第7話 調練場の風景

文字数 2,752文字

 どんな武術も、そしてどんな流派も、神仏のご加護ってやつを重視するものらしい。それは高島家の奉ずる荻野流砲術でも同じだ。

 うちの調練場では、不動明王様をお祀りすることになってる。といっても立派な仏像があるわけじゃないぜ? 空き地の片隅に石碑があってさ。調練のたび、そこに明王様を描いたお軸を掛けるんだ。こう、うやうやしく、な。

 ったく、ペラペラの安っぽい仏様だぜ。
 おっ、風で飛んじゃう。早く石で押さえろ。

 練習開始の際にはこの明王様に向かって、全員で手を合わせることになってる。これには精神統一の意味もあるんだそうだ。
 そして「九字(きゅうじ)を切る」。これは手で印を結び、全員の声を合わせて叫ぶ儀式だ。

(りん)!」
(ぴょう)!」
(とう)!」
(しゃ)!」
(かい)!」
(ちん)!」
(れつ)!」
(ざい)!」
(ぜん)!」

 これで四方固めが完了する。全員が気を集中させることで、各方角の怨敵(おんてき)調伏(ちょうぶく)できるんだとさ。
 へへ。おかしいだろ?

 いや、笑っちゃいけない。これは銃の暴発など、危険な事故を防ぐためにやるんだ。真面目にやらないと、悪霊に付け入る隙を与えちまうんだってよ。
 だから声が小さいと、すぐに叱られる。ここは真剣にやってるフリをするのが肝要だ。

 師範代の一人、弥三郎兄ちが前に出て、今日の内容を告げた。
 なになに、今日は特別に、優秀な弟子四名の模擬演武が行われるって? おお、そいつは楽しみだ。
 で、オレたち半人前の連中は、離れた所で見学しろ、だってさ。

 なんかため息が出ちゃうよ。
 あれ見て。数間先に、一列に並んでるカッコいいお兄さんたち。出来の悪いオレは、永遠にあそこに入れないと思う。

 最初の弟子、佐藤壮兵衛さんが装填を開始する。あの人、高弟の中でも的中率がダントツなんだ。
 さすがだな。みんなが固唾を飲んで見守ってるのに、佐藤さんは他人の視線なんかまったく気にしてない風だ。

 今、佐藤さんは胴乱から木製の包みを取り出したが、あれは早合(はやごう)っていう薬きょうで、発射薬である合薬(ごうやく)と、弾丸の本体である鉛玉の両方が入ってる。早合が発明されたお陰で、火縄銃の装填にかかる時間が大幅に短縮されたって話だ。

 佐藤さんの動きを目で追ってたら、つい自分がやってるような気分になってきて、オレはこっそり自分の手を動かした。
 そうそう、立てた銃の銃口にそれを込め、「かるか」の棒でぐいーっと押し込んでいくんだ。
 そして火皿(ひざら)には口薬(くちぐすり)を。
 火挟(ひばさ)みには火縄を。

 心は静かに。だが一瞬の油断も許されない。
 銃身を頬に押し付け、慎重に(ほし)(的・目当て)に照準を合わせるんだ。

 引き金を引いた瞬間。
 火縄の火は点火薬に引火する。その火はたちまち、火穴から装薬(そうやく)に移り、やがて爆発に至る……。

 ずがーん。
 腹に響く、その発砲音。

 しかも星のほぼ中央を撃ち抜いたみたいだ。すっげえ。やっぱり佐藤さん、外さないな。
 その実力を、オレは本気でうらやましいと思った。いいなあ。これが、オレが撃ったものだったらなあ。

 今、オレの頭の中でははっきりとその光景が浮かんでる。
 お偉方を始め、若い娘たちが緊張して見守る中、キリっと冴えわたった一人の男が現れる。
「寒夜に霜を聞き、思い、よこしま無し」
 標的に狙いを定める頃には、心は波のない水平線のように静かだ。
 そして、鋭い狙撃音とともに世界は揺れる。弾はもちろん、寸分の狂いもなく星のど真ん中に命中してる。

「キャー、かっこいい! 糾乃丞さま~!」
 うんうん。そのような声は、抑えようにも抑えられぬであろう。
 
 だけど師範、高島四郎兵衛のしわがれた声が響いて、オレは甘い夢から引き戻された。
「良か。次!」
 
「はいっ」
 次に呼ばれた弟子が走り出て、父の足元に控える。
 父に弟子入りした者は、現在二十四名。調練場の空気は、無駄話はもちろん、咳払いすら許されないほど、ピンと張り詰めている。

「玉、込め!」
 再びの合図。今度の弟子も迷いなく装填に取りかかる。
 ここで緊張のあまり、火薬を取りこぼす人も時々いるんだよなあ。

 火縄銃の扱いに慣れるまで、手順を体に叩きつけるのも大変だ。いにしえの戦乱の時代よりは作業がずっと楽になったっていうけど、それでもコツを身に着けるのは一筋縄じゃいかない。

 オレと碩次郎兄ちは、いつかあっちへ行けるのかな?

 ふとそれを考え込んだが、まさにこれは由々しき問題だった。
 この流派のしきたりでは、基礎体力のついた者から徐々に銃に触らせてもらえることになってる。だけど同年代の若者がどんどん試験に合格して、あっちに合流していくのに対し、オレたちはいつまでも「不合格組」としてこっちに残ってる。
 気づけば周りは、入門から日の浅い者ばかり。これって、師範が自分の子にだけ厳しくしてるとしか思えないよ。

 こっちにいる限り、武器にはもちろん弾薬に触れることも許されない。砲術では身に着けるべき手順やコツが山ほどあるってのに、オレたちはまだ発射地点にさえ立てていないわけだ。
 もちろん調練に必要な物資を高島家の蔵から出して、この調練場まで搬送する時は話が別だよ? まるで人足だ。人手が必要な時にだけ、オレたちはこき使われる。この辺の理不尽は、昔から変わらないね。

 先輩の様子を見てるだけなら気楽じゃないかって言われそうだけど、それも違う。
 オレたちはひたすら調練場の草取りやらゴミ拾いやらをやらされた上、終わった後は、筒の清掃に使っていた器具の洗浄作業が待っている。井戸端で着物がびしょびしょになるのが毎度のことだ。

 後片付けの最中もおしゃべりは許されないから、黙々と棒やら雑巾やらを洗う。お陰で手も顔も(すす)で真っ黒になるよ。

 で、弥三郎兄ちは、当然のように父上の側で胸を張ってる。

 弥三郎兄ちを含め、有力家系の長男は最初から高弟で、この手の雑用を一切免除されてるよ。要するに家来の仕事を覚える必要はないってことだ。オレたちのように怒鳴られたり、頭をはたかれたりすることもない。
 しかも玉込めとか、発射の合図とか、本来なら師範代にならないとできない役目を、弥三郎兄ちは最初から任されてたらしい。

 長崎はすでに異国船の脅威を見せつけられてるから、みんながもう肌で感じてる。太平の世なんてものは、もう終わりだ。
 だからこの町では武術が盛んだった。若者は何らかの戦い方を学ぶことが、ほぼ義務づけられてると言っていい。

 で、その中でも圧倒的な人気を誇っているのが、剣術でも槍術でもなく砲術だった。どうも異国と渡り合うには、銃やら大砲といった飛び道具に頼らねばならないらしいんだ。

 あの父は、とオレは遠い所に立つ師範に目を移す。
 あの高島四郎兵衛は、異国の人間を撃ち殺す方法をオレたちに教えてる。それがどんなに残酷なことか、あの人は意識すらしないんだろうな。

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