第8話

文字数 1,165文字

「……っしゃーせ」
 若い店長がほぼ言語化していないような唸りを上げる。わたしの卵二パックを見て、瞬時にレジ打ちする。
 それは宇宙船が星を飛びたつときのような光の速さではあるが、カゴに着地するときの正確さは皆無だった。シャグシャグッと音を立てて、パックはひしゃげる。卵の安否が気にかかる。
 だが、わたしの心配をさえぎるかのように「二百九十八円になりゃーす」と若い店長が気だるい調子で言う。いつもと同じ値段だから聞きとれたが、もし三パック買っていたら何度でも尋ねていただろう。
 このスーパーでは、二度同じことを聞くのは許されるのだろうか。オフィスでは「二回聞くのはやめようね。皆、何度も聞かれたら嫌な気持ちになるでしょう。メモを取って、一回で覚えてね」とボスが話していた。
 わたしがきっちり二百九十八円をトレイに置くと「あーしたっ」と言われた。明日? 明日がどうしたんだ、と首をかしげると、若い店長がにやにやと笑った。
「いつも来てくれてますよね? あざーすっ」
 礼を言われた。卵二パックを購入しているだけなのだが。唐突な感謝は心臓に悪い。わたしはぎこちなく会釈をしたつもりだが、うなずいただけだと思われたかもしれない。
 しかし、若い店長にとって、その微妙な意味合いの取り違いはどうでもよかったらしい。
「今日は僕がレジなんすよ。もー、いつもの店員が膝痛いとか言って休みなんす。これだから年寄りはねー」
 いつもの店員とはカンナだろうかユルシだろうか。それともトマリかサネミチか。誰のことを言っているのだろう。
「爺さん婆さんってすぐ転ぶし。まー、人手不足っすからね。いっつもレジ遅くてお待たせしてるかもなんですいません」
 卵二パックをそっと確認すると、ひしゃげたところにある卵にうっすら線が入っているように見えた。これはヒビだろうか。
「年中無休じゃ、爺さん婆さんの手ぇ借りるしかないんすわ。求人かけても若い子なんかぜーんぜん来ないし。スウェーデン行きたいっすよ。あ、知らないっすか? スウェーデンって週休三日にしようとしてるんですって。マジ最高ですよね。あこがれますわー」
 若い店長がしゃべっているあいだ、ずっとレジに貼ってあるチラシは揺れていた。冷房の風がもろに当たっているのだ。ここには湿度がない。ここには夏がない。人工的な冬が半永久的に続く。
「あ、いらっしゃーせ」
 新たに客がレジに並んで、わたしは卵二パックを持って解放された。角度を変えて確認してみる。やっぱりヒビが入っているように見える。
 若い店長はもうわたしを見ていない。そういうときにかぎって、わたしは用がある。またカンナやユルシについての愚痴が始まる。スウェーデンへのあこがれを添えて。
 彼は半袖を着ているのに、ちっとも震えていなかった。
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