第5話

文字数 2,418文字

「いや、行かない訳ではないんですけれど……というか、あなたは?」
「わしは白雪。そう呼ばれておるよ」
「白雪……素敵な名前ですね」
「ほほ。ありがとう」

 口元を隠すように右手を口の前に持って行きながら、そう笑みを零す白雪。

「ところで、白雪さんも……この商会の社員なんですか?」
「社員というか……まあ、そういうものじゃろうなあ。実際は違うのかもしれないが、仕組み的にはそうだと言えるじゃろうな。今の世界の仕組みがこれっぽっちも分からぬのじゃよ」
「は、はあ……」

 えらく古めかしい言い方をする女性だった。

「何をしているのだ、雪乃」

 背後から低い男の声を聞いて、雪乃はびくりと肩を奮わせた。
 そして、恐る恐る、そちらへ振り向いた。
 そこに立っていたのは、東谷だった。

「これから実践練習があると言っていたはずだよな……?」
「す、すいません何もしないでください……」

 すっかりトラウマが染みついている様子の雪乃。

「だったらさっさとついてこい。これから、実践練習をする」
「でも、実践練習なんていったいどんな……」
「だから言っただろう」

 東谷はニヒルな笑みを浮かべて、言った。

「悪の組織の、だ」
 



 赤いスポーツカーが山道を走っている。
 運転をしているのは、東谷ではない。

「な、何故私が運転しなければならないのでしょうか……?」
「君は主人に車を運転させるのかね? 普通こういうときはメイドである君が運転して当然だろう」
「でも、私、ペーパードライバーですよ……? それに免許もこっちに攫われたときに持ち歩いていないから不携帯だし……」
「問題ない。何故なら我々は悪の組織だからな!」
「悪の組織だって、交通ルールは絶対に守りますって!」
「はっはっは、面白いことを言う。そんなので悪の組織が務まるとでも思っているのか?」
「いや、だって普通に考えて……」
「普通、普通と五月蠅いな。我々は悪の組織だ。よって社会全般のルールは守らなくて良い。守る必要もなければ、守る義務もないからだ。それに……この情報はもう掴んでいる筈だよ」
「掴んでいる? 誰が、ですか?」
「公安警察というのは聞いたことがあるだろう?」

 漫画やアニメでなら聞いたことはありますけれど。

「君の価値観は漫画とアニメでしか構成されていないのか……。まあ、それはそれとして、公安というのは国を守る仕事をしている。要するに、我々のような悪の組織は、いつ罪を犯してもおかしくないから……厳しく監視しているという訳だ。実際、何処まで監視しきっているのか分かった話ではないがな」
「も、もしかしてそれって……」

 漸く、或いは何となく。
 事態の重大さを気づき始めた雪乃の顔が青ざめていく。

「……何を考えているか当ててやろう。もしかして、お前が入ったことも公安にマークされているのか、ということについてだろうが……答えはイエスだ。当然だろう、我々の足取りを事細かに監視する仕事が公安だ。人数が増えるという重大な情報を逃がすとでも思っているのか」

 死にたい。
 もしくは、海外に逃亡したい。
 雪乃は直ぐにそんな風に思いながら、スポーツカーを走らせる。
 心なしか、スポーツカーの速度が上がったような気がした。




 山奥にある、古いトンネルに到着したところで、東谷が車を止めるように指示した。
 スポーツカーを止めると、雪乃はトンネルの中を見渡した。蛍光灯の明かりすらないトンネルは、周辺も鬱蒼と生い茂った森に囲まれているため、そもそもデフォルトで暗い。世の中にこんな原風景が残ったトンネルがあるとは驚きだ、と雪乃は思っていた。

「あの、東谷……さん」

 びしっ!
 デコピンされた。
 それもかなり強めに。

「痛ぁあ……」
「私のことは、ご主人様と呼べ」
「は?」
「メイドであるお前は、誰に仕えていると考えている? 答えは一つしかない。東谷異文化商会の会長たるこの私に仕えている訳だ。であるならば、私をご主人様と呼ばないで何と呼ぶ。及第点として東谷様と呼んでも構わないが?」
「何でそんなこと」

 びしっ!
 二度目のデコピン。

「次はないぞ」
「分かりました……ご、ご主人様……」
「それで宜しい」

 にっこりと屈託のない笑顔を浮かべて、トンネルの中に入っていく東谷。
 それに何も言わずついていく志穂。彼女の方がメイドとして長い分、立ち回りも理解しているということなのだろう。

「……ついていくしか、ないのかあ」

 ぽつり、呟きながら、東谷と志穂を追いかけるために小走りでトンネルへと入っていった。
 トンネルの中は整備されていないためか、じめじめと湿気が多い空気で充満していた。当然と言えば当然なのかもしれない。

「ファンタジー世界に必要なものは何だ?」

 歩きながら、東谷が雪乃に問いかける。

「ええっと……やっぱり魔法ですか?」
「五十点だな。正確には、魔法を使える人間というのは、限られている。誰もが魔法を使える訳ではない。魔法を使えるのは血筋だ。要するに、魔術師の血筋でない限り、魔法を使うことが出来ない。……陰陽師の話は覚えているな?」
 こくこく。雪乃は頷く。
「宜しい。その陰陽師の血筋が代々受け継がれて……今に至る訳だな。そして、それを上手く利用しようとしているのが今の政府という訳だ。……時に、今の政府にどういうイメージを抱いている?」
「良くも悪くもちゃんとやっているイメージがありますけれど。最近ずっとあの人が総理大臣だった気がしますし」
「確かに。あの総理は、世界でも顔が広く、世界最大の国家とも仲良く出来ている。……表向きならば、素晴らしいリーダーだと言えるだろう。表向きにはな」
「?」
「ファンタジー世界に必要なもの、それは……ダンジョンだ」
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