七.

文字数 5,188文字

 アグロウの広場の片隅に、ちろちろと燃える赤い焚き火。
 無人の広場に、小枝の弾けるぱちぱちという音と、戦士エルドレッドの声だけが静かに広がってゆく。
 炎の傍らに座るエルドレッドは、隣に腰を下ろす爬虫人チマルポポカの求めるまま、あの命狩る花について語り続ける。咲く花の特徴や見た目、親樹の概観、侵入者への攻撃方法など、エルドレッドが実際に鉱洞の深奥で経験したことの全てを語る。
 その一方で、チマルポポカはエルドレッドの話に熱心に耳を傾けながら、手にした紙に記録をのこしてゆく。
 やがて小一時間も過ぎた頃、エルドレッドは小さく吐息をついた。

「……これで、俺の知ってることは全部話したよ」
「なるほど、おかげでよく分かった。ありがとう」

 満足そうに何度もうなずきつつ、チマルポポカが何枚もの記録の紙を丁寧に折りたたむ。

 「何しろ“命狩る花”の目撃事例は少なく、戦って生還した者はさらに希少だ。あなたからの聞き取りは、とても貴重な一次資料になる」

 薄茶色の紙束を注意深くしまい込みながら、チマルポポカがエルドレッドに金色の目を向けた。

「では最後に、“命狩る花”の種を頂きたい。よろしいか?」
「ああ、いいよ」

 軽く答え、エルドレッドは下ろしたザックの中から、掌に載るほどの小さな革袋を取り出した。

「ほら、これだよ」
「どれどれ……」

 エルドレッドから革袋をそっと受け取ったチマルポポカは、堅く結ばれた口紐を注意深く解いてゆく。すぐに袋の口を開いたチマルポポカは、大きな掌の上に、袋の中身を空けた。
 鉤爪のついた爬虫人の手の上には、紡錘形をした銀色の物体が一つ、転がっている。大きさはドングリ程度だろうか。その形は、つい夕方、エルドレッドが襲撃を受けた投石に、どこか似ている。

「……!」

 ちくっと胸の痛みを覚え、エルドレッドの眉根がわずかに歪む。
 そんなエルドレッドに構うことなく、金色の大きな眼を皿のように見開いて、チマルポポカが嘆息を洩らす。

「なるほどなるほど。これは変わっている……」

 チマルポポカが、種をじっくりと眺め回す。爬虫人の太い人差し指と親指の爪の間で、銀の種は炎を浴びて朱色に染まる。
 やがて爬虫人は種を袋に戻し、懐に仕舞い込んだ。

「確かに頂いた。では、私も約束の対価を支払おう」

 そう言って、チマルポポカがポンチョの内側をごそごそと探る。ちゃりんちゃりん、と貨幣のかち合う音が聞こえ、すぐにこの爬虫人が大きな拳骨をぬっと突き出した。

「どうか受け取って欲しい」

 エルドレッドが無造作に開いた右手の上に、チマルポポカもおもむろに拳を緩める。同時に、彼の手の中へと、金貨がちゃらちゃらと零れ落ちてきた。山吹色に焚き火を照り返す金貨は、全部で十五枚。チマルポポカの言葉どおりの枚数だ。

 こくりとうなずいて、エルドレッドは金貨を無造作にトラウザスのポケットへとねじ込んだ。
 そんなエルドレッドの動作を見守って、チマルポポカも満足そうにうなずく。

「これで取引は完了した。私の目的も果たされた。あとは……」

 つぶやくように言いながら、チマルポポカがどこからか薄いものを取り出すと、それをエルドレッドにそっと差し出した。何かの紙のようだ。

「何?」

 チマルポポカと、差し出された紙を見比べるエルドレッドに、この爬虫人が短く答える。

「預かった。あなたに渡すように」
「俺に? 誰から……?」
「封筒の裏に署名がある。あなたに渡せば分かる、そう言われた」

 チマルポポカから思いがけない言葉を聞き、面食らうエルドレッド。
 それでも彼は、おずおずと紙を受け取った。
 それは薄茶色の質素な紙で作られた、一通の封筒だ。手紙だろう。
 焚き火の明かりを頼りに、エルドレッドは封筒を裏返してみた。裏面の隅の方に、黒い文字で差出人の署名がしたためてある。細いコンテのような筆記具で書かれた共通語は、確かにこう読める。

 ――シオン=ファン・ヴェスパ=フォーレン――、と。

 普段、シオンが名乗っていた姓名だ。

 弓なりに跳び上がったエルドレッド。棒立ちになり、震える手で封筒を開きかけた彼だった。
 が、ふとうなだれる。

 ……何だろう? シオンからの手紙。
 今すぐに封を切って、手紙を読みたい。読みたいはずなのに、何故か、胸が痞えて指が強張る。エルドレッドを冷たく切り捨てたクセに、今さら何を伝えようというんだろう……?
 そんな反発や意地、恨みのような粘ついた黒い感情が、封筒を持つ彼の手に絡み付く。
 立ち尽くすエルドレッドに、チマルポポカが飄々と聞いてくる。

「手紙を読まないのか? カッシアス殿」

 座ったままのこの爬虫人は、炎の映る金色の眼をエルドレッドへ注ぐ。

「その手紙は、あなたの相棒の“白い蜂”が、あなたに託したものなのだろう?」
「えっ? シオンを知ってる?」

 思わず向き直ったエルドレッドに、チマルポポカがそっけなくうなずいた。

「その手紙は、先ほど“白い蜂”がこの場で書いて、私に預けたものだ」

 チマルポポカが無感情に告げる。

「私たちは、あなた方を追っていた。私はあなたを探していたが、“飛石のミゲル”殿と“首狩りテッド”殿の二人は、“白い蜂”を追っていた」

 ――飛石のミゲル――

 エルドレッドの脳裏に、夕方の死闘が蘇ってくる。
 よくは聞き取れなかったが、シオンが口にした名前と恐らく同じだ。断定はできないが、たぶん、あの投石帯使いの男のことだろう。
 エルドレッドは、チマルポポカに直截な問いを投げた。

「『飛石のミゲル』って、何者なんだ?」
「名うての賞金稼ぎだ。髭面の投石帯使いとして、知れ渡っている」

 チマルポポカも、ずばりと答える。

「“白い蜂”に掛けられた賞金を目当てに、彼を追う者の一人だ」
「えっ? じゃあ……」

 絶句したエルドレッド。突っ立つ彼に、チマルポポカが無関心そうに告げる。

「先ほど森の出口で、首と両手を斬り落とされたミゲル殿の死体を見た。“白い蜂”に返り討ちにされたのだろう。見事な切断面だった。だが……」

チマルポポカが金色の眼を伏せた。

「“白い蜂”も、それなりに負傷をしたようだ。ミゲル殿も、相応に名の知られた賞金稼ぎだから、やはり相応の爪痕を“白い蜂”
に残したのだろう」

 エルドレッドの脳天から胸の底まで、鉄の杭を撃ち込まれたような衝撃が、ずんと貫いた。

 ……シオンは、自分が狙われていることを知っていた?
 エルドレッドに別れを衝きつけたのは、見捨てたのではなく、彼にまで危険が及ぶのを避けるため……?
 
 エルドレッドは一気に封筒を破り、中から四つに折られた薄黄色の紙を引っ張り出した。震える指先で紙を開くと、墨色の走り書きが並んでいる。それでもきちんと読み取れる、達筆な共通語だ。
 彼は乱れる息を必死に抑えながら、文章を目で追う。


――いきなりの仕打ちで、驚いた事と思う。
 だが他に手がなかった。
 あのままクライフの実家にいたら、生き残れた者は、誰もいなかっただろう。

 お前は、かねてから俺の種族を知りたがっていたから、今ここで明かす。
 何故なら、俺がお前を突き放した理由と、関係があるからだ――

 確かに、シオンの種族はずっと聞きたかったエルドレッドだ。
 ついくすっと苦笑を洩らし、エルドレッドは手紙を読み続ける。

――信じないだろうが、俺は翳精人(ウンブラ・アールヴ)だ。
 黒い翳精人の中の、一握りの“白の氏族(ブラン・ブランチ)”。
 それが俺の一族だ。
 特別扱いされながら、その実、抑圧された生活に嫌気が差し、俺は二十数年前に王国を棄てた。

 しかし翳精人の王国は、出奔を許さない。
 俺のような“自由翳精人(リベルタン)”を狩る“始末人(エグゼキュータ)”が、北大陸の王国から差し向けられた。
 だが北大陸の王国は、虚無王の死と共に崩壊し、始末人はほとんど姿を消した。

 それでも執拗に自由翳精人を狩り立てる始末人が、何人か生き残っている。
 その中で最も強いのが、テオドルス=ネロン=ザイ。
 お前が見た、片耳の男だ。
 奴の片耳は、かつて俺が斬り落とした。――

 エルドレッドは、このアグロウに入る直前に、丘の上に見たシルエットを思い出した。その異様な雰囲気と圧倒的な悪意を思い浮かべるだけで、吐き気と身震いが襲ってくる。

――あの男は“首狩りテッド”と異名を取る、無情な始末屋だ。
 目的を果たすためなら、どんな手段も厭わず、平気で周囲を巻き込む。
 そして奴の狙いは、俺の命だ。
 俺を殺すためなら、俺の側にいる者も、誰彼なく、喜んで殺すだろう。
 俺も首狩りテッドと正面から戦って、必ず勝てる自信はない。

 そんな男が、すぐそこまで迫っている。
 だから、俺はすぐにお前たちから離れなくてはならなかった。
 そのまま俺が一緒にいれば、お前もクライフの御母堂も、間違いなく殺される――

 エルドレッドは、目が熱くなるのを堪えきれない。
 唇が、だらしなく戦慄くのが分かる。

――お前も俺も、あの命狩る花の件で、目立ち過ぎてしまったようだ。
 俺の消息は知れ渡り、俺に掛けられた賞金を狙う連中が、俺を追ってきている。
 俺が始末した賞金稼ぎ、飛石のミゲルのように。

 仮にテッドのことがなかったとしても、これ以上お前が俺と行動を共にすれば、お前の身にも危険が及ぶ。

 お前はまだ若い。
 まだまだ強くなるだろう。
 できるなら、もう少しだけ、お前の側でお前の成長を確かめたかった。
 だがもうそれは叶わない。

 簡単に情に釣られる、お前の甘さには心配が尽きない。
 しかし、ひとには変えなくてはならないものと、変えてはならないものがある。
 それを見極めて、お前は自分を信じて前へ進め。

 俺が命を長らえたら、いつか、海と城の見える街で酒を酌み交わそう。
 そこで、このアグロウでの俺の仕打ちを、直に詫びたい。
 そのときまで、しばしの別れを。

 シオニウス=ファン・ヴェスパ=フォーレンより、
 我が永遠の友、エルドレッド=ノイ=カッシアスへ――


 エルドレッドの目に映る手が見の文字が、ゆらゆらと海面のように揺れる。
 とめどなく溢れる涙をぬぐうことも忘れ、茫然と立ち尽くす彼だった。

 ……あの仕打ちは、エルドレッドとクライフの母親の身を案じてのことだった。
 やっぱりシオンは、豹変などしていなかったのだ。
 初めから終わりまで、シオンはエルドレッドの知っているシオンのままだった。

 別れの手紙を落涙に濡らし、彼はキッと顔を上げた。

「助けに行かなきゃ……!」

 エルドレッドはくしゃくしゃの顔を拭こうともせずに、座ったままのチマルポポカに向き直る。

「シオンはどっちに行った!? あんた、見ていたんだろ? シオンが行くのを……!」
「もちろんだ」
 
 こともなげにうなずいたチマルポポカが、エルドレッドに冷淡な眼差しを向ける。

「だが、差し出がましいようだが、彼を助けに行くのは、止めておいた方が賢明だと思う」
「どうして!?」

 声を荒げたエルドレッド。そんな半ば喧嘩腰の彼を飄々と見ながら、チマルポポカが冷静に語る。

「失礼を承知で問わせてもらうが、あなたが加勢したところで、ザイ殿はどうにかできる相手なのか? あなた程度の中堅戦士が」
「それは……」

 言葉に詰まって、エルドレッドはうつむく。

 ……確かに手紙には、シオンでも勝てるかどうか分からない、と書いてあった。
 恐らくは第四階戦士になったばかりのエルドレッドがどうこうできる相手ではないだろう。
 しかしそんな相手なら、なおのことシオンを独りになどできるワケがない。

「でもそんなこと、やってみなくちゃ分からないじゃないか!」

 エルドレッドは、チマルポポカをグッと睨んで言い返した。
 と、彼の真剣な視線を正面から受け止めて、ぬっとチマルポポカが立ち上がる。

「では、今一つ問おう」

 エルドレッドの頭の上から、巨漢チマルポポカがのしかかるように見下ろしてくる。その大きな金色の両眼は、炎の舌を映して朱色に燃え上がる。くっきりとした陰影を身に刻まれて、爬虫人は得も言われぬ迫力を帯びて屹立する。
 内心の怯みをひたすらに押し隠し、チマルポポカを仰ぐエルドレッド。そんな彼に、爬虫人がゆっくりと問いかける。

「あなたにとって、『白い蜂』とは何だ……?」
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