第2章 「俺」

文字数 3,168文字

 今日は2007年12月22日。冬至だ。カボチャを食って、柚子湯に入る日だ。昨日は金曜日なのに、NHK教育の『わたしのきもち』が休みで残念だ。『ピタゴラスイッチ』や『ストレッチマン2』と並んでお気に入りなのに!中でも、「キモッチ」がいい。もう10時をすぎている。夜から雨という予報だったが、もうパラパラきている。洗濯物は屋内に干さなきゃなんない。ミケラン点眼液の苦い味が鼻の方から口に広がってくる。11時からWOWOWで映画『ザ・センチネル/陰謀の星条旗』が放映される。ま、とりあえず、見よう。しかし、一人だけしゃべっていると俺がまるで馬鹿みたいだ。

 さっき杉並中央図書館から注文していたと本が届いたと妹に伝言して欲しいと電話があったけれども、それはエフライム・ハレヴィ著『モサド長官証言「暗闇に身をおいて」』に違いない。俺があいつに頼んどいた本だ。妹はコーランを読みに代々木に行く予定でいる。ムスリマじゃなく、アラビア語をより向上する目的で毎土曜日に通っている。だいたい、実家は隠し念仏だ。今はちょうどハッジの時期だ。今年はクリスマスとも重なっているから、否が応でも、「中東」(この場合は「西アジア」よりこちらの方がふさわしい)で信仰心が高まる。コーラン学習は午後からだが、その前に、第一次インティファーダにおける子供のことを調べるために、9時頃、中央図書館に出かけている。メッセージをあいつにメールしておいたけど、まったくまぬけな話だ。同じ館内にいるのに、中央線の線路の向こう側にいる俺を通して連絡しあっているんだから!

 もっとも、俺も妹の居候みたいなものだ。妹は、ここのところ、うちにいると、いつも「寒い、寒い」と言っている。エアコンのスイッチを入れていないからじゃない。あいつの体温が低いせいだ。俺の平熱が37度4分くらいだというのに、35度5分しかない。エアコンのリモコンは、今見たら、室温を「18℃」と表示している。18℃と言えば、5月の東京の平均気温にほぼ近い。おまけに、部屋の中は無風だ。俺は色落ちしたゴルフの黒い靴下、首筋の辺りが赤茶けたへインズ、型崩れしたセンチュリー・ハイアットの白地の浴衣に、くすんだオリーブ色のアクリル100%の毛玉が目立つガウンで大丈夫だ。なのに、あいつは、洗いざらしのリーバイスの下に水色のPLAYBOYのパジャマのズボンも履いている。70年代のサウス・ブロンクスのギャングじゃあるまいし!

 妹は俺を『タンタンの冒険旅行』のハドック船長とビーカー博士を足して2で割った人だと思っている。その妹はよく俺に、”I have no money, no resources, no hopes. I am the happiest man alive”と言う。「俺は金がない。手に職もない。希望もない。俺はこの世でいちばん幸福な人間だ」。これはヘンリー・ミラーの『北回帰線』の最も知られた一節だ。でも、こいつはアイロニーじゃない。俺にはよくわかる。

 俺が読んだヘンリー・ミラーの『北回帰線』は大久保康雄訳の新潮文庫だ。手元にあるのは「昭和六十一年六月十日二十八刷」の版で、背表紙が薄いレモン色に変色している。夏休みの前に、ちょっと斜に構えてみるつもりで、ブックセンター荻窪に560円を支払ったが、これにはまっちまう。他のヘンリー・ミラーの作品は国際基督教大学の図書館にあった全集で読んだ覚えがある。当時、エントレランスから入って右手にある階段で二階に上がったら、南側の窓まで進み、それに沿って西に向かい、五つ目か六つ目のレーンの軟で安っぽいベージュのスチール製書棚に新潮社版の全集が置かれていて、確か、全12巻のうち第2巻だけ抜けていた記憶がある。そういやあ、あのヴァルター・ベンヤミンに似た司書は今どうしているだろう?しょうがないんで、『南回帰線』が収録されたその巻は杉並中央図書館で借りている。

 悪くない訳だと思うが、ヘンリー・ミラーには「ぼく」より、「俺」の方が似合う。「ぼく」は吉田松陰が「学問の下僕」として自分を「僕」と呼んだことに由来している。一方、「俺」は「我」の俗語だ。この漢字は音読みでは「エン」で、ニンベンと奄から成っているが、ツクリの部分は「我」の意味の俗語の音を指して使われている。この語源を考慮するなら、「俺」の方があっているから、「俺」に置き換えてテキストから引用することにしている。

 母は僕の顔を優しく覗き込んで言った。「こちらへ来てわかりましたが、私たちが地上で信じていたほど書物は重要なものでもないのですよ。此処には新聞も雑誌も本もありません。ここでは会話自体が本を書くことであり、本を読むようなものなのです。頭痛に悩まされることもなければ、お腹痛になることもありません。日々、私たちは人生についての広い視野を手に入れ、自分自身に対しても他人に対しても、より寛大に、より穏やかになっていくのです」(略)
 母の言葉はますます僕を感動させた。かつては鉄のダンベルのように僕に重くのしかかった母の言葉が、いまは知識の泉のようだった。
(ヘンリー・ミラー「母」)

 こういうことは漢字にはよくある。鴨や鶴、鶏などの鳥を表わす字がそうだ。ヘンの部分はその鳥の鳴き声に相当する音の字を当てている。鴨は甲のある鳥というわけではなくて、甲と鳴く鳥のことを意味する。ある種、ヒエログリフに似ている。そのため、漢字を「表意文字」ではなく、「表語文字」と考えるべきだと相原茂は『はじめての中国語』で主張している。

 日本語には、文字は中国語系、文法は朝鮮語やモンゴル語、トルコ語系、発音はポリネシア語系が入り混じっている。言語は文字、文法、発音の順で変わりにくい。それに基づいて、ポリネシア語系の人々がまず日本列島に到達し、その後、大陸から渡ってきたのではないかという説がある。ダイナミックな歴史が感じられるじゃないか!

 他の作品にも、深い洞察や鋭い指摘、ユニークな見解が溢れているが、ヘンリー・ミラーの最高傑作はやはりこの『北回帰線』だろう。後の作品はそのヴァリエーションだと言っても過言ではない。インパクトという点では見劣りする。ヘンリー・ミラーは成長発展すると言うよりも、すでに獲得しているスタイルを最初から最後まで貫き通す。ハンフリー・ボガートが誰を演じてもボギーであるように、ヘンリー・ミラーは何を書いても実質的には『北回帰線』だ。

 『北回帰線(Tropic of Cancer)』ってのは奇妙なタイトルだが、北回帰線は赤道の北、北緯23度27分にある緯線のことだ。地球の自転軸は公転軌道面に対して23度27分傾いているので、太陽光線が地表を垂直に照らす部分は一年周期で変化する。北回帰線は熱帯の北限で、夏至の日、つまり6月21日ごろに、正午に太陽が真上を通過する最北端の線だ。英語の” Tropic of Cancer”は「蟹座の回帰線」という意味だが、古代バビロニアの頃には蟹座の領域に夏至点があったためである。荻窪の南口に「金の蟹」という蟹料理の専門店があるが、そこでランチに俺がかにすき御膳、妹が金の蟹弁当を食べながら、このエピソードを話したことがある。あれは、YouTubeで見つけた”Festival de Viña 2007”で”If l Only Knew”を熱唱するトム・ジョーンズをルチアーノ・パバロッティと見間違えた日だ。しかし、あれじゃあ発表した頃の3倍の体積あるんじゃねえか?北回帰線はベトナムやサウジアラビア、アルジェリア、メキシコ辺りを通っている。ずいぶんと異なった気候のところを横断している。こう考えれば、その混沌とした印象にはふさわしいタイトルだ。
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