第9話

文字数 1,404文字

猫たちとの生活について書きたい。

私は猫が好きだ。猫という生き物が好きだ。猫になりたい。

猫は缶缶が好きである。飼い主のことも、まあ一応面倒を見てくれる限りは、好いてくれると思う。

今日ぼくは調子が悪くて、午前仕事を休み、仕事から帰っても、不機嫌で、妻にちょっと当たったりした後、たらふく飯を食ってそのままベッドで寝てしまった。

夜中にふと目が覚めると、ベッドの足のところで、このあいだ保護した推定一歳の子猫、花がちょこんと座り、心配そうにぼくを見上げている。猫というのは、こういう生き物なのだ。飼い主の微妙な心のさざなみをキャッチして、心配してくれたりもするらしい。

だから、精神障がい者であるぼくにとって、猫は、妻と同じく、かけがえのないパートナーなのだ。

内には猫が三匹いる。これは自慢である。普通、借家住まいなどの貧乏な家庭では猫など飼えない人も多いのだが、うちは借家ではない。一応、持ち家である。すごいじゃないか、資産家やないか、統失のくせに、と驚かれるかもしれないが、これには絶妙なトリックが隠されていて、家は持ち家なのだが、苦心して貯めた100万円で家だけ購入し、土地は大家さんのものなのであり、毎月土地代だけ支払っている。

借地権、という奴である。これの何がすごいかって言うと、借地代が家賃などと比べて安いのは当然として、家の壁に穴をあけようが猫を飼おうが亀を買おうが鉢植えを置こうが、ご自由に、って点なのである。

だから猫を三匹も飼えているという事は、このぼくにとって自慢なのである。

内、二匹は人生の荒波を共に越えてきた老兵士たち、オスとメスの老猫である。そこに最近、一匹の若い雌猫が加わった。わかるだろうか?これがいかに波乱の生活かという事が。

若猫は一年間外での生活を生き抜いた猛者で、おじいちゃんたちの餌までも貪欲に食らおうとする。この問題は餌やりのタイミングで若猫を隔離するなどの方法で乗り越えるとしても、若猫の甘えた攻撃にこちらがあまりにも応えすぎているとなると、歳を経て淡白な、味わい深いものとなりつつあった老猫たちとの微妙な関係が、悪い影響を受けてしまいやせぬかとハラハラするのである。

こういうことは若猫を迎え入れる前から予測がついたので、保護にあたってはぎりぎりまで悩んだ。去勢だけして放し、地域猫として見守っていこうとも考えていたのだが、罠を使って何とか捕獲し、TNR手術を受けてもらうために一日家で待機しているうちに、にゃあにゃあなくその子猫の鳴き声が我々中年夫婦を動かして、『飼おうか』という事になったのである。

飼ってみると、可愛くて、良く鳴く、やんちゃで優しくて繊細な花ちゃんは、ぼくの心の支えになってくれて、飼って本当に良かったと思っている。

花ちゃんは、外にいるときから、奇妙な、良く鳴く猫だった。ただ、その鳴き声は、外にいるときは、この世の不条理を糾弾するような激しさを持っていたのに対して、今は「餌くれ」もしくはもっと構ってくれ、撫でてくれ、という、信頼に満ちた要求の鳴き声なのである。

それでついつい「うるさい!」などと言ってしまうこともあるのだが。

外で鳴いていた時には、「うるさい!」などとは口が裂けても言えなかった。この世の理不尽に対し小さな体で張り裂けんばかりの声で訴えていたあの声は、心を抉れど、うるさいなどというものではなかったのだ。

猫とは、そういう生き物なのである。
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