第3話 暗黒時代

文字数 1,892文字

 あらゆる力仕事が、五歳のオレと六歳の碩次郎(せきじろう)兄ちに回ってきた。薪割りも、水汲みも、荷物運びもだ。子供だからって、容赦してはもらえない。

 それは高波のように迫ってきた恐ろしい現実だった。オレたちは息もできずに溺れかけ、逃げようとして泣き叫び、駄目だと知っても泣き叫び、そして絶望した。
 懸命に働いても叱られるが、働かねば殺される。だからオレたちはいつも目を伏せ、命令に従った。逃げようとすれば暴力は一層激しくなる。だから歯を食いしばって耐えるのが一番ましだった。そのように学習したんだ。

 奉公人はオレたち三人をいじめた方が、武呂子(むろこ)さんの覚えが良くなることをよく分かってた。だからほとんど全員がオレたちの虐待に加担していたと思うけど、特に下男の丹蔵(たんぞう)って奴が、酷薄な奴だったね。

 目をぎらぎらさせて、太い木の棒を手にして、丹蔵はオレたちの様子を見張ってる。そしてオレたちがちょっとでも水をこぼしたり、何か小さな失敗をしたりすれば、その棒で思い切り尻を叩くんだ。
 その痛いことと言ったらなかった。不気味な笑いを浮かべてることからすると、丹蔵は他人を、特に子供を痛めつけることに喜びを感じてたんだろう。

 丹蔵は常にオレたちを叩く理由を探してた。その目が怖くて、夢にまで見るほどだったよ。

 特に雨の日はつらかった。ぐしゃぐしゃになった泥の上で、土下座をさせられて、草履をはいたままの丹蔵の足に顔を踏まれるんだ。涙と鼻血と、雨と泥とでオレたちの顔はさんざんに汚れたもんだ。
 武呂子さんは建物の中からその様子を見下ろし、満足気に笑ってたよ。美しい女主人である武呂子さんのことを丹蔵は特に崇拝してて、彼女の目がある所では一層張り切るものだった。

 丹蔵はそんなわけで特にひどかったけど、オレたち三人は他の奉公人たちからも言葉の暴力と折檻を絶え間なく受けた。罰として食事を抜かれることもしばしばだった。

 お前たちは高島の人間じゃないと言われ、死んだ方がましだと罵られ、火箸を押し付けられ、殴られる。それもたまに帰ってくる父に露見しないよう、傷やあざは常に着物で隠れる部分に作られる。

 父は、なぜかほとんど屋敷にいなかった。お役目が大変なんだと、釘本(くぎもと)さんは言った。
「何しろ町年寄のお立場がありますけん、旦那様はお忙しかよ。加えて最近は、砲術のお稽古がありましてな」
 意味わかんねえ、と今のオレは思うね。自分がいない間に子供が殺されてもいいっていうのかよ。そんなに大事な砲術のお稽古って一体何なんだよ。

 そんな中で、釘本さんは唯一の味方だった。オレたちが苦痛を訴えるたび、彼は一応かばってくれた。丹蔵はもちろん、目に余る女中を叱りつけてくれたこともしばしばだ。

 だけど、根本的な解決には至らなかった。釘本さんは結局、父のお供をするから屋敷にいないことが多い。何よりこの屋敷の頂点には、あの武呂子さんが君臨しているからな。
 釘本さんも武呂子さんには厳しいことを言えない立場だった。下手をすれば、自分がクビになっちゃうからな。

 オレたちにも、大人の事情はだんだん分かってきた。父は良心のとがめから子供たちを引き取ったものの、後の面倒は全部他人に押し付けたんだ。
 だからこんな事態を招いている。最低だ。

 死んだ母ちゃんに会いたい。
 オレはそう思って、布団の中で何度も何度も泣いたもんだ。だけどそんな時、碩次郎兄ちが隣の布団からすっと手を伸ばしてきて、オレの手を握ってくれた。兄ちがいて良かった、とオレはそこでようやく眠りにつけたんだ。

 二歳の登和は、まだまだ大人の世話が必要な身なのに、ほとんど放置されてたよ。でも兄二人がそんな状況だったから、ろくに面倒を見てやれなかった。

 おもらしとか、食べこぼしとかをやってしまうたびに、登和もまた女中たちに叩かれてるようだった。次第に登和の目つきはぼんやりとおかしくなっていくし、言葉の発達が遅れ、オレたちが声をかけても反応しなくなった。心配事は増えていく一方だったけど、オレたちにはどうしようもなかったよ。

 だけどオレと碩次郎兄ちも、同じようなものだった。二人ともだんだん人と目を合わさないようになっていったし、兄弟間の会話も小声で短く交わすだけ。他の人に話を聞かれないよう、ものすごく慎重になったね。

 とにかく身を守るので精いっぱいだった。暴力の刃が振り下ろされることのないよう、毎日必死に祈った。それでも来ると感じた時は、目をぎゅっとつぶって痛みをやり過ごす覚悟をする。それが一番賢いやり方だと学んでいったんだ。

 そんな風にして、一年近くが経過した後、その事件は起きた。

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