第21話 江戸時代の和時計に魅せられた独立時計師の挑戦【北海道】

文字数 3,330文字

菊野昌宏(きくの・まさひろ、1983-)

 独立時計師とは、有名ブランドや企業に属さず、個人で時計製造を行う専門職人を指します。
 北海道中部に位置する深川市出身の菊野は、スイスに本部がある独立時計師アカデミー(AHCI)の日本人初の正会員となった人物です。かつての日本文化「和時計」を腕時計としてよみがえらせた技法と、その製作哲学は、本場スイスの時計マイスターたちをもうならせました。
 2021年発表の『Newsweek(ニューズウィーク) 日本版』「世界が尊敬する日本人100」に選ばれたほか、数多くのTVドキュメンタリー番組にも取り上げられた、日本を代表する独立時計師です。

自衛隊を除隊後、時計職人の道へ

 父が金属加工会社に勤める家庭の長男として深川市に生まれた菊野は、地元の高校を卒業後、2001年に自衛隊に入隊し、4年間を過ごします。当時の上官が身に着けていたのがスイス製の時計(本人の記憶ではオメガのシーマスター)で、その時計を見せてもらったことがきっかけで、機械式時計の世界に興味を持つようになります。
 自衛隊除隊後の2005年、専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジに入学し、時計修理や時計の基礎知識を学びます。2008年の卒業後も、そのまま研究生として学校に残り、時計製作を続けました。翌2009年には、同校の時計製作の講師に抜擢され、後進の指導にあたるようにもなりました。

高名な独立時計師デュフォーとの出会い

 時計職人としての最初の一歩となったきっかけは、「自動割駒式(じどうわりごましき)和時計の腕時計」の製作でした。講師を務めながら、江戸時代から明治期にかけての大発明家・田中久重(たなか・ひさしげ、1799-1881)の手になる和時計の最高傑作「万年時計」にインスピレーションを得て製作した最初の作品でした。
 するとここから、独立時計師の道へ向けて、人生の大きな転機が訪れます。専門学校を訪れていたある人物の目にとまり、「これは面白い時計だ。写真があったらフィリップ・デュフォーさんに見せるから」と声をかけてもらい、画像データを渡すと、数ヵ月後にデュフォー本人から「直接、時計を見たい」との連絡を受けたのでした。
 デュフォーからはさらに、スイスで開かれる世界最大の時計・宝飾品の見本市「バーゼル・ワールド」への作品出展を勧められ、2011年に「不定時法腕時計(和時計)」を出展すると、これが起点となり、まずAHCI準会員になることができました。

30歳の若さで日本人初の独立時計師アカデミー正会員へ

 独立時計師アカデミー(AHCI)の規程では、準会員から正会員に昇格するためには、さらに2年連続で新作を発表し、総会で出席者全員の賛成を得なければなりません。
 菊野は、バーゼル・ワールド見本市へ、2012年には「Tourbillon(トゥールビヨン) 2012」を、2013年には「ORIZURU(折鶴)」を連続して発表し、30歳の若さで日本人初のAHCI正会員となりました。

和時計が表現する「不定時法」とは?

 私たちは現在、1日24時間を均等割りした「定時法」のなかで生活しています。この制度の下では、夏であっても冬であっても、また地域が西であろうと東であろうと、1時間の長さに変わりはありません。しかし、この制度になったのは、明治に入って以降なのです。それ以前、江戸時代までは、一般的に季節によって一刻の長さが変わる「不定時法」が使われていました(注:天文などの特殊分野を除いた場合)。
 かつての「不定時法」では、夜明けと日暮れ(昼)および日暮れと夜明け(夜)までの間を6等分し、一区切りの間の時間を一刻と規定していました。日の出・日の入りの時刻は季節によって変化するため、一刻の長さも日々変化します。和時計は、この「不定時法」を表示する複雑な機構を実現した、世界でもまれな時計なのです。

腕時計の文字盤の駒が自動で動く超絶技術

 実際に、菊野が腕時計のなかに搭載した「不定時法」の表現技術をみてみましょう。菊野の公式ウェブサイトで「不定時法腕時計(和時計)」をみると、写真入りで解説が掲載されています。この腕時計の文字盤には十二時辰(じゅうにじしん)が示されていますが、それぞれの文字を記した駒の間隔が開いているのが分かります。
 「自動割駒式」という機構は、夏至では昼の駒の間隔が広がり、夜の駒の間隔が狭まり、冬至では逆に昼の駒の間隔が狭まり、夜の駒の間隔が広がるよう自動調節される技術です。これを小さな腕時計のなかで実現しようとしたところに、菊野のあくなき挑戦心を感じます。

現在、独立時計師アカデミーの日本人正会員は3人

 2013年に正会員となった菊野に続き、2015年には東京藝大出身でグラフィックデザイナーとしての企業経験もある浅岡肇(あさおか・はじめ、1965-)が、2022年には元料理人という異色の経歴で、菊野と同じくヒコ・みづのジュエリーカレッジ出身者でもある牧原大造(まきはら・だいぞう、1979-)が正会員になっており、独立時計師アカデミーの日本人正会員は本稿執筆時点(2024年8月)で3人います。
 浅岡は、ロレックスやオメガの数々の名機が生み出された1950~1960年代をオマージュする一方、航空・宇宙産業などの最新技術とタイアップするなど、先端的な活動にも特徴がある時計マイスターの印象があります。
 牧原は反対に、「日本の伝統工芸的技術を時計を通じて発信する」とのコンセプトのもと、彫金や、江戸切子の技術を採り入れるなど「和テイスト」の時計づくりに特徴があります。
 「和」という点では、菊野と牧野は共通しているようにみえますが、元料理人の牧野の興味は美術工芸的な要素に集中している気がします。
 一方、菊野は、消えていった日本文化「和時計」や、旧制度「不定時法」のある意味での復権に大きな関心があるように思えます。
 現代では「定時法」は、私たち一般人の生活にとって欠かせないものですが、元をたどれば、賃労働など近代国家の礎(いしずえ)を形成してきた統制制度という側面があります。対する「不定時法」は、もっと自然の摂理や人間の暮らしに合わせた、柔軟性のある時法制度という性質を持っています。
 独立時計師は、人によって差はありますが、ほとんどの工程ないし主要工程を一人で担うケースが多いのが特徴です。量産型の時計産業とは真逆の「モノづくり文化」の根本精神を、今の時代に伝える伝道師とでもいうべき存在といえるのではないでしょうか。(第21話了)


(主な参考資料)
・「特集 和時計の文化技術」『季刊iichiko No.133 Winter 2017』日本ベリエールアートセンター
・masahiro kikuno 菊野昌宏公式ウェブサイト https://www.masahirokikuno.jp/(閲覧日:2024年8月9日)
・「世界が尊敬する日本人100」『Newsweek(ニューズウィーク) 日本版 2021年8月10・17日合併号』CCCメディアハウス
・「菊野昌宏 独立時計師 日本人初のスイス独立時計師協会正会員」(Bluebook) https://bluebook.co.jp/masahiro-kikuno(閲覧日:2024年8月9日)
・「若き「独立時計師」のクレイジーすぎる挑戦」川内イオ(2016.09.10)、東洋経済ONLINE https://toyokeizai.net/articles/-/134749(閲覧日:2024年8月10日)
・「日本人の独立時計師特集―菊野昌宏氏,浅岡肇氏,牧原大造氏」新美貴之監修(公開日:2024/7/22)、腕時計総合情報メディア GINZA RASINブログ https://www.rasin.co.jp/blog/special/special-japanese-watch-makers/?srsltid=AfmBOorc4Fp5wqxXyKMHF-r43fcqqT-3CP_5_yNkfTpp3PQCaxkwYaiC(閲覧日:2024年8月10日)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み