八 モリ供養
文字数 7,136文字
隆が一泊だけして東京に帰ったあと、静香と真由美はのんびりと東北の夏を過ごすことにした。全国で感染症の流行は衰えていなかったが、この地ではほとんど発生していなかった。それでも暑い中、毎日マスクをして暮らす人々の神経はピリピリしており、観光名所も人がまばらで行くのは憚られ、近場の海や山にミニドライブに出かけたり、買い物をして二人で食事を作ったりしていた。ミニドライブといっても、渋滞の無い田舎のドライブでは相当離れた所でも難なく行ける。二人は、ある日は夕日のきれいな浜辺に出かけ、また別の日は、はるか遠くの海や山を見下ろせる高原に車を走らせた。一般国道でも信号が少ないから、下手な首都高よりはよほど早いと静香が言った。
「なんていうか、地図で言えば縮尺がずれているみたいな感じかな。東京の生活空間は、近所との距離がめちゃくちゃ近くて、マンションの部屋なんか隣とせいぜい二十センチの壁で仕切られているだけでしょ。そのくせ会社に行くにも、デパートに行くにも、家からは何十キロもあって、電車で何十分もかかるほど遠くて、長年、それが当たり前だと思っていたけど、一度田舎の生活をしてから思い返してみると、ゆがんだ地図の上で暮らしていたような気がするの」
「フーン、ゆがんだ地図か」
「そう、うちは隣の家だって五十メートルくらいは離れているでしょ。鳥の目で見るって言うけれど、ここでは、近いものは近くに、遠くのものは遠くに、きちんと縮尺通りに並んでいる感じがするの。だって、東京では十キロ離れた吉祥寺に行くのだって車で四十分以上、休日で渋滞したら一時間近くかかるのに、こっちでは十キロ先のホームセンターまでは十五分もかからない」
「それってもしかしたら、ゆがんだ時間っていうことなのかな。あるいはアインシュタインみたいにゆがんだ時空間?」
「難しいことはわからないけど、身体や脳は無意識のうちに、そのゆがみを正常なものとして受け入れるために神経を磨り減らしていて、ゆがんだ時空間で長年暮らしていると、その微調整をするための疲れが溜まってくるんじゃないかな。だから、たまに海や山に行くと、その作業から解放されて、見えるまま、聞こえるままに、ただボーっと受け入れることができるから、人はリラックスできるのかなって思う。だって、ずーっと田舎に住んでいる地元の人は、山や海を見に行ったり、都会人みたいに山の中でキャンプをしてみたいなんて、誰も思わないもの」
「その代わりに東京のデパートやディズニーランドに来たがるってことよね」
「そのとおり!」
一通りめぼしいところに行った後は、ただ家でゴロゴロしていることも多かった。真由美は庭に続く掃き出し窓を開けて、仰向けにゴロンと寝ると、「畳の上に寝っ転がって空を見るなんて何年ぶりだろう。青空に雲が浮かんで流れていくのを見ているだけで、ものすごくぜいたくな気がする」などと言いながら、田舎の生活を楽しんでいた。都会では床の上に寝そべって空を見ようにも、マンションのベランダ越しか隣家の屋根越しの狭い空間しか見られないが、こんな些細なことでも田舎は都会人の心を癒してくれるんだと、田舎暮らしに慣れつつあった静香は思った。
そんな二人が、さほど遠くない山のお堂にお参りしたのは、もう明日には真由美が東京に帰ってしまうという日の朝のことだった。その前日、真由美がスマホをいじりながら静香に聞いてきたのがきっかけだった。
「ねえ、この辺でモリ供養っていうのがあるの、知ってる? ちょうど明日だから行ってみない?旦那さんの供養になるかもしれないし」
「なに、それ? 私は初めて聞いたけど」
「静香の実家はこの辺じゃないから知らないわよね。亡くなった人の霊が里山にとどまっているのを供養する行事で、この地方では古くからある風習らしいわ」
「うちはお墓さえ建ててなくて、遺骨もここにあるのに、そんなところに行ってもいいのかな」
「遺骨と霊は違うから、構わないんじゃないの。むしろ静香がいつまでも旦那さんが死んだことを受け入れられないのは、霊がまだこの辺に留まっているからかもしれないから、供養してもらった方がいいんじゃない」
静香は、もし哲史の霊がまだこの近くにいるのなら、それはそれで良いと思っていた。ただ真由美の見つけてきたモリ供養というのは、霊をお祓いで追い出すわけではなく、参詣者は花やお米などの供物を持参して山に登り、いくつかあるお堂を順繰りに参拝して死者の霊を供養するのだという。
真由美がお寺に電話してみると、「今年は感染症対策で山での供養は中止になり、お寺だけで行います」と言われてしまい、いったん盛り上がった空気は一気にしぼんでしまった。「疫病退散を祈願しなくてはいけないのに、疫病に負けてどうするんだ」と真由美は怒っていたが、お寺の檀家だけでやるとなるとさすがに行けない。そう思った静香だったが、そのお寺の名前に聞き覚えがあった。調べてみると、静香が働いている公民館の座禅教室を受け持っているお寺で、住職も顔見知りだった。それならばと今度は静香が電話して、出てきた女性に公民館でのことや哲史が亡くなったことを話すと、「ああ、それならどうぞいらしてください。公表はしてないんですが、朝の一回だけ、村の人だけでお山にも行くので、よかったらどうぞ」と言われ、また真由美と盛り上がり、哲史の霊にお酒でも持って行ってやろうかしらと思って出かけてきたのだった。
その里山は、国道を少し入った水田地帯の裏山という風情で、何しろ死者の霊が宿る山であり、普段は村人も登ってはいけないと言われているそうだ。たどり着くまでの道のりもおぼつかないものがあったが、なんとか農道らしき道を進んでいくうちに寺の案内看板が見えてきた。いつもはあるというモリ供養の案内看板も臨時駐車場の看板もなかった。お寺に挨拶に顔を出すと、電話の件を聞いていたのだろう、受付の人がどうぞお山に登ってくださいと山の入り口を示してくれた。
二人は寺の入り口で、お供え用のお花を一束と餅を一包み買って登り始めた。まだ朝早いのでさほど暑くはなかったが、慣れない林道を進むうちに少し汗ばんでくる。静香は、哲史と二人で山歩きするつもりで買ったまま、ほとんど使われずにいたトレッキングシューズを履いていた。「こんなことで使うことになるとは」と思いながらも、朝方に降った雨で滑りやすくなっている道に苦労している真由美を助けて、ゆっくりと登った。途中追い抜いていく若い人たちもいたが、自分たちよりもよほど年老いた人たちが一足一足踏みしめながら山を登っているのを見ると、何百年と続いてきたであろうその民間信仰が今もこうして根付いていることに、自分達とは違う世界の不思議を感じた。
なんとか二十分くらいで、参拝者の受付をしてくれるお堂にたどり着いた。ほとんどが村の人たちのようで、よそ者がここに居て良いのか心配したが、普通に受付をしてもらえて気が楽になった。そこで供物を係の人に渡し、卒塔婆の形をした小さな板に哲史の戒名を書いてもらって施餓鬼供養料を支払った。
お坊さんの供養が始まるまでまだ少し時間があったので、休憩所で休んでいると、隣に座っていたお婆さんが話しかけてきた。聞くと、そのお婆さんはモリ供養のために、毎年この山に登っているのだという。
「戦時中はな、戦争で親亡くした子供たちがいっぱいいでのお、モリ供養でこごさ来れば親さ会えるがらって、喜んで来たもんだ」
「お婆さんも、その頃から来ているんですか」
「んだ、おれのだだちゃも南洋で戦死したんだどもな、ちゃんとこごさ帰ってきてくれでのお、あねちゃと一緒に頭なでてもらったもんだ」
一瞬、静香はこの老婆が何を言っているのかわからず戸惑った。方言の通じない真由美は、もとよりぽかんとしている。
「お父さんが戦死された後に、ここで会ったんですか?」
「んだよ、こごさ来たのはそのためだったがらの。んでも戦争が終わったらもう来てけねがったのお。お山さ登ったんだの」
老婆は二人に、死者の霊はこの里山に集まってしばらく留まり、それからもっと高い山々に登って鎮まり、山の神になるのだと教えてくれた。そういえば静香の家からも見える標高二千メートルの月山は、別名を「死の山」と呼ばれていた。
決して惚けて話しているようには見えず、何ごともなかったかのように「死者から頭を撫でてもらった」とさらりと言う老婆。ここではそれが当たりまえのことのようだった。おそらく八十歳前後に見えるこのお婆さんは、五、六歳の頃にここで父の霊に会ったのだろうか。その姿はどう見えたのだろう、声は聞こえたのかしらと聞きたかったが、目を閉じてじっとしてしまったお婆さんに、それ以上声をかけることはできなかった。
やがて時間になり、僧侶の読経が始まった。僧侶は参拝者が納めた小さな板に書かれた戒名を一枚ずつ読み上げていく。哲史の戒名も読み上げられたが、静香はその戒名には未だに慣れておらず、しっかり眼を閉じ手を合わせて拝んだのに何の感慨もなかった。いっそのこと俗名を書いておけば良かったかなと思ったとき、やはりここには哲史の霊はいないのだろう、と静香は思った。
祈祷の間、若い男が「花水ささげます、茶湯水あげます」と大声で叫び祭壇に水をかけている。祈祷の後にお寺のご住職の法話を聞いて供養はおしまいだった。今年はお堂周りもないということで、すぐ帰途についたのだが、途中、施餓鬼 の分身役の村の子供たちが袋を持って道端に立っていた。「仏の山から現世に戻るには一切の物品を持ち帰らない」という教えに倣 うために、参拝者は小銭を子供たちの袋に入れてあげるのだが、それは死者への供養でもあるのだという。いつもなら大勢の子供が立っているはずの参道に、村の代表らしい子供がほんの数人、マスクをして立っている光景に、こんな災禍の中にあっても伝統の祈りは続けたいという、お寺と村の人たち共同の強い意思を感じた。
静香は、今どきの子供はこんな小銭をもらっても喜ばないだろうと思いながらも、小さい子供のころからこの供養に毎年参加している子供たちは、やはりあのお婆さんのように、いつの日か、「死者に会ったことがある」とさらりと言える、別世界の人間に育つのだろうかということが気になった。
その日の夜、真由美が泊まる最後の晩、二人は一つの部屋に布団を二つ並べて寝ることにした。「小学校の修学旅行みたいで楽しいかも」と真由美が言ったからだったが、実際に服を脱いでパジャマに着替え、布団の傍らに二人で座り込むと、静香まで旅行に来ているような気分になった。酒豪の真由美は、寝酒にちょうど良いと冷蔵庫に冷やしておいた地酒とグラスを自分で用意し、静香も少しつきあうことにした。つまみに地元の牧場で作っているハムとサラミ、それに甘党の自分用にクッキーやチョコレートやらを丸いお盆に乗せて枕元に置いた。こうなると、長期戦の様相である。
さすがに一週間もこうして一緒に暮らしていると、お互いにお客様気分もなくなり、学生時代に戻ったような気分だった。サークルの仲間の話や旅行の話でひとしきり盛り上がった後で、少し間があいたときに真由美が思い切ったように聞いてきた。
「静香は東北育ちだから、やっぱり東北の人と気が合ったのかな」
隆が帰ってから一週間一緒に過ごす間、真由美はモリ供養に誘ったこと以外は哲史の話題に触れなかった。この家に来ていきなり、隆が墓の話や葬儀の話を持ち出したのを申し訳ないと思う気持ちもあったし、傷ついている静香の心のひびをさらに広げるようなことをしてはいけないと思ったからだった。ただ、このまま帰ってしまったのでは、自分が嘘をついているような、取り繕っているような気分が残ったままになってしまう、そう思って話しかけたのだった。
静香が少し考える風に答えた。
「同郷だからっていうのは、男の人が女性を口説く時の常套句でしょ。でも確かに、なんか一緒に居て安心感があるっていうのはあったかな。彼は無口な方だから、それが良かったのかもしれない」
哲史は、どちらかと言えば口数の少ない、文句もあまり言わない男だったなと静香は思う。東北の農家の育ちというのが自然にそうさせたのかもしれない。農繁期には夜明け前から起きだして、日が沈むまで一日中外で働き、夜、風呂に入って一杯飲むのだけが楽しみな親たちの前で、家族との会話なんてまともにしたことはないと言っていた。それに、農家には農閑期というほどの暇な時期は無いんだとも教えてくれた。忙しくてその辺に放っておいたものの片づけや補修、ハウスや農業機械の整備、土づくり、時間があれば除雪のアルバイトなんかで現金を稼ぎ、はては慣れない帳簿の整理まで、やることは山のようにあって、今は湯治宿でのんびりするなんてことはほとんどないんだそうだ。もちろん家族の団らんが無いわけではないけれど、疲れた身体から出てくるのは短い言葉や相槌だけで、それで大概の意思疎通ができるから不便はないし、寒くなると口を動かすのも億劫になるんだから、自分が口数が少なくても機嫌が悪いわけではない、と言い訳していた。
そんなことを思い出しながら真由美に話すと、真由美は少し驚いた顔で訊ねた。
「へえ、それじゃあ、家の中であんまり会話は無いわけ? うちなんか、口をきかなかったら、何かたくらんでいるか、不機嫌か、怒っているかだと思われちゃう」
「もちろん付き合い始めた頃は、私の悩みを聞いてくれたり、人並みの会話はあったし、子供ができてからだってどこかに遊びに行けば子供たちと一緒になって、というか率先して楽しんだり話したりしていたけど、こっちが専業主婦で相手が会社一筋人間だと、夫婦の会話っていうのはそんなには無いし、それって、普通なんじゃないの?」
「うちは子供という共通の話題がないぶん、意識的に共通の趣味を持ったりしていたから、話すことには事欠かないのかもしれない。ある意味、ずっと恋愛状態が続いているともいえるし、学生気分のまま年老いているだけかもしれない」
「それはそれで素敵なことよね。確かに、へたに子供という共通項があるから、異性の気を引くために努力するっていう、生物の本能みたいなものは弱くなるのかもしれない」
「でも話すことが少なければ喧嘩もしなくていいよね。旦那さんは優しかったんでしょ」
「まあ人並みには……」
そう言いながらも、そんな哲史でも、たまに家の中で声を荒げることがあったなと静香は思い出していた。食事中の何でもない一言に突っかかったり、買い物でもなんでもちょっとした手違いで思い通りにいかないと機嫌が悪くなったり、それを静香に指摘されるとむきになって言い返したり、まるで人が変わったようになることがあったのだ。哲史は自分でもそれは良くわかっていたようだった。大きい声を出した後に、「俺は何をやっているんだと思うんだけど、それを繕おうとすればするほどエスカレートしてしまう」と弁解していた。仕事に疲れているのかな、ストレスが溜まっているのかなとは思っていたが、もしかしたら、静香と一緒に居ることがストレスになっているのかもしれない、と心配したこともあった。
「うちは隆があの通り理屈っぽいから、本を読んではどうの、テレビを見てはこうのって、結構話すことは多いし、口げんかも平気でするな。やっぱり、子供がいる家といない家では、夫婦とか家族とかの関係が全然別なものになるのかもしれないね」
「真由美にこういうことを言ったら叱られるけど、子供たちと一緒にキャンプや旅行に行ったのは本当に楽しかったなって思う。この間も、近所の子供が庭のビニールプールで、パパやママと一緒になってホースで水かけして騒いでいるのを見て、ああ、うちの子も小さい時は大はしゃぎしていたな、ってものすごく懐かしい気がした」
「さすがに、うちにはそれはないな」
「でも家族みんなでの思い出と、二人だけの思い出はやっぱり質が違うんじゃないかなって思う。子育てが終わってからの方が、やっぱり二人の会話は多くなったし、特にこっちに引っ越してきてからは哲史もすごく生き生きして元気だった。夫婦二人だけの生活って、真由美が言っていた学生気分とか、恋愛気分とかっていうのが良くわかるわ」
ずっと封印していた哲史との思い出が、あれやこれやと静香の脳裏に浮かんできていた。二人で行ったドライブや温泉、二人で手をつないで歩いた海や山、二人で手作りしたモモのキャットタワー、二人で食べた採れたてのトウモロコシ、二人で抱き合った夜。
それまで哲史のことは、心の中では思っても、誰かに向かって言葉に出すことはなかった。出してはいけない、かえって周囲に気を遣わせてしまう、ほかの人だってそんな嫌な話題に触れたくないだろう、そう思って、意識的に哲史のことは忘れたかのように行動し、悲しんでいるふりも誰にも見せなかった。でも真由美が来てくれて、哲史の名前を自分の口から出すことで、それまで心の中に閉じ込めていたものが一気に解放された。
少し俯 き気味に、言葉少なくなり、考え込むようにしていた静香に、真由美が優しく声をかけた。
「やっぱり寂しいよね」
「うん、寂しい」
真由美が「がまんしなくていいよ」と言って、そっと肩を抱きしめてきたとき、涙が滂沱 としてあふれだした。それは、哲史が死んでから初めての、心の底からの涙だった。
時ならぬ闖入 者に部屋から逃げ出していたモモが、襖の隙間からその様子をじっと見つめていた。
「なんていうか、地図で言えば縮尺がずれているみたいな感じかな。東京の生活空間は、近所との距離がめちゃくちゃ近くて、マンションの部屋なんか隣とせいぜい二十センチの壁で仕切られているだけでしょ。そのくせ会社に行くにも、デパートに行くにも、家からは何十キロもあって、電車で何十分もかかるほど遠くて、長年、それが当たり前だと思っていたけど、一度田舎の生活をしてから思い返してみると、ゆがんだ地図の上で暮らしていたような気がするの」
「フーン、ゆがんだ地図か」
「そう、うちは隣の家だって五十メートルくらいは離れているでしょ。鳥の目で見るって言うけれど、ここでは、近いものは近くに、遠くのものは遠くに、きちんと縮尺通りに並んでいる感じがするの。だって、東京では十キロ離れた吉祥寺に行くのだって車で四十分以上、休日で渋滞したら一時間近くかかるのに、こっちでは十キロ先のホームセンターまでは十五分もかからない」
「それってもしかしたら、ゆがんだ時間っていうことなのかな。あるいはアインシュタインみたいにゆがんだ時空間?」
「難しいことはわからないけど、身体や脳は無意識のうちに、そのゆがみを正常なものとして受け入れるために神経を磨り減らしていて、ゆがんだ時空間で長年暮らしていると、その微調整をするための疲れが溜まってくるんじゃないかな。だから、たまに海や山に行くと、その作業から解放されて、見えるまま、聞こえるままに、ただボーっと受け入れることができるから、人はリラックスできるのかなって思う。だって、ずーっと田舎に住んでいる地元の人は、山や海を見に行ったり、都会人みたいに山の中でキャンプをしてみたいなんて、誰も思わないもの」
「その代わりに東京のデパートやディズニーランドに来たがるってことよね」
「そのとおり!」
一通りめぼしいところに行った後は、ただ家でゴロゴロしていることも多かった。真由美は庭に続く掃き出し窓を開けて、仰向けにゴロンと寝ると、「畳の上に寝っ転がって空を見るなんて何年ぶりだろう。青空に雲が浮かんで流れていくのを見ているだけで、ものすごくぜいたくな気がする」などと言いながら、田舎の生活を楽しんでいた。都会では床の上に寝そべって空を見ようにも、マンションのベランダ越しか隣家の屋根越しの狭い空間しか見られないが、こんな些細なことでも田舎は都会人の心を癒してくれるんだと、田舎暮らしに慣れつつあった静香は思った。
そんな二人が、さほど遠くない山のお堂にお参りしたのは、もう明日には真由美が東京に帰ってしまうという日の朝のことだった。その前日、真由美がスマホをいじりながら静香に聞いてきたのがきっかけだった。
「ねえ、この辺でモリ供養っていうのがあるの、知ってる? ちょうど明日だから行ってみない?旦那さんの供養になるかもしれないし」
「なに、それ? 私は初めて聞いたけど」
「静香の実家はこの辺じゃないから知らないわよね。亡くなった人の霊が里山にとどまっているのを供養する行事で、この地方では古くからある風習らしいわ」
「うちはお墓さえ建ててなくて、遺骨もここにあるのに、そんなところに行ってもいいのかな」
「遺骨と霊は違うから、構わないんじゃないの。むしろ静香がいつまでも旦那さんが死んだことを受け入れられないのは、霊がまだこの辺に留まっているからかもしれないから、供養してもらった方がいいんじゃない」
静香は、もし哲史の霊がまだこの近くにいるのなら、それはそれで良いと思っていた。ただ真由美の見つけてきたモリ供養というのは、霊をお祓いで追い出すわけではなく、参詣者は花やお米などの供物を持参して山に登り、いくつかあるお堂を順繰りに参拝して死者の霊を供養するのだという。
真由美がお寺に電話してみると、「今年は感染症対策で山での供養は中止になり、お寺だけで行います」と言われてしまい、いったん盛り上がった空気は一気にしぼんでしまった。「疫病退散を祈願しなくてはいけないのに、疫病に負けてどうするんだ」と真由美は怒っていたが、お寺の檀家だけでやるとなるとさすがに行けない。そう思った静香だったが、そのお寺の名前に聞き覚えがあった。調べてみると、静香が働いている公民館の座禅教室を受け持っているお寺で、住職も顔見知りだった。それならばと今度は静香が電話して、出てきた女性に公民館でのことや哲史が亡くなったことを話すと、「ああ、それならどうぞいらしてください。公表はしてないんですが、朝の一回だけ、村の人だけでお山にも行くので、よかったらどうぞ」と言われ、また真由美と盛り上がり、哲史の霊にお酒でも持って行ってやろうかしらと思って出かけてきたのだった。
その里山は、国道を少し入った水田地帯の裏山という風情で、何しろ死者の霊が宿る山であり、普段は村人も登ってはいけないと言われているそうだ。たどり着くまでの道のりもおぼつかないものがあったが、なんとか農道らしき道を進んでいくうちに寺の案内看板が見えてきた。いつもはあるというモリ供養の案内看板も臨時駐車場の看板もなかった。お寺に挨拶に顔を出すと、電話の件を聞いていたのだろう、受付の人がどうぞお山に登ってくださいと山の入り口を示してくれた。
二人は寺の入り口で、お供え用のお花を一束と餅を一包み買って登り始めた。まだ朝早いのでさほど暑くはなかったが、慣れない林道を進むうちに少し汗ばんでくる。静香は、哲史と二人で山歩きするつもりで買ったまま、ほとんど使われずにいたトレッキングシューズを履いていた。「こんなことで使うことになるとは」と思いながらも、朝方に降った雨で滑りやすくなっている道に苦労している真由美を助けて、ゆっくりと登った。途中追い抜いていく若い人たちもいたが、自分たちよりもよほど年老いた人たちが一足一足踏みしめながら山を登っているのを見ると、何百年と続いてきたであろうその民間信仰が今もこうして根付いていることに、自分達とは違う世界の不思議を感じた。
なんとか二十分くらいで、参拝者の受付をしてくれるお堂にたどり着いた。ほとんどが村の人たちのようで、よそ者がここに居て良いのか心配したが、普通に受付をしてもらえて気が楽になった。そこで供物を係の人に渡し、卒塔婆の形をした小さな板に哲史の戒名を書いてもらって施餓鬼供養料を支払った。
お坊さんの供養が始まるまでまだ少し時間があったので、休憩所で休んでいると、隣に座っていたお婆さんが話しかけてきた。聞くと、そのお婆さんはモリ供養のために、毎年この山に登っているのだという。
「戦時中はな、戦争で親亡くした子供たちがいっぱいいでのお、モリ供養でこごさ来れば親さ会えるがらって、喜んで来たもんだ」
「お婆さんも、その頃から来ているんですか」
「んだ、おれのだだちゃも南洋で戦死したんだどもな、ちゃんとこごさ帰ってきてくれでのお、あねちゃと一緒に頭なでてもらったもんだ」
一瞬、静香はこの老婆が何を言っているのかわからず戸惑った。方言の通じない真由美は、もとよりぽかんとしている。
「お父さんが戦死された後に、ここで会ったんですか?」
「んだよ、こごさ来たのはそのためだったがらの。んでも戦争が終わったらもう来てけねがったのお。お山さ登ったんだの」
老婆は二人に、死者の霊はこの里山に集まってしばらく留まり、それからもっと高い山々に登って鎮まり、山の神になるのだと教えてくれた。そういえば静香の家からも見える標高二千メートルの月山は、別名を「死の山」と呼ばれていた。
決して惚けて話しているようには見えず、何ごともなかったかのように「死者から頭を撫でてもらった」とさらりと言う老婆。ここではそれが当たりまえのことのようだった。おそらく八十歳前後に見えるこのお婆さんは、五、六歳の頃にここで父の霊に会ったのだろうか。その姿はどう見えたのだろう、声は聞こえたのかしらと聞きたかったが、目を閉じてじっとしてしまったお婆さんに、それ以上声をかけることはできなかった。
やがて時間になり、僧侶の読経が始まった。僧侶は参拝者が納めた小さな板に書かれた戒名を一枚ずつ読み上げていく。哲史の戒名も読み上げられたが、静香はその戒名には未だに慣れておらず、しっかり眼を閉じ手を合わせて拝んだのに何の感慨もなかった。いっそのこと俗名を書いておけば良かったかなと思ったとき、やはりここには哲史の霊はいないのだろう、と静香は思った。
祈祷の間、若い男が「花水ささげます、茶湯水あげます」と大声で叫び祭壇に水をかけている。祈祷の後にお寺のご住職の法話を聞いて供養はおしまいだった。今年はお堂周りもないということで、すぐ帰途についたのだが、途中、
静香は、今どきの子供はこんな小銭をもらっても喜ばないだろうと思いながらも、小さい子供のころからこの供養に毎年参加している子供たちは、やはりあのお婆さんのように、いつの日か、「死者に会ったことがある」とさらりと言える、別世界の人間に育つのだろうかということが気になった。
その日の夜、真由美が泊まる最後の晩、二人は一つの部屋に布団を二つ並べて寝ることにした。「小学校の修学旅行みたいで楽しいかも」と真由美が言ったからだったが、実際に服を脱いでパジャマに着替え、布団の傍らに二人で座り込むと、静香まで旅行に来ているような気分になった。酒豪の真由美は、寝酒にちょうど良いと冷蔵庫に冷やしておいた地酒とグラスを自分で用意し、静香も少しつきあうことにした。つまみに地元の牧場で作っているハムとサラミ、それに甘党の自分用にクッキーやチョコレートやらを丸いお盆に乗せて枕元に置いた。こうなると、長期戦の様相である。
さすがに一週間もこうして一緒に暮らしていると、お互いにお客様気分もなくなり、学生時代に戻ったような気分だった。サークルの仲間の話や旅行の話でひとしきり盛り上がった後で、少し間があいたときに真由美が思い切ったように聞いてきた。
「静香は東北育ちだから、やっぱり東北の人と気が合ったのかな」
隆が帰ってから一週間一緒に過ごす間、真由美はモリ供養に誘ったこと以外は哲史の話題に触れなかった。この家に来ていきなり、隆が墓の話や葬儀の話を持ち出したのを申し訳ないと思う気持ちもあったし、傷ついている静香の心のひびをさらに広げるようなことをしてはいけないと思ったからだった。ただ、このまま帰ってしまったのでは、自分が嘘をついているような、取り繕っているような気分が残ったままになってしまう、そう思って話しかけたのだった。
静香が少し考える風に答えた。
「同郷だからっていうのは、男の人が女性を口説く時の常套句でしょ。でも確かに、なんか一緒に居て安心感があるっていうのはあったかな。彼は無口な方だから、それが良かったのかもしれない」
哲史は、どちらかと言えば口数の少ない、文句もあまり言わない男だったなと静香は思う。東北の農家の育ちというのが自然にそうさせたのかもしれない。農繁期には夜明け前から起きだして、日が沈むまで一日中外で働き、夜、風呂に入って一杯飲むのだけが楽しみな親たちの前で、家族との会話なんてまともにしたことはないと言っていた。それに、農家には農閑期というほどの暇な時期は無いんだとも教えてくれた。忙しくてその辺に放っておいたものの片づけや補修、ハウスや農業機械の整備、土づくり、時間があれば除雪のアルバイトなんかで現金を稼ぎ、はては慣れない帳簿の整理まで、やることは山のようにあって、今は湯治宿でのんびりするなんてことはほとんどないんだそうだ。もちろん家族の団らんが無いわけではないけれど、疲れた身体から出てくるのは短い言葉や相槌だけで、それで大概の意思疎通ができるから不便はないし、寒くなると口を動かすのも億劫になるんだから、自分が口数が少なくても機嫌が悪いわけではない、と言い訳していた。
そんなことを思い出しながら真由美に話すと、真由美は少し驚いた顔で訊ねた。
「へえ、それじゃあ、家の中であんまり会話は無いわけ? うちなんか、口をきかなかったら、何かたくらんでいるか、不機嫌か、怒っているかだと思われちゃう」
「もちろん付き合い始めた頃は、私の悩みを聞いてくれたり、人並みの会話はあったし、子供ができてからだってどこかに遊びに行けば子供たちと一緒になって、というか率先して楽しんだり話したりしていたけど、こっちが専業主婦で相手が会社一筋人間だと、夫婦の会話っていうのはそんなには無いし、それって、普通なんじゃないの?」
「うちは子供という共通の話題がないぶん、意識的に共通の趣味を持ったりしていたから、話すことには事欠かないのかもしれない。ある意味、ずっと恋愛状態が続いているともいえるし、学生気分のまま年老いているだけかもしれない」
「それはそれで素敵なことよね。確かに、へたに子供という共通項があるから、異性の気を引くために努力するっていう、生物の本能みたいなものは弱くなるのかもしれない」
「でも話すことが少なければ喧嘩もしなくていいよね。旦那さんは優しかったんでしょ」
「まあ人並みには……」
そう言いながらも、そんな哲史でも、たまに家の中で声を荒げることがあったなと静香は思い出していた。食事中の何でもない一言に突っかかったり、買い物でもなんでもちょっとした手違いで思い通りにいかないと機嫌が悪くなったり、それを静香に指摘されるとむきになって言い返したり、まるで人が変わったようになることがあったのだ。哲史は自分でもそれは良くわかっていたようだった。大きい声を出した後に、「俺は何をやっているんだと思うんだけど、それを繕おうとすればするほどエスカレートしてしまう」と弁解していた。仕事に疲れているのかな、ストレスが溜まっているのかなとは思っていたが、もしかしたら、静香と一緒に居ることがストレスになっているのかもしれない、と心配したこともあった。
「うちは隆があの通り理屈っぽいから、本を読んではどうの、テレビを見てはこうのって、結構話すことは多いし、口げんかも平気でするな。やっぱり、子供がいる家といない家では、夫婦とか家族とかの関係が全然別なものになるのかもしれないね」
「真由美にこういうことを言ったら叱られるけど、子供たちと一緒にキャンプや旅行に行ったのは本当に楽しかったなって思う。この間も、近所の子供が庭のビニールプールで、パパやママと一緒になってホースで水かけして騒いでいるのを見て、ああ、うちの子も小さい時は大はしゃぎしていたな、ってものすごく懐かしい気がした」
「さすがに、うちにはそれはないな」
「でも家族みんなでの思い出と、二人だけの思い出はやっぱり質が違うんじゃないかなって思う。子育てが終わってからの方が、やっぱり二人の会話は多くなったし、特にこっちに引っ越してきてからは哲史もすごく生き生きして元気だった。夫婦二人だけの生活って、真由美が言っていた学生気分とか、恋愛気分とかっていうのが良くわかるわ」
ずっと封印していた哲史との思い出が、あれやこれやと静香の脳裏に浮かんできていた。二人で行ったドライブや温泉、二人で手をつないで歩いた海や山、二人で手作りしたモモのキャットタワー、二人で食べた採れたてのトウモロコシ、二人で抱き合った夜。
それまで哲史のことは、心の中では思っても、誰かに向かって言葉に出すことはなかった。出してはいけない、かえって周囲に気を遣わせてしまう、ほかの人だってそんな嫌な話題に触れたくないだろう、そう思って、意識的に哲史のことは忘れたかのように行動し、悲しんでいるふりも誰にも見せなかった。でも真由美が来てくれて、哲史の名前を自分の口から出すことで、それまで心の中に閉じ込めていたものが一気に解放された。
少し
「やっぱり寂しいよね」
「うん、寂しい」
真由美が「がまんしなくていいよ」と言って、そっと肩を抱きしめてきたとき、涙が
時ならぬ