24、トゥーレーヌ公ジャン

文字数 1,149文字

 イザボー王妃様の4人目の王子で後に王太子となったジャン様が生まれたのは1398年8月31日、ギュイエンヌ公ルイ様の生まれた1年後であった。2人とも王妃様とシャルル6世陛下の子であることは間違いない。そしてジャン様の生涯もまた数奇で不幸なものであった。

「1406年、8歳のトゥーレーヌ公ジャン様はブルゴーニュ公ジャン様の姪にあたるジャクリーヌ・ド・エノーと婚約したの」
「ブルゴーニュ公の姪になる女性と婚約するなんて、まさに政略結婚だね」
「ジャクリーヌの父は下バイエルン=シュトラウビンク公、エノー伯、ホラント伯、ゼーラント伯ヴィルヘルム2世だったの。そしてジャクリーヌは1人娘だったからそれらの領土の相続人になることが決まっていた」
「兄がいたジャンにとって悪い話ではないね。それだけの領土を持った相続人となる女性と結婚するのだから」
「そうね。ピエール、その通りよ。ジャン様にとって悪い話ではなかったわ。そしてジャン様は義父になるヴィルヘルム2世様の元で育ったわ。でもフランスの宮廷はアルマニャック派とブルゴーニュ派の争いで混乱していたから、宮廷から離れた方が安全だった」

 兄であるギュイエンヌ公ルイ様に比べて、フランス宮廷を離れて育ったジャン様の方がずっと安全で幸せだと私は思っていた。

「1415年、17歳になったジャン様はジャクリーヌと正式に結婚した。でもその年にルイ様が亡くなり、ジャン様が新しく王太子になられた。そして1年数か月後にジャン様も18歳で亡くなられた」
「・・・・・」
「ピエール、聞いて!王太子だったギュイエンヌ公のルイ様もトゥーレーヌ公のジャン様も同じ18歳で亡くなられたのよ。ジャン様の場合は特に長い間フランス宮廷を離れていたし、ブルゴーニュ公の姪にあたるジャクリーヌと結婚していたのだから、ブルゴーニュ派に暗殺されるということもない。やっぱりルイ様と同じようにあの人に殺されたのよ。末のシャルル王子を王太子にしたいと願ったアンジュー公妃ヨランド・ダラゴン!彼女の父アラゴン王フアン1世は王妃に宮廷を牛耳られ、狩りにばかり夢中になっていて、不真面目王という名前で有名だったけど、ヨランド・ダラゴンはまるで違うわ。賢い人として有名だけど、娘婿になるシャルル王子を王太子、そしてフランス王にするために、シャルル王子の兄2人を殺しているのよ。本当に怖ろしい人」
「・・・・・」
「ねえ、ピエール、どうして急に黙ってしまうの?ヨランド・ダラゴンは2人の王太子を殺しているのよ。こんなこと神様に許されるの?」
「僕はジャンヌ姉さんのことが1番心配だ。姉さんはフランス宮廷の秘密をいろいろ知っている」
「わかっている。あなたのためにも私は長生きする。そしてフランスがどうなるのか最後まで見届けるわ」

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