4.二人でサイトを
文字数 11,646文字
仕事は一転、順調に進んだ。中国からの先行サンプルが到着し、中国製A材を使った試験製造が行なわれた。結果は上々 で、現行品と何ら差異は認められないという結果が、資材部にもたらされた。
「樫垣 、いい結果が出たぞ。」
品質保証部からのレポートは、メールに添付 されて、狭山 と太一の所に送られて来た。狭山は早速 、添付文書を開いて中身が確認出来 ると、太一に声を掛ける。丁度 、太一も添付文書を開いて、目を通しているところだった。
「ええ、使えるって事ですよね。」
「ああ、これで正式発注出来るぞ。」
「最初は、使用量の一割程度からって話でしたよね。でも、B商社とは数量で折り合えていません。」
B商社は、この新しい購買者の為に中国からの輸入量を増やさなければならず、そうなると、中国メーカーの製造回数を増やす事に繋 がり、太一たちの会社が必要とする量では、少な過ぎて対応出来ないと言う話だった。最初にB商社と会った時には、日本国内に倉庫を持っていて数量に柔軟 に対応出来そうな事を言っていたのに、いつの間にかうやむやになっていた。
「少量だと、価格が上がってしまうと言っている件だろ。それじゃ、切り替えるメリット無いじゃないか。」
製造結果が良かったせいか、狭山の鼻息は荒 い。
「はあ、そうですが。」
経験の浅い太一には、何を優先して判断したら良いのか分からない。自分が見つけ出した中国メーカーのA材購入を進めたい気持ちも山々 だが、無理な相談を聞いてくれていたC工業の担当者達の顔も浮かび、冷たい対応は気が引ける。
「良いから、向こうの言う最小数量を注文するぞ。」
最小数量でも、太一たちの会社にしたら多過ぎる。数か月の使用量に相当する。
「良いですか?C工業向けの注文と重なると、新しく材料置き場を確保しないと置ききれませんが。」
試験結果が出る前までは、C工業に数量を減らす宣言が出来 なかった。今からその連絡を入れても、商慣行上 直 ぐにやめる事は出来ず暫 くは従来通り購入しなければならない。
「中国からじゃ、今から注文したって、物が入って来るのは三ヶ月先だ。心配するな。今からC工業に連絡して三ヶ月先の購入量を減らしてしまえば良いだけだ。」
「分かりました。」
狭山 の言葉に押されて、太一は腹を括 る。腹を括れば進められる。いずれこうなる事は想像していた。
「兎 に角 、早く動け。相手は準備に時間がかかる。ちょっとした話の遅れが、入って来るタイミングに大きく響きかねないぞ。」
狭山は太一の前で血気盛 んに捲 し立てるだけ捲し立てると、その勢いのまま、自分の席に戻って行く。太一も狭山の勢いにあてられて体に力が入るのを感じる。早速 B商事へのメール連絡の準備を始める。
「た~いち。」
発注の準備に集中していて、気付かなかったが、直 ぐ傍 で水沢かなえの声がする。猫撫 で声を出して来るのは、何か企 みがあるのに違いない。
「なんですか?」
太一はモニターから目を離さずに応 える。
「狭山さん、随分 張り切っているじゃん。何か良い事あった?」
「A材、中国製が上手 く行きそうなんです。」
「そっかぁ。それじゃ、たいっちゃんのお手柄 だ。」
そうか、これは自分の手柄 なのか。
太一に実感は無い。水沢の言い方も、なんだか薄っぺらくて感情がこもっていない。
「ところで、また、太一に相談したいって人がいるんだけど。」
また、それか。
キーボードの手を止めて、思わず溜息 をつく。
「今度は、どんな案件です?」
あからさまに渋 い顔で水沢を見上げる。このくらいはっきり伝えないと、この人にはこたえない。
「えっとね、卒業旅行に友人グループで行くんだけど、どこに行けば良いでしょうって。」
「ちょっと、待ってください。俺、旅行代理店じゃないですから。行く場所の選定なんて出来 ないですよ。」
「あ、別に旅行を計画して欲しい訳 じゃなくてね。」水沢はスマートフォンを取り出して操作し始める。「いくつか候補先があるんだけど、危険でない所にしたいから、何か見える所は教えて欲しいらしい。」
水沢の操作するスマートフォンを覗 き込む。画面の表示内容が見える前に、水沢がスマートフォンを引っ込める。
「ちょっと、見ないでよ。」
「水沢さん、その人とどういう関係ですか?」
卒業旅行に行こうと言うくらいだから、来年春に大学か短大を卒業するのだろう。水沢と親しい年下の現役学生がそんなに何人もいるのだろうか。
「ちょっとした知り合い。良いでしょ、そんな事。もしかして、女の子だったら興味ある?」
「別にそう言うのじゃないです。なんだか、学生の知り合い多くないですか?この間の子みたいに大学の後輩ですか?水沢さん、そんなに面倒見 の良い先輩なんだ。」
「えへへ、ま、そうかな。」
水沢は照 れ隠 しの様 に笑う。
この話、どうせ無理矢理にでも頼み込んでくるのに決まっている。結局そうなるのが見えているなら、それまでのやり取りが面倒 だ。
「前回みたいにSNSで連絡してもらって下さい。何て名前の人ですか?」
太一はモニターに向き直 って、仕事を進めながら言う。
「え…っと、『みゅーちょん』。」
スマートフォンの画面を見ながら、発音し難 そうに言う。
「みゅーちょん?」再び手を止めて、水沢の顔を見上げる。「それ、ハンドルネームですよね?本名知らないんですか?」
「だって、SNSでしかやり取りした事ないから。」
誤魔化 し切れないと思ったか、水沢が作り笑いを浮かべる。
「水沢さん、SNSで何書いてるんですか。俺の事、拡散させてませんよね?」
「そんな事してないよ。彼女は私のブログのフォロアー。太一に責められる話じゃないし。」
「ブログやってるんですか。まさか、そこで俺の事書いているんじゃないですよね!」
「太一の事書いているんじゃない。私の日常の身近な出来事 を書いているだけ。」
「その中に、俺の話が出て来るとか。」
「…ん、ちょっとよ。ちょっと。」
何て事だ。人の了解も無しに、勝手に書いて。訴えるぞ。
「あ、だけど、名前出していないからね。私も実名出していないし。」
当たり前だ。そうじゃなけれりゃ、本当に訴える。
「結構、太一の予知に興味があるフォロアーが多くてさ。私とサイト立ち上げて、相談受付やらない?きっと、話題になるよ。」
そんなの面倒臭 い。人助けがしたい訳 じゃない。
「今、たいっちゃん、調子良いじゃん。」
太一が返事をせずにいると、水沢は畳 みかけて来る。
調子が良い?ちょっと、A材の使用結果が良かっただけだ。他に良い事なんか無い。頭を佐和子の面影 が過 る。
「あ、勿論 、実名じゃなくて、何かかっこいい名前つけてさ。何か、良いハンドルネーム持ってない?」
「俺、SNSそんなにやらないですから。」
「じゃ、考えよ。樫垣 だから、『カッシー』とかは?『ドクターカッシーのお悩み相談』みたいな。」
そう言いながら、水沢は半分笑っている。
「何ですかそれ、第一、悩みの相談じゃないでしょ。」
「そっか。なら、「タイチー」。ドクターじゃなくて、ドクトルの方がカッコ良いかな。『ドクトル・タイチーがあなたの未来を予言します』ってのはどう?」
「『タイチー』って、そのまんまじゃないですか。どうして『カッシー』とか『タイチー』って感じ?まるで、未確認生物のニックネームですよ。」
「ん~、拘 るなぁ。」水沢は腰に手を当てて、面倒臭 そうに太一を見下ろす。「えーとね、じゃ、『タイチ』じゃなくて、『ダイチ』で『グランド』。あ、『タイチ』は、濁点 が抜けているから、濁点を抜いて『クラント』。どう?『ミスター・クラントがあなたの未来を透視します』って感じ。」
水沢は何やら一人で楽しそうだ。
「冗談じゃないですよ。何だかスカスカ抜ける様 な名前で。」
「良いじゃん。たいっちゃんっぽいよ。」
勝手にカラカラ笑う。
「そもそも、水沢さんのブログでそんな事やるって承諾 していませんから!」
抵抗したつもりが、いつの間にか既成 事実になってしまっていた。水沢のサイトに、未来の心配事を相談するページが設けられ、クラントさんが答えてくれる。太一が渋々 でも承諾 したのは、別に誰かの為になりたかった訳 でも、自分の能力を認めてもらいたかった訳でもない。強 いて理由を挙 げれば、こんな事で水沢と言い争いたくなかっただけだった。もしかすると、有田佐和子とつきあう可能性が消えた無力感を何かの形で誤魔化 したかったのかも知れない。
水沢かなえが言った通り、太一に対する依頼は引っ切り無しに入ってきた。冬に向かうにつれ、雪で電車が遅れないか、道路が封鎖 されないかといった、気象と連動した問い合わせも増えた。時々恋愛の相談や、来年、学校に合格するかと言うような太一の専門外の質問もある。最初のうちは、そういう案件も一応イメージできるか試 していたが、どれも予知イメージは見えない。結局、そう言う案件は即座 に断 るように切り替えた。交通や気象に関する予知は、イメージが見えれば当たる自信がついた。イメージするコツが分かってきて、SNS上で必要な情報をやり取りしているだけで、イメージが湧 くようになる。徐々に『クラントさん』の予知はSNSで話題になっていく。太一は、意識的に会社の仕事と予知の相談対応で自身の時間を埋め、他の事を考えなくて済む様にしていた。
〈冬のイベントに行きます。自分の家から会場までは距離があって、途中で何かあると開始時間に遅れてしまいます。どうしても時間通りに着きたいので、問題ないか教えてください。〉
ある日、太一が相談内容をチェックしていると、そう書かれている。差出人に関する情報は、『西部のたらこくちびる』と言うハンドルネームと、この文章だけしかない。予知のイメージを浮かべるには、もう少し情報が欲しい。イベントの日付と場所、本人がどうやって会場まで行こうとしているのか教えてくれるように返事を書く。
翌日に返事が届いた。その内容に目を通していると、不意 に太一の頭にイメージが浮かぶ。
交差点だ。複数の車が壊れている。道路の真ん中であらぬ方向を向いて停まっている乗用車。フロントガラスが割れ、ボンネットがひしゃげている。バスが一台、交差点を少し通り過ぎた路肩に停めて、ハザードランプを点滅させている。近くの歩道には人だかり。所在無 げに事故現場を眺めている者、黙々とスマートフォンを操作している者もいる。どうやら、バスの乗客だ。バスの行先にはイベント会場の文字が大きく電光表示されている。
〈イベント会場までシャトルバスで向かうのは、やめた方が良いです。事故に巻き込まれて、到着出来ないか、遅れる可能性があります。〉
太一は、早速 回答する。それきり依頼者から返事は無い。良くある事だ。訊 く時は色々書いて来るが、必要な事が聞き出せれば、その後はお礼を返すでもなく、結果を教えるでもない。それっきり何も返信して来なくなる。太一にしても、いつまでも相手をするのは面倒 なので、それはそれで気にしない。そんないつもの依頼の一つと考えていた事が、数日後に他と違うと判明する。
「たいっちゃん、大変だよ。」
仕事中に水沢かなえが太一の所にやって来て、耳もとで囁 く。太一がびっくりして振り向くと、水沢はシャツの肩あたりを摘 まんで、強引に引っ張る。慌 てて席を立ちながら、水沢の後についていつものブースの中に入る。
「これ。」
ブースに入るなり、水沢は太一の前に自分のスマートフォンを向ける。動画が静止状態で表示されている。見知らぬ男が一人、パソコンの前に座り、体を捩 って顔をカメラに向けている。
太一が画面を見ても反応しないと分かると、水沢は静止を解除する。動画が再生される。
「実は、この冬にイベントに参加しようと思ってまして…」男がパソコンのモニターの前で、カメラに向かって愛想 良く話す。「…でもね、当日なんかあって、参加できない~って事になったら悲惨 。後悔しまくりじゃないですか。それでね、僕は、最近ちまたを騒がせている、ある有名な予知者に当日を占 ってもらう事にしました。」
太一は、心臓が大きく脈打つのをはっきり自覚する。水沢は、画面を食 い入るように見る太一の表情を見つめている。
「今日、その人から返事が届くことになっています。早速 見てみましょう。」
そう言うと、男はパソコンに正対 して座り直し、マウスを操作する。画面はモザイク処理がされているが、知っている人が見れば太一の相談ページと分かる。
「あ、来てますね。」
パソコンのモニター画面がクローズアップされ、太一からの返信文が大写 しになる。
「何々 、あ、シャトルバスが交通事故に巻き込まれるのでしょうか。凄 いですね!」
男は、カメラに向いて驚いた顔を作って見せる。
「イベントに行かれる皆さん、気を付けて下さい!シャトルバス、禁物 です!本当に起きるか見守っていて下さい!」
男がカメラに向かって小さく手を振って動画は終わる。
「こんな事するなんて許せない。でしょ?」
動画が終わると、水沢は如何 にも不満そうな顔をして、太一に同意を求める。
確かにそうだ。こっちは善意でやっているのを揶揄 われた格好 だ。
「こいつ、この世界じゃ多少は名の知れた奴 らしい。何でこんな事するんだろ。訴えてやる。」
水沢が愚痴 る。
別にサイト名や有名な予知者というのが誰かを名指 ししている訳 ではないし、事実を取り上げているだけで、非難している訳でもないから、訴えるのは難しそうだ。
「水沢さん、悔しいけど、軽率 な行動に出ない方が良いです。」
「あんた、そんなんで良いの?断 りも無しに動画のネタにされているんだよ。」
「だから悔しいけど、ここで下手 に騒げば、もしかすると、相手の思うつぼですよ。結局、注目を集めてなんぼの連中ですから。」
「…太一、意外と冷静なんだね。」
「そうでもないです。寧 ろ、これからの対策を考えませんか。」
「対策?」
水沢は、まだ憤懣 やるかたない。軽率 にものを言えば、太一にも噛 み付いてきそうだ。
「あの、変な奴 からの依頼を受けない様に、選別できないかと。」
「どうやって?今回みたいのも、普通の人と同じ様に依頼してくるから、区別付かないじゃん。」
「うん、まぁ、そうですけど…」
何かいい方法は無いだろうか。
「会員制にでもして、最初に身元を確認しようか。」
「それ、個人情報だから、データが洩 れたら責任問題になりますよ。情報管理とか大変じゃないですか。…あ、大体、俺達が今依頼者から訊 いている予知に必要な情報も個人情報としては、グレーですね。」
「何だか、知らないけど、面倒臭 い。」
明らかに水沢はふて腐 れて、やる気を失くしている。この件に関して、水沢は頼りになりそうにない。ここは、太一が対策案を出さなければ話が進まない。
「じゃ、こうしましょう。注意文を作って、それに同意した人だけ、依頼を書けるようにしましょう。これなら、抑止力 になるし、我々が逆に訴えられない様に、免責 になりそうな条項 も入れておけます。」
「ふーん。太一、それ書ける?」
水沢は全くやる気がない。全部、太一に任せるつもりだ。
「良いですよ。それらしい文章を作ってみますから、それ、水沢さんのサイトにアップしてください。」
太一は溜息 混じりに応 えてやる。
「そ、分かった。」
諦 め顔の太一を見ても、水沢はニコリと笑って、そう言ってのける。げんきんなものだ。
水沢と太一のコンビで進める未来相談は、順調にフォロアーを増やしていった。何のイメージも見えない時、それが予想出来ていないのか、何も起こらない事を意味しているのか、数をこなすうちに、太一は感覚で掴 めるようになっていた。予知してもらった人の中には、その結果をSNSに書く者もいる。『クラントさんの予知』は当たるという評判がネット世界でどんどん話題になっていく。
水沢のサイトを訪れる人が増え、水沢には直接の利益がもたらされる。一方、太一は報酬 を貰 わない、単なるボランティアだ。ただ、自分の能力が世間に認められ、かつ、他人の役に立って感謝されれば、太一は自己肯定 という満足を得る。最初は渋々 だった予知相談だったが、いつの間にか自信が付き、面白 くなり、すっかり太一の生活の一部になっていた。
「たいっちゃん、これ見た?」
昼休み時間に水沢がスマートフォンを持って近づいて来る。何やら真剣 な顔で周囲の視線を気にしている。
「なんですか?」
昼飯を食べ終えて席に戻っていた太一は、腹ごなしにデスクの周りをブラブラしていた。声を掛けられれば直 ぐに応対 出来 る。もう、水沢が近付いて来ても煙 たそうな素振 りはしない。
水沢は、太一の鼻先に自分のスマートフォンを突き出す。ニュースの見出しが見える。『主催者側、イベントの延期を発表』と書かれてある。その下に主催者側のお詫 びの文章が掲載 されている。諸般 の事情により、今年のイベントを延期致します、毎年ご支援いただける皆さまにはご迷惑をお掛けします、と読める。
「これが、何ですか?」
太一には水沢の言わんとする所が分からない。
「このイベント、この前、太一が交通事故を予知したら、変な男が、それを動画にアップしちゃった奴 。」
ああ、あの件か。
太一はもう気にしていなかった。あの後もいろんな人の予知を行ない、一つ一つの案件は、予知してしまえば、太一にとって過去の出来事 になっている。
「延期ですか。」
太一は、記事を読みながら、ぽつりと呟 く。
「何、呑気 に言っているのよ。延期になったら、太一の予知はどうなるの。」
言われて太一の動きが止まる。
思い至 らなかった。あの時、確かにバスが事故に巻き込まれている場面が見えた。でもそれは、予定通り開催されていた時の未来だったのだろうか。それとも、この延期も含めて予知していて、延期した後に起きうる事故を予想していたのだろうか。考えて分かる話じゃない。太一は、自分の感覚を頼りに頭を巡 らす。
「太一、それだけじゃないわよ。もし、延期になって、太一の予想とは違う未来になっちゃったなら、事故が起きないじゃない。そうしたら、あの男、きっと外 れたって騒ぐわよ。」
水沢は、何故 か怒った様 な顔で太一を睨 んでいる。
「騒がせておけば良いじゃないですか。」
太一には、今迄 沢山 の人の予知をして来た実績がある。外 れたとしても、予想外のイベント延期があったからだ。
「それで大丈夫なの?私達を騙 して、あんな動画作った奴 よ。今度は何言い出すか分かったもんじゃない。」
被害を受けるかも知れない当人は太一だ。なのに、水沢の方が怒っている。
「良いですよ。放っておきましょう。寧 ろ、下手 に動くと、それを逆手に取る様な奴かも知れません。」
「ま、そうかもね。なんか気に入らないけど、太一がそう言うなら、そうするかぁ。」
水沢は肩から力を抜いて、視線を落とす。
「関 わらないのが一番です。」
太一は、もうそれ以上、この話をしたくない。もっと、面白い、別の何かを考えていたかった。
師走 の初めに、中国製A材は新しく借りた倉庫に納品された。倉庫の賃貸料 で中国製に変えたことによるコストダウンは目減 りする。従来品が使い終われば、全て中国製に切り替わるが、それでも量が多過ぎて社内に置ききれずに溢 れてしまう。これをなんとか社内に場所を見付けて、貸倉庫を使わなくて済むようにするのが、次の太一の課題になった。 太一は、毎日製造部門に連絡を取り、少しでも空きスペースが無いか交渉する。入社二年目の太一では現場の人との繋 がりは薄く、適当にあしらわれるばかりだ。太一は毎日会社に来るのが憂鬱 になりかけていた。
始業のチャイムが鳴る。製造現場は朝会をする時間だ。こんな時に電話をしたら、それこそ相手の機嫌 を損 ねる。まともに取り合ってくれないのは確実だ。先に来年一月の資材の需給計画の立案を進めてから電話しよう。そうやって、嫌な事に理由を付けて、後回しにしている自分を自覚する。
スマートフォンが鳴る。今や、社内通話も会社支給のスマートフォンの時代だ。何処 に居ても相手を捕まえられる反面、自分もその運命にある。
「はい。樫垣 です。」
「お前、何やってんだ!」
電話に出るなり、大声で怒鳴 られる。
「あの、何ですか?」
社内電話で掛けて来たと言う事は、相手は社内の人だ。自分は二年目の平社員なのだから、大抵 は自分よりも目上 の人だ。軽率 な対応は出来ない。
「何ですかじゃないよ!お前が仕入れたA材使ったら、全部不良品になっちまうじゃないか!」
「え?」
「こっちに来て、見てみろ!いままでのA材なら、何でも無かったのに、新しいA材に切り替えた途端 に不良品だらけだ!これ、どうするんだ。ライン止まるぞ!」
怒鳴 り声を聞いていて、相手が判って来た。相手は製造部門の係長だ。中国製A材の導入試験で何度かやり取りしたし、今回の置き場探しでも相談に乗って貰 っていた。
「でも、テスト結果では問題ないと…」
係長だって知っているじゃないか。中国製A材の先行サンプルで試験した時は何の問題も発生しなかった筈 だ。あの時、あんたも大丈夫だと言ってくれたじゃないか。
「テストはテスト。今回のは物が違うんじゃないのか。」
じゃあ、何のためのテストだったんだ。
「えーい、お前じゃ話にならん。狭山 に代われ!」
思わず、太一は部屋の中に狭山の姿を探す。でも、ここで狭山に代わったら、自分は何の役にも立たず、いざとなったら、只管 先輩にすがりつく存在って事だ。自分で出来 る事はやらなければ。
「兎 に角 、詳しい状況を教えてください。それから対応を…」
「そんな事している時間はないんだよ。今すぐに対応しなけりゃ、ラインは止まるんだから。良いから、狭山を呼べ!」
「樫垣 、どうした。」
電話の様子がおかしいのを見付けて、狭山が近づいて来る。もう、自分一人で何とか出来る状態じゃない。太一は、スマートフォンを顔から遠ざけて狭山に事情を話す。
「ちょっと、電話代われ。」
話を聞くと、狭山はそれだけ言って、手を差し出す。太一は、渋々 自分のスマートフォンを狭山に渡す。
「電話代わりました。狭山です。」
スマートフォンのスピーカーから、係長の怒鳴 る声が小さく漏 れて来る。狭山は感情を表 に出さずに、「はい」とか「そうですね」と静かに相槌 を打っている。十分以上話していただろうか。頃合 いをみて、狭山が切り出す。
「それじゃ、こうしましょう。まず、旧A材がどのくらい社内に残っているか、直 ぐに調べます。それと、旧A材は今月も購入予定がありますので、それが、いつ入るかも追ってご報告します。」
狭山は的確だ。電話を受けた時、太一の体中を駆 け巡っていた血液が、急に足元に降りて行くのを感じる。
「ラインが止まってしまうのは避け切れません。兎 に角 、影響を最小限にする努力をします。」
最後にそう言って電話を切ると、スマートフォンを直 ぐに太一には返さず、手に持ったまま暫 く考えている。
「あの、A材の納品日調べますか?」
恐る恐る、太一は狭山に話し掛ける。
「いや、それは、水沢にやってもらおう。…おい、水沢!」
「はーい。」
水沢は呼ばれると、自分の席から直 ぐに立ちあがり向かってくる。狭山は事の経緯 を簡単に伝えて、国内製A材の次の納品日と納入数量を調べる様に指示する。
「うん、わかった。」
水沢は文句も言わずに頷 く。必ず何か言わなければいられない様な水沢が、たとえ事情を理解したとしても、いつになく素直に応じる姿を見て、申し訳 ない気持ちと無力さが太一を襲 う。
「それと、社内のA材の在庫がどのくらいあるかも調べてくれ。」
狭山が、自分の席に戻ろうとする水沢の背後に呼び掛ける。
「OK。」
水沢は、少し振り返りながら右手を軽く上げて応える。
「俺達は部長の所に行くぞ。」
狭山 はそう言うと、先に立って歩き出す。緩みかけた太一の緊張が俄 かに跳ね上がる。
「何をしている。早く来い。」
部屋の出入り口で振り返って呼ぶ狭山を、太一は慌 てて追いかける。
二人はそのまま廊下を大股 で通り抜け、部長室の大きな机の前に立つ。
「すいません、問題が起きまして。おい、樫垣 。」
狭山が先に口を開く。説明するのかと思っていたら、その役目は太一に降って来る。太一はドギマギしながら、何とか状況を説明する。
「不良品の発生はどのくらいだ?」
太一は言葉が出ない。さっき、製造部門の係長は不良品だらけだと入っていたが、それ以上の事は訊 かなかった。
「三十パーセントを超えているそうです。」
代わりに狭山が答える。
「不良の原因が中国製A材である可能性は?」
これも太一には答えられない。新しいA材に替えた途端 に発生したとだけ聞いた。
「調査はこれからです。今、旧A材の在庫を当たらせていますし、今月納品もあるので、旧A材に戻して不良品の発生が抑えられれば、中国品に原因がある事になります。」
狭山の口からは、するすると説明が出て来る。太一は只 横に突 っ立っているだけだ。
「中国品のテストは行なったんだろ?」
「はい、B商事と契約を結ぶ前にやっています。」狭山にばかり話させておくのは忍びない。太一は間髪 入れずに回答する。「その時は問題ない結果が出ています。」
「今回のロットの先行テストは?」
先行テスト?
太一はまた黙る。今度は狭山の助け舟が無い。狭山も太一の方を見ている。
「生産投入する前に先行テストした時の結果はどうなっている?」
部長は、重ねて太一に尋 ねる。
「おい、樫垣 。」
狭山も太一が答える様に促 して来る。
「…いえ、先行テストはしていません。」
太一は恐る恐る答える。
「んん?」
部長が眉間 に皴 を寄せて唸 る。
「テストしていないって?本当か。」
隣で狭山が声のボリュームを上げる。
先行テスト?そんな話初めて聞く。そんなものが必要だったのか?
「馬鹿者!何やっている。今迄 何をやって来た!」
遂 に部長の怒りが爆発する。
「先行テスト無しじゃ、問題が起きて当たり前だろ。」
狭山もそれ乗っかって、隣で声を上げる。
「どれだけの損害が出ると思っているんだ!しっかり仕事しろ!手を抜いて良いと誰が言った!」
部長が右手の拳 で机を叩 く。鈍 い音が室内に響く。
「申し訳ありません。二度とこのような事態を起こさない様、しっかり教育し直します。」狭山が勢いよく頭を下げる。「おい。」視線を投げて、太一の行動を促 す。
「…申し訳ありません。」
太一も頭を下げる。
「早急 に対策を取れ、良いか!」
「はい。」
頭を下げたまま、狭山が勢いよく返事する。
「良いから、仕事にかかれ!損失と対策の見通しが出たら、報告に来い。いつ報告出来る?」
狭山が頭を上げる。それを見て、太一も直 る。
「いつまでにまとめられる。」
狭山が厳しいまなざしで太一に迫 る。
俺?俺が答えるのか。
対策も損失もどうやって報告にまとめるのか想像も出来ない。しかし、自分が答えなければならない状況に追い込まれている。
「…明日には、何とか…。」
「明日?」
部長が太一の睨 む、
「馬鹿、そんな悠長 な事言っていられないだろ、今日中に何とか、報告出来る様にするんだ。」部長がそれ以上言い出さない内に、慌 てて、狭山が太一を説得する。「すいません、まとめて、後程 持って参ります。」太一の返答を待たずに狭山が回答する。
二人は、もう一度頭を下げると、そそくさと部長室を後にする。
「お前は、まず技術部に連絡してA材を解析して貰 え。新旧で比べれば、何か判るかも知れない。」
部長室から戻りながら、狭山が指示を出す。
「はい。」
アドレナリンが体中を駆 け巡っている太一は、勢いよく返事をする。
「それと、こんな勝手な真似 はもうするな。」
勝手な真似?
何の事を指しているのか理解できずに太一が黙っていると、狭山が続ける。
「お前はこの会社に入ってまだ日が浅いから理解し切れていないかも知れないが、この会社の常識と言うものがある。新しい材料を生産に使用するのに、先行テストも無しに投入しちまうなんて有り得 ないんだ。」
「はい。」
太一の返事から力が抜ける。
「分からない時は、まず、俺に確認しろ。」
狭山は太一の方を見ずに言い切る。内心腹立たしいのが透 けて見える。
でも…。
太一は反論を腹の中にしまい込む。
「水沢、在庫の情報分かったか?」
部屋に早足で戻るなり、狭山は水沢に声を掛けながら太一から離れて行く。太一は自分の机に戻って、技術部に連絡するのに頭を巡らす。太一が普通にお願いしても、取り合ってくれないだろう。技術部には予定している仕事が山の様にあるに違いない。何とかして、他の仕事を差し置いて、A材の解析に着手してもらわなければならない。生産が止まってしまうと訴えるか?それは、君の責任で私は関係ないと言われないだろうか?
「樫垣 !何している!早く技術部に連絡しろ!」
遠くから、狭山の声が飛んで来る。
「
品質保証部からのレポートは、メールに
「ええ、使えるって事ですよね。」
「ああ、これで正式発注出来るぞ。」
「最初は、使用量の一割程度からって話でしたよね。でも、B商社とは数量で折り合えていません。」
B商社は、この新しい購買者の為に中国からの輸入量を増やさなければならず、そうなると、中国メーカーの製造回数を増やす事に
「少量だと、価格が上がってしまうと言っている件だろ。それじゃ、切り替えるメリット無いじゃないか。」
製造結果が良かったせいか、狭山の鼻息は
「はあ、そうですが。」
経験の浅い太一には、何を優先して判断したら良いのか分からない。自分が見つけ出した中国メーカーのA材購入を進めたい気持ちも
「良いから、向こうの言う最小数量を注文するぞ。」
最小数量でも、太一たちの会社にしたら多過ぎる。数か月の使用量に相当する。
「良いですか?C工業向けの注文と重なると、新しく材料置き場を確保しないと置ききれませんが。」
試験結果が出る前までは、C工業に数量を減らす宣言が
「中国からじゃ、今から注文したって、物が入って来るのは三ヶ月先だ。心配するな。今からC工業に連絡して三ヶ月先の購入量を減らしてしまえば良いだけだ。」
「分かりました。」
「
狭山は太一の前で
「た~いち。」
発注の準備に集中していて、気付かなかったが、
「なんですか?」
太一はモニターから目を離さずに
「狭山さん、
「A材、中国製が
「そっかぁ。それじゃ、たいっちゃんのお
そうか、これは自分の
太一に実感は無い。水沢の言い方も、なんだか薄っぺらくて感情がこもっていない。
「ところで、また、太一に相談したいって人がいるんだけど。」
また、それか。
キーボードの手を止めて、思わず
「今度は、どんな案件です?」
あからさまに
「えっとね、卒業旅行に友人グループで行くんだけど、どこに行けば良いでしょうって。」
「ちょっと、待ってください。俺、旅行代理店じゃないですから。行く場所の選定なんて
「あ、別に旅行を計画して欲しい
水沢の操作するスマートフォンを
「ちょっと、見ないでよ。」
「水沢さん、その人とどういう関係ですか?」
卒業旅行に行こうと言うくらいだから、来年春に大学か短大を卒業するのだろう。水沢と親しい年下の現役学生がそんなに何人もいるのだろうか。
「ちょっとした知り合い。良いでしょ、そんな事。もしかして、女の子だったら興味ある?」
「別にそう言うのじゃないです。なんだか、学生の知り合い多くないですか?この間の子みたいに大学の後輩ですか?水沢さん、そんなに
「えへへ、ま、そうかな。」
水沢は
この話、どうせ無理矢理にでも頼み込んでくるのに決まっている。結局そうなるのが見えているなら、それまでのやり取りが
「前回みたいにSNSで連絡してもらって下さい。何て名前の人ですか?」
太一はモニターに向き
「え…っと、『みゅーちょん』。」
スマートフォンの画面を見ながら、発音し
「みゅーちょん?」再び手を止めて、水沢の顔を見上げる。「それ、ハンドルネームですよね?本名知らないんですか?」
「だって、SNSでしかやり取りした事ないから。」
「水沢さん、SNSで何書いてるんですか。俺の事、拡散させてませんよね?」
「そんな事してないよ。彼女は私のブログのフォロアー。太一に責められる話じゃないし。」
「ブログやってるんですか。まさか、そこで俺の事書いているんじゃないですよね!」
「太一の事書いているんじゃない。私の日常の身近な
「その中に、俺の話が出て来るとか。」
「…ん、ちょっとよ。ちょっと。」
何て事だ。人の了解も無しに、勝手に書いて。訴えるぞ。
「あ、だけど、名前出していないからね。私も実名出していないし。」
当たり前だ。そうじゃなけれりゃ、本当に訴える。
「結構、太一の予知に興味があるフォロアーが多くてさ。私とサイト立ち上げて、相談受付やらない?きっと、話題になるよ。」
そんなの
「今、たいっちゃん、調子良いじゃん。」
太一が返事をせずにいると、水沢は
調子が良い?ちょっと、A材の使用結果が良かっただけだ。他に良い事なんか無い。頭を佐和子の
「あ、
「俺、SNSそんなにやらないですから。」
「じゃ、考えよ。
そう言いながら、水沢は半分笑っている。
「何ですかそれ、第一、悩みの相談じゃないでしょ。」
「そっか。なら、「タイチー」。ドクターじゃなくて、ドクトルの方がカッコ良いかな。『ドクトル・タイチーがあなたの未来を予言します』ってのはどう?」
「『タイチー』って、そのまんまじゃないですか。どうして『カッシー』とか『タイチー』って感じ?まるで、未確認生物のニックネームですよ。」
「ん~、
水沢は何やら一人で楽しそうだ。
「冗談じゃないですよ。何だかスカスカ抜ける
「良いじゃん。たいっちゃんっぽいよ。」
勝手にカラカラ笑う。
「そもそも、水沢さんのブログでそんな事やるって
抵抗したつもりが、いつの間にか
水沢かなえが言った通り、太一に対する依頼は引っ切り無しに入ってきた。冬に向かうにつれ、雪で電車が遅れないか、道路が
〈冬のイベントに行きます。自分の家から会場までは距離があって、途中で何かあると開始時間に遅れてしまいます。どうしても時間通りに着きたいので、問題ないか教えてください。〉
ある日、太一が相談内容をチェックしていると、そう書かれている。差出人に関する情報は、『西部のたらこくちびる』と言うハンドルネームと、この文章だけしかない。予知のイメージを浮かべるには、もう少し情報が欲しい。イベントの日付と場所、本人がどうやって会場まで行こうとしているのか教えてくれるように返事を書く。
翌日に返事が届いた。その内容に目を通していると、
交差点だ。複数の車が壊れている。道路の真ん中であらぬ方向を向いて停まっている乗用車。フロントガラスが割れ、ボンネットがひしゃげている。バスが一台、交差点を少し通り過ぎた路肩に停めて、ハザードランプを点滅させている。近くの歩道には人だかり。
〈イベント会場までシャトルバスで向かうのは、やめた方が良いです。事故に巻き込まれて、到着出来ないか、遅れる可能性があります。〉
太一は、
「たいっちゃん、大変だよ。」
仕事中に水沢かなえが太一の所にやって来て、耳もとで
「これ。」
ブースに入るなり、水沢は太一の前に自分のスマートフォンを向ける。動画が静止状態で表示されている。見知らぬ男が一人、パソコンの前に座り、体を
太一が画面を見ても反応しないと分かると、水沢は静止を解除する。動画が再生される。
「実は、この冬にイベントに参加しようと思ってまして…」男がパソコンのモニターの前で、カメラに向かって
太一は、心臓が大きく脈打つのをはっきり自覚する。水沢は、画面を
「今日、その人から返事が届くことになっています。
そう言うと、男はパソコンに
「あ、来てますね。」
パソコンのモニター画面がクローズアップされ、太一からの返信文が
「
男は、カメラに向いて驚いた顔を作って見せる。
「イベントに行かれる皆さん、気を付けて下さい!シャトルバス、
男がカメラに向かって小さく手を振って動画は終わる。
「こんな事するなんて許せない。でしょ?」
動画が終わると、水沢は
確かにそうだ。こっちは善意でやっているのを
「こいつ、この世界じゃ多少は名の知れた
水沢が
別にサイト名や有名な予知者というのが誰かを
「水沢さん、悔しいけど、
「あんた、そんなんで良いの?
「だから悔しいけど、ここで
「…太一、意外と冷静なんだね。」
「そうでもないです。
「対策?」
水沢は、まだ
「あの、変な
「どうやって?今回みたいのも、普通の人と同じ様に依頼してくるから、区別付かないじゃん。」
「うん、まぁ、そうですけど…」
何かいい方法は無いだろうか。
「会員制にでもして、最初に身元を確認しようか。」
「それ、個人情報だから、データが
「何だか、知らないけど、
明らかに水沢はふて
「じゃ、こうしましょう。注意文を作って、それに同意した人だけ、依頼を書けるようにしましょう。これなら、
「ふーん。太一、それ書ける?」
水沢は全くやる気がない。全部、太一に任せるつもりだ。
「良いですよ。それらしい文章を作ってみますから、それ、水沢さんのサイトにアップしてください。」
太一は
「そ、分かった。」
水沢と太一のコンビで進める未来相談は、順調にフォロアーを増やしていった。何のイメージも見えない時、それが予想出来ていないのか、何も起こらない事を意味しているのか、数をこなすうちに、太一は感覚で
水沢のサイトを訪れる人が増え、水沢には直接の利益がもたらされる。一方、太一は
「たいっちゃん、これ見た?」
昼休み時間に水沢がスマートフォンを持って近づいて来る。何やら
「なんですか?」
昼飯を食べ終えて席に戻っていた太一は、腹ごなしにデスクの周りをブラブラしていた。声を掛けられれば
水沢は、太一の鼻先に自分のスマートフォンを突き出す。ニュースの見出しが見える。『主催者側、イベントの延期を発表』と書かれてある。その下に主催者側のお
「これが、何ですか?」
太一には水沢の言わんとする所が分からない。
「このイベント、この前、太一が交通事故を予知したら、変な男が、それを動画にアップしちゃった
ああ、あの件か。
太一はもう気にしていなかった。あの後もいろんな人の予知を行ない、一つ一つの案件は、予知してしまえば、太一にとって過去の
「延期ですか。」
太一は、記事を読みながら、ぽつりと
「何、
言われて太一の動きが止まる。
思い
「太一、それだけじゃないわよ。もし、延期になって、太一の予想とは違う未来になっちゃったなら、事故が起きないじゃない。そうしたら、あの男、きっと
水沢は、
「騒がせておけば良いじゃないですか。」
太一には、
「それで大丈夫なの?私達を
被害を受けるかも知れない当人は太一だ。なのに、水沢の方が怒っている。
「良いですよ。放っておきましょう。
「ま、そうかもね。なんか気に入らないけど、太一がそう言うなら、そうするかぁ。」
水沢は肩から力を抜いて、視線を落とす。
「
太一は、もうそれ以上、この話をしたくない。もっと、面白い、別の何かを考えていたかった。
始業のチャイムが鳴る。製造現場は朝会をする時間だ。こんな時に電話をしたら、それこそ相手の
スマートフォンが鳴る。今や、社内通話も会社支給のスマートフォンの時代だ。
「はい。
「お前、何やってんだ!」
電話に出るなり、大声で
「あの、何ですか?」
社内電話で掛けて来たと言う事は、相手は社内の人だ。自分は二年目の平社員なのだから、
「何ですかじゃないよ!お前が仕入れたA材使ったら、全部不良品になっちまうじゃないか!」
「え?」
「こっちに来て、見てみろ!いままでのA材なら、何でも無かったのに、新しいA材に切り替えた
「でも、テスト結果では問題ないと…」
係長だって知っているじゃないか。中国製A材の先行サンプルで試験した時は何の問題も発生しなかった
「テストはテスト。今回のは物が違うんじゃないのか。」
じゃあ、何のためのテストだったんだ。
「えーい、お前じゃ話にならん。
思わず、太一は部屋の中に狭山の姿を探す。でも、ここで狭山に代わったら、自分は何の役にも立たず、いざとなったら、
「
「そんな事している時間はないんだよ。今すぐに対応しなけりゃ、ラインは止まるんだから。良いから、狭山を呼べ!」
「
電話の様子がおかしいのを見付けて、狭山が近づいて来る。もう、自分一人で何とか出来る状態じゃない。太一は、スマートフォンを顔から遠ざけて狭山に事情を話す。
「ちょっと、電話代われ。」
話を聞くと、狭山はそれだけ言って、手を差し出す。太一は、
「電話代わりました。狭山です。」
スマートフォンのスピーカーから、係長の
「それじゃ、こうしましょう。まず、旧A材がどのくらい社内に残っているか、
狭山は的確だ。電話を受けた時、太一の体中を
「ラインが止まってしまうのは避け切れません。
最後にそう言って電話を切ると、スマートフォンを
「あの、A材の納品日調べますか?」
恐る恐る、太一は狭山に話し掛ける。
「いや、それは、水沢にやってもらおう。…おい、水沢!」
「はーい。」
水沢は呼ばれると、自分の席から
「うん、わかった。」
水沢は文句も言わずに
「それと、社内のA材の在庫がどのくらいあるかも調べてくれ。」
狭山が、自分の席に戻ろうとする水沢の背後に呼び掛ける。
「OK。」
水沢は、少し振り返りながら右手を軽く上げて応える。
「俺達は部長の所に行くぞ。」
「何をしている。早く来い。」
部屋の出入り口で振り返って呼ぶ狭山を、太一は
二人はそのまま廊下を
「すいません、問題が起きまして。おい、
狭山が先に口を開く。説明するのかと思っていたら、その役目は太一に降って来る。太一はドギマギしながら、何とか状況を説明する。
「不良品の発生はどのくらいだ?」
太一は言葉が出ない。さっき、製造部門の係長は不良品だらけだと入っていたが、それ以上の事は
「三十パーセントを超えているそうです。」
代わりに狭山が答える。
「不良の原因が中国製A材である可能性は?」
これも太一には答えられない。新しいA材に替えた
「調査はこれからです。今、旧A材の在庫を当たらせていますし、今月納品もあるので、旧A材に戻して不良品の発生が抑えられれば、中国品に原因がある事になります。」
狭山の口からは、するすると説明が出て来る。太一は
「中国品のテストは行なったんだろ?」
「はい、B商事と契約を結ぶ前にやっています。」狭山にばかり話させておくのは忍びない。太一は
「今回のロットの先行テストは?」
先行テスト?
太一はまた黙る。今度は狭山の助け舟が無い。狭山も太一の方を見ている。
「生産投入する前に先行テストした時の結果はどうなっている?」
部長は、重ねて太一に
「おい、
狭山も太一が答える様に
「…いえ、先行テストはしていません。」
太一は恐る恐る答える。
「んん?」
部長が
「テストしていないって?本当か。」
隣で狭山が声のボリュームを上げる。
先行テスト?そんな話初めて聞く。そんなものが必要だったのか?
「馬鹿者!何やっている。
「先行テスト無しじゃ、問題が起きて当たり前だろ。」
狭山もそれ乗っかって、隣で声を上げる。
「どれだけの損害が出ると思っているんだ!しっかり仕事しろ!手を抜いて良いと誰が言った!」
部長が右手の
「申し訳ありません。二度とこのような事態を起こさない様、しっかり教育し直します。」狭山が勢いよく頭を下げる。「おい。」視線を投げて、太一の行動を
「…申し訳ありません。」
太一も頭を下げる。
「
「はい。」
頭を下げたまま、狭山が勢いよく返事する。
「良いから、仕事にかかれ!損失と対策の見通しが出たら、報告に来い。いつ報告出来る?」
狭山が頭を上げる。それを見て、太一も
「いつまでにまとめられる。」
狭山が厳しいまなざしで太一に
俺?俺が答えるのか。
対策も損失もどうやって報告にまとめるのか想像も出来ない。しかし、自分が答えなければならない状況に追い込まれている。
「…明日には、何とか…。」
「明日?」
部長が太一の
「馬鹿、そんな
二人は、もう一度頭を下げると、そそくさと部長室を後にする。
「お前は、まず技術部に連絡してA材を解析して
部長室から戻りながら、狭山が指示を出す。
「はい。」
アドレナリンが体中を
「それと、こんな勝手な
勝手な真似?
何の事を指しているのか理解できずに太一が黙っていると、狭山が続ける。
「お前はこの会社に入ってまだ日が浅いから理解し切れていないかも知れないが、この会社の常識と言うものがある。新しい材料を生産に使用するのに、先行テストも無しに投入しちまうなんて有り
「はい。」
太一の返事から力が抜ける。
「分からない時は、まず、俺に確認しろ。」
狭山は太一の方を見ずに言い切る。内心腹立たしいのが
でも…。
太一は反論を腹の中にしまい込む。
「水沢、在庫の情報分かったか?」
部屋に早足で戻るなり、狭山は水沢に声を掛けながら太一から離れて行く。太一は自分の机に戻って、技術部に連絡するのに頭を巡らす。太一が普通にお願いしても、取り合ってくれないだろう。技術部には予定している仕事が山の様にあるに違いない。何とかして、他の仕事を差し置いて、A材の解析に着手してもらわなければならない。生産が止まってしまうと訴えるか?それは、君の責任で私は関係ないと言われないだろうか?
「
遠くから、狭山の声が飛んで来る。