第35話 ターニングアロー

文字数 2,230文字

 メイはコンパウンドボウの使い方に新たな方法を思いついていた。
 工房に帰った翌日から裏の試験場で練習を重ねる。

 カーブする手榴弾、ナンチャラ手榴球。
 同じように射った弓を曲げることができるのではないかと。
 打ち上げた弓が落下で曲線を描くのではなく、横方向に描く曲線。
 障害物を避けて標的を打ち抜くターニングアロー。

 曲射弓術、左手の人差し指で弓を押すように押さえて、番えた弓を右左に曲げて放つ。

 最初は10mの距離から初めて1mを曲げる。
 近距離で負荷が軽い方が曲げやすくカーブの制御も簡単だった。
 
 「案外、簡単かも」
 そう思ったのは25mまでだった、それから先は極端に制御が難しい。
 風の影響にも左右されやすい、最適解を極めるためにはまだ時間と工夫が必要だ。

 メイは弓を扱う才能に秀でていた、感覚や視覚はもちろんだが身体のサイズに比較して手が長い、その中でも特に左手が右手に比べて10㎝近くも長いのだ。
 それだけ強く引くことが出来た。

 朝から昼も摂らずに打ち続けていたため宗一郎がサンドイッチを持ってきてくれた、試行錯誤の間に摘まんでみる。
 塩気の効いたハムと葉野菜、マスタードにハチミツはアカシアだ、もう一つはブルーチーズにオリゴ糖の甘さが利いている。
 温かい紅茶で流し込む、最後に指についたソースをペロッと舐めとる。
 寒さが吹き飛んだ。

 「集中していこー」

 腰かけたまま背伸びをひとつ、パドマが快調に回っている。
 イージスのオーバロードによる疲労は払拭されていた、
 全身に酸素が届いている。
 冬の日差しが優しい、あの激闘が嘘のように平和な空気。
 小さな木枯らしに舞う枯れ葉は踊っているようだ。

 ヒュオン トスンッ ヒュオン トスンッ
 試行錯誤しながら撃ち続けること13時間、日に500射を超えた。
 続けること3日目に究極の曲射といえる360°の射撃、直系50mで撃った場所に矢が戻る円環射撃に成功した。
 危うく自分に命中しそうになって慌てた。
 やっているとこれは純粋に楽しい、人殺しの技だということを忘れてしまいそうになる。

 夜は頭頂のパドマの起動を試していたが、こちらに大きな成果はなかった。
 ミロクとの接触に起因し、命の危機にさらされた状況で機動した奇跡は、意識的に動かすには、まだ時間がかかりそうだ。
 恒常的にエンパスの矢を使用することが出来れば索敵範囲内の個人戦闘では、ほぼ無敵だ。
 イシスの目標を完遂するための絶対的能力、どんなオーガであろうと蹂躙できる武力。
 
 姿を見せず、離れた距離から物理的な理りを排して、意思の力で敵の脳を破壊する。
 それは最早、人外の怪物。
 イシスが自分の復讐のためにメイを人外の怪物に変えようとしていることに強い罪悪感がある。

 その罪悪感が頭頂のパドマの起動にブレーキをかけていた。
 
 宗一郎は徹夜を続けている。
 蟻獅子のハルバートの制作、国軍開発局マヤからの依頼のミニエー弾丸の作成、さらにアイデアがあるようだ。
 
 ハルバートは約束の前日に仕上がった。
 メイには蟻獅子のハルバードであることは当然伝えてある、今日来店することも。

 「以外と人間臭い奴だったでしょ」
 「合わなくていいのか」
 「うーん、話してみたい気もするけど、無理にじゃなくてもいいかな」
 「戦場で轡(くつわ)を共にしたなら、それ以上の会話はないと思う」
 「うむ、そうかもしれんな」

 メイは自分を超えた戦士になったのだと宗一郎は唐突に理解した、仮死状態から奇跡の脳移植により目覚めた少女はイシス・ペルセルと融合して新たに人間として降り立った。
 5年をかけて彼女が作り上げた新たな人格。
 美しく優しいけれど、それ以上に強く勇敢、時には容赦のない残酷さを併せ持つ。
 自分に出来ることは少ないのかも知れない。
 まだイシスの復讐劇は続くのだろう、彼女の鬼火は消えていない。
 鬼火を消し去った後、新たな人生に旅立つのを見届けたい

 頼もしくなった、その背を見ながら寂しくもあり充実した5年を思い出す。
 メイを自分に託してくれた親友アスクレイに感謝した。
 本当なら自分の方が先に逝くところだった、メイという存在が自分を繋ぎとめた。
 人を育てる喜びを知れた。

 「ユニオンに顔を出してくるわ」
 「ちょっとまて、頼みがある」
 「なに?」
 「非常に言いにくいんだが……」
 「なに、なに、宗一郎が口ごもるなんて気になるわ」
 「あのな、これ……」
 一枚の紙をメイに渡す。
 「ん?」
 身体の寸法表だ、もちろんスリーサイズも。
 「勘違いするなよ、セクハラじゃあないぞ」
 「そんなこと思わないわよ」
 「新しい繊維でアーマーを作る、ナイフぐらいじゃ通らない繊維だ」
 「へえー、すごい、さすがは天才」
 「ほほう、ようやく天才と認めるかね」
 「なんなら、宗一郎が直接測ってよ」
 ウィンクする横顔が眩しい。
 「なっ」
 なぜか顔を赤らめるオヤジ。
 「オヤジをからかうんじゃぁない」
 「へへ、ごめん、明日でいいかな」
 「ああ、頼む」
 「じゃあ、ユニオンいってくるね」

 背を翻して外へ向かう、横顔から後ろ姿が若いころの母親クロエを思い出させる。

 冬の空に、春風のように走っていく少女を映しながら宗一郎は天にいるのだろう2人に語り掛けた。
 「お前たちの娘、立派になっただろう」
 「助けてくれてありがとうな」
 
 冬空に向かって胸を張った男の目にうっすらと滲むものを木枯らしが空で見守る2人に届けた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み