、相棒シオンの無関心そうな一言。
「うまくいったようだな」
「えっ? どうして分かったんだ?」
いきなり結果を言い当てられ、ちょっとびっくりのエルドレッド。
シオンの口元に、初めて微笑が浮かんだ。ただし、限りなく苦笑に近い笑みだ。
「お前の顔を見れば、直ぐに分かる。やり切った顔をしているぞ」
シオンが目を開いた。真紅の瞳を突っ立つエルドレッドに注ぎ、シオンが淡々と言う。
「今のお前なら、俺が言葉で伝えることを、そのまま動きで再現できる。第四階戦士程度の試験官なら、互角以上に渡り合えただろう」
そこでエルドレッドは、シオンの隣に腰を下ろした。ベッドの縁に座った彼は、シオンの横顔に感謝一杯の眼差しを向ける。
「それもこれも、俺が第四階になれたのも、全部シオンのお陰だよね。ありがとう」
「やめろ」
それだけ口にして、あらぬ方へと顔を向けたシオン。その表情は淡々としつつ、どこか居心地の悪そうな苦笑が漂う。
そんな相棒に、エルドレッドは紙袋を差し出した。
「これ、お土産。煮卵と黒エール。これならシオンの口に合うと思って……」
「俺なんかに気も金も遣うな」
そう言って向き直ったシオンだったが、わずかに微笑を浮かべ、小さくうなずいた。
「だが確かに煮卵も黒エールも、俺の好物には違いない。ありがたく頂くか。済まんな、エルドレッド」
シオンがエルドレッドから紙袋を素直に受け取った。
相棒が紙袋に手を突っ込むのを見届けてから、エルドレッドは相棒の側から立ち上がった。
窓際のベッドに歩み寄ったエルドレッドは、かちゃかちゃと音を立てながら武装を解いてゆく。
盾を背中から降ろし、胸甲を外しながら、エルドレッドはシオンに目を向けた。
そのシオンは、素焼きの小さなボトルを片手に、茶色く染まったゆで卵をかじっている。
……食べてもらえてよかった。
ふと安堵の息をついたエルドレッドに、シオンが無関心そうに問いを投げてくる。
「お前の昇格のことなら、聞くまでもない。他に何か変わったことがあったか?」
「うーん、特には何も……」
そこまで口にして、エルドレッドは腰から外した剣をベッドに置いた。
自分もベッドに腰を下ろした彼は、ふと思い出した。
「あー、そういえば、何だかよく分からないおっさんに見られてたよ。道場から出たところで」
「『おっさん』? どんなヤツだ?」
小瓶のエールをそのまま呷りながら、シオンが興味なさそうに聞いてくる。
エルドレッドも特に関心を払うことなく、素っ気なく答える。
「全身をマントみたいな布で隠してて、どこの国の人かも、職能も分からなくて」
「何か特徴はないのか?」
呆れ調子のシオンから、エルドレッドは虚空へと視線を逸らした。そのまま数秒唸ってから、彼はもう一度相棒へと目を戻す。
「ああ、そういえば、茶色いぼっさぼさの髪に、スゴい髭だった。たわしでも口の周りに付けたみたいにさ」
シオンの手が止まった。瞬きも途絶え、シオンが無表情のまま、彫像のように固まっている。
一種異様な様子の相棒を前に、エルドレッドも一抹の不安が胸の内に去来する。
「あー、……シオン?」
そこで口を閉じたエルドレッドの目の前で、シオンがすぐに動きを取り戻し
た。再びゆで卵を食べ始めたシオンが、エルドレッドに淡々とした赤い視線を寄越す。
「お前の預かる宝石を狙う盗賊、かもな」
「え!?」
ベッドに座るエルドレッドは、びくんと腰を浮かせた。つい剥きになって、エルドレッドは大声を上げる。
「冗談じゃない! あれはクライフの実家に届ける物なんだ! 盗賊なんかに絶対渡さない!」
『クライフ』、深い鉱洞の底で、エルドレッドたちの盾になって散った先輩戦士だ。
――手に入れた宝石の原石を実家に届けてほしい――
そんなクライフの願いを叶えるため、彼の故郷アグロウの村へ向かっているエルドレッドたちだった。
「十分用心しろ、エルドレッド。お前の存在は、この前の件で少しずつ知れ渡り始めている」
煮卵を食べ終えたシオンが、諧謔的に肩をすくめた。
「お前がどこで何を倒したか、何を手に入れたかもな。名の揚がることは有利に働くこともあるが、致命的な事態を招くこともある」
何故か自嘲的な吐息を容れてから、相棒が言葉を繋ぐ。
「とにかく急いだ方がいいな。アグロウの村まで、もうすぐだ。あと半日もない」
「夜の内にここを出た方がいいかな? 人目を避けて、目立たないように」
するとシオンは目を伏せた。
数秒ばかりの思案の後で、彼がエルドレッドに真紅の目を向けてきた。
「……いや、異人 の俺はともかく、人間 のお前には灯りが要る。人通りのない深夜の街道で灯りを掲げるのは、『的にしてくれ』と言うのも同然の愚行だ」
シオンが続ける。
「明日は夜明けと同時に出よう。欲しいものがあるなら、今の内に買いに行け。大方の物は、この商店街で手に入る」
途端に、爽やかな風が彼の髪を優しく揺らす。
爽快なのは、風ばかりではない。自分の力で階梯を上げた、そんなささやかな達成感が、街路を渡る風も、普段と違って感じさせる。
もちろん、エルドレッドが階梯を上げられたのは、相棒の助言があったからこそだ。
何かお礼をしなくては。
「シオンに何か買って帰ろうかな……」
小さく独り言をつぶやき、エルドレッドは街路を見渡した。
ひとが四人並んで歩けるほどの、石畳の広い道だ。この通りは、そのまま街と街とを繋ぐ街道と繋がっている。エルドレッドと相棒シオンも、この街クローケスへと街道沿いにたどり着いたのだった。
宿場町でもあるこの街の表通りは、往来の旅人や商人、荷馬車がにぎやかに往来する。
もちろんエルドレッドと同じように、盾を背負った剣士やローブ姿の魔術師も、ちらほら目に付く。
そんな客を当て込んだ宿屋や食堂、それに土産物屋や屋台が、通りの左右に軒を並べている。建物は石造りの見慣れたものがほとんどを占め、この国では平均的な街、といえるだろう。
「何がいいかな……」
通り沿いの店をゆっくりと見て回りつつ、エルドレッドは考える。
……シオンは肉をほとんど食べないから、串焼きとかは却下だ。
かといって、シオンが好む酒は高価で、道場に謝金を払った今は懐が心細い。
しかし果物では味気ないし、第一、甘物を食べているシオンなど、見た記憶がない。
あれこれと真剣に迷うエルドレッドは、ふと思う。
……この熱心さ、傍から見たら、恋人への贈り物に迷う若者のように見える、かも知れない。
――恋人――
何か締め付けるような痞えが、胸の奥底に蟠った。伏せた瞼の裏に、別れた少女の後ろ姿が映る。だが、もう違う道を歩き始めたのだ。軽く首を振り、彼女の鏡像を脳裏から追い払ったエルドレッド。
髪をくしゃくしゃやりながら、苦笑を洩らした彼は、ふと気が付いた。
――誰かが見てる――
自分を凝視する視線を感じ取り、ぴくんと顔を上げたエルドレッドは、往来に視線をぐるりと巡らせた。
行き交う人々の目は、誰もが自分の行く方を向いている。エルドレッドのことを気にする様子など、微塵も窺えない。
それが当然なのだ。多少、冒険者たちの口の端に触り始めたばかりのエルドレッド。
ほとんど無名の一冒険者に過ぎないエルドレッドなど、誰が見て……、と苦笑したエルドレッドの目が、建物の陰に釘付けになる。
建物と建物の間に溜まった影の中に佇む人物。
年かさはハッキリとは分からないが、エルドレッドはもちろん、シオンの見かけよりもずっと年上の人間のようだ。全身をだぶっとした外套に包んでいて、職能は判断が付かない。
しかしエルドレッドを観察するその胡散臭い佇まいは、堅気の庶民とは明らかに違っている。
さらにその男、独りではなく仲間がいるようだ。やたらと長身の人物が、男の傍らにいるのが分かる。他にも仲間がいるのかも知れない。
……どうして自分を見ているのだろう?
男たちの様子からは、エルドレッドへの明らかな敵意や害意は感じられない。が、近寄ってくるワケでもなく、離れてゆく気もなさそうだ。
何となく居心地と気色の悪さを覚えつつも、エルドレッドは男たちから視線を外した。そして相棒への手土産を物色するべく、立ち並ぶ店の方へと足を向けた。
建物の隙間の小路から、買い物へ向かう少年戦士、エルドレッドを見つめる男が小さくつぶやく。
「アイツで間違いないんだろうな?」
茶色のざんばら髪に、堅そうな髭を口の周りに生やした男。
その男は諧謔的に肩をすくめ、ヘッと言い捨てた。
「ウワサとはだいぶん様子が違うな。もっといかつい野郎かと思ったが、大したコトぁなさそうだ」
「見た目で判断すると、痛い目に遭うだろう」
男の横で、建物の石壁にもたれた長身の人物が、冷たく突っ込んだ。
緑の幾何学模様が染め抜かれたポンチョ姿の異人種。長い手足、砥の粉色の肌とぼさぼさ髪を持つ、いわゆる爬虫人だ。
このワニめいた顔を持つ男は、通りに玄関を構えたノイ派の道場を一瞥してから、金色の大きな眼を髭の男に向ける。
「ノイ派の戦士は、どんな抵抗をするか分からない。しぶとくて厄介だから、私は嫌いだ」
「じゃあやめとけ。分け前が増えていい」
髭の男の嘲笑に、爬虫人は眼を細めて彼を睨む。
「我々は偶然に来合わせただけで、手を組むなどとは言っていない」
爬虫人が、裏路地の奥へと金色の視線を向けた。建物同士が造る重層的な影の中に、誰かが立っている。
「それはあなたも同じ筈だが? ザイ殿」
『ザイ』と呼ばれたのは、長身の爬虫人に輪を掛けた、さらに背の高い男だ。
黒檀のような黒い肌、無感情な黄色い切れ長の目。総髪にした長い髪も、ほぼ黄色に映る。通った鼻筋といい、整った顎のラインといい、相当な美男子だ。が、何故か右耳がない。
袖のない黒い外套を着込み、鋒のない剣を抜き身で提げたその姿は、黒づくめの容姿と相まって、得体の知れない威圧感を伴う。
爬虫人の問いに対し、このザイという男は一言も発さない。ただ酷薄な一瞥を、爬虫人と髭の男に注ぐ。
途端に、髭の男が仰け反った。ぶるっと身を震わせた男に対して、爬虫人は皮肉めいた色さえ浮かべた眼で、ザイを見返す。
髭の男が、怯えた雰囲気を漂わせたまま、肩を竦めた。
「ま、まあいいや。共闘は標的探しまでだ。ここからは好きにヤる、ってコトでいいな? こうなりゃ早いモノ勝ちだぜ、“首狩り”の旦那。それに、チマルポポカ、だったか? しっかし呼びにくい名前だなー、おい」
「失敬な男だ」
爬虫人チマルポポカが、髭の男の軽口に不快感も露わな顔を見せる。
「我々“コアトルの民”の栄誉ある名を揶揄するのは、やめてもらおう。“飛石のミゲル”殿」
「へいへい」
名前を呼ばれた髭の男が、不真面目に肩をすくめた。
「まあいいや。じゃあオレたちの共闘は、ココまでってことで……」
髭のミゲルが、チマルポポカの不機嫌な口元から、路地の奥へと目を移した。
しかし、路地の暗がりにはもう誰もいない。あのザイという黒い異人種は、いつの間にか忽然と姿を消していた。物音も、気配のかけらさえ感じさせないうちに。
「ウワサどおりの不気味さだなー。“首狩り”の旦那は……」
小声で恐々とつぶやいたミゲル。
へっ、と小さく笑ってから、彼が不機嫌な相好を崩さないチマルポポカを見上げた。
「じゃあオレも行くぜ。他の連中が嗅ぎつけて来ねえうちに、カタ付けた方が良さそうだ。お先にな」
それだけ言い残し、軽く手を振ったミゲルが、大通りの往来へと踏み入っていった。
ミゲルが雑踏に紛れて見えなくなると、細い路地に取り残されたチマルポポカも、先の二人とは別の方向へと立ち去った。
大通りに出ていた屋台から、東大陸由来の煮卵と軽いエール酒を買い入れたエルドレッド。薄茶色の素朴な紙袋を小脇に抱え、彼は人通りの少ない裏路地へと足を進めてゆく。
建物と建物の間の細く入り組んだ小道を縫って、程なくエルドレッドがたどり着いたのは、路地裏の商店街だった。
奥行きは数十歩、数歩ばかりの薄暗く細長い小道に、数軒の店が倹しく看板を掲げている。ほとんど地元の住人にしか分からないような、裏路地の奥でひっそりと息づく商店街だ。
しかし相棒には馴染みの場所らしく、エルドレッドが戻ろうとしている小さな旅籠も、相棒の常宿らしい。
そんなちんまりとした商店街をぐるりと見渡して、エルドレッドは小さく声を上げた。
「あっ、あったあった。やっと戻れた……」
ふう、と息をつき、エルドレッドは『蔓草亭』という看板が軒に下がる、質素な玄関をくぐった。
入ってすぐの狭いカウンターで主人と軽く挨拶を交わし、エルドレッドは狭い階段から二階へと上がる。細く奥行きのない廊下を挟んで、左右の壁に一枚ずつ扉が見えている。
エルドレッドは、片方のドアを三回ノックした。
「エルドレッドだよ。入るから」
そう声を掛けて、彼は扉を押し開けた。
戸口をくぐった先は、二基のベッドと窓しかない、狭苦しい部屋だ。正面の小さな格子窓の下に、質素なベッドがある。そこに人の姿はない。
エルドレッドは、ドアを後ろ手に閉じながら、部屋の左側の壁へと目を向けた。
その壁際に据えられた、もう一基のベッド。粗末な上に胡坐をかくのは、薄汚れた身なりの青年だ。わざと汚した純白の肌と髪。恐ろしく端麗な容姿。だが漂う雰囲気は捉えどころがなく、どこか冷たく乾いている。
壁にもたれ、小太刀を肩に預けた姿勢のまま、目を閉じた彼は、ピクリとも動かない。息遣いさえ感じさせない異人種の若者に、エルドレッドがそっと声を掛けた。
「……ただいま、シオン」
即座に返ってきたのは、目を開けずに放たれた、相棒シオンの無関心そうな一言。
「うまくいったようだな」
「えっ? どうして分かったんだ?」
いきなり結果を言い当てられ、ちょっとびっくりのエルドレッド。
シオンの口元に、初めて微笑が浮かんだ。ただし、限りなく苦笑に近い笑みだ。
「お前の顔を見れば、直ぐに分かる。やり切った顔をしているぞ」
シオンが目を開いた。真紅の瞳を突っ立つエルドレッドに注ぎ、シオンが淡々と言う。
「今のお前なら、俺が言葉で伝えることを、そのまま動きで再現できる。第四階戦士程度の試験官なら、互角以上に渡り合えただろう」
そこでエルドレッドは、シオンの隣に腰を下ろした。ベッドの縁に座った彼は、シオンの横顔に感謝一杯の眼差しを向ける。
「それもこれも、俺が第四階になれたのも、全部シオンのお陰だよね。ありがとう」
「やめろ」
それだけ口にして、あらぬ方へと顔を向けたシオン。その表情は淡々としつつ、どこか居心地の悪そうな苦笑が漂う。
そんな相棒に、エルドレッドは紙袋を差し出した。
「これ、お土産。煮卵と黒エール。これならシオンの口に合うと思って……」
「俺なんかに気も金も遣うな」
そう言って向き直ったシオンだったが、わずかに微笑を浮かべ、小さくうなずいた。
「だが確かに煮卵も黒エールも、俺の好物には違いない。ありがたく頂くか。済まんな、エルドレッド」
シオンがエルドレッドから紙袋を素直に受け取った。
相棒が紙袋に手を突っ込むのを見届けてから、エルドレッドは相棒の側から立ち上がった。
窓際のベッドに歩み寄ったエルドレッドは、かちゃかちゃと音を立てながら武装を解いてゆく。
盾を背中から降ろし、胸甲を外しながら、エルドレッドはシオンに目を向けた。
そのシオンは、素焼きの小さなボトルを片手に、茶色く染まったゆで卵をかじっている。
……食べてもらえてよかった。
ふと安堵の息をついたエルドレッドに、シオンが無関心そうに問いを投げてくる。
「お前の昇格のことなら、聞くまでもない。他に何か変わったことがあったか?」
「うーん、特には何も……」
そこまで口にして、エルドレッドは腰から外した剣をベッドに置いた。
自分もベッドに腰を下ろした彼は、ふと思い出した。
「あー、そういえば、何だかよく分からないおっさんに見られてたよ。道場から出たところで」
「『おっさん』? どんなヤツだ?」
小瓶のエールをそのまま呷りながら、シオンが興味なさそうに聞いてくる。
エルドレッドも特に関心を払うことなく、素っ気なく答える。
「全身をマントみたいな布で隠してて、どこの国の人かも、職能も分からなくて」
「何か特徴はないのか?」
呆れ調子のシオンから、エルドレッドは虚空へと視線を逸らした。そのまま数秒唸ってから、彼はもう一度相棒へと目を戻す。
「ああ、そういえば、茶色いぼっさぼさの髪に、スゴい髭だった。たわしでも口の周りに付けたみたいにさ」
シオンの手が止まった。瞬きも途絶え、シオンが無表情のまま、彫像のように固まっている。
一種異様な様子の相棒を前に、エルドレッドも一抹の不安が胸の内に去来する。
「あー、……シオン?」
そこで口を閉じたエルドレッドの目の前で、シオンがすぐに動きを取り戻し
た。再びゆで卵を食べ始めたシオンが、エルドレッドに淡々とした赤い視線を寄越す。
「お前の預かる宝石を狙う盗賊、かもな」
「え!?」
ベッドに座るエルドレッドは、びくんと腰を浮かせた。つい剥きになって、エルドレッドは大声を上げる。
「冗談じゃない! あれはクライフの実家に届ける物なんだ! 盗賊なんかに絶対渡さない!」
『クライフ』、深い鉱洞の底で、エルドレッドたちの盾になって散った先輩戦士だ。
――手に入れた宝石の原石を実家に届けてほしい――
そんなクライフの願いを叶えるため、彼の故郷アグロウの村へ向かっているエルドレッドたちだった。
「十分用心しろ、エルドレッド。お前の存在は、この前の件で少しずつ知れ渡り始めている」
煮卵を食べ終えたシオンが、諧謔的に肩をすくめた。
「お前がどこで何を倒したか、何を手に入れたかもな。名の揚がることは有利に働くこともあるが、致命的な事態を招くこともある」
何故か自嘲的な吐息を容れてから、相棒が言葉を繋ぐ。
「とにかく急いだ方がいいな。アグロウの村まで、もうすぐだ。あと半日もない」
「夜の内にここを出た方がいいかな? 人目を避けて、目立たないように」
するとシオンは目を伏せた。
数秒ばかりの思案の後で、彼がエルドレッドに真紅の目を向けてきた。
「……いや、
シオンが続ける。
「明日は夜明けと同時に出よう。欲しいものがあるなら、今の内に買いに行け。大方の物は、この商店街で手に入る」