第1話 プロローグ

文字数 3,885文字

『――本日、門の向こうからルヴァードル王国のファウスト王子が来日致しました。ファウスト王子が来日されたのは、二年前の「友好条約」締結以降初めてのことになります。ファウスト王子は取材に対し、「日本料理は食べてみたいね。特に寿司が気になるところだ」と語っていました』

 テレビから流れてきたアナウンサーの声を聞いて、彼女は深く溜息を吐く。
 この世界が『異世界』との交流を開始したのは、今から二年前のことになる。
 東京の埋め立て地に突如出現した巨大な扉――『(ゲート)』と呼ばれるそれは、最初は何が起きているのかさっぱり分からなかった訳だが、ある日その扉が内側から開かれて、馬車が一台やって来た時は流石に門を管理している自衛隊も度肝を抜いたらしい。
 そしてそこからやって来た人間は、人間ではあったのだが、話している言語がこの世界にあるどれかの言語でもなく、そもそもこの世界にある言語システムとは違うシステムで組み立てられていた言語だった。
 それでも何とかして言語を読み解いた結果、門の向こうにも世界が広がっていることが判明した。
 そこから始まった異世界との交流。その外交担当として選ばれたのが、門が設置された日本だった。日本はかつては世界でも有数の経済国家となっていたが、近年は衰退が進んでいた。
 その転機となったのが、門の出現だった。

「……まあ、私には全く関係のないことだったりするけれど」

 東京のとある下町。家賃三万円築六十年風呂なしトイレ共同のボロアパートの一室にて、一人の少女がテレビを見ながら呟いていた。
 因みにテレビはゴミ捨て場から拾ってきた薄型テレビという、犯罪すれすれの行為で手に入れた代物だった。

『ファウスト王子はどうしてまた日本にやって来たのでしょうか? 噂だとこんなことが囁かれているんですよね――』

 そう言ってアナウンサーはフリップを取り出した。
 そのフリップにはこう書かれている。

『異世界からの来訪者、その目的は「嫁探し」?』
「そんな、ワイドショーが喜びそうなネタな訳……」

 それでも、気になってしまうのが人間の(さが)だ。食い入るように、とは言わなくとも普通にテレビに目線を移したままにしてしまうのは、彼女の部屋にある娯楽がそれしかないからかも、しれない。

『何でもですね、ファウスト王子は占いを好んでいるようでして。その占いによると……結ばれるべき相手が、異世界、ええと、この場合は相手の世界から見てこちらの世界が異世界ということになるのですが、その異世界に住んでいる女性だという結果が出た……らしいのです。これはあくまで事情通から得た情報ではありますが、この情報を入手した我々取材班は直ぐにファウスト王子のお眼鏡に適う美女を探し始めました。やはり、王族ともなれば玉の輿にもなりますからね――』

 そうして街頭インタビューに入っていくのを見計らって、彼女はテレビのリモコンを手に取った。
 とはいうものの、彼女にとってあまり婚姻のお話しは聞き心地の良いものではないからだ。
 彼女だって、好きでこの年齢まで独身を貫いている訳ではない。
 出会いがないのだ。
 おんぼろアパートに暮らしているような、ズボラ女子では。
 そもそも世間一般の女性が得られるであろう出会いよりも、その可能性は極端に少ないのだ。

「はああああああ……」

 深い溜息を吐いて、窓側に目をやる。
 カラカラと軽い音を立てているのは、ハムスターのハム吉が歯車を回している音だった。
 このエネルギーを何かに使えれば良いのではないか、なんて良く考えることなのだが、人間が回すならまだしもハムスター一匹の力では何も出来やしない。

「ハム吉は元気だにゃー……」

 ハム吉にそう呟くと、歯車が止まる。ハム吉が止まったからだ。ハム吉は彼女の方向を見て、にやりと笑みを浮かべている。
 そもそも貧乏な彼女がハムスターを飼えるのか、ということについては一言だけ言ってしまうと、ハム吉は彼女が購入したものではない。
 捨てられていたのだ。軒先に。
 優しい人、出来れば育ててくださいと。
 出来れば、って何だ。出来れば、って。

「ハム吉も私も……世間に必要とされていない、お前も私も、回しているものは同じってことだよなー……」

 社会の歯車、と言いたかったのだろうが。
 彼女としてはファミレスのパート時給千二百円がどれだけ社会に貢献出来ているのかも、さっぱり分かっていない。

「取り敢えず、今晩の食事をどうするかねー……」

 冷蔵庫を脳内でシミュレートする。冷蔵庫には納豆と豆腐が入っている。大豆と大豆だが、被ってしまったものはしょうがない。出来ることなら節約しておきたいのが彼女のモットー。ここで無駄にお金を使うぐらいなら、納豆と豆腐とご飯だけでお腹を満たしておきたいものだ。
 ほら、それに水道水もあるし!
 ……しかし、それは空しさに拍車をかけるだけであって。

「もうすぐ五時か……。そろそろご飯食べて、仕事の準備をしないとにゃー……」

 彼女のシフトは概ね深夜。深夜なら時給も良い。それにまかないも出る。ご飯代を節約出来るじゃん! という訳で殆ど――無論、希望が通らない時もある――シフトを深夜にしてもらっている訳だ。


 ぴんぽーん。


 ドアのチャイムが鳴ったのは、ちょうどその時だった。

「……誰だろ? 宅配便が来る予定はなかったけれど……」

 たまーにネット通販を使うぐらいしか宅配が来ることはない。よって予定は極端に少ないし、彼女が忘れるぐらい宅配を利用している訳ではない。
 ならば。
 誰?

「……居留守を使うべきだろうか」

 彼女は呟く。
 友達がやって来るような環境でもない。LINEで連絡はするけれど、お互いの住所は知らない。独り立ちしてからは特に、家に行くこともなくなった。大体繁華街で出会って飲み会をするぐらいか。
 ともなると、今の来客は予定外のそれ。
 不安な気持ちになるのも――当然であった。
 どんどんっ。
 ドアをノックする音がする。

「ごめんくださーい、郵便局でーす」
「あ、何だ郵便局か……。何か郵便でも来たのかな?」

 と声のトーンを上げていくつもりだったが――しかし慎重な彼女はそれに騙されることはなかった。

「いや、いやいやいや! 郵便局って普通にポストに投函していくものじゃないのか? ……まあ、本人確認郵便もあるっちゃあるけれど、そんなもの頼んだ覚えはないぞ?」

 本人確認が必要な郵便は、大抵自分が何かしらの申請をしておく必要がある。
 だから、身に覚えがない以上――それが来ることはない。
 つまり――郵便員を装っている誰か?
 玄関前で静止する彼女だったが――相手もそのようだった。
 先に痺れを切らしたのは、相手の方だった。

「……手荒なマネをするつもりはなかったが。やれ、志穂」
「はっ」

 短い回答があった後。
 彼女の目の前にあった玄関は、真っ二つに割れた。否、切れた。
 まるで映画のワンシーンかの如く、ドアの上半分が彼女の方に倒れてきたのだ。
 ずしん、という鈍い音を聞いて、彼女は漸く我に返る。

「ど、ドアが切れたあーっ!」
「……何だ、居るなら居るとはっきり言ってくれ」

 眼鏡をかけた男だった。
 スーツをびしっと決めた、やり手のサラリーマンといった感じの男は、そう言ってドアの下半分をご丁寧に開けて、中に入ってきた。
 男の隣に立っているのは、給仕服を着た黒髪の女性。耳の上辺りでツインテールのようにしている。そして、彼女は日本刀を右手に抱えていた。
 どう見ても偽物じゃない。
 恐らくそれを使ってドアを切ったのだ。

柊木(ひいらぎ)雪乃(ゆきの)だな?」

 彼女の名前を言う男。
 それを聞いて雪乃は「ひゃいっ!」と情けない声を上げてしまう。
 男は頭を掻きつつ、ポケットから封筒を取り出した。

「……あの、いったい、どうしてこちらに? というか、何故私の名前を知っているんですか?」
「知っているとも。何せ君は『選ばれた人間』だからな」
「はい?」

 さっぱり訳が分からない。
 そして、男は封筒から紙を一枚取り出すと、文章が書かれている方を見せた。
 文章をゆっくりと読み上げていく雪乃。

「ええと……、『柊木雪乃 貴女を東谷(とうや)異文化商会に入社することを命じます』……?」
「そういう訳だ。それじゃ、向かうぞ、職場へ」
「いや、ちょっと何言っているかさっぱり……」
「切りますか?」
「いや、待て志穂。大事な大事など……メイドだ。ここで切り捨てちゃ勿体ない」

 今奴隷って言いかけましたよね、奴隷って。

「はっはっは! とにかく私の名前は東谷明二だ。東谷異文化商会の副会長兼雑務を担当している。まあ、宜しく頼むよ! と、いう訳で」

 えっ。
 東谷は雪乃を抱きかかえると、そのままUターン。

「えっ、えっ、ええっ?」
「さあて、これから色々と忙しくなるぞ、志穂。帰ったら……先ずはアレをしないとな」
「アレですか」

 にやりと笑みを浮かべる東谷に対し、無表情を貫く志穂。
 対比しているようで、対比していないようにも見える。

「ちょ、ちょっと……私、」

 私、これからいったいどうなるのーっ!
 その悲痛な叫びは、下町のアパートに響いたとか響かなかったとか。
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