第13話 アーチレリーの本

文字数 3,701文字

 ぎょっとして、オレはその場に固まった。
 正直、異人にはあまり近づきたくなかった。食べ物を届けるぐらいなら別にいいけど、それでも手を伸ばして届く範囲には入りたくない。

 だってそいつら、鬼のように恐ろしい顔をしてるじゃないか。夜な夜な悪企みをしてるに決まってる。日本の若い娘を殺して食っちまうっていう噂も、オレは聞いたことあるぞ。
 
 だけど助十郎がわざわざオレの前まで迎えに来て、袖を引くから仕方がなかった。無理やり異人の大男の前に引っ張り出され、オレは頭を下げるしかない状況に追い込まれる。
 ほら、と助十郎はどうと言うこともなく相手を指し示す。
「こんお方が、ヘンドリック・ドゥーフさんじゃ」

 恐る恐る見上げると、思ったよりその目は温和な印象だった。
 どうも、とオレは巨漢の鬼に頭を下げた。こっちがちょっとすごんで見せたところで、この異人には何の効果ももたらさないことは明らかだった。
 助十郎はこの人が三十代半ばだと言ったが、オレには年齢不詳としか言いようがなかった。

 今度はオレが名乗り、助十郎に促されてカピタン様と手を握り合った。するとそいつが顔をくしゃっとさせて子供みたいに笑うから驚いた。
「ありがとお、高島さん。お陰で、助かりました」

 おお、とオレは目を見開いた。鬼が普通にしゃべったぞ。
「……に、日本語、お上手ばい」
「皆さん、もう日本の長かけんね」
 助十郎が得意そうに口をはさんできた。
「通詞なんか、もう必要なかて言われそうじゃ」
 あははっと助十郎は笑い、カピタン様もそれに合わせるようにしてほほ笑んだ。ついて行けないのはオレだけだった。
 
 カピタン様はそんなオレを見ると、すぐに笑いを引っ込める。
「日本人、親切。ありがたか。ばってん、おいたち、船、来んとお金、払えません。ごめんなさい」
 
 オレたちに謝ってもらったところでどうしようもないのに、変な人だ。カピタン様も同じことを思ったのか、気を取り直すかのようにオレと助十郎を外へ誘い出した。
「二人とも、よう頑張ってくれた。ご褒美、あげる」

 ご褒美って、何をくれるんだろう。何だかワクワクしながら、オレたちはカピタン様の後に続き、別の建物に入る。

 階段を上り、突き当り右側の部屋に入った。そこがきっとカピタン部屋だ。
 同時に、オレはおおっと声を上げた。
 珍しい調度品がいっぱいで、どこに目を向けて良いのか分からないほどだった。
 異国の煙草とか、そこに飾ってある銀のお皿とか、次々と目移りしてしまう。何をくれるのか知らないけど、どうせなら明倫館のみんなに自慢できる物をもらいたいな。

 するとカピタン様は、つかつかと書架の前に進み出た。
 異国の本が縦にずらりと並べられた書架だった。これまた珍しい気がして、オレと助十郎も近くに寄る。
 へえ、と思った。本の並べ方まで、国によって違うようだ。しかも革張りのいかめしい本が立っているのは、圧倒されるほど壮観だ。

 確かにその本でもいいかもな。重たそうだけど、持ってるだけで注目されそうだ。

 なーんて密かにオレは思ったけど、カピタン様が選んだのはそのいずれでもなかった。書架の一番隅に、紙の表紙の本が積み重なってる。カピタン様はそこから二冊取り出すと、オレたち二人に一冊ずつ渡してくれた。

 内心がっかりした。
 なあんだ、安っぽい本だな。しかも懐に入れられるほど薄いじゃないか。

 ところがその時だ。助十郎がおっと妙な声を上げた。
「こりゃ砲術ん本やなかか?」

 そうなの? とオレも表紙に目を落とす。異国の文字がたくさん書かれてて、オレには全然読めなかった。銃や大砲の絵でも描かれていれば多少は理解できそうだけど、そんな親切は何一つ見当たらない。
「アーチレリーじゃ」
 助十郎が表題と思しき文字を指して言うと、カピタン様は微笑してうなずいた。
「二人とも、砲術(アーチレリー)、勉強してるて、聞いた」

 おお、とオレたち二人は食い入るように見入った。
 だけどオレは友人の顔をちらっと窺い見るしかない。助十郎はどのぐらい、これが読めてるんだろうか。ちょっとぐらいは分かるんだろうか。
 それに引き換え、まったく理解できない自分が情けなかった。もらったところで読めないんだから、オレはどうすりゃいいんだ?

 でもそうだ、とオレはすぐに思い直す。助十郎の父ちゃんがいるじゃないか! まずは助十郎に読んでもらって、分からないところは、あのおじさんに和解(わげ)(日本語訳)してもらえばいい。助左衛門さんならこの程度は簡単だろう。

 オレは顔を上げ、カピタン様に目を向ける。今のうちに聞いておくべきことがいろいろありそうな気がするけど、うまく思いつかなかった。この人に次に会えるのがいつになるのか分からないのに、じれったいもんだ。

「……ええっと、カピタン様も、蘭国の砲術ば学ばれたんか?」
 とりあえずそう聞いた。翻訳の際に参考になる何かが引き出せると思ったからだ。

 でもなぜかカピタン様は言葉に詰まり、深刻な顔つきになった。
「お奉行様にも、同じこと、聞かれたよ」
 重たい咳払いを一つすると、カピタン様は椅子に回り、どっかりと腰を下ろした。

「二人は、フェートン号、知っとるか」
 ため息まじりのカピタン様が話し出したのは、五年ほど前に起こった事件だ。この長崎で、あわや異国との戦がはじまるかといった騒ぎがあった。

 イギリスという国の軍艦が起こした事件だそうだ。水や食料、燃料を要求するために、敵は人質を取って長崎の人々を武力で脅した。

 で、オランダとは無関係だったのに、当時の奉行所は事件後、異国人であるカピタン様のことを厳しく詮議したらしい。
「お奉行サマ、オランダも武器や戦に関する知識を隠してるて疑っとった」
 カピタン様は罪人のようにお白州に座らされ、兵器に関する情報を吐けと強要されたという。

「神妙にせい!」
「隠そうとしても無駄だぞ!」
 しどろもどろになったカピタン様は、彼らの疑惑を払しょくするのに大変な苦労をしたという。

「あん時は、ろくに答えられんかった」
 嫌な思い出だったんだろう。カピタン様は両手を上げて降参の意を示した。
「おいは、軍人やなくて商人や。兵器のこと、わからん」
 
「そりゃとんだ目に遭うたね。カピタン様」
 助十郎がいたわるように言うと、カピタン様はうなずいた。
「お役人様も、悪気はなかったんやろ。恨みは、なかよ」

 カピタン様は悪い人じゃなさそうだと思う。だけどオレは助十郎ほど素直じゃないから、この人がどこまで本当のことを言ってるのかなと、探るように見てしまう。

「……ばってん、大まかなことは、おいももちろん知っとるよ」
 カピタン様はオレの視線に気づくと、足を組みなおし、話題も兵器の話に戻した。
「ヨーロッパで、大砲の戦いば主流にしたのは、ナポレオンてゆう男じゃ」

「ナポレオン……」
 それが人名なのかどうかもはっきりしなかったが、オレはそのまま繰り返した。なぜか、心に響く名だと思った。
 カピタン様はうなずき、じっとオレを見つめる。
「ナポレオン、大砲の力で、自国の領土ば広げた。今までにない、英雄じゃ」

 カピタン様の日本語はたどたどしかったが、オレは吸い寄せられるように聞き入った。

 それほど身分の高くなかったそのナポレオンという男は、それまでの常識をやぶるような大出世を果たしたそうだ。まさに不世出の英雄なんだそうだ。
 しかしオレの心を捕らえたのは、そこじゃない。周辺国にまで大きな影響力を持つに至ったナポレオンの、最初に選択した道だった。
 彼は、向こうの国で花形とされる騎兵じゃなくて、地味な砲兵になったっていうんだ。砲術の道に進んだ男が革新を、そして信じがたい奇跡を巻き起こしたっていうんだ。

 カピタン様はナポレオンのことが嫌いみたいで、途中からはいろいろ悪口も飛び出した。
「最初は民衆の味方のふりして、力ば持ったら、皇帝になった。最低じゃ」
 だけどオレはもう半分しか聞いてなかった。革新をもたらす砲術家、ナポレオン。その名だけが脳裏に深く刻まれる。

 オレは改めて、カピタン様にもらった本に目を落とした。
「……これ、ナポレオンも読んだとやろうか?」
 う~んと言って、カピタン様は何とも言えない笑いを漏らした。
「似たようなのは、読んだ、やろうな。彼は学んだからこそ、英雄になった」
 だから、とカピタン様は付け加えた。
「砲術家の二人に、これ、あげる」

 身震いするほどの感動だった。カピタン様は砲術を学ぶオレたちにふさわしいって判断して、この本を選んでくれたんだ。学んで、大物になれって言ってくれたんだ。ここではナポレオン本人が悪い奴かどうかは問題じゃなかった。

 助十郎も同じことを思ったのか、目を輝かせてる。
「砲術の本じゃ!」
「やったな、助十郎」
 あとは二人で頭上に本を掲げ、大喜びだ。
 
 だって、これ以上の贈り物はないじゃないか。荻野流砲術の弟子のうち、どんなに優秀な人だって異国の砲術にまで通じてる者は一人もいない。師範である父でさえもだ。
 これで一発逆転が可能になった、と思った。オレたちはこの本によって、特別な存在になったんだ。

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