七 長い階段

文字数 7,537文字

 なにもこんな感染症流行の最中にしなくても良いと思ったのに、七月には翔太が大阪で結婚式を挙げることになった。相手は大学時代から付き合っていた藤原恵子で、東京のマンションにも何回か連れてきたことがあった。よく気の付く明るい子で、静香も「恵子ちゃん、恵子ちゃん」とかわいがっていて、ゆくゆくは結婚するのかなと思っていた。
「二人とも、パンデミックの今だからこそ結婚しなくちゃって思ったんだ。今まではアイフォンでいつでも顔を見られるし、遠距離恋愛でも大丈夫と思っていたけど、やっぱり毎日ウエッブ会議で、外出もできないで、一人で居るときこそ、傍に人がいることの大事さに気付かされたって感じかな」
 もちろん翔太に悪気はないのだが、翔太の言葉は「傍に人がいないことの寂しさ」としてそのまま自分に跳ね返ってくる。静香は、自分は一人息子が結婚しても動揺しない程度には子離れしていると思っていた。就職して大阪に配属が決まった時も、これでようやく翔太も一人暮らしで親離れができて良かったと思い、哲史と自分は翔太の就職とほぼ同時にさっさと田舎に引っ越してきた。しかし、娘の美穂まで外国暮らしをしている今、哲史が急逝してからの独り身の寂しさが身に染みた。我が家は子供に大らかすぎたのかな、普通の親のように、もっと子供に執着している人の方が本当は幸せなのかな、などと思うこともあった。

 結婚式といっても、感染症が流行しているのでウエッブ結婚式であった。静香にもウエッブ会議への参加方法のマニュアルが送られてきて、式の前には練習もしたのだが、予想に反してあまりにも簡単に大阪の翔太とつながり拍子抜けしてしまった。
 ホテルからの食事を宅配する豪華版のウエッブ結婚式もあるということだったが、翔太たちのはまったくの手作りで、参加者には事前に二人からのカードを添えたシャンペンのボトルが一本送られて来ただけで、当日はそれを開けて乾杯することになっていた。参加者も、ごく身近の親戚と親しい友人だけの小規模なものだったが、オーストラリアに居る美穂も何の苦も無くそこから参加できる便利さに改めて驚いた。考えてみれば、翔太とも美穂とも、その気になればいつでもスマホで顔を見ながら話せる時代なんだし、結婚式という既存の概念を取り払ってしまえば、こういうのも悪くないなと思った。

 結婚式当日、静香も少しおしゃれをし、時間になったので招待されたサイトにログインすると、もう何人かの笑顔が映し出されていた。式が始まると、新郎新婦の背景がヨーロッパの大聖堂風に変わったのには驚いた。恵子は純白のウエディングドレスを着ていたが、それはメルカリで入手したものだと静香は知っており、そういう時代なのだとあらためて思った。定番のAラインのドレスで肩先や胸元は花をあしらったレース模様が施され、デコルテも半透明のレースで覆われ慎ましさを感じさせた。髪につけた白いパール風のボンネも小柄な恵子によく似あっていた。
 式には神父さんがいるわけでもなく、二人で誓いの言葉を朗読し、指輪を交換するだけの人前結婚式であった。その後、友人代表が乾杯の音頭を取り、大阪で、東京で、東北の片田舎で、そしてオーストラリアでも、同時に祝杯があげられた。そのことは、豪華な結婚式場での式以上に晴れやかなものに感じられた。ケーキカットの時には、モモが膝に飛び乗ってきてニャオーンと鳴き、予期せぬ猫の声にスクリーンの向こうではあちらこちらで笑いが起こった。そのあと招待された友人たちがお祝いの言葉を順番に述べていくのだが、各人がそれぞれに工夫し、背景は森の中や海辺の夕景などに変わりながら、式は和気あいあいと進んだ。記念撮影は、スクリーン上に参加者全員の顔を映し出して、それをデータで保存するというものだった。
 シンプルに、でも賑やかに一時間半ほどで結婚式は終わった。ありがたいことに苦手な親からの挨拶はしないで済んだが、最後にはお決まりの二人の親たちへのお礼の言葉があり、恵子の母親がボロボロ泣いているのを見て、自分も思わず涙ぐんでしまった。これもほかの人から見えてしまっているのかしら、と急いで目尻の涙をハンカチで押さえた。
 結婚というのは二人の関係を公に知らしめること、ただそれだけのことであり、こういう式も心温まる良い式だったなとしみじみと思った。同時に、また少し哲史のいない寂しさが増した気がした。

 結婚式の前後には気分が少し良くなった気がした静香だったが、一段落すると、自分が何かをしたわけでもないのにその気疲れがどっと出て、またいじいじと考え込む日が多くなっていた。
 そんな静香の心を察したかのように、八月の夏休みに真由美から遊びに行って良いかとの連絡があった。隆と一緒に近くの温泉に行くので、顔を出したいという。まだ感染症の流行は収束しておらず、東京方面からの人だとわかれば歓迎されない雰囲気は残っていたが、観光地としては背に腹は代えられず、政府も旅費を補助するキャンペーンで旅行を後押ししていた。自分としても真由美が来てくれることは救いに思えて、ぜひ自分の家にも泊まってくれるようにと誘った。その口調がよほど哀願調に聞こえたのか、隆が帰った後も真由美が追加で何日か泊まっていくことになった。
 お盆休みで例年なら宿も列車も満杯で予約が取れない時期にもかかわらず、今年はガラガラだったようで、真由美たちは近くの海岸の温泉宿に一泊し、翌日静香が車で二人を迎えに行った。東京に居た頃は自動車の運転は苦手だったが、こちらでは車がないと暮らせない。あぶなっかしい運転を助手席の哲史に叱られながらも、なんとか大きなフォレスタを運転して近場の買い物くらいは行けるようになっていた。
 
 静香の家に着くと、二人は庭の広さや周囲の山や田んぼの景色に驚いた様子で、口々に素敵だとか、こんなところで暮らしてみたいなどと言っていた。庭なんて、この辺では一番狭いくらいなのにと苦笑しながら家に入れ、居間に案内した。居間からも、庭の竹やぶや遠くの山の頂が見えるので、二人はまたひとしきり大騒ぎしていた。
「そういえば、旦那さんが亡くなってから初めてだよね。その節は、葬式にも来られず失礼しました。線香あげさせてもらえるかな」
 隆がそう言い、静香は二人をお盆飾りをした仏壇の前に案内した。「だいぶ遅くなったけれど」と言ってご仏前と書かれた封筒を懐から出し、散々断る静香を押し切って仏壇に乗せた。こっちの風習だからと、静香が仏壇の水を替えてあげ、二人は線香に火をつけて手を合わせた。それを見ていて、温泉のついでと言いながら本当は静香のところに来るのが目的だったんだなと思い、涙が浮かんできた。隆が仏壇の横に目をやり、写真の横にある骨壺に気付いたようだったが、何も言わなかった。

 その日の午後には、家からさほど遠くない、古くから山岳信仰の中心だった羽黒山に案内した。大きな赤い門をくぐり、参道の石段をゆっくり下り、また上るとほどなく、樹齢千年を超えるという巨木もある杉木立の中に五重塔が見えてきた。真夏というのに、鬱蒼とした杉林に囲まれた参道は薄暗く、涼風が素肌に気持ち良い。その中に凛と立つ五重塔は、近づくと意外に大きく、その均整の取れた立ち姿に、隆と真由美は感嘆の声をあげた。
 塔は彩色が施されていない素木(しらき)造りで、六百年を超える風雪にさらされた粗い木肌がこの地での修行の厳しさを思わせる。青空を背に、杮葺(こけらぶ)き五層の屋根は天に向かって優美な弧を描き、下から仰ぎ見ると羽ばたく白鳥の群のようにも見えるのだと静香が教えた。
 山頂の神社への石段はここからまだまだ続き二千四百段余りあるが、これを上ることでご利益(りやく)があるのだからと、三人はゆっくりと、それでもふうふう言いながら階段を上り続けた。途中の茶屋で一息入れながら真由美が言った。
「うちの実家にね、おじいちゃんが買ってきた日光東照宮のお土産があるんだけど、そこに、人生は重い荷物を背負って坂道を登るようなものだって書いてあるのを見て、子供心に大変なんだなって思ったんだけど、重い荷物がなくてもここの石段は大変ね」
 隆が応じた。
「それを言うなら、たぶん、人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、っていう徳川家康の言葉だと思うよ。まあ同じようなもんだけど」
「えっ、坂道じゃなくて遠い道だったの。坂道もつらいけど、どこまでも続く道っていうのも疲れるわね。それに初めての道は遠く感じるっていうけれど、人生は初めての道ばかりで、二回目はないし」
「うん、上り坂はつらくてもいつか終わるし、頂上から先は楽になるっていう期待が持てるからね。家康がそこまで考えていたとは思えないけど」
「今この歳になってみると、上っているうちはまだ幸せよね。こっちはもう下り坂で、私の人生の峠って、何歳ごろに過ぎてしまったのかな」
「筋肉は三十歳から毎年一パーセントずつ減るっていうから、肉体的にはもうその辺が峠で、自然な寿命は六十歳くらいなんだろうね。今は医学が発達して栄養も良くなったから、九十歳まで元気なじいさんもいるけど、まともに生きられるのはせいぜい七十歳くらいって考える方が当たっているんじゃないのかな」
「平均年齢の真ん中くらいって考えたら、現代の峠は四十歳前後かもしれないわね。前半には、子供時代があって高校、大学、就職、結婚って、人生のハイライトシーンが次々に出てきて、あとは大したイベントもなく淡々と過ぎていくから、やっぱり前半が上り坂、後半は下り坂って感じだわね」
 この二人は、夫婦でこんな話ばかりしているのかしら、と思いながらそのやりとりを聞いていた静香も話に加わった。
「そうよね、よく考えたら出産後の子育てから先は、自分の人生のハイライトじゃなくて、子供の人生のハイライトにつきあっているだけみたいな気がしてきたわ。子供が育ってしまったら、後は老化の坂を転げ落ちるばかりで」
「僕らには子供もいないから、その感覚はないけどね。でも確かに三十代の前半くらいまでは新しい出会いがたくさんあったけど、その後は、別れの方が多い気がするな。だいたい、若い時は結婚式にしょっちゅう招待されて、出費も大変だったけど、ある時点から結婚式はぱったりなくなって、誰かの葬式で昔の知り合いに会うことばかり増えてしまった」
 隆の話にうなずきながら、静香が言った。
「そういうことを全く自覚しないで、いつまでも健康に生きられると、漫然と思って生きている人の方が世の中には圧倒的に多い気がするわ。うちも例外ではないけれど、それだけに旦那が急に逝ってしまったのには打ちのめされてしまって」
 話の成り行きに心配顔の真由美を横目に見ながら隆が言った。
「あのさ、なんか人生は上り坂が終わると下り坂しかないっていう前提で話している方が変だよね。実際のところは、上り坂と下り坂は何回も繰り返すんで、ただ歳をとるとどうしても病気とか後ろ向きの話が多くなってしまうのは仕方ないことだから。肉体が下り坂だからって、気持ちまで下り坂にする必要はないと思うし、こんなことを言っていいのかわからないけど、静香たちもここに引っ越してきてからは、すごく生き生きと前向きな生活をしていたんだろう」
「今の静香にはこんな話もきつすぎるから、やめやめ。ごめんね、静香、隆ったら相変わらず人の気持ちも考えずに理屈ばかりこねて。さあ、そろそろ出発しましょう」

 真由美の言葉に三人は腰を上げ、残りの石段を上り始めた。静香は、六十歳を前に亡くなった哲史のことを考えていた。昔だったらそのくらいが普通の寿命だったのかな、でも早すぎるよね。隆が言ってくれたようにまだ上っている最中に死んだのは幸せだったのかもしれない、でもその新しい生活をもっとしたかったろうな、悔しかったろうな……。考えているうちに涙がにじんできた。隆と真由美に気付かれないように、一番後ろを歩きながらそっと涙を拭いた。
 急に無口になった静香に気付いてか、あるいは疲れたのか、前の二人も黙々と上っていく。やがて、ゴールともいえる朱塗りの鳥居が見えてきて、ようやく二人から歓声があがった。静香の顔もそれまでには涙の跡も吹き出る汗にまみれ、一山登った達成感に久しぶりに自然な笑顔が戻っていた。

 その夜は、近くの温泉でさっぱりと汗を流したあと、まずはビールと枝豆で乾杯した。海も山も近いこの地は豊かな食べ物に恵まれている。観光も兼ねて物産館で買い物をした静香たちは、今が旬の岩ガキとサザエ、それに地物の魚を買い込んでいた。大きな岩ガキを生でぺろりと食べるだいご味はなかなかのものだ。夏のこの時期、底引き網漁は休漁だが、帰省客や観光客目当ての高級魚もたくさん出ている。近くに牧場があるので、肉もジューシーで柔らかいものが安く手に入る。この日の夕食は、サザエの壺焼き、岩ガキと刺身、焼き魚に牛のミニステーキというフルコースだった。
 食後にいったん片づけをしてから、また地元産の赤ワインを開け、漬物とチーズという奇妙な取り合わせのつまみでくつろいでいるとき、隆が静香に尋ねた。
「お骨がまだあるみたいだけど、旦那さんのお墓はどうするの?」
 静香は、哲史が次男坊であることや、自分も含めて今は誰も東京に居ないこと、公共墓地の抽選の仕組みなどを二人に説明してからこう付け足した。
「実はね、最近思うんだけど、遺骨をそこに置いてある方が哲史を近くに感じられて、かえっていいかなって。火葬で人は死者への未練を断ち切ることができるっていうけど、私はお葬式の時は頭が真っ白で、このお骨が哲史のものだという実感は湧いてこなかったわ。だけど、こうして毎日水をあげながら拝んでいると、だんだん身近に感じられてきて、今ではそこに哲史が居るみたいに話しかけてしまうの」
「でも、こういっちゃなんだけど、田舎ではそういうことはあまり良く言われないんじゃないの?」
「そうね、うちの母からも早くお墓に入れないと、いつまでも前を向けないぞって言われるし、旦那の親戚からも世間体が悪いみたいな言い方をされるわ。みんな早く区切りをつけたがるけど、私には区切りをつけた方がいいのか、このまま引きずってはだめなのかなって、正直言って、よくわからなくて」
 真由美が思い出したように言った。
「そういえば、コロナで隔離されたまま亡くなった人は、家族にも看取られずに遺骨になって家に帰ってきたっていう話があったわよね。あれって、どうなんだろう。それこそその遺骨が愛する家族のものだなんて実感は湧かなくて、いつまでも吹っ切れないんじゃないのかな」
 静香は、哲史の葬儀の時の気持ちを話した。
「私はね、葬儀の時に、哲史を火葬にしてほしくないって、心の中で強く思っていたの。そんな馬鹿なことはできるはずもないのに、死んだのがあんまり急だったでしょう、もっともっとそばに居たいと思って、せめて外国のように土葬にしてくれたらって……。私って変なのかな」
「それは決して変なことじゃないと思うよ。日本には古くから(もがり)というのがあってね、それは死者の肉体が自然に還るのを何日か待って、それから埋葬するっていうやり方なんだ。だんだんと崩れていく肉体に寄り添って喪に服していると、人間が自然の一部なんだって思えるし、近しい人の死というものを、草や木が枯れるのと同じように自然に受け入れられるんじゃないかな。僕は殯のことを知ってから、死体を怖いと思わなくなったんだ。おばあちゃんの葬儀でも、安置された遺体の顔が日に日に艶を失っていくのを見て、これが自然だ、無理に死化粧なんかしない方がいい、って思ったくらいなんだ」
「私にはあまりにもあっという間で、お葬式で泣くこともできなかった……」
 一瞬、会話が止まった。どんどん暗い方に行きかける空気を振り払うように隆が言った。
「キリスト教ではイエスの復活とか、最後の審判での復活とか、ともかく肉体を残しておかないと、復活できなくなってしまうっていう考えがあるみたいだね。死んだら天国に召されるんだから、悲しいことじゃないって。もっとも、コストの関係で最近はアメリカでも火葬が増えているみたいだけど」
 真由美も努めて軽い口調で笑顔で応えた。
「でもアメリカ映画で見る葬儀シーンは、ほぼ百パーセント、墓地に掘った穴の周りにみんなで集まっているわよね。参列者も、後ろの木の陰から見守る刑事さんとかギャングとかも、なぜかみんなサングラスをかけているのが笑えるわ。アメリカ映画はゾンビで、日本映画が幽霊なのも埋葬の仕方の違いね」
 
 ちょうどワインのボトルが空になり、真由美はそろそろ潮時とばかりに立ち上がってグラスを片付けると、隆を促して「それじゃ、もう歯を磨いて寝るわよ」と客間に引き上げた。簡単に明日の朝食の用意をしてから寝室に戻った静香は思った。結局、死をどう受け止めるのかなのだろう。死を(けが)れとして忌み嫌う文化もあれば、死を復活のスタートと考える世界もある。肉体が滅んでも魂は滅びないという輪廻転生の考えもあれば、死によって魂が苦しみや悩みに満ちた現世から逃れ、楽園に行けると教える宗教もある。死んだらおしまいのはずなのに、こうも多くの死生観があるのは、死の恐怖と向かい合う者への救いという面もあるのだろうが、むしろ残された者の心の救済の意味の方が大きいのではないだろうか。自分の場合はどうなのだろう。正月には神社に初詣に行き、お彼岸やお盆にはお寺にお墓参りに行き、結婚式はキリスト教で葬式は仏式と特別の宗教観もなく、いきなり愛する者の死を突き付けられてしまった。父親の時は、年も年だし、肺癌になってから亡くなるまで心の準備もできた。それでもいざ亡くなったときには悲しい思いに打ちのめされたのに、哲史の死は本当に突然だった。心の準備もできていなければ、時間をかけた看病と別れも出来なかった。言いたいことを―それが何かはよくわからないが、伝える時間もなかった。心残りというのは、無理矢理に心の一部を引きはがされ、欠けたままどこかに置いてきたことを言うのだろう。そのかけらを取り戻すには、母が言うように早くお墓を立てて、過ぎたことは忘れて新しい生活を始める必要があるのだろうか。欠けたままでは壊れてしまうのだろうか。

 めったにない来客の騒々しさを恐れて仏壇の陰に隠れていたモモが、ようやく安心して出てきて静香の枕元に寝そべった。モモのふさふさの頭をなでているうちに、少し心が落ち着いて、静香はやがて浅い眠りに入っていった。
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