三.
文字数 4,608文字
翌朝早く。
夜明け前にベッドを降りたエルドレッドは、即座に身支度を整えにかかる。
使い慣れた剣と胸甲を身に帯び、ずっしりと重いナップサックを背中に背負う。この粗末なナックサックこそ、幾つものサファイアの原石を収めた、大切な荷物だ。恩人でもある先輩冒険者から預かり、彼の実家へ届ける、誰にも渡せない宝物。
エルドレッドは、大事なナップサックを隠すように、丸盾をしっかりと背中に負った。
そして曙光がこの街に差し掛かる頃には、エルドレッドとシオンは、この宿場町クローケスを後にした。
街道の端に立ち止まったエルドレッドが、大きく伸びをする。
「んあー、いい天気……」
真上に延ばされた彼の両腕が、グッと天を衝く。
と、ふっと脱力して、エルドレッドは空を見上げた。
セルリアンブルーの蒼穹に縫い付けられた、薄く透ける、無数の白い魚鱗。黄金色の太陽は、その白い雲と、緑の地平の合(あわ)いから、澄み切った無窮の光を投げかけてくる。
そうしてエルドレッドは、改めて周囲をぐるりと見渡す。
丈の短い下草が揺れる、のどかな丘陵地。そのなだらかに波打つ緑の大地の上に、一筋の石の道が刻まれている。
今エルドレッドたちが立っているのは、この国の王都までたどれる主要街道だ。食べ物、資源、それに情報を運ぶ、この国の大動脈と言える。それだけに、まだ早朝にも関わらず、人々も荷馬車も結構な数が往来する。
徒歩の旅人や商人、冒険者が広い街道の両端を行き来し、貨物を満載した荷馬車が道の真ん中を走り抜けてゆく。不穏の影など、どこにも窺えない。
っはあ、という息を吐いたエルドレッドは、背後へと向き返った。
すぐ後ろに、わざと薄汚れた身なりを装うシオンの白い顔が見える。やはり例のごとく、無感情無表情、冷淡な美貌を貫くシオン。彼とすれ違う女性の誰もが、頬を赤らめてシオンを二度見してゆく。しかしシオンは一切関心を示さず、どんな美女とすれ違っても一顧だにしない。
そんなシオンに苦笑を洩らしたエルドレッドだったが、すぐに真顔に戻った。
「今のところ、追い剥ぎとか山賊とかはいなさそうだね」
「今のところはな」
肩越しにザックを担ぎ、片手に小太刀を提げたシオンが、抑揚なく答えた。彼は真紅の瞳だけをちらりちらりと左右に寄越す。
「まだ朝方のこの人出だ。この街道筋では、目立つ真似はできないだろう」
「俺、アグロウの村って知らないんだけど、シオンは知ってるんだよね? 夜までには着ける?」
シオンがうなずく。
「問題は、アグロウの手前辺りか」
そう言って、シオンが歩き出した。
エルドレッドも、相棒を足早に追う。
「アグロウの村は、数十年前に無住の原始林を切り拓いた、貧しい寒村だ」
「意外に新しいんだね、アグロウって」
エルドレッドの驚きの声に、シオンが背中でうなずいた。
「畑はあるが、まだ未開墾の森やら沼沢やら、丘やらが残っている。どの経路から村に入るか……」
「街道とはつながってない?」
「この街道からアグロウ方面へは、二つの枝道がある。原野を避けて平野を通る迂回路と、未開拓の原始林を突っ切る近道だ」
説明するシオンの口調は、実に事務的だ。
が、日ごろから行動を共にするエルドレッドは、その中に潜む危惧の臭いを嗅ぎ取った。しかしシオンの真意が分からないエルドレッドは、足を止めないまま、素直に相棒に聞く。
「じゃあ、どっちの道からアグロウに入るのがいい? やっぱり見晴らしのいい道から?」
「いや、今回は森を抜ける。急ごう」
「あ、うん。分かった」
エルドレッドは素直に答えた。
一見、いつもと何も変わらない風なシオンの受け答えだが、何か違和感を覚えたエルドレッド。何がどう違うのか、エルドレッドにもハッキリとは説明ができない。しかし直感的な引っ掛かりが、エルドレッドの歩調を鈍くする。
彼の遅れを察したのか、六歩先からシオンが振り向いた。その表情は、いつに変わらない冷淡ぶりだ。感情の動きが全く読み取れない。
「どうした? 急ぐぞ」
「あ、うん」
相棒に急かされて、エルドレッドも小走りにシオンとの距離を狭めた。
そうして、歩き続けること数時間。
街道をたゆまず進むエルドレッドの周囲の風景が変わり始めた。
行き交う人の群れ自体には、大きな変化はない。が、緩やかな勾配を繰り返す大地は、凪の海原のように真っ平らになった。
遥か彼方までぐるりと見渡せた地平も、街道の左側は鬱蒼とした新緑の木立に覆い隠されている。そして黄金の日輪は、磨き上げられた赤銅の鏡のように、西の空へと架かりつつある。
斜陽に変わりつつある日差しを浴びながら、シオンとエルドレッドは街道の三叉路に立った。
今、エルドレッドたちの前には、白っぽい石柱が立っている。
ざらざらと風雨に曝され白化した表面だが、何度も彫り直されているのか、刻まれた文字はハッキリと読み取れる。
「『西、至王都グランスフィア。北、アグロウ』」
この道標を読み上げて、エルドレッドは細い枝道が延びる先へと目を向けた。
街道から分かれた枝道は、鬱蒼とした森の中へと延びている。幅も狭く、小ぶりな荷馬車が一台入ったら、それで目一杯だろう。二台の馬車がすれ違える余裕はない。
賑わう街道からこの枝道へと入っていく者も絶無で、緑の滴る森は、濃厚な静けさと、のしかかるような圧迫感に覆われている。
「ホントにこっちの道で大丈夫?」
エルドレッドがおずおずとシオンに聞く。
これまでシオンの判断の誤りなど、ただの一度も記憶にないエルドレッド。だが今度ばかりは、シオンの考えに疑問を差し挟んでみる。
「盗賊が宝石を狙ってるんなら、もっと人目に付く道の方が良くない?」
相棒の質問にも、シオンは沈黙を貫く。
エルドレッドを皮肉めいた斜視に捉えたシオンの赤い目は、やはりいつに変わらず冷淡に映る。
しかしエルドレッドは気が付いた。シオンの瞳の底に潜む、エルドレッドへの気遣いに。
……名うての暗殺者がこの暗い森の道を選ぶからには、何か相応のワケがあるのに違いない。
エルドレッドは、それ以上の質問をぐっと呑み込み、こくりとうなずいた。
そして道標から離れ、彼はシオンの先に立って、絡み合う梢の天蓋が覆い被さる枝道に踏み込んだ。
鬱蒼とした枝葉が造る、薄暗い隧道。
そんな表現がぴったりの小路だ。天を仰いだところで、見えるのは広葉樹の枝々と蔦ががっちりと編み上がった、さして高くもない天井だけだ。
ただ籠目のような梢の隙間から、申し訳程度の木洩れ日が、砂時計の砂のようにちょろちょろと頭の上にこぼれてくる。聞こえてくるのは、鳥のさえずりだけ。ひとの気配は全く感じられない。
「この森には人間 も精人 もいないのかな?」
「この原始林には、人類は住まなかった。アグロウの住民が入植するまで、樹精人 はもちろん、子鬼 たちもな」
シオンの言葉に、エルドレッドは足を止めずに首を傾げた。
「どうしてなんだ?」
「決まっているだろう。もっと豊かで住み易い森が、よそに幾らでもあるからだ」
シオンが無表情に続ける。
「アグロウの最初の入植者は、精人さえ寄り着かん森も、拓いて住まなくてはならなかった連中だ。その理由は、俺も知らん」
ふと、疑問の湧いたエルドレッド。
……シオンは異人種、たぶん四つの精人のどれかだ。
しかしシオンは、これまでエルドレッドにも、自分の種族を明かしたことはない。今まで何度か聞くたびに、それとなくはぐらかされてきたエルドレッドだった。
彼は真横を歩くシオンの横顔を見上げた。そして特に他意なく、素っ気なく彼に質問を試みる。
「そういえば、シオンも精人 だよね? 樹精人 ?」
線の細い、雪のように白い肌と、儚げな佇まい。美しく幻想的な容姿は、噂に聞く“人類の次兄”精人そのものだ。
優男のシオンだが、その実、彼は“白い蜂”などと異名を取る暗殺者でもある。冷血っぽい無表情のまま、正面の虚空を見据えたままのシオンに、エルドレッドがぽつりと零す。
「今まで、教えてもらえなかったけど……」
……聞いてみても、どうせまた無視されるだろう。
内心そう思いながら、エルドレッドは今日も想像を巡らせる。
“精人”といえば、四つの人種がいる。
幻の“雪精人 ”。
悪名高い人間嫌いの“翳精人 ”。
隊商暮らしの陽気な“砂精人 ”。
それに、ひっそりと森に隠れ住む、樹海の佳人“樹精人 ”。
その中でも、この大陸にはいない雪精人と、黒檀色の翳精人は除外するとして、やはりシオンの可能性が高いのは、樹精人だろうか。
その樹精人も、人間よりも圧倒的に人口が少なく、出くわす機会はほとんどない、と聞いているが……。
足を止めずに考えるエルドレッドの耳に、シオンの聞こえよがしなため息が聞こえた。
「……後で教えてやる」
「え?」
予想外の相棒の返事を聞き、エルドレッドの口から魔の抜けた声が洩れた。
ハッとシオンの横顔を見上げた彼に、シオンの赤い横目が向けられる。
「お前が俺をどう思っているかは知らん。だが、ここまで一緒に来たお前だ。お前には、教えておいてやる。但し、クライフの実家に、宝石を届けおおせたらな」
そこでシオンが口を閉じた。
彼の真紅の瞳も、木々が造る隧道の奥を凝視している。
……一体どういう風の吹き回しなんだか。
シオンの突然の変化をどう考えたらいいのだろう? あれほど自分の種族を明かすのに消極的だった彼なのに。
やはり訝しい思いを払拭しきれない一方で、何となくシオンが自分を信頼してくれている、そんな実感がじわじわと湧いてくる。
緩んだ頬を隠すようにうつむいたエルドレッド。
そんな彼に、シオンが半眼の一瞥をくれた。
「気色の悪いヤツだ。離れて歩け」
「あ、ああ、うん」
シオンの呆れ切った言葉さえ、どこか温かく感じられてしまうエルドレッドだった。
そんな二人がこの森の隧道に踏み入って、十数分が過ぎた。
見えざる手に編み上げられた天蓋が濾す陽光の残滓も、いよいよ心細くなってきた。昼の力は隧道から放逐され、薄闇は迫りくる宵闇に融け入ろうとしている。
と、同時に、隧道の奥にはセピアカラーの光に満たされた歪んだ半円形が見える。
枝道の出口のようだ。
「ああ、もうすぐだね、シオン」
心の底からの安堵を覚え、エルドレッドはふう、と息を吐く。
あの変な髭のおっさんにも、盗賊にも襲われることなく、無事に宝石を届けられそうだ。歩調も自然と軽く早くなり、エルドレッドは一心に出口を目指して進む。
そして木立から一歩出た途端に、目映い陽光の残照が、エルドレッドの視界を奪う。
その瞬間、数歩後ろから、シオンの鋭い警句が響いた。
「戻れ! エルドレッド!」
夜明け前にベッドを降りたエルドレッドは、即座に身支度を整えにかかる。
使い慣れた剣と胸甲を身に帯び、ずっしりと重いナップサックを背中に背負う。この粗末なナックサックこそ、幾つものサファイアの原石を収めた、大切な荷物だ。恩人でもある先輩冒険者から預かり、彼の実家へ届ける、誰にも渡せない宝物。
エルドレッドは、大事なナップサックを隠すように、丸盾をしっかりと背中に負った。
そして曙光がこの街に差し掛かる頃には、エルドレッドとシオンは、この宿場町クローケスを後にした。
街道の端に立ち止まったエルドレッドが、大きく伸びをする。
「んあー、いい天気……」
真上に延ばされた彼の両腕が、グッと天を衝く。
と、ふっと脱力して、エルドレッドは空を見上げた。
セルリアンブルーの蒼穹に縫い付けられた、薄く透ける、無数の白い魚鱗。黄金色の太陽は、その白い雲と、緑の地平の合(あわ)いから、澄み切った無窮の光を投げかけてくる。
そうしてエルドレッドは、改めて周囲をぐるりと見渡す。
丈の短い下草が揺れる、のどかな丘陵地。そのなだらかに波打つ緑の大地の上に、一筋の石の道が刻まれている。
今エルドレッドたちが立っているのは、この国の王都までたどれる主要街道だ。食べ物、資源、それに情報を運ぶ、この国の大動脈と言える。それだけに、まだ早朝にも関わらず、人々も荷馬車も結構な数が往来する。
徒歩の旅人や商人、冒険者が広い街道の両端を行き来し、貨物を満載した荷馬車が道の真ん中を走り抜けてゆく。不穏の影など、どこにも窺えない。
っはあ、という息を吐いたエルドレッドは、背後へと向き返った。
すぐ後ろに、わざと薄汚れた身なりを装うシオンの白い顔が見える。やはり例のごとく、無感情無表情、冷淡な美貌を貫くシオン。彼とすれ違う女性の誰もが、頬を赤らめてシオンを二度見してゆく。しかしシオンは一切関心を示さず、どんな美女とすれ違っても一顧だにしない。
そんなシオンに苦笑を洩らしたエルドレッドだったが、すぐに真顔に戻った。
「今のところ、追い剥ぎとか山賊とかはいなさそうだね」
「今のところはな」
肩越しにザックを担ぎ、片手に小太刀を提げたシオンが、抑揚なく答えた。彼は真紅の瞳だけをちらりちらりと左右に寄越す。
「まだ朝方のこの人出だ。この街道筋では、目立つ真似はできないだろう」
「俺、アグロウの村って知らないんだけど、シオンは知ってるんだよね? 夜までには着ける?」
シオンがうなずく。
「問題は、アグロウの手前辺りか」
そう言って、シオンが歩き出した。
エルドレッドも、相棒を足早に追う。
「アグロウの村は、数十年前に無住の原始林を切り拓いた、貧しい寒村だ」
「意外に新しいんだね、アグロウって」
エルドレッドの驚きの声に、シオンが背中でうなずいた。
「畑はあるが、まだ未開墾の森やら沼沢やら、丘やらが残っている。どの経路から村に入るか……」
「街道とはつながってない?」
「この街道からアグロウ方面へは、二つの枝道がある。原野を避けて平野を通る迂回路と、未開拓の原始林を突っ切る近道だ」
説明するシオンの口調は、実に事務的だ。
が、日ごろから行動を共にするエルドレッドは、その中に潜む危惧の臭いを嗅ぎ取った。しかしシオンの真意が分からないエルドレッドは、足を止めないまま、素直に相棒に聞く。
「じゃあ、どっちの道からアグロウに入るのがいい? やっぱり見晴らしのいい道から?」
「いや、今回は森を抜ける。急ごう」
「あ、うん。分かった」
エルドレッドは素直に答えた。
一見、いつもと何も変わらない風なシオンの受け答えだが、何か違和感を覚えたエルドレッド。何がどう違うのか、エルドレッドにもハッキリとは説明ができない。しかし直感的な引っ掛かりが、エルドレッドの歩調を鈍くする。
彼の遅れを察したのか、六歩先からシオンが振り向いた。その表情は、いつに変わらない冷淡ぶりだ。感情の動きが全く読み取れない。
「どうした? 急ぐぞ」
「あ、うん」
相棒に急かされて、エルドレッドも小走りにシオンとの距離を狭めた。
そうして、歩き続けること数時間。
街道をたゆまず進むエルドレッドの周囲の風景が変わり始めた。
行き交う人の群れ自体には、大きな変化はない。が、緩やかな勾配を繰り返す大地は、凪の海原のように真っ平らになった。
遥か彼方までぐるりと見渡せた地平も、街道の左側は鬱蒼とした新緑の木立に覆い隠されている。そして黄金の日輪は、磨き上げられた赤銅の鏡のように、西の空へと架かりつつある。
斜陽に変わりつつある日差しを浴びながら、シオンとエルドレッドは街道の三叉路に立った。
今、エルドレッドたちの前には、白っぽい石柱が立っている。
ざらざらと風雨に曝され白化した表面だが、何度も彫り直されているのか、刻まれた文字はハッキリと読み取れる。
「『西、至王都グランスフィア。北、アグロウ』」
この道標を読み上げて、エルドレッドは細い枝道が延びる先へと目を向けた。
街道から分かれた枝道は、鬱蒼とした森の中へと延びている。幅も狭く、小ぶりな荷馬車が一台入ったら、それで目一杯だろう。二台の馬車がすれ違える余裕はない。
賑わう街道からこの枝道へと入っていく者も絶無で、緑の滴る森は、濃厚な静けさと、のしかかるような圧迫感に覆われている。
「ホントにこっちの道で大丈夫?」
エルドレッドがおずおずとシオンに聞く。
これまでシオンの判断の誤りなど、ただの一度も記憶にないエルドレッド。だが今度ばかりは、シオンの考えに疑問を差し挟んでみる。
「盗賊が宝石を狙ってるんなら、もっと人目に付く道の方が良くない?」
相棒の質問にも、シオンは沈黙を貫く。
エルドレッドを皮肉めいた斜視に捉えたシオンの赤い目は、やはりいつに変わらず冷淡に映る。
しかしエルドレッドは気が付いた。シオンの瞳の底に潜む、エルドレッドへの気遣いに。
……名うての暗殺者がこの暗い森の道を選ぶからには、何か相応のワケがあるのに違いない。
エルドレッドは、それ以上の質問をぐっと呑み込み、こくりとうなずいた。
そして道標から離れ、彼はシオンの先に立って、絡み合う梢の天蓋が覆い被さる枝道に踏み込んだ。
鬱蒼とした枝葉が造る、薄暗い隧道。
そんな表現がぴったりの小路だ。天を仰いだところで、見えるのは広葉樹の枝々と蔦ががっちりと編み上がった、さして高くもない天井だけだ。
ただ籠目のような梢の隙間から、申し訳程度の木洩れ日が、砂時計の砂のようにちょろちょろと頭の上にこぼれてくる。聞こえてくるのは、鳥のさえずりだけ。ひとの気配は全く感じられない。
「この森には
「この原始林には、人類は住まなかった。アグロウの住民が入植するまで、
シオンの言葉に、エルドレッドは足を止めずに首を傾げた。
「どうしてなんだ?」
「決まっているだろう。もっと豊かで住み易い森が、よそに幾らでもあるからだ」
シオンが無表情に続ける。
「アグロウの最初の入植者は、精人さえ寄り着かん森も、拓いて住まなくてはならなかった連中だ。その理由は、俺も知らん」
ふと、疑問の湧いたエルドレッド。
……シオンは異人種、たぶん四つの精人のどれかだ。
しかしシオンは、これまでエルドレッドにも、自分の種族を明かしたことはない。今まで何度か聞くたびに、それとなくはぐらかされてきたエルドレッドだった。
彼は真横を歩くシオンの横顔を見上げた。そして特に他意なく、素っ気なく彼に質問を試みる。
「そういえば、シオンも
線の細い、雪のように白い肌と、儚げな佇まい。美しく幻想的な容姿は、噂に聞く“人類の次兄”精人そのものだ。
優男のシオンだが、その実、彼は“白い蜂”などと異名を取る暗殺者でもある。冷血っぽい無表情のまま、正面の虚空を見据えたままのシオンに、エルドレッドがぽつりと零す。
「今まで、教えてもらえなかったけど……」
……聞いてみても、どうせまた無視されるだろう。
内心そう思いながら、エルドレッドは今日も想像を巡らせる。
“精人”といえば、四つの人種がいる。
幻の“
悪名高い人間嫌いの“
隊商暮らしの陽気な“
それに、ひっそりと森に隠れ住む、樹海の佳人“
その中でも、この大陸にはいない雪精人と、黒檀色の翳精人は除外するとして、やはりシオンの可能性が高いのは、樹精人だろうか。
その樹精人も、人間よりも圧倒的に人口が少なく、出くわす機会はほとんどない、と聞いているが……。
足を止めずに考えるエルドレッドの耳に、シオンの聞こえよがしなため息が聞こえた。
「……後で教えてやる」
「え?」
予想外の相棒の返事を聞き、エルドレッドの口から魔の抜けた声が洩れた。
ハッとシオンの横顔を見上げた彼に、シオンの赤い横目が向けられる。
「お前が俺をどう思っているかは知らん。だが、ここまで一緒に来たお前だ。お前には、教えておいてやる。但し、クライフの実家に、宝石を届けおおせたらな」
そこでシオンが口を閉じた。
彼の真紅の瞳も、木々が造る隧道の奥を凝視している。
……一体どういう風の吹き回しなんだか。
シオンの突然の変化をどう考えたらいいのだろう? あれほど自分の種族を明かすのに消極的だった彼なのに。
やはり訝しい思いを払拭しきれない一方で、何となくシオンが自分を信頼してくれている、そんな実感がじわじわと湧いてくる。
緩んだ頬を隠すようにうつむいたエルドレッド。
そんな彼に、シオンが半眼の一瞥をくれた。
「気色の悪いヤツだ。離れて歩け」
「あ、ああ、うん」
シオンの呆れ切った言葉さえ、どこか温かく感じられてしまうエルドレッドだった。
そんな二人がこの森の隧道に踏み入って、十数分が過ぎた。
見えざる手に編み上げられた天蓋が濾す陽光の残滓も、いよいよ心細くなってきた。昼の力は隧道から放逐され、薄闇は迫りくる宵闇に融け入ろうとしている。
と、同時に、隧道の奥にはセピアカラーの光に満たされた歪んだ半円形が見える。
枝道の出口のようだ。
「ああ、もうすぐだね、シオン」
心の底からの安堵を覚え、エルドレッドはふう、と息を吐く。
あの変な髭のおっさんにも、盗賊にも襲われることなく、無事に宝石を届けられそうだ。歩調も自然と軽く早くなり、エルドレッドは一心に出口を目指して進む。
そして木立から一歩出た途端に、目映い陽光の残照が、エルドレッドの視界を奪う。
その瞬間、数歩後ろから、シオンの鋭い警句が響いた。
「戻れ! エルドレッド!」