一 移住

文字数 6,733文字

 家のドアを一歩出ると、突然、ビューと雪交じりの風が斜め上から叩きつけてきて、滝山静香は思わず顔をそむけた。家の西にある山の頂からは、冬になると始終、日本海の湿気を含んだ冷たい風が吹き下ろしてくる。首をすくめて少し前かがみになりながら家の前に停めた車に向かい、着替えを詰めた小さめのボストンバッグを後部座席に置いたとき「これってやっぱり茶系の方が良かったかな」と思った。この小旅行のためにちょっと奮発して買ったバッグは、柔らかいブルーを基調にしたオーバーチェックの模様も、上の開口部を大きく取って下部を小さくしたフォルムもおしゃれで気に入っていたが、この季節に持ってみると少し寒々しく感じる。着ていく洋服もあれやこれや悩んで、結局、一年前に買った渋いテラコッタのワンピースにしたのだが、ブルーのバッグはそれとも合わない気がした。「まあ、この服はみんなの前で着たことが無いし、これしかないからね」と心の中で再確認して車のドアを閉めると、
「それじゃ、お願いします」
 とひときわ大きい声でまだ家に居る夫に声をかけた。
 その日はめずらしく大学時代に入っていた「藝術鑑賞同好会」、通称「ゲイカン」の友人が集まるというので、一泊二日で東京に出かけることになっていた。一人で旅行をするなんて、何年振りだろうか。冬の肌を刺すような冷たさは東京も北国もそんなに変わらないと、長年の東京暮らしで身をもって知っている静香は、コートも厚手のものを着ている。どこか暖かい所で会いたいねという話になり、ちょうど上野で開催されていた「現代アートと近世ヨーロッパの遭遇展」に三々五々集合し、その後、最近できたばかりで評判のホテルコンフォルタンのビュッフェを楽しむという趣向だった。
 
 妻の声に、おっくうげに炬燵から立ち上がった哲史は、炬燵のスイッチを切り、廊下の寒気に身体を縮めながら、玄関で焦げ茶色のダウンにマフラーを重ねて外に出た。ドアに鍵を掛けながら、一瞬、エアコンのスイッチを切っていなかったことと、毛糸の帽子を忘れたことを思い出したが、「まあ、駅まで送っていくだけだから」と思い直して、そのまま車に向かった。昨日はそんなに飲んだわけではなかったが、朝から軽い頭痛がしていた。寝違えたわけではないだろうが、なんだか左肩から首の辺りにかけて痛みも感じる。胃が重い感じはこのところずうっと続いていて、胃カメラを飲まされたりもしたのだが、心配したポリープはなく、胃が荒れているだけだろうということだった。若いころに比べると、食べる量も、飲む量も半分くらいになっていて、暴飲暴食と言われるようなことはしていないつもりなのに、いつもこんな調子だ。年を取るということは、こうしていろんな機能や能力が少しずつ劣化していくことなんだろうなと、最近は半ばあきらめ、あまり気にも留めないでいた。
 これからは雪国で暮らすからと、三年前に東京から引っ越してきたときに買った四輪駆動のフォレスタのエンジンをかけると、
「携帯は持った? 忘れ物はないね」
 といつものように声をかけ、
「それじゃあ、行くよ」
 という掛け声とともに車は動き出した。国道に出ると、少し吹雪いていて見通しは悪かったが、道はきれいに除雪され、行き交う車も少なく、車はスムーズに走り続けた。
「今日はどこに泊まるんだっけ」
「上野に新しくできたホテルコンフォルタンよ。昨日も話したのに、人の言うことは全然聞いてないんだから」
「いや、最近は新しい名前は全く覚えられなくてさ。そこって高いんだろ」
「ほんとうはね。でもね、うちの同好会の一人が仕事で何か関係があるらしくて、割引券をもらっているから大丈夫。収入が減ったから贅沢はしません。食事もそこのビュッフェだけど、予約しないと入れないくらい評判がいいそうだから楽しみだな。なにしろ久しぶりに都会で食事だから」
「田舎のレストランしか連れて行けずにすみませんね。でもこっちにだって、うまいもんがいっぱいあるだろ」
「そりゃそうだけど、地元野菜や地元の魚を使って調理していますっていうのは、都会からたまに遊びに来る人向けのキャッチフレーズで、地元では当たり前のことでしょ。確かに美味しいけど、たまには都会的センスにあふれたものを食べたくならない? ああ、ほんとに楽しみだな」
「なんだそれ、食べに行くのが目的みたいだな。それにやけにテンション高くないか。昔の彼氏でも来るんじゃないか?」
「そんな人はいませんよ。一人で旅行に出かけるなんて、ここに来て初めてのことなんだから、テンション高いのあたりまえでしょ」

 そう答えながら、静香はドキリとしていた。今度の集まりは、同好会の部長で上海に長年赴任していた柴山孝治が日本に帰って来たのを機に、久しぶりにみんなで会おうということであったが、隠れた目的は一作年の夏に膵臓癌の手術を受けた三屋泰輔を励ます会でもあった。泰輔は静香が大学卒業後にほんの少しの期間だけつきあった相手である。学生時代からお互いに好意のようなものを感じてはいたがつきあうまでには至らず、社会人生活を始めて間もなく偶然に帰りの電車で出会って飲みに行ったのがきっかけだった。仕事の愚痴を言い合ううちに意気投合し、その後自然に一人暮らしの静香のアパートに泊まっていくような関係になったが、同好会の仲間には知られていないはずだ。お互いに慣れない仕事に忙しく、気ぜわしく暮らすうちに会うことも少なくなり、泰輔の地方転勤と共に大人のつきあいは終わった。
 その泰輔が膵臓癌と聞いてからもう一年以上経っていた。詳しい病状は知らないが、ネットの読みかじりによると、膵臓癌はたとえ早期発見でも五年後の生存率が四割を下回る恐ろしい病気だという。喧嘩別れをしたわけではないので、その後も同好会の集まりで顔を会わせて「元気か」くらいの短いやりとりは何回かあった。向こうがどう思っているかは知らないが、その顔はまんざら嫌そうでもなく、軽く会釈し、意味ありげに素早く視線を交わしたあとにはいつも、共有した秘密がもたらす青い香気が胸の中で立ち騒ぐ思いがした。このところずうっと会っていなかったので、もう二度と会えないかもしれないという不安と、今の医学ならそんなに簡単には死なないはずだという根拠のない気休めで心は揺れていた。結局、親友の真由美から「たまには東京に出ておいで」と背中を押されて決めた一人旅だったが、そんな気持ちを知るはずもない哲史に見抜かれたような気がした。

 静香の微かな動揺など全く気付かずに哲史が言った。
「静香もそろそろ田舎暮らしに飽きてきた頃だろう、ちょうど良かったね。『都会の(あか)を流す』、の反対はなんて言うの? 『田舎の(ほこり)を落とす』とでも言うのかな」
「埃というよりはシミかな。埃は流すことができても、田舎のシミはそれこそ子供のころから沁み込んでいるから、そんなに簡単に落とせないわよね。だいたい垢っていうのは細胞の新陳代謝でしょ。新陳代謝のない田舎じゃ垢もつかずに枯れていくだけかもよ」
「そりゃあ田舎に失礼だよ。だいたい田舎暮らしもいいかなって言い出したのは静香だよね」
「最初はそうでも、本気で動き出したのはあなたの方よね。まさか、会社を辞めてすぐにこっちに来るなんて、考えもしなかった。でも、まあ結果的には良かったなって思っているけど、やっぱり近所の目とか、親戚とか、都会では気を遣わないことに気を遣う煩わしさは、昔と変わらないわよね」
「静香は親戚のとこなんかめったに行かないだろ。それに今の時代にそんな気を遣うことはないから、気にしすぎだよ」

 そう言いながら、実はそのことを一番心配していたのは自分の方だったなと、哲史は思った。農家を継ぐのは当然兄貴ということで、自分はさっさと東京の私立大学を受験して、念願の一人暮らしを経験し、就職も何とか東京に本社のある不動産会社の営業に潜り込んだ。地元に帰って来いという親には、全国展開している会社だから大丈夫だとか、戻るにしても宅建の資格を取って独立できるようになってからだとか、いつも適当にはぐらかし、結局帰ることなくその会社に居続け、最後の数年は子会社に出向して営業の管理職をやっていた。
 それというのも、いまさら田舎暮らしはもうしたくないと思っていたからだった。子どものころにはあまり感じなかったが、高校に入ったころから息苦しさを感じ始めていた。家に居れば、村の誰それの子供がどこの大学に入っただとか、角の酒屋の娘が離婚して家に帰ってきているだとか、近くの新興住宅の若奥さんは昼にクラッシック音楽を聞きながら読書をしているなんてどうでもいい話を、母親がさもや大事な秘密を聞いてきたかのように親父に話している。町中を歩けば必ず一人や二人、知った奴に会うし、誰かと映画館にでも行こうものなら翌日にはクラス中に知られている。そこら中に監視網が敷かれていて、自分の家の夕食のおかずから買い物の中身まで知られているようで、プライバシーなんて言葉は田舎では死語だと考えていた。それに加えて、哲史は母親とも何かと行き違いを起こしていた。やること、言うこと、細かくて押し付けがましいのが嫌で、いわば反抗期がずうっと続いているかのような臨戦状態だった。近所に新しくできたスーパーの特売で買ってくれた派手なシャツをしぶしぶ着て出かけたら、同級生が同じ柄のシャツを着ていて顔を真っ赤にしたのも母親のせいだと思っている。そんな思いは、田舎を抜け出して東京の大学に行くようになってからも大きくなっていき、夏休みで帰省するたびにさらに強まり、故郷はどんどん遠くなっていった。

 親戚づきあいなんか気にしなくていいと言ったきり、黙り込んでしまった哲史に向かって静香が言った。
「わかってる、ちょっと言ってみたかっただけ。私はあなたよりさらに山奥で育っているから、それに比べたらここら辺は近くにお店もあるし、都会みたいなものよ。東京の生活は嫌いじゃなかったけど、子供も家を出て行ってしまったし、これから二人で暮らすにはこっちの方がのんびりできて良かったなって、本気で思っていますよ」
「うん、俺もあの頃は何かにとりつかれたみたいに、会社を辞めることばかり毎日考えていて、今思うと、少し鬱になって追い詰められていたのかもしれないな。そうでもなければ、田舎に引っ越すなんて、こんな思い切った決断は出来なかったろうし、結果としてはそれで本当に良かったと思っている。賛成してくれた静香に、感謝だね」

 哲史は定年の六十歳までは働けそうだったが、役職定年になる五十五歳を前に提示された早期退職制度に応募し、わずかな割増退職金をもらって二年半前に退職していた。やはりほとほと会社勤めに疲れていたからだ。不動産の営業なんて、そもそも自分が頑張って何とかなるものでもない。会社が良い立地に良い物件を良い値段で売りだしたら何の苦もない仕事だ。確かにそういう時代もあった。建物ができる前から飛ぶように売れた時代には、みんな鼻息が荒かった。歩合でボーナスが大幅に割り増しされたり、販売報奨だとか言って外国旅行までさせてもらった。しかし、そんな時代は長くは続かなかった。営業というのは、売り手市場の時にはこれほど良い仕事はないが、大概の場合は売れないから営業が必要なのであって、一回の成功を得るために何百回も頭を下げ、足を引きずり、嘘ぎりぎりの営業トークを使い、神経を磨り減らしながらやるのが普通だ。多くの仲間が中途退職していった中で、哲史がなんとか定年近くまでやってこられたのは、会社の売れ残りマンションを割安で買ったときの住宅ローンが残っていたことと、顧客からのクレームや値引き額を巡る上司からの叱責も「相手の顔をかぼちゃだと思って受け流せ」と言ってくれた親しい先輩の言葉のお蔭だろう。落ち込みそうになってつい愚痴をこぼした時に、あっけらかんと「明日は明日の風が吹く」と言ってくれた、のんびり屋の静香の支えも大きい。それでも、長いサラリーマン生活で感受性は削り取られ、心は確実に疲弊していた。
 そんな時に、父重体の知らせに見舞いのために帰った生まれ故郷は優しかった。以前手術した肺癌が再発して生きるか死ぬかの日が続いていた父の容体は心配だったが、男の寿命からすればもう十分に生きてきたと言っても良い。そんな割り切りもあって、ともかく苦しまないで逝ってくれればいいなというのが本音だった。口うるさかった母は、相変わらずぶつぶつ言うものの、少しボケ始めたのかもう喧嘩をする気も起こらないくらい弱々しくなっていた。久しぶりに兄貴と飲む酒や故郷の食べ物は旨かった。なによりも朝起きて見上げる故郷の山々は、その長い尾根に真っ白な雪を残し、この上なく美しかった。怒らせた肩の力がスーッと抜けていくように、あるいは胸いっぱい吸った息をフーっと吐き出すように、磨り切れた心が柔らかく癒されていくのを感じていた。
 マンションの三十年ローンはまだ少し残っていたが、退職金で何とか返済できるし、購入時から随分下がっているとはいえ、東京郊外の駅に比較的近いマンションを売れば、さすがに田舎の一軒家くらいは十分に買えた。宅地建物取引士の資格と不動産営業の経験があれば非常勤の嘱託で少しは稼げるはずだし、うまくいけば自分で商売もできるかもしれない。当面の生活費は割増退職金もあるから大丈夫だろう、そう言って静香に早期退職と田舎への引っ越しを相談した時には、まだそれが実現可能なものだという実感はなかった。しかし、もともと法事や夏休みで帰省するたびに「田舎の生活もいいかな」と言っていた静香が、俄然その気になって、いろいろな物件を調べ始めたのを横目で見ながら、もしかしたら本当にそうするのが良いのかもしれない、と少しずつ思い始めていた。
 転機は意外に早かった。静香にあまり気を遣わせないように、自分の実家からも、そして静香が言う「山奥」にある静香の実家からもある程度離れた、中間の田園地帯を第一候補に毎日のように不動産の売り出し物件をネットで探していたのだが、静香がようやく良さそうな物件を見つけてきたのだ。不動産の営業を長年やっていても、都会のマンションと田舎の家ではまったく勝手が違う。初めのころに良いなと思った物件は、良く調べてみるとそもそも下水道につながっておらず古い浄化槽だったり、これこそはと思って現地を見に行ったら家畜臭の強烈なところだったり、海が見える家もいいかなと思っていたら潮風でシャッターまで錆びついて穴が開いていたりと散々だった。そうかと言って、わざわざ東京から移り住むのに町中の立て込んだ場所では意味がない。だんだん物件探しが面白くなり、田舎暮らしへの憧れみたいなものが増してきたときに見つけたのが、農村部の広めの敷地に立つ、平屋の小さな家だった。

 車は十五分ほどで羽越本線の駅に着いた。田舎の一般国道は、ときに首都高速よりも早い。静香は車を降りながら言った。
「ありがとう。明日は、午前中ひさしぶりに新宿で買い物して夕方に帰るから。あなたも田舎の一人暮らしは初めてでしょ。楽しんでね」
「スナックの女の子をからかいに行きたくても、おばさんしかいないしね。でもたまにはカラオケでも歌いに行くかな」
「行くならちゃんと帰りは代行呼んでよ。あとモモ、お願いね」
「わかった、じゃあ、そっちこそ楽しんできて」
「はあい、行ってきます」
 そう言って手を振った静香は、哲史の車が駅のロータリーを出ていく後ろ姿を見送った。「うちの旦那は少し太ったかな。田舎暮らしは運動量が減るから、帰ってきたら少し食事制限しなくちゃ。モモも太り気味だし、一緒にダイエットしてもらおうかな」と考えながら駅の待合室に向かった。
 新幹線が全国を縦断している時代に、ローカル線の駅の待合室のベンチに座って一人列車を待つというのは、久しぶりの感覚だった。静香はこの感覚が好きだった。自分が住んでいた山間部を走る奥羽線の駅の待合室、そこに座って東京へ行く列車をワクワクしながら待っていた学生時代の感覚がよみがえってくるのだろう。それは駅の小さな売店やかすかな立ち食いソバの匂い、不安と期待、別れと出会い、閉塞と開放をないまぜにした、淡い(もや)のようなもので、それが身体を包み込み、遠い世界に運んで行ってくれる、そんな感覚そのものだった。
 列車の到着を知らせるアナウンスに、静香は膝に乗せたブルーのボストンバックをグッと抱き寄せてひとつうなずくと、やがて東京へ向かう車中の人となった。
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