第10章 路上

文字数 3,362文字

 道という点では、東京は避難所と言うよりも、まさしく迷宮だ。俺にこんな経験がある。ポーランド人のハンナが桜上水の知人宅に預けていた荷物をとりにいくというので、それにつきあったことがある。そこに行くのは5年ぶりということもあり、記憶も曖昧で心もとなかったのを覚えている、ハンナは俺とはほとんど日本語で話す。

 あれは、いわゆる永田メールの件で、前原誠司が民主党の代表を辞任した日だ。ハンナと紀伊国屋書店新宿南店に向かう途中、新宿駅南口界隈で、どっかのテレビのレポーターがおばちゃん三人組にインタビューしてたのを目にする。「何聞いいてんのかな?」と思っていたら、夕方のTVニュースが辞任を伝えていたので、んなことを尋ねてたんだろうなと納得したことを覚えている。「なんで、俺たちに聞かないのかな?」ってハンナに尋ねたら、「聞くわけないでしょ。見た目が世論じゃないんだから」って答え。つまり、世論ってのは普通顔のことだ。

 ハンナはボストンで日本語を教えている。元々は日本文学の研究者で、あのときは博士論文を準備していたが、何作か日本の小説を訳すなどすでに実績は相当ある。ジンチョウゲが好きなハンナはストレートの長い金髪を真ん中で分け、太いフレームの角ばった黒のサングラスののった鼻がシュテフィ・グラフのように目立つ。所々白っぽくなった茶色の革ジャンに薄目のブルージーンズ、紺地にピンクやグリーンの模様の入ったセーターをやせすぎに見えるその身にまとっている。足元はオレンジの柔らかそうな革のシューズ。背は俺と同じくらい。まるでパティ・スミスみたいな70年代ニューヨークのパンク・ロッカーだ。

 俺の格好も、柄の閉じない金縁でうずらの卵大の黒いレンズのジャン=ポール・ゴルチエ、チャコールグレーと化してしまった黒革のハーフ・コート、ボタンダウンの面影がかろうじて残るエンジ色のランズエンド、過去には濃紺だったリーバイス508、物持ちがよすぎるのも考えものだと母親に呆れられた18年前のモスグリーンなはずの紐なしピエール・カルダンってとこ。

 桜上水駅の南口から出ると、太陽がほぼ真正面からまぶしかったから、11時はすぎていたと思う。一方通行の狭い道路があり、閑散とした雰囲気で、キリン・ビールの黄色い立て看板が置かれた白い壁の居酒屋か小料理屋があった気がするが、詳しくは思い出せない。ハンナは小型の黒のスーツケースの上に同じく黒革のボストンバッグをのせて、そこからおもむろに地図をとり出す。俺は、ハンナの17インチのノートPCの入った黒革の鞄を左肩に食いこませながら、それを覗きこむ。

 「何これ、ローマ字表記なの?」
 ハンナは重信メイのような声とアクセント、イントネーションでこう答える。
 「地名はガイジンには難しいから」。
 「確かに。日本人でも『御徒町』は知らないと読めない」。
 「えーと、新宿がこっちだから、南は上向きで…あれ、どっちだ?」
 ハンナは、くるくる回しながら、地図の方向を確認している。実際、地図上の道が入り組んでいて、今どこにいることさえよく把握できない。
 「ねえねえ、街の子山羊はねネエ~と鳴く」
 「何それ?」
 「昔読んだ『テレビ小僧』ってマンガにあったギャグ」。
 「そのマンガ知らない」。
 「うん、知らないと思うよ。日本人でもほとんど知らないはずだから。でも、俺は好きなんだ」。
 「ちょっと気散らさせないで。えーっと」。
 佐川急便の運転手が空の手押しトラックを片手に走って通りすぎる。
 「人に聞こうよ~」。
 「記憶をたどる。その方が文学的じゃない?」
 「Marcel Proust?」
 「あたし、マドレーヌ・ケーキつくるの得意よ」。
 「これ失われているんじゃないもん。迷っているだけだど~」。
 「道は未知なるものよ」。
 「ああ、そうね。その通りです!でもさ、聞いた方が早いって」。
 「早いだけがすべてじゃない!Slow Food Movement知らないの?」
 「知ってるけど、普通さ、迷子になると、外国人の方が日本人よりも道を聞く傾向があるんだけどねえ」。
 「何それ?」
 「本で読んだんだけどね、日本語を教えに海外に行ってた教授が、道に迷うと、自分はまず地図を見るけど、アメリカ人だろうと、ベトナム人だろうと、とりあえず人に道を聞くってさ。これって逆じゃん?」
 「いいじゃない、だったら。日本人以上に日本人だから、日本文学のことがよくわかる」
 「ほら、お巡りさん」。
 目の前を自転車に乗った40歳前後の警官が通り過ぎていく。自転車がかわいそうになるくらいにどっしりとした体躯で、背筋を伸ばし、少々外股にしてこいでいる。
 「当局には頼らない」。
 「それって社会主義体制のトラウマ?でも、こんな歌もあるんだからさ」。

 もしもし ベンチでささやく お二人さん
 早くお帰り 日が暮れる
 野暮な説教 するんじゃないが
 ここらは近頃 物騒だ
 話の続きは 明日にしたら
 そろそろ広場の 灯も消える♪

 「何それ?」
 「知らない?ダメだなー!曽根史郎の『若いお巡りさん』」。
 「ソネシロー?あの坂本龍一とキスした?」
 「それは清志郎!」
 「いつの歌?」
 「確か~、俺が生まれるずーっと前、1950年代」。
 「そんなの知るわけないじゃない!」
 「ダメだよ~それじゃ~欽ちゃん走りしちゃうよ~日本文学の研究者とはとても、と・て・も・言えない。だいたい、これ、ピンゥレディの『ペッパー警部』の元ネタだよ。日本文学の研究者だから、俺、引用でしゃべってっんだよ、ためになると思って」。
 「もおいい!集中しなきゃ」。
 おたまじゃくしみたいなヘアー・スタイルをした30歳前後の女性がベビー・カーを押して、通りすぎていく。
 「聞いた方が早いと思うなあ~」。
 「文学的な方がいいの。よし、こっちに間違いない」。
 「マジ~?まあ、このお、わしもヨッシャという気持ちには~」
 「大丈夫!時は見出された!」
 ハンナは東を向き、右手を勢いよく正面に伸ばして、人差し指で示し、歩き始める。まるでモーゼだ。俺は、鞄を右肩にかけ直し、足を引きずるように、小声で「歩きたくな~い 歩きたくな~い 私は元気じゃな~い」と歌いながら、ついていく。

 息絶えてしまえば、たとえ渾沌のなかにあっても、あらゆることが判然としてくるものである。そもそもの当初から、渾沌以外のなにものもなかった――俺をとりまき、俺がエラで呼吸していたものは、あいまい模糊たる流動物であった。おぼろにかすんだ月が不変の光を投げている下層部は、静穏で肥沃だったが、上層には密林があり、不協和音があった。俺はすぐ、あらゆることに矛盾と対立を見、現実と虚構のあいだの諷刺と逆説を感じとった。俺自身が俺の敵であった。俺はなにもしようと思わなかったが、また思ってもできないことばかりであった。なんら不足のない子供のころですら、俺は死にたいと思った――苦労することに、なんらの意義も認められなかったので、すべてを放棄したかった。自分で求めもしなかった人間生活をつづけても、なにひとつ得るところがなく、なんらの実証も得られず、プラスにもマイナスにもならないような気がした。俺の周囲のものは、ほとんど落伍者であり、落伍者でないやつは、ひどく不愉快な人間ばかりであった。とくに成功者がそうであった。成功者には、じつに閉口させられた。俺は過失に対して同情的であったが、俺をそうさせたのは同情心ではない。それは、人間の不幸をかいま見ただけで顔を出すある純粋に否定的な性格――弱点――のせいであった。俺は役にたつつもりで他人を助けてやったことは一度もなかった。ほかにどうすることもできなかったのである。事態を変えようとするのは、しょせん無益なことのように思われた。心を変えないかぎり、なにごとも変らないと私は確信していた。しかし、人間の心を変えることのできる人がいるだろうか。ときおり友人が改宗したという話を聞くと、俺は胸がむかついた。神が私を必要としないように、俺もまた神を必要としなかった。もし神が実在するものなら、俺は堂々と彼に会って、その顔に唾を吐かけてやりたいものだと、しばしば心のなかでつぶやいた。
(『南回帰線』)

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