第22話 陣

文字数 3,095文字

この日、エチダ藩には重く垂れこめた雲が空を低くしていた。
低い雲と地上の間には北から冬の奔りが静かに吹いて草木に巡る季節を知らせている。
かつて人間族の間で争われた戦争において何千という命と、数トンにも及ぶだろう血を吸いつくした古戦場跡。
今は石垣と頂上に向かう道のみがその面影を残すのみだ。

東西南北と山頂には、旧戦時代の陣跡があり、そこがスローター・デュエル(虐殺決闘)の場所としてオーガ族アリエル王子が指定してきた場所であった。

エチダ藩は早朝より各戦士を陣に配置し、アリエル王子側の到着を待っていた。
睡眠時間が短く、1日の活動時間が長いオーガは時間の感覚がルーズだ。
いつやってくるか分からない虐殺者を、戦士たちは中空を睨み闘志を燃やすもの、焦燥といら立ちを募らせるもの、怯えを押えられない者、様々な顔を見せていた。

オーガ族の国、オールド・オランドより伸びる道に最も近い、北韓の陣。
人間側で配するはリードベッド王国タスマン少尉。
タスマン少尉は自ら参戦を希望した一人だ、今年27才になる若者は人間族としても平均よりやや小さい168㎝の身長、体重は70キロとやや重いが、オーガと比べれば矮小だ。
しかし、自殺志願者などではない、過去に幾度もオーガ兵を単騎で屠っている猛者だ。
いわゆる戦闘狂といっていい、恐怖を知らない戦いぶり、抜群の格闘センスは集団の1人ではなく、間違いなく単騎での戦いに向いている。
そして驚くべきは槍や剣を持たない、極至近距離戦闘を得意としていた。

見届け人として家老シバタが座している。
「タスマン殿、本当に一人で良いのか、今からでも我が藩から応援を呼ぶことはできようぞ」
タスマン少尉には怯えも恐れも見えない、飄々と暖を取るための焚き火に背を向けている。
「いやいや、そういうの全然いらなぃっス」
「しかし、相手はオーガぞ」
「自分こう見えて、何回もこういうの経験してきてるんで、心配いらないっス」
「そうなのか、怖くはないのか」
「うーん、怖いですか、よくわかんないっス」
「あっ、来たみたいですよ」
「!!」

曇天を背にオーガ族の戦士が1人ゆっくりと北韓に向かってくる。
オーガにしてはやや小柄な2mを少し超える程度だが、横幅は広い。
体重は200キロを超えるだろう、ドワーフを縦横4倍にしたような体躯。

「オールド・オランド王国 第二旅団レイウー様の臣下、百人長が一人、猛牛モラクスである、我の相手は誰か?」
「はーい、僕でーす」
まるで緊張感なく快活に手を挙げる、コース上で名前を呼ばれた陸上選手のようだ。
「よろしくお願いしまーす」
ペコリとモラクスに向かってお辞儀をする仕草は、おちょくっているとしか思えない。
「……」
憮然とモラクスが首を傾げる。
「貴様一人か?」
「そうですよ」
「何人でも良いと聞いていないのか」
「知ってますけどー、断りましたー」
「自殺したいのか」
「まさか、十分だからですよ」
「馬鹿が、外れだな、こんなガキ一人では撃マークに数えられん」
フルプレートアーマーの撃墜マークは金色、100人斬りの証だ。
「へぇ、金色マーク、かっこいいな、僕もタトゥー入れようかな」

 タスマン少尉は自分の二の腕にキスをする、その腕の二頭筋には既に星マークが刻まれていた。
 果たし合いはなんの前触れもなく始まる。

 タスマン少尉の姿が北風の埃に重なった瞬間揺らめく、次の瞬間ウザの右脇に立っていた。
 「なにっ!?」
 上体を揺らさず、肩も振らず、頭の高さを変えることなく、滑るような縮地。
 まるで幽霊が浮いて近づいてくるような違和感、足を交差させない移動。
 そして早い。

 ガァッン 古戦場 北韓の陣に金属同士がぶつかる音が響いた。

同時刻、西陀の陣。
ここには3人の戦士の影がある。
 2人はフルプレートの鎧を着た盾持ち、1人が帷子を着た薙刀使いだ。
 共に人間にしては大きい190㎝ほどあり、大柄といえる。
 そして全員が巨大な乳房を持っている、女性だ。
 その風貌は赤茶の髪に、褐色の肌、発達した筋肉に脂肪の鎧を纏う純粋なオーガ族。

 「準備はいいいね、2人とも」
 「待ち遠しいや、待ち遠しや」
 「我らが恨み晴らすとき、千秋の思いであったわ」
 「今は亡き、母たちや姉妹の分まで積もりに積もったオーガ女の恨み」
 「我ら、ここで散ろうとも姉妹たちの明日に繋がるわ」
 「そして私たちを受け入れてくれた人間族への恩を返さなければいけない」
 「愛する夫、子供たちの未来がかかっている」

 彼女たちはオールド・オランド王族の元王妃や元皇太子妃たちの娘にあたる者たち。
 王族に生まれた女児は殺されるか、母親ともども追放されるかだ。
 自分の子を殺すことなど許さなかった母親オーガたちの集落が人間族リードベッド宗主国内にはいくつか存在した。
 母親たちは定着した集落で人間族の男と結婚し、子を授かるものもいた。
 エチダ藩内にも集落はあったが暮らしは厳しく、王族の男たちに蹂躙された王妃たちは、短いオーガの命を更に短いものにしていた。

 北風の中を、まるで枯れ木が動いているかのようなオーガの戦士が姿を現した。
オーガには珍しく背は高いが細長い体躯をした戦士。

「我が名は鞭撻のバラム、我の相手は誰か」
三人が進み出る。
「運いいねえ、あんた、こんな美女3人に相手してもらえるなんて」
「感謝するんだね」
風にゆらゆらと揺れるバラムに怒りの波動が渦巻く。
「俺の相手は女だというのか!」
「そうさ、それがどうかしたのかい」
「ふざけるな、女と戦うなど恥辱、我は王位継承第3位クトニア様臣下の誇り高き戦士、我と刃を交えることが出来るのは強き男のみ、女などではないわ、戯け者め」
「強けりゃいいんだろう」
槍を持った女オーガが盾持ち二人に合図を送る。
2人が持つ盾は、だ円形を左右に分けたような形、合わせれば一つの盾に変化する。
 一つの盾となって、2人がバラムに突進する。

 ガッシャアァァ 盾の突進がバラムを吹き飛ばす。
 
 「がぁっ!?」

 猛牛のような突進、まるでサイと交通事故を起こしたような衝撃。

 「あんた、軽いねぇ、ちゃんと食べているのかい、情けないねぇ」

 「許さん、許さんぞぉー、殺してやる、殺してやる」

同時刻、南里の陣
 南向きの陣は、日当たりが良いためか雑草が足元を隠している。
 エチダ藩の同心3人は床几(折り畳み椅子)に腰掛けて不安そうに入口を見つめていた。
 決死の覚悟で挑んだ3人だが秘策があるわけではない、技術畑のイイノと槍のカゲトラ、盾のケンオウの布陣だが、オーガに対するにはあまりに貧弱だ。
特攻だった、藩の面子をかけて一矢を報いる。
「どんな奴がくると思う?」
「わからないが、2m以下はないだろうな」
「勝てると思うか?」
「可能性はあるさ、タスマン少尉など我らより小柄なうえ、刀剣も使わず一人で何人か屠っておられるというではないか」
「儂も聞いたぞ、しかも一人二人ではない、10人以上だそうだ」
「刀剣も使わずにどうやって倒すのだ」
「想像もつかん」

 ギャアリリィィ グアァキィィン
 オーガが来るはずの方向から突然金属の打ち合わされる音が響いた。
  ⦅キィェェェエエッ⦆
そして人外の咆哮。
竹林が揺れ、バサバサと数10本が倒れていく。
 「なっ、なんだ」
 暫く静寂が続いた。
 竹林の方向から現れた黒い蟻、ゆらゆらと黒い陽炎が空気を歪めている。
 「うわっ、化け物か」
 「ひぃぃ」
 三人が後ずさりした前を、ハルバートを手に蟻獅子ミルレオが通り過ぎていく。
 
 影を作らない曇天に、そこだけ、中空に黒い影を縫い付けた幻が動いているように見えた。
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