第39話 帰郷

文字数 2,377文字

 はあっ、はあっ、あひぃ
 男は開けた草原200mを、息を切らしながら全力で走った、森まであと200m。
 後ろを振り返ると、人影が矢を番えているのが見えた。
 自分を狙っているのは確実だ。
 「ひいいっ」
 恐怖て足が縺れる。
 真っすぐ逃げてはだめだ、ジグザクに走らなければ。
 右に左に方向を変えながら走る。

 ヒュゥゥゥゥゥッ

 矢が降ってくる音が鳴っている、ヒュクトー隊が使用する矢には笛がついている。
 爆撃機が投下する爆弾も恐怖を煽るために笛が装備されている、それと同様の効果を狙ったものだ。
 狙撃するならば無音の方がいいのは当然だ、しかしヒュクトーにとっては遊び、恐怖に右往左往する様を楽しんでいる。

 「そらそら、しっかり走らないと死んじゃうよー」

 矢が3本同時に飛翔してくる。

 「!」

 ドッパァッ

 「ぐばぁっ」

 飛翔した1本が男の胸の中央を貫き、そのまま地面まで突き抜ける。
 衝撃で男の体は二つに分割された。

 転がった男の周囲には、同様の死体が転がっている。
 男ばかり20体はあるだろう。

 「お見事です、ヒュクトー様」
 「3本同時に射って、この命中率、流石でございます」
 「まあね、このくらいは楽勝だよ」
 部下から持ち上げられてヒュクトーはご機嫌だ。

 「さあて、日も暮れてきたし飯にしようか」
 「はい、準備は出来ております」

 ヒュクトーは樹海に近い村を乗っ取り、人間を狩りつつ蟻獅子の登場を待っていた。

 「現れますかな、蟻獅子は」
 「たぶんね、こっちは相手にするつもりはないけど、来るものは拒まずだね」
 「思うに蟻獅子ってやつは、我らに私怨があるんだと思うな」
 「王族の皆様にですか」
 「そう、思い当たることが多すぎるけどね」
 「冥界城から出た我々を狙ってくるということですね」
 「アエリア兄さんが殺られたぐらいだ、そこそこの相手だと思うね」
 「それほどですか」
 「うん、正面から剣で勝負したらアエリア兄さんに勝てるのはレイウー兄さんくらいでしょ」
 「確かに、そうかも知れません」

 「まあ、油断大敵ってことさ」

 「ふぅ、ずいぶん遊んだから矢が減っちゃったな、捕獲してある老人どもに矢を回収させて」
 「はい、もう行かせました」
 「一番ビリのやつの家族から喰うと脅してありますから逃げずに戻ってくるでしょう」
 「馬鹿だねー、どっちにしろ喰われるのに」
 「弱肉強食、自然の摂理です」
 「まあ、来世はオーガに転生できるように神様にお願いするしかないね」
 
 大木を積み重ねた焚火は盛大に火の粉をまき散らし、その存在を知らしめた。
 そこには肉の焼ける匂いが充満し、恐怖がスパイスとなり獣さえ近寄らない。

 100人以上の兵で出兵した兵士は広く分散して陣を張っている、監視も兼ねているのだろう。
 中央のテントに座したヒュクトーは舞い上がる火の粉に、魅入られたような視線を向けて巨大なジョッキに注がれた酒を口にして呟く。
 「早くこい、蟻獅子よ」

 焼け落ちた大樹に蟻獅子は5年ぶりにやってきていた。
 離愁して1年の間、先代の残した資料をもとに修練を積み重ねた蟻獅子誕生の場所。
 黒く焦げた大樹の根本から再生の新芽が数え切れぬほどに湧き出し、その高さを競っていた。
 
 「ミロク、頼みがある」
 大樹の向かいにある奥のない洞窟で蟻獅子は火を起こしている。
 「いう」
 薪を集めてきたミロクは⦅なんでしょう⦆と蟻獅子のまえに座る。
 「もし、俺が死んだなら遺品か遺骨を、あの焼けた大樹の根本に埋めてくれ、墓標はいらない」
 「……」
 「勘違いするなよ、今回の戦いでの話ではないぞ、ハーフオーガの俺の寿命は、あと20年ほどだ、比べてアールヴエルフのお前なら、あと300年は生きる」
 「その時の話だ」
 ミロクは俯いていた。
 マンハンターに捕えられてから奴隷として転売を繰り返され、最後はオーガに攫われて耳と舌を切られて、言葉を失った。
 何人もの人間とオーガが自分の所有者となり通り過ぎた、中には優しく接してくれる者もいたが、ほとんどは自分を物としてしか認識しなかった。
 
 自分の人生に自由はなかった、蟻獅子により解放されるまでは。
 今、自分の意思でここにいる。
 繋がれた奴隷ではなく、1人のエルフとして蟻獅子の相棒として。

 役に立ちたい、この人の役にたちたい。
 蟻獅子が求めるなら、その全てを叶えてあげたい。

 話したい、答えてあげたい。

 ミロクが蟻獅子の手をとる。

 「?」
 登頂のパドマの還流、まだ若く細い糸。
 ⦅ 蟻獅子様 ⦆
 「!!」
 蟻獅子の目が見開かれる、エンパスの発信。
 「これはメイのエンパスの能力、お前も使えるのか」
 ⦅ 教えて…少し…出来る ⦆
 「すごいな……エルフはみんな出来るのか」
 ⦅ いいえ…メイ…人間 ⦆
 「確かにそうだな、メイは人間だ、素質ということか、俺には無理そうだ」

 出来た、伝えられてる。
 嬉しさが込み上げてくる、これほど嬉しかったことは人生で初めてだ。
 パドマが修復されていく、そして一回り太くなる。
 白と淡いクリーム色の螺旋、ミロクのもつパドマの色。

 2人は焚き火にあたりながら、今までの分を取り返すように長い間やり取りを重ねた。
 実際に使うことでミロクの発信のエンパスは飛躍的に向上していく。

 「俺の復讐が終わったその後、お前の故郷にいってみよう」
  ⦅私のですか⦆
 「ああ、見てみたいんだ、俺には故郷と呼べるものはないからな」
  ⦅何もないところです⦆
 「いいさ、静かに暮らそう」
  ⦅!⦆

 秋の虫たちも枯れ葉のベッドの下で春を待つ静かな夜に、2人は蟻獅子のマントの中、寄り添い互いの温もりを感じながら幸福な眠りについた。
 焼け落ちた大樹の新芽が夜風に柔らかくそよいで音を立てている。

 1人孤独の中で燃え尽きた先代蟻獅子の怨念を、浄化していくように。
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