第4話

文字数 1,357文字

 人形と暮らす婆さんはユルシといった。漢字で書くと【免】らしい。
 なぜわかったかというと、スーパーの給与計算をわたしのオフィスが請け負うことになったからだ。あのスーパーは爺さん婆さんばかりだと思ったがまさにそのとおりで、全員が七十歳を超えていた。たまにしか見ない店長だけが三十代前半である。
 ユルシはすさまじい時間をスーパーで過ごしていた。月二十五日、百五十時間。それでもユルシを上回る強者が一人いて、カンナという爺さんだ。カンナは百七十時間は勤務している。
「業務災害が多いんですよね」
 スズキは苦笑していた。あのスーパーを担当している彼は、いつも傷病手当金の申請に追われている。
「店内が寒すぎる」
 わたしが言うと、スズキはさらに困ったような顔をして「商品のためだから仕方ないんですよ。店長さんも困ってました」と諭すようにつぶやいた。
 スズキが計算した明細書をひたすら封入する。ただの数字の羅列に過ぎないが、これをユルシもカンナも求めているらしい。店長のだけは桁が違った。間違ってほかの爺さん婆さんの封筒に入れそうになったとき、「絶対だめです」とスズキは初めて声を荒げた。
 前月分との差異も確認する。すると、何名か減っていることに気づく。
「退職も多いんですよね」
 スズキは弱りきった声でぼやいた。そして新規雇用も多い。入れ替わりが激しいと、それだけスズキのやる業務は増える。爺さん婆さんはそこら中にあふれかえっている。わたしの星とは違った。
「わかるー。私の担当もそう」
 ワタナベがスズキに呼びかける。ワタナベの声はわたしの頭上でも真横でもなく、わたしのど真ん中を貫いてくる。するとヤマモトもやってきて「こっちもそうだよ」と、ワタナベとスズキに同意する。ヤマモトの声はわたしを見事にスルーする。
「本当、年寄り多いよね」
「高齢化社会まっしぐらですよね」
「このスーパー、店長以外は皆さん七十オーバーですよ」
「七十代なんてましだって。こっちの警備会社、余裕で八十代いるからね」
「ええー、なにを警備するんですかあ」
「守るより守ってもらえって感じ」
「ですね。病気と怪我のオンパレードですよ」
 三人はけたけたと笑いながら、わたしを囲んで盛りあがりはじめる。わたしは盛りあがらない。なにがおかしいのか理解できない。
 おまけに向こうのほうで、ボスがモニターディスプレイの上から、ちらちらと目玉をのぞかせている。あれは見ているぞ、監視しているぞ、という警告らしい。
 しかし、ボスは見ているだけでなにも言わない。あの無意味な視線に気づいているのは、どうもわたしだけのようだ。三人はいつまでも話し、いくらでも笑えた。
「なんで働いてんだろ、こんな年まで」
「そこそこ年金もらってるはずですよね」
「趣味みたいなもんなんじゃないですかあ」
「聞いてみる」
 わたしが宣言すると、三人はぎょっとしたように目を丸くして「いやいやいや」と手なり頭なりを振りまくった。別れの挨拶かと思い、席から腰を浮かしかけたところだ。
「本当に聞きそうで怖いわ。やめてくださいね」
 ヤマモトが笑いかけてくる。ほかの二人も「ね?」と念を押してくる。笑っている。
 なにが面白いのか理解できない。ボスの目玉はせわしない。
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