8.予知した未来

文字数 10,784文字

 被告人質問の日がやってきた。
 太一は警護職員(けいごしょくいん)に付き()われて入廷する。太一は一度も傍聴人席(ぼうちょうにんせき)に視線を向けない。それまでの裁判でもそうしてきた。誰がそこに居るのか知ってしまうと、自分の気持ちが影響される。誰が居ようが関係ない。あるべき自分でいたい。
「最初にお聞きします。あなたは、事件発生の当日、なぜ被害者の所に行ったのですか?」
 証人台に立った太一に対して、澤村弁護士の質問が始まる。ここでなんとか、事件の偶発性(ぐうはつせい)を強調しなければならない。
「有田さんが飛行機に乗らない様、説得したかったのです。それまでも何度か、話したんですが、自分の言う事を聴いてくれませんでした。でも、いよいよ海外旅行に行くつもりなのがはっきりして、今説得しなければ最後だと思い、車で彼女のマンションの前に行き、彼女の帰りを待ちました。」
何故(なぜ)、海外旅行に行くと分かったのですか。」
「有田さんが、コンセントの変換アダプターを買うのを見たからです。海外旅行でしか使い道ないですから。」
「それを知ったのはいつの事ですか。」
「その当日です。あの、…会社を出た有田さんの後を付いて行って、家電量販店で買うのを見ました。」
「では、これが最後のチャンスだと思ったのは、当日だったのですね。」
「はい。」
「それまでは、まだ時間があると思っていたのですか。」
「…六月にイギリスに行くらしいと言う話を知人から聞いていました。だから、近いうちに行くのではないかと思っていたのですが、いつなのか、そもそも、本当に行くのかも確信はありませんでした。」
一軒家(いっけんや)に閉じ込めたのは何故(なぜ)ですか。」
「自分の話を聞いてくれても、それを信じてくれなければ、有田さんは飛行機に乗ってしまいます。そうなってからでは手遅れです。絶対に飛行機に乗らないと確信が持てるまで、保護しようと思いました。」
「言いにくい事を()きますが、しっかり答えて下さい。あなたは、被害者に自分の思いを打ち明けて振られましたね。」
「…はい。」
「それは、いつですか。」
「日にちまでは覚えていません。去年の九月頃です。」
「あなたは、その気持ちを(あきら)めきれずに、被害者を自分のものにしたかったのではないですか。」
 太一は(うつむ)く。一つ大きく深呼吸してから口を開く。
「今でも、有田さんが好きです。でも、彼女は違う人が好きだ。…それは仕方(しかた)のない事です。そんな事は今回だけじゃなくて、これから先の自分の人生の中でもあると思います。第一、こんな事をしたって彼女が自分の方を向いてくれない事は理解しています。ただ嫌われても良いから、彼女を救いたかった。」
「話を変えます。どうして被害者を飛行機乗せたくなかったのですか。」
 太一は顔を上げ、真っ直ぐ前を向く。
「有田さんが飛行機乗っているイメージを見たのです。何度も…。最後には(ほとん)ど毎晩、夢に見ました。彼女が乗っている飛行機が事故で落ちるイメージです。これは、未来の予知だと思いました。」
「あなたは、昨年の冬まで『クラントさんの予知』というサイトをやっていたんでしたね。どうやって予知していたのですか。」
「依頼してくる人と、何を予知して欲しいのか、それはどこで、いつなのか、と言う様な基本的な情報をやり取りします。最初の依頼にきっちり書いておいてくれる依頼者もいるのですが、情報が(そろ)っている事よりも、依頼者と何度かやり取りを繰り返す事が大切で、それを繰り返している内に、何かトラブルが起きる場合は、そのイメージが頭の中に浮かんできます。何も起きない時は、やり取りを繰り返しても、イメージが浮かばない上に、何かすっきりした、…そう、難しい数学の問題を()いた後の様な感じになります。とは言え、交通の事に関する予知しか私は出来ませんでした。」
「依頼者からの評判はどうでしたか。」
「自分で言うのはみっともないですが、お礼のメッセージはよく(もら)いました。」
「当たっていたと言う事ですか。」
「そう解釈(かいしゃく)していました。」
「それで、飛行機のイメージも未来に起きると考えたのですね。」
「そうです。…結果的に起きませんでしたが。」
 太一は(うつむ)く。
「予知能力など、信じる人の方が少ないでしょう。」澤村弁護士は質問をやめ、裁判官と傍聴人(ぼうちょうにん)に向けて語り出す。「私も実は信じていない。」
 澤村は苦笑いを浮かべる。これでは説得力が無い。
「でもそれは、真実でないと言う事とは違います。」自分を(ふる)い立たせる意味も込めて澤村は一段と声を張り上げる。「ガリレオ=ガリレイは裁判で地動説の流布(るふ)を禁じられました。…あ、裁判の名誉(めいよ)(けが)そうというのではありませんので、どうかご静粛(せいしゅく)に。当時の情勢を考えれば仕方(しかた)のない出来事(できごと)だったと、現代人の我々は理解することが出来ます。同じ様な事が再び起きないとは誰も断言できません。この若者、二十代(なか)ばの若者が、行動の仕方を間違えた事は罪に(あたい)しても、自らの予知能力を信じていたという動機を嘘と断じる事も、馬鹿げていると非難する事も出来ない。ならば、罪に問う事はどうでしょうか。是非(ぜひ)、ご一考頂(いっこういただ)きたい。」
 澤村は裁判官、検察官、傍聴人(ぼうちょうにん)を見回す。どの顔も平然としている。それは、自分の言葉が(むな)しく上滑(うわすべ)りしたことを物語っている。
 いやいや、とんだ馬鹿をした。弁護士としての能力を疑われたかも知れない。ま、被告のためになる可能性が少しでもあれば、何でもやるつもりでいたから、自分としては満足だ。
 澤村弁護士と入れ替わりに検察側の質問が始まる。
結束(けっそく)バンド、インシュロックとも言いますが、購入したのはいつですか。」
 検察官は席から立って、やおら事務的に言い(はな)つ。
「…よく覚えていません。二年くらい前です。」
「何の(ため)に購入しましたか。」
「家の中の電気コードを(まと)めるためです。テレビとか、パソコンとか…」
「それを何故(なぜ)、レンタカーに載せていたのですか。」
 太一が一瞬(いっしゅん)黙る。検察官は目を細めて、太一の回答を待つ。
「…なんとしても、有田さんが飛行機に乗るのを阻止(そし)しようと思いました。」
「それは、拘束(こうそく)して連れ去ってでもという意味ですね。」
「はい。」
「つまり、事件当日、レンタカーで被害者宅付近に出掛ける前に、あなたは被害者を拘束(こうそく)し、一軒家(いっけんや)に監禁するつもりだったという事ですね。」
「はい。」
 太一の答える声に段々(だんだん)力がこもる。
「では、レンタカーを借りたのはいつですか。」
「今年の五月末です。」
「何の(ため)に借りましたか。」
 澤村弁護士は、太一の精神状態が心配だ。(たた)みかける検察官の術中(じゅっちゅう)にはまらないで欲しい。
「有田さんの…、有田さんのマンションに行くためです。」
「なぜ、被害者のマンションに行く必要があったのですか。」
 太一が回答すると間髪(かんぱつ)をいれずに検察官が次の質問を投げかける。
「彼女が…、有田さんがいつ海外旅行に行くのか日にちが分からなかったからです。」
何故(なぜ)、そんな日にちを知る必要があったのですか。」
「だから、飛行機に乗せないように…」
「では、一軒家(いっけんや)を借りたのはいつですか。」
「五月末です。」
「何の為に借りましたか。」
「…有田さんを説得するには時間がかかると思いました。じっくり話し合う場が必要だと…」
「借りた家の窓には板が打ち付けてありました。」
「え?」
「被害者が閉じ込められていた部屋の窓には、外から板が打ち付けられてありましたよね。」
「…はい。」
「あれは、何の為ですか。」
「夜は別々の部屋に寝ます。その間に有田さんが家を抜け出して、飛行機に…」
「では、いつ板を打ち付けたのですか。」
「…え?」
「窓の板です。あれは、あなたが打ち付けたのですよね。」
「…はい。」
「それはいつでしたか。」
「六月初めだったと思います。」
「では、その時には、あの借家(しゃくや)に被害者を監禁する事を想定していたのですね。」
「監禁なんて事じゃなくて、彼女を救うために…」
「あなたは、被害者を救うため、飛行機に乗せないためと言いますが、それは本当ですか。」
「…え?」
「あなたは、以前、インターネットのサイトで不特定多数の人間から依頼される未来予知の相談を受けていましたね。」
「はい。」
「それを一月末にやめてしまった。合っていますか。」
「はい。」
何故(なぜ)ですか。」
「あるイベントについて、会場に行くまでの移動中にトラブルが無いか相談を受けました。私にはシャトルバスが交通事故に巻き込まれるイメージが見えました。それで、その事を伝えると、依頼者はそれをSNSで公開、拡散させました。結果、イベントは延期、延期された後も、事故が起きるイメージは有ったのですが、結局事故は起きませんでした。それ以外にも、私の予知の結果が(かえ)って依頼者や世間に迷惑をかける結果になってしまって、予知するのをやめました。」
「つまりは、(はず)れて迷惑がかかったので、やめたという事ですか。」
 太一は、思わず検察官の顔を見る。(しばら)くそのまま固まっていたが、やがて大きく息を()いて肩を落とす。
「そう言う事になると思います。」
「あなたの予知は(はず)れる場合があるのですか。」
「…そうです。」
「被害者の飛行機事故の予知はどうですか。」
「…結果的に(はず)れたのだと思います。」
「結果的に。」検察官は二つ小さく(うなず)く。「被害者の飛行機事故の予知はいつから自覚しましたか。」
「はっきり覚えていません。三月か、四月頃から。」
「サイトをやめたのが一月末。その時には自分の予知が(はず)れる場合もあると自覚されていたのですよね。被害者の飛行機事故の予知が春。被害者に対する予知が(はず)れるとは考えなかったのですか。」
「考えませんでした。」
何故(なぜ)。」
「何かきっかけがある(たび)に、何度もそのイメージを見ました。その内、毎晩のように夢でみるようになって…」
「そう言う事は今迄(いままで)ありましたか。」
「え?」
「自分の意思とは関係なく、予知のイメージが何度も浮かぶ様な事が、他の件の予知でありましたか。」
「ありませんでした。」
何故(なぜ)、今回だけそんな事になったのですか。」
「分かりません。でも、だから、これは本当に起きると自分に(うった)えかけているんだと…」
「だから今度は外れないと思ったと。」
「はい。」
 太一はしっかりと(うなず)く。検察官は、一転ゆっくりと、しかしはっきりを発音する。
「何度も見るという他の予知との違いが、現実になるかどうかではなく、ご自身の感情に起因しているとは考えなかったのですか。」
「…え?」
 太一は、検察官が何を言ったのか頭で理解できずに、言葉が出ない。
(ちな)みに、被害者は事件後から今まで、海外と日本の間を(すで)に二往復されています。」検察官は澤村に視線を向けて、そう言い終わると、口角(こうかく)()みを見せる。「質問を終わります。」
 検察官は満足気(まんぞくげ)な表情をたたえて腰を下ろす。澤村弁護士は、証人台に取り残された太一の精神状態が心配だ。
「では、最後に被告人、何か言っておきたい事があれば、発言してください。」
 裁判官が高い(だん)の上から太一を見下ろして声を掛ける。太一の視線が泳いでいる。理解し切れていないが、検察官に自分の(きょ)を突かれたのだけは感覚的に分かる。言い知れないくやしさが()き上がって来ているのがその表情から読み取れる。
 馬鹿をするな。此処(ここ)悪態(あくたい)をついたら、今迄(いままで)の苦労は全て水の泡だ。
 澤村弁護士は太一と瞬間でも目が合うことを願って、じっと彼に視線を送る。
「…当たったとか、外れたとかじゃなくて。」結局、澤村弁護士の方を一度も見ない内に、太一はうわ言の様に話し始める。「もしかしたら、死んでいたかも知れないんですよ。それを放っておけって言うんですか。」太一は検察官の方を見遣(みや)る。「自分には出来ない。…確かに自分は有田さんが好きです。多分(たぶん)今でも好きです。でも、だからじゃない。自分の友達が、親しい者が、もしかしたら死ぬって分かっていて放っておくなんて、自分には出来ない。出来ないですよ。」今度は、裁判官を正面から見つめて話す。「私は罪を犯しました。でも、彼女を守るためにはそれしか自分に出来る事が考えられませんでした。今、彼女が生きているのだから、自分のやった事は無駄(むだ)でなかったと思います。」
 沈黙が訪れる。皆、太一の次の言葉を待っている。だが、彼はそれ以上話そうとしない。
「終わりですか。」
 裁判長が確認する。
「はい。」
 太一はしっかりと応じる。
暴言(ぼうげん)()かなかったが、これじゃ、反省していないと解釈(かいしゃく)される。
澤村は、徒労感(とろうかん)(おそ)われて目を閉じた。

 浅沼は一度太一の面会に訪れて以降、姿を(あらわ)さなかった。大学時代の同期メンバーは、浅沼以外、誰も訪ねて来なかった。いや、大学の同期だけでなく、太一の知り合いだった人間達は、足を運ぶ手間(てま)をかけてまで()えて太一に会いに来ようとはしない。唯一(ゆいいつ)川畑泰恵だけが、最初に太一を訪ねて来て以来、何度も面会に来ていた。
「本、差し入れたから、読んで下さいね。」
 川畑は、面会室に太一の姿が見えると(いさ)んで言う。
「今度は何の本ですか。」
 太一は元気そうだ。被告人質問が終わって、肩の荷が下りたのか。どこかさっぱりとした様に見える。拘置所(こうちじょ)の生活にも慣れたのだろうか。
「ノストラダムス研究の本です。」
「またですか。余程(よほど)好きなんですね。」
 太一は苦笑(にがわ)いを浮かべる。
「もっと樫垣(かしがき)さん自身の能力に自信を持って欲しいです。予知の能力って本当にあるんだって確信して欲しいです。…まあ、私が好きで読んでいるのもそうなんですが。」
 川畑は、恥ずかしそうに(うつむ)く。
「前に、川畑さんは、自分にも弱いけれど予知する能力があると言ってましたよね。ノストラダムスについて学ぶのは、それと関係しているんですよね。」
「はい。この能力を持つ偉人がどう対処してきたのか分かれば、自分の身の置き方も自然と分かってくると思っています。今は何だか中途半端(ちゅうとはんぱ)なんです。樫垣さんは、こうして大変な事になってしまいました。世の中の理解が進めば、予知能力者が自分を肯定(こうてい)出来て、一般の人がその能力の恩恵(おんけい)享受(きょうじゅ)できる、もっと良い世界が(きず)けると思うんです。」
(すご)いですね。俺は、自分の事で精一杯(せいいっぱい)です。」
「そんな。『クラントさんの予知』でみんなを助けていたじゃないですか。」
 その行き着いた先が今の姿だ。
 太一はそう思っても口にしない。恐らく、川畑もそれは分かっているのだから。
「もう、公判は終わりになります。」
 太一は話題を変える。
「はい、先日の公判も傍聴(ぼうちょう)させてもらいました。」
「そうですか。なんか、みっともないな。」
 今度は太一が(うつむ)く。
「そんな事ないですよ。」
「いや、みっともなかったです。自分でも何を言っているのか分からなくなりました。」
「大丈夫。十分樫垣さんの気持ちは伝わりました。」
 相手が川畑だから届いた可能性は多分(たぶん)にある。頭の片隅(かたすみ)で互いにそう思いながら、どちらも口にしない。
「樫垣さん、一度も傍聴席(ぼうちょうせき)を見ないですよね。」
「ああ、そうです。」
「意識して、見ないんですか?」
「たぶん、傍聴席には自分の知り合いがいます。誰がいて、誰がいないとか、知ってしまうと、何だか、自分の気持ちが平常に保てない気がして。だから、知らないで良い、誰が見ていてもおかしくない、今の自分に嘘も偽りも無いのだからと、言い聞かせています。」
「ふーん。そうなんですね。」
 川畑の脳裏に傍聴席の光景が浮かぶ。太一の両親らしき人、彼の知り合いと(おぼ)しき人が確かにいた。被害者女性はどんな人か知らない。傍聴した日があったのだろうか。
「それで、次には判決が出ます。」太一は、静かに言う。「どんな判決が出るのかわかりませんが、どんな判決でも受け入れようと思っています。」
控訴(こうそ)は考えないのですか。」
「はい。澤村弁護士は、執行猶予(しっこうゆうよ)が付くかどうかに(こだわ)っていますが、自分にとってはどうでも良いです。実刑になれば前科者(ぜんかもの)ですが、自分の起こした事に早く決着をつけたいんです。」
 佐和子を救おうとした自分の行為は、自分の勝手な思い込みで徒労(とろう)に過ぎなかったとはっきりした今となっては、いつまでも引き()らずに、心機一転(しんきいってん)出直(でなお)せるようになりたい。
 太一はそう思ったが、彼の能力を信じてくれている川畑の前では口にしなかった。(しばら)く会話した後、川畑は帰って行った。
 判決は実刑となった。計画性があり、本人の反省が不十分と(とら)えられた事から執行猶予(しっこうゆうよ)は付かなかった。澤村は控訴(こうそ)を提案したが、太一はそれを(ことわ)った。検察も控訴しなかったため、太一の刑は確定した。

 刑務所に移送された後、最初に面会に来たのは水沢かなえだった。
「よ。」
 太一が姿を見せると、水沢は軽い調子で挨拶(あいさつ)する。暗くなりがちな空気を振り払いたいのだろう。
「お久し振りです。それと、ありがとうございました。裁判で証人台に立ってもらったけど、話す機会は無かったから。」
「あ~、まいった。あれは緊張したわぁ。もう、太一の(ため)でも二度と御免(ごめん)だわ。」
 太一は苦笑(にがわら)いをし、水沢は声を上げて笑う。
「何だかすいません。本当に感謝してます。」
 太一が頭を下げる。心からそう思っている。あんな事件を起こした自分の味方をしてくれる人がいると思えただけで、どんなに心強かったか。
「ダメダメ。結局私の証言は効果なかったもの。…ね、刑務所に移っても、泰恵(やすえ)は来てる?」
 泰恵とは、川畑泰恵の事だ。最初に拘置所(こうちじょ)に面会に来て以来、時々、太一に会いに来ていたのを、水沢も知っているのだろう。
「いいえ。こっちに移ってからはまだ。最初のお客さんが水沢さんです。」
「そうかぁ。退屈(たいくつ)でしょ。でも、あの子にこんな行動力あるとは思わなかったなぁ。来た時、何話すの?」
他愛(たあい)のない話ですよ。川畑さん、ノストラダムスに傾倒しているらしくって、いつも関係する本を持ってきて、読む様に(すす)められます。」
「はあ?なにそれ。全然ときめかない。」
「別に、そういうんじゃなくて、あの人は予知能力に興味があるんですよ。」
「ん~、ま、いいか。それでね、今日来たのは、服役(ふくえき)した後の相談。刑期は二年足らずでしょ。()ぐじゃないけど、長くもないわよね。その後どうするの?実家に戻る?」
「両親は帰って来いと言います。でも、俺の事件はニュースで全国に流れてしまっているし、田舎(いなか)ですから、俺を見掛(みか)ければ近所の(うわさ)になります。(ようや)く落ち着いた所に俺が(あらわ)れたら、両親や妹だけじゃなく、親戚(しんせき)の迷惑にもなりますから、戻らないつもりです。」
「そうか。」水沢は、満足そうに(うなず)く。「じゃ、東京に残るのね。何かやりたい事があるかな。」
「いえ、まだ何も。こうやってひと段落着いたばかりで何も考えていません。考える時間はありますから、これから考えて行こうかと。」
「そうか、そうだね。じゃ、考える時に選択肢(せんたくし)に加えてくれるかな。もう一度、私と『クラントさんの予知』をやらない?勿論(もちろん)、同じ名前じゃなくて良い。サイトも新しく立ち上げるつもりだから。住む場所も困るでしょ。良ければ、私と泰恵(やすえ)に準備させて。」
 水沢には悪いが、『クラントさん』の名前は、もう思い出したくない。時間が()てば分からないが、今はとてもそんな事をする気にはなれない。
「お気遣(きづか)いありがとうございます。でも、予知は当たらなくなりましたから、駄目(だめ)ですよ。」
 川畑には、当たらなくなったのじゃなくて、有名になって皆が注目したせいだと言われるが、とてもそんな気がしない。
「たいっちゃん、イベントのシャトルバスの一件が引っかかってるんでしょ?あれ、実は当たってたんだよ。」
 水沢は、悪戯(いたずら)そうな目で太一を見る。太一は水沢の言っている真意(しんい)を測りかねて、きょとんとしている。川畑の言う様な、主催者が太一の予知を知らなければ予知の通りになったという仮定の話なら、太一には何の意味もない。
「ほんとは、スマホで動画を見せてあげようと思って来たんだけど、携帯は持ち込めないって止められちゃったから。画面をプリントアウトしたの。(おが)み倒して何とかこれだけ目をつぶってもらった。」
 水沢はアクリル板越しにA4サイズの紙を一枚広げて見せる。画面いっぱいに写真がプリントアウトされている。写真には男が(うつ)っている。見覚えのある太目(ふとめ)の男。忘れもしない、『西部のたらこくちびる』だ。画面の様子から、彼の動画を静止画にして、プリントアウトした様だ。
「この人見覚えあるでしょ。」水沢は何だか楽しそうに言う。「これね、最近、例のたらこ男が公開した動画の冒頭(ぼうとう)の部分。それでね、この動画の中で何を話していると思う?あのイベントの話。今年もイベントがあったんだって。」
 そうか、もう冬だ。毎年恒例(こうれい)ならば、イベントが行われた(はず)だ。あの男は毎年イベントに参加すると言っていた。それに関する動画も当然アップするだろう。
「それでね、動画の中で、去年、太一にシャトルバスの事故を予知してもらった事を振り返っているの。でね、なんと(あやま)っているんだよ。あの時は、予知が当たらなかったって非難して御免(ごめん)なさいって。」
 水沢は、太一の反応を(うかが)う。水沢は、太一が喜ぶと想像したのかも知れない。しかし、太一の表情は(かえ)って暗くなる。
今更(いまさら)何を言っているんだ。責任を自覚せず、動画を拡散するお前のおかげでどれだけ振り回されたか。
「だって、だってね。」太一の反応が悪いのに(あせ)ったのか、水沢が早口で説明を始める。「此処(ここ)からが大事な所なんだから。イベントのシャトルバスが交通事故を起こしちゃったの。それを現場の写真入りでたらこ男が公開したの。ほら、これ。」
 水沢が、持っているA4の紙を一枚(めく)って、下の紙を見せる。そこには、バスが(うつ)った動画の静止画がプリントアウトされている。これも『西部のたらこくちびる』の動画の一部をプリントアウトしたのだろう。バスはあのイベントのシャトルバスだ。行先表示板にイベント名が表示されている。バスは路上の片隅(かたすみ)に停まっている。バスの向こう、小さく交差点の信号も写っている。交差点名表示板の後半が写真から切れてしまっているが、『H浜三丁目』と書いてありそうだ。
 太一は思わず、腰を浮かす。
 あの時、頭にイメージが浮かんだその場所だ。間違いない。そこに停まっているバス。きっと事故に巻き込まれたのだ。
 太一の驚いた表情と態度に水沢はすっかり満足している。
「ね、(すご)いでしょ。太一の予知当たってたんだよ。たらこ男もそう認めている。太一の汚名(おめい)は晴らされたんだよ。」
 太一は呆然(ぼうぜん)としたまま、椅子に腰を落とす。
 なんて事だ。自分が予知したのは、一年先のイベントでの事故だったというのか?依頼者が、その年のイベントについて予知を依頼してきたから、自分の頭に浮かんだイメージはその年のイベントで起きるとしか考えもしなかった。確かに、同じ場所で毎年行なわれる恒例(こうれい)のイベントだ。イベントが毎年行われ、依頼者も毎年出掛けているから、事故が起きる年まで(さかのぼ)って、その事故のイメージが自分の頭に浮かんだと言う事なのか。
「どう?満足した?太一の予知能力はしっかり働いているんだよ。ただ、ちょっと先を見過ぎただけ。自信をもって。」
 水沢は、紙をたたみながら(やさ)しく言う。
 太一の予知能力は働いている?先を見過ぎている?事故が起きる時まで(さかのぼ)って見ている?
 太一が、両手で強くテーブルを(たた)いて椅子から飛び上がる。水沢は、太一の豹変(ひょうへん)ぶりに目を丸くして身をすくめる。太一が、アクリル板の仕切(しきり)(たた)く。
「まずい!有田が危ない!」
騒ぎに気付いた刑務官が、(あわ)てて太一の胴に取り付く。強引に彼を戸口へと引き()り、水沢から遠ざける。もう一度アクリル板を叩こうと出した太一の腕は、(むな)しく(くう)()きむしる。
「頼む、有田を、有田を助けてくれ!」
「面会中止!面会中止!」
 太一の叫び声は、交錯(こうさく)する刑務官の声に飲み込まれた。

 グラン・カナリヤ島からロンドン行きの飛行機は、(すで)に三十分出発時間が遅れている。コクピットでは、クルーが機体の最終チェックの最中(さいちゅう)だ。
「おや?」
 副操縦士(ふくそうじゅうし)が操作盤のインジケーターを見て(つぶや)く。その声に機長が反応して、副操縦士の視線の先を辿(たど)る。油圧系統の異常を知らせるアラームが点灯している。
「すいません、フラップの動きを見ますので、操作してみてください。」
 副操縦士はそう言うと、コクピットの窓から主翼(しゅよく)(のぞ)き込む。言われた通り、機長が操作する。
「大丈夫ですね。今度は私が操作するので、反対側を見てもらえますか。」
 機長は黙ったまま、言われた通りに窓越しに主翼をチェックする。
「OK、大丈夫だ。」
 機長は、それだけ答える。副操縦士がアラームを再チェックすると、いつの間にか消えている。
「あれ、消えましたね。」
「ああ、どうもこの機体、表示板の故障なのか、誤表示が時々出るんだ。行きのフライトでも点いたり消えたりしていたよ。油圧を調べると問題ないし、ポンプも正常に作動している。大丈夫、問題ない。」
「分かりました。」
 旅客機は複雑な装置の集合体だ。軽微(けいび)不具合(ふぐあい)は珍しくない。それでも致命的な事態にならない様、機体には、周到(しゅうとう)に対策が盛り込まれている。フラップを操作する油圧系統も何重にも安全対策が施されている。全てのコントロールを失う様な事は(ほとん)ど起こらない。第一、ロンドンまで四時間余りの飛行時間だ。二人は、それ以上気にせずにチェックを進める。これ以上出発を遅れさせたくない。
 機内には乗客が搭乗を始めている。ほぼ満席だ。四月。暖かいカナリヤ諸島から、まだ肌寒(はだざむ)いロンドンに向かうのを想像しただけで、気が滅入(めい)っている客もいるだろう。ひと時の休日は終わり、仕事に追われる日常に戻る勇気も必要だ。
 乗客の中に有田佐和子と安藤玄の姿がある。佐和子はイギリスに移り住んで、小さな自動車整備工場の事務の仕事にありついた。ぽっと渡英した者が、就職口を見付けるのは容易(たやす)くない。()してや、英語が堪能(たんのう)でないと接客業では敬遠される。彼女は結局、玄がルームシェアしていた、シンガポール籍の男の紹介で今の働き口を確保した。
 佐和子の住むアパートで、玄が寝起きする様になるまで、一週間とかからなかった。二人は生活の目途(めど)が立った事に安心し、休みを調整して、カナリヤ諸島でバカンスと洒落(しゃれ)込んだ帰りだ。
 佐和子はバッグから文庫本を一冊取り出し、自分の(わき)に押し込む様にして席に座ると、シートベルトを()める。玄は、手荷物を頭上の収納スペースに押し込んでから、佐和子と並んで腰を下ろす。
「あ~、失敗。」
 佐和子は如何(いか)にも残念そうに顔をしかめる。
「どうしたの?」
 玄が心配気(しんぱいげ)(のぞ)き込む。
「カーディガン出して置くんだった。このままロンドンの空港で外に出たら寒いよね。」
 佐和子は自分が着ている、細かい水玉がプリントされたレモン色のワンピースをつまんで玄に見せる。
「そうだね。降りる時は、俺の上着を貸すよ。」
 無邪気(むじゃき)仕草(しぐさ)をする佐和子を、何だか可愛(かわい)いと思いながら、玄は(やさ)しく微笑(ほほえ)んだ。
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