第6話

文字数 595文字

心には、力があると思う。そう思いつつ、現実の世界では、その考えを見事に否定されるような出来事も多々あるのだが。そのたびに、神仏なんぞ糞でもくらえ!ってな気分になって、仏壇に手を合わせる気も一時なくなるのだが。

しかしその逆に、この世には神でもいるのではないか、おられるのではないか、少なくとも何か神秘的な力の持ち主が、目に見えぬ形でふよふよしておられるのではないかって気分になってしまうこともある。

何もかもがうまくいっているように思える、そんなときに一瞬。

そしてその事とはまた逆に、良く知りもしないで「キリスト教的」という言葉を使わせていただくが、苦難の連続のさなかで『神』を信じている瞬間もある。この三つ目のが、一番尊いと思う。

そういうわけで、ぼくは根室にいたころ、何年間か教会に通ったことがあるのだが、それもあって今でもキリスト教には興味と関心を抱いている。

祈ることには力がある。特に、小さな神、偉ぶらない、打ち捨てられた神にこそ、本当の力は宿るものだと思う。この事は悪魔に魅入られし『世界』の常識とは相反する部分があるかもしれないが、そんな常識こそ糞でもくらえ!である。

心には、力がある。それを感じる。小さな虫けらにも、世界を動かす力がある。想う事からすべてが始まる。心が生きるとき、世界もまた命をもって動き出すのだ。

こんなことは、みなさん分かって生きておられることなのかもしれないが。

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