一.
文字数 4,447文字
戦士の少年は、キッと正面を見据えた。
飾り気のない鉄の胸甲に身を固めたその戦士は、まだ十六、七才だろうか。使い込まれた素朴な長剣、それに傷だらけの丸盾を構え、戦う意志を露わにする。
吹き抜ける乾いた風が砂塵を巻き上げ、彼の亜麻色の柔らかな髪を不穏に揺らす。
どこか柔和な顔付きながら、彼が鋭く鳶色の視線を注ぐ先には、一人の男が立っている。
少年と同じように、素朴な胸甲と長剣、それに丸盾で武装した一人の戦士だ。その顔はすっぽりと黒い覆面で覆われていて、素顔どころか年恰好さえ判然としない。
お互いに似た装備。
それに筋まで同じような構えを取り、数歩の距離にお互い対峙する二人の戦士。違う所といえば、覆面の有無と各々の左腕に巻かれた布の色、だろうか。
覆面男の腕の布は若草色。
対する少年の腕には、目の覚めるような青い布が締めてある。
無言で相手の隙を探る少年戦士の気持ちが、徐々に高ぶってくる。それにつれ、普段よりも早さを増してくる自分の鼓動が、耳にうるさい。
倒すべき相手を前に、彼の緊張が最高潮に達した時、辺りにガシャン、とシンバルを打ち鳴らす音が響き渡った。
この音を合図にして、覆面の戦士が砂を蹴って跳び出した。
しかし少年は動じない。彼はグッと腰を落とし、盾を構え直す。
突進してくる覆面の戦士をしっかりと見つめ、右手の長剣を斜め下へと向けて覆面男の一撃を待ち構える。
覆面男はあっという間に少年に肉薄した。
振り上げられた剣が、少年に向けて打ち下ろされるかに見えたその瞬間、覆面男の盾が体の正面に構えられた。
そして刃の代わりに丸盾が、猛烈な勢いで少年にぶつかってくる。
「わっ」
思いがけない男の体の変化に、思わず声を上げた少年。
だが彼の怯んだ声とは裏腹に、その体は勝手に動く。構えた丸盾を打撃に使うのは、少年もよく知る戦術だ。
二度、三度と突き出される盾での体当たりを、彼は慣れた足さばきで右へ左へと器用にかわす。
同時に、少年は素早く思考を巡らせる。
――丸盾で突進してくる相手をどう倒すのか?――
答えは、すでに相棒から教えられている。
その教えを活かす機会を耽々と伺う少年。
そして数秒。
しびれを切らしたのか、男が忌々しげに舌打ちした。
すっと二歩だけ、少年から身を退いた男。踵を軸にして、男がくるりと身を反す。
見覚えのあるその動作を見て、少年がつぶやく。
「旋回盾撃 ……!」
少年が学んだ武芸の流派、“ノイ派”独特の技だ。
次の瞬間には、腰を捻って反動に載せた盾が、容赦なく少年の顔に叩き込まれるはず。
が、これこそが少年が待っていた一遇の機会だった。
サッと剣を鞘に収め、少年は自分の盾を両手で支える。次の瞬間、盾と盾とが激突し、ガンッ、と大鍋を叩き割るような音が響き渡った。
少年が渾身の膂力で撃ち返した覆面男の盾は、わずかに上へと撥ね上げられ、男の体が微妙に崩れた。
「よしっ!」
両目をきらりと鋭く光らせて、少年がパッと盾を投げ捨てた。
と、少年は男が腕に結わえた丸盾へ両手を延ばし、その両端をむんずと掴む。
「な、何を……!?」
覆面の男が初めて呻いた。
まだ若く力強い声だが、今は困惑に満ちている。少年の意図が読めないせいだろう。
少年も答えないまま、男の盾を両手でぐるりと回しに掛かった。力いっぱい面舵に取る、舵輪のように。
途端に、男が覆面の下から引き攣った悲鳴が上げた。
「痛い痛い!」
覆面男の左腕は、自分の盾にがっちり固定されている。
盾の回転に釣られ、男の左腕があらぬ方へと捩じられてゆく。ぎりぎりと、拷問のように。
輪軸の要領だ。
不自然に曲げられた覆面男の肘と手首が、盾の裏でみしみしと悲痛に軋む。程なく、苦痛に呑まれた男の右手から、剣が滑り落ちた。
鋒が地面を抉るわずかな音を聞き、少年の口元が会心に綻ぶ。
覆面男の盾を両手で掴んだまま、少年は右足の踵をがしっ、と男の踵に掛けた。
間髪を容れず、ふっと体の重心落とした少年が、男の盾に向かって渾身の力を浴びせ掛ける。
少年が男に仕掛けた、捻りの効いた投げ技。
踵を固められた覆面男の腰が、少年の掛けた梃子の力の前に、ぐらりと砕けた。
「あ!?」
息とも声ともつかない呻きとともに、完全に体の崩れた男は、地面に打ち倒された。
「く、くそ……っ!!」
仰向けに倒れた男が、慌てて起き上がろうとしたその刹那。
少年が抜き払った長剣が、倒れたままの男の喉元に突き付けられた。
覆面の男が大きなため息とともに、五体を地面に投げ出す。
「駄目だ。参った……」
男の潔い敗北の辞とともに、シンバルの音が轟いた。
そして大きな声が、辺りに響く。
「勝者、エルドレッド=ノイ=カッシアス! 階梯の昇格を認める!」
壮年男性の渋い声を聞き、名前を呼ばれた少年エルドレッドは、ホッと相好を崩した。
使い込まれた長剣を鞘に収め、自分の盾を拾い上げる彼の側に、声の主が歩み寄ってくる。
「昇格おめでとう、カッシアス殿」
少しばかり訛りはあるものの、きちんとしたこの大陸の共通語だ。
エルドレッドに祝福の言葉を掛けてきたのは、質素ですっきりとした身なりの男。歳は五十近いだろうか。穏やかな顔付きながら、目付きやまとった雰囲気には、どこか抜け目のなさが漂う。
その男は、裏表のない賞賛を顔に表して、笑顔で何度もうなずく。
「“剣士 ”の君は、この“錬士 ”と引き分けどころか、見事に打ち負かした。昇格試験は、文句なく合格だ」
「あ、ありがとうございます、師範代さん」
素直にお礼を述べたエルドレッドは、砂と汗とをわずかに被った髪をくしゃくしゃといじる。
そんなエルドレッドの前で、『師範代』が足元に目を落とした。グラウンドの砂の上では、覆面男がまだ仰向けに寝そべっている。
師範代が、覆面男の若草色の腕章と、エルドレッドの蒼い腕章を見比べた。
冒険者を張る戦士の世界では、若草色は第四階戦士を、青色は第三階戦士を象徴する。
師範代が苦笑めいた息を洩らし、エルドレッドに目を戻した。
「君は、ノイ派の第三階戦士“剣士 ”を終えて、第四階戦士“錬士 ”の仲間入りだ」
腕組みの師範代が、感慨深げに大きな吐息をつく。
「君はまだ十六、七だろう? その若さで第四階梯に到達するとは、何度も死地を踏み越えてきたのだろうな」
「あ、いや、えーと……」
ちょっぴり照れ臭さを覚えつつ、エルドレッドは十日ほど前の出来事を思い出していた。
鉱洞の奥深く、神々に創られたという巨樹との死闘。
……だが、何だかもうあの戦いも、遠い昔の出来事のようだ。
ふふっ、と独り小さく笑ってから、エルドレッドは改めて周囲を見回した。
今、エルドレッドが立っているのは、砂の地肌がむき出しのグラウンドだ。広さは数十歩四方ばかり、周囲は三方を灰色の高い石塀に囲まれている。残る一辺を塞ぐように、二階建ての石の建物の壁がそそり立つ。飾り気の全くない、実用本位の建物。このグラウンドは、塀に囲まれたその建物の裏庭になっていた。
ここは、あのノイラの村から離れた街道筋の街にある、ノイ派の武芸を教える道場だ。
エルドレッドはこの道場で学んだワケではないが、同じノイ派の戦士。冒険者を張る戦士たちは、同門の道場で階梯の昇格試験を受けることができる。
階梯が上がれば、それだけ腕のある戦士だと見なされ、名を揚げる機会も増える。だから冒険者を張る戦士たちは、ことある毎に同門の道場を訪ねて、階梯の昇格試験を受けるのだ。
もちろん、それ相応の謝金は必要だが。
エルドレッドも、一つの大きな役目を終えて、階梯の昇格に挑戦していた。そして試験官を務める第四階戦士を打ち倒し、自分が第四階戦士に並ぶ腕の持ち主だと、証明したのだった。
師範代がエルドレッドを道場の建物へと促す。
「では道場へ戻ろうか。君の登録を更新して、謝金を頂こう」
師範代が、まだ地面に仰向けた覆面の男に苦笑交じりの声を掛ける。
「起きろ、師範。そんなに疲れたか?」
覆面の男が、むくりと身を起こす。
足を投げだしてグラウンドに座り込んだまま、男が覆面をばっと脱ぎ去った。
中から現われたのは、若い男の顔だ。二十代初めくらいだろうか。さっぱりと髪を刈った、気の良さそうなその青年が、不服げに眉根を寄せる。
「コイツが強かったのは認めるけど、あんな戦い方は卑怯じゃない? いきなり組み付いて、投げに来るなんて」
「何を言うか」
師範代が、憤然と師範を諭す。
「使える物は何でも使う。剣でも盾でも、武器が駄目なら拳でも。最後の最期まで、諦めずに戦う。それが我らノイ派の戦士だ。違うか? 師範よ」
誇らしげに胸を反らせた師範代が、エルドレッドと師範を交互に見遣る。
「名より実を重んじる我々ノイ派は、生き延びるためなら、その場の何でも使う。工夫と機転で、死地から逃れる。それが我らの神髄だ。まあその分、型を重んじる騎士 などの心象は、良くはないがな……」
一瞬うなだれた師範代だったが、すぐに顔を上げ、エルドレッドに目を向けた。
「その意味で、師範の旋回盾撃 に仕掛けた君の返し技は、実に模範的だった。君を鍛えた人物と、君が得てきた経験は、並々ではないだろう。私には分かる」
師範代が、まだちょっぴり不満そうな師範の肩をポンと叩いた。
「さあ、師範も彼を祝福してやりなさい。有望なノイ派の戦士になりつつある彼を。彼の名が揚がれば、我々ノイ派の声望も上がるというものだぞ」
師範代がニヤリと笑ってエルドレッドをチラ見する。
「実際、彼の名前は、少しずつだが知れてきているそうだ。何か凄い怪物を倒したらしい、とな」
「え? あ、いや、えーと……」
ちょっぴり面映ゆくなったエルドレッド。
“冒険者”の世界は、どういうワケか噂が速い。ちょっとした情報も、あっという間に広がってゆく。有名になるのは嬉しいが、やっぱりどこか恥ずかしい。
わずかにうつむいたエルドレッドを見て、師範がはあ、と息を吐いた。
「分かりましたよ、師範代」
ははは、と明朗に笑って、師範が立ち上がった。これまでとは打って変わった爽やかな笑顔で、右手を差し出す。
エルドレッドも、おずおずと師範の右手を握った。
そんな彼の手をギュッと握り返し、師範が明るく言う。
「昇格、おめでとう。この調子で、これからもお互いに生き延びような」
飾り気のない鉄の胸甲に身を固めたその戦士は、まだ十六、七才だろうか。使い込まれた素朴な長剣、それに傷だらけの丸盾を構え、戦う意志を露わにする。
吹き抜ける乾いた風が砂塵を巻き上げ、彼の亜麻色の柔らかな髪を不穏に揺らす。
どこか柔和な顔付きながら、彼が鋭く鳶色の視線を注ぐ先には、一人の男が立っている。
少年と同じように、素朴な胸甲と長剣、それに丸盾で武装した一人の戦士だ。その顔はすっぽりと黒い覆面で覆われていて、素顔どころか年恰好さえ判然としない。
お互いに似た装備。
それに筋まで同じような構えを取り、数歩の距離にお互い対峙する二人の戦士。違う所といえば、覆面の有無と各々の左腕に巻かれた布の色、だろうか。
覆面男の腕の布は若草色。
対する少年の腕には、目の覚めるような青い布が締めてある。
無言で相手の隙を探る少年戦士の気持ちが、徐々に高ぶってくる。それにつれ、普段よりも早さを増してくる自分の鼓動が、耳にうるさい。
倒すべき相手を前に、彼の緊張が最高潮に達した時、辺りにガシャン、とシンバルを打ち鳴らす音が響き渡った。
この音を合図にして、覆面の戦士が砂を蹴って跳び出した。
しかし少年は動じない。彼はグッと腰を落とし、盾を構え直す。
突進してくる覆面の戦士をしっかりと見つめ、右手の長剣を斜め下へと向けて覆面男の一撃を待ち構える。
覆面男はあっという間に少年に肉薄した。
振り上げられた剣が、少年に向けて打ち下ろされるかに見えたその瞬間、覆面男の盾が体の正面に構えられた。
そして刃の代わりに丸盾が、猛烈な勢いで少年にぶつかってくる。
「わっ」
思いがけない男の体の変化に、思わず声を上げた少年。
だが彼の怯んだ声とは裏腹に、その体は勝手に動く。構えた丸盾を打撃に使うのは、少年もよく知る戦術だ。
二度、三度と突き出される盾での体当たりを、彼は慣れた足さばきで右へ左へと器用にかわす。
同時に、少年は素早く思考を巡らせる。
――丸盾で突進してくる相手をどう倒すのか?――
答えは、すでに相棒から教えられている。
その教えを活かす機会を耽々と伺う少年。
そして数秒。
しびれを切らしたのか、男が忌々しげに舌打ちした。
すっと二歩だけ、少年から身を退いた男。踵を軸にして、男がくるりと身を反す。
見覚えのあるその動作を見て、少年がつぶやく。
「
少年が学んだ武芸の流派、“ノイ派”独特の技だ。
次の瞬間には、腰を捻って反動に載せた盾が、容赦なく少年の顔に叩き込まれるはず。
が、これこそが少年が待っていた一遇の機会だった。
サッと剣を鞘に収め、少年は自分の盾を両手で支える。次の瞬間、盾と盾とが激突し、ガンッ、と大鍋を叩き割るような音が響き渡った。
少年が渾身の膂力で撃ち返した覆面男の盾は、わずかに上へと撥ね上げられ、男の体が微妙に崩れた。
「よしっ!」
両目をきらりと鋭く光らせて、少年がパッと盾を投げ捨てた。
と、少年は男が腕に結わえた丸盾へ両手を延ばし、その両端をむんずと掴む。
「な、何を……!?」
覆面の男が初めて呻いた。
まだ若く力強い声だが、今は困惑に満ちている。少年の意図が読めないせいだろう。
少年も答えないまま、男の盾を両手でぐるりと回しに掛かった。力いっぱい面舵に取る、舵輪のように。
途端に、男が覆面の下から引き攣った悲鳴が上げた。
「痛い痛い!」
覆面男の左腕は、自分の盾にがっちり固定されている。
盾の回転に釣られ、男の左腕があらぬ方へと捩じられてゆく。ぎりぎりと、拷問のように。
輪軸の要領だ。
不自然に曲げられた覆面男の肘と手首が、盾の裏でみしみしと悲痛に軋む。程なく、苦痛に呑まれた男の右手から、剣が滑り落ちた。
鋒が地面を抉るわずかな音を聞き、少年の口元が会心に綻ぶ。
覆面男の盾を両手で掴んだまま、少年は右足の踵をがしっ、と男の踵に掛けた。
間髪を容れず、ふっと体の重心落とした少年が、男の盾に向かって渾身の力を浴びせ掛ける。
少年が男に仕掛けた、捻りの効いた投げ技。
踵を固められた覆面男の腰が、少年の掛けた梃子の力の前に、ぐらりと砕けた。
「あ!?」
息とも声ともつかない呻きとともに、完全に体の崩れた男は、地面に打ち倒された。
「く、くそ……っ!!」
仰向けに倒れた男が、慌てて起き上がろうとしたその刹那。
少年が抜き払った長剣が、倒れたままの男の喉元に突き付けられた。
覆面の男が大きなため息とともに、五体を地面に投げ出す。
「駄目だ。参った……」
男の潔い敗北の辞とともに、シンバルの音が轟いた。
そして大きな声が、辺りに響く。
「勝者、エルドレッド=ノイ=カッシアス! 階梯の昇格を認める!」
壮年男性の渋い声を聞き、名前を呼ばれた少年エルドレッドは、ホッと相好を崩した。
使い込まれた長剣を鞘に収め、自分の盾を拾い上げる彼の側に、声の主が歩み寄ってくる。
「昇格おめでとう、カッシアス殿」
少しばかり訛りはあるものの、きちんとしたこの大陸の共通語だ。
エルドレッドに祝福の言葉を掛けてきたのは、質素ですっきりとした身なりの男。歳は五十近いだろうか。穏やかな顔付きながら、目付きやまとった雰囲気には、どこか抜け目のなさが漂う。
その男は、裏表のない賞賛を顔に表して、笑顔で何度もうなずく。
「“
「あ、ありがとうございます、師範代さん」
素直にお礼を述べたエルドレッドは、砂と汗とをわずかに被った髪をくしゃくしゃといじる。
そんなエルドレッドの前で、『師範代』が足元に目を落とした。グラウンドの砂の上では、覆面男がまだ仰向けに寝そべっている。
師範代が、覆面男の若草色の腕章と、エルドレッドの蒼い腕章を見比べた。
冒険者を張る戦士の世界では、若草色は第四階戦士を、青色は第三階戦士を象徴する。
師範代が苦笑めいた息を洩らし、エルドレッドに目を戻した。
「君は、ノイ派の第三階戦士“
腕組みの師範代が、感慨深げに大きな吐息をつく。
「君はまだ十六、七だろう? その若さで第四階梯に到達するとは、何度も死地を踏み越えてきたのだろうな」
「あ、いや、えーと……」
ちょっぴり照れ臭さを覚えつつ、エルドレッドは十日ほど前の出来事を思い出していた。
鉱洞の奥深く、神々に創られたという巨樹との死闘。
……だが、何だかもうあの戦いも、遠い昔の出来事のようだ。
ふふっ、と独り小さく笑ってから、エルドレッドは改めて周囲を見回した。
今、エルドレッドが立っているのは、砂の地肌がむき出しのグラウンドだ。広さは数十歩四方ばかり、周囲は三方を灰色の高い石塀に囲まれている。残る一辺を塞ぐように、二階建ての石の建物の壁がそそり立つ。飾り気の全くない、実用本位の建物。このグラウンドは、塀に囲まれたその建物の裏庭になっていた。
ここは、あのノイラの村から離れた街道筋の街にある、ノイ派の武芸を教える道場だ。
エルドレッドはこの道場で学んだワケではないが、同じノイ派の戦士。冒険者を張る戦士たちは、同門の道場で階梯の昇格試験を受けることができる。
階梯が上がれば、それだけ腕のある戦士だと見なされ、名を揚げる機会も増える。だから冒険者を張る戦士たちは、ことある毎に同門の道場を訪ねて、階梯の昇格試験を受けるのだ。
もちろん、それ相応の謝金は必要だが。
エルドレッドも、一つの大きな役目を終えて、階梯の昇格に挑戦していた。そして試験官を務める第四階戦士を打ち倒し、自分が第四階戦士に並ぶ腕の持ち主だと、証明したのだった。
師範代がエルドレッドを道場の建物へと促す。
「では道場へ戻ろうか。君の登録を更新して、謝金を頂こう」
師範代が、まだ地面に仰向けた覆面の男に苦笑交じりの声を掛ける。
「起きろ、師範。そんなに疲れたか?」
覆面の男が、むくりと身を起こす。
足を投げだしてグラウンドに座り込んだまま、男が覆面をばっと脱ぎ去った。
中から現われたのは、若い男の顔だ。二十代初めくらいだろうか。さっぱりと髪を刈った、気の良さそうなその青年が、不服げに眉根を寄せる。
「コイツが強かったのは認めるけど、あんな戦い方は卑怯じゃない? いきなり組み付いて、投げに来るなんて」
「何を言うか」
師範代が、憤然と師範を諭す。
「使える物は何でも使う。剣でも盾でも、武器が駄目なら拳でも。最後の最期まで、諦めずに戦う。それが我らノイ派の戦士だ。違うか? 師範よ」
誇らしげに胸を反らせた師範代が、エルドレッドと師範を交互に見遣る。
「名より実を重んじる我々ノイ派は、生き延びるためなら、その場の何でも使う。工夫と機転で、死地から逃れる。それが我らの神髄だ。まあその分、型を重んじる
一瞬うなだれた師範代だったが、すぐに顔を上げ、エルドレッドに目を向けた。
「その意味で、師範の
師範代が、まだちょっぴり不満そうな師範の肩をポンと叩いた。
「さあ、師範も彼を祝福してやりなさい。有望なノイ派の戦士になりつつある彼を。彼の名が揚がれば、我々ノイ派の声望も上がるというものだぞ」
師範代がニヤリと笑ってエルドレッドをチラ見する。
「実際、彼の名前は、少しずつだが知れてきているそうだ。何か凄い怪物を倒したらしい、とな」
「え? あ、いや、えーと……」
ちょっぴり面映ゆくなったエルドレッド。
“冒険者”の世界は、どういうワケか噂が速い。ちょっとした情報も、あっという間に広がってゆく。有名になるのは嬉しいが、やっぱりどこか恥ずかしい。
わずかにうつむいたエルドレッドを見て、師範がはあ、と息を吐いた。
「分かりましたよ、師範代」
ははは、と明朗に笑って、師範が立ち上がった。これまでとは打って変わった爽やかな笑顔で、右手を差し出す。
エルドレッドも、おずおずと師範の右手を握った。
そんな彼の手をギュッと握り返し、師範が明るく言う。
「昇格、おめでとう。この調子で、これからもお互いに生き延びような」