第1話
文字数 1,064文字
歳をとって、日々働いていると、頭を使うのが億劫になってきた。
元々は、仕事で頭を使ったりするのは嫌いな方ではない。けれどもバイトで、障害者の施設で働いているためか、数学的な頭の使い方の方はとんとやらなくなってしまった。
実際、今のぼくは、建設業で働いていた時よりもずっと頭を使えていない。
情けない状態と言えば、言える。だが、下手に頭を使わなくなった分、大味な頭の使い方をするようになってきた。その頭でも一応、考える。すると開けてきたのだ、スピリチュアルな世界ってやつが。
そんなあれこれについて書いてみようと思う。
もともと、オカルトのことは嫌いではなかった。ただ、妙な自負があって、避けていた部分があると思う。森達也の『オカルト』を読んだ。面白かった。そこで秋山眞人という霊能者に興味を持ち、YouTubeの動画を拝見したりしているうちに、スピリチュアルな考え方を自分でもしてみようと思うようになったのだ。
以上一言で言うと、流行に乗っかった。
さて、にんげんの生が、限界のあるもの、死によって終わりのあるものであるとする仮定。
この仮定は、あくまで仮定である。生がすべての終わりではなく、生は、誕生の前から続き、死の後も続く『何か』の内の、一つの状態だとすると。
魂の存在。物質界で見えなくなっても、『何か』が存在し続けるのだ。この世界に現れるずっと前から、『わたし』というなにかは存在していたのだ。そう、仮に考えてみる。そう考える根拠の一つは、多くの人がいまやスピリチュアルを言い出しているからで、一人だけでこういうことを考えていたら単なる狂人の妄想で終わるが、時流に乗って言い出せば、少々安全にものが言えるってえものだ。
そのとき、忽然と、一つのことがわかるような気がするのだ。『その何か』『わたし』は、旅を続けてきたのだ、と。生もまた、その旅の一部分、比較的に重要な一部分にすぎないのである。
だからこそ、我々はこの生にしがみつく。この生が終われば、旅の目的地が変わるかもしれない。この生の中ででもまた、旅の目的地は変わりうる。生は旅だし、生の前にあったものも旅で、その果てにこの生にたどり着いた。一期一会の生。
一期一会というが、本当にもう二度と会えなくなるわけではなく、旅の過程によってはもっと自由度の高い状態で進むときもあり、そうすると、かって離別したものと再び相まみえることもあるかも知れない。
とにかく、生きる事だ。この生を、だらだらでもいいから、寝ながらでもいいから、続けることだ。それがこの旅の『目的』なのだから。
私はそう思う。
元々は、仕事で頭を使ったりするのは嫌いな方ではない。けれどもバイトで、障害者の施設で働いているためか、数学的な頭の使い方の方はとんとやらなくなってしまった。
実際、今のぼくは、建設業で働いていた時よりもずっと頭を使えていない。
情けない状態と言えば、言える。だが、下手に頭を使わなくなった分、大味な頭の使い方をするようになってきた。その頭でも一応、考える。すると開けてきたのだ、スピリチュアルな世界ってやつが。
そんなあれこれについて書いてみようと思う。
もともと、オカルトのことは嫌いではなかった。ただ、妙な自負があって、避けていた部分があると思う。森達也の『オカルト』を読んだ。面白かった。そこで秋山眞人という霊能者に興味を持ち、YouTubeの動画を拝見したりしているうちに、スピリチュアルな考え方を自分でもしてみようと思うようになったのだ。
以上一言で言うと、流行に乗っかった。
さて、にんげんの生が、限界のあるもの、死によって終わりのあるものであるとする仮定。
この仮定は、あくまで仮定である。生がすべての終わりではなく、生は、誕生の前から続き、死の後も続く『何か』の内の、一つの状態だとすると。
魂の存在。物質界で見えなくなっても、『何か』が存在し続けるのだ。この世界に現れるずっと前から、『わたし』というなにかは存在していたのだ。そう、仮に考えてみる。そう考える根拠の一つは、多くの人がいまやスピリチュアルを言い出しているからで、一人だけでこういうことを考えていたら単なる狂人の妄想で終わるが、時流に乗って言い出せば、少々安全にものが言えるってえものだ。
そのとき、忽然と、一つのことがわかるような気がするのだ。『その何か』『わたし』は、旅を続けてきたのだ、と。生もまた、その旅の一部分、比較的に重要な一部分にすぎないのである。
だからこそ、我々はこの生にしがみつく。この生が終われば、旅の目的地が変わるかもしれない。この生の中ででもまた、旅の目的地は変わりうる。生は旅だし、生の前にあったものも旅で、その果てにこの生にたどり着いた。一期一会の生。
一期一会というが、本当にもう二度と会えなくなるわけではなく、旅の過程によってはもっと自由度の高い状態で進むときもあり、そうすると、かって離別したものと再び相まみえることもあるかも知れない。
とにかく、生きる事だ。この生を、だらだらでもいいから、寝ながらでもいいから、続けることだ。それがこの旅の『目的』なのだから。
私はそう思う。