第8話 キモオタの嫉妬

文字数 2,010文字

3か月が経った。何も、起きなかった。
僕を取り巻く環境は良くなるわけでもなく悪くなるわけでもなく。
本当に何も起きなかった。
僕は身だしなみにだいぶ気を付けるようになった。
ニキビは引いたし、頭の痒みもましになった気がする。髭は脱毛クリームを使ってもあまり効果が感じられないものの、若干薄くなっている気もする。体臭にもだいぶ気を付けるようになった。髪をちゃんと整えるようになった。活舌が悪いのを治したくて、あまり意味がなかったが、発声練習もしてみた。

何も起こせなかったのだ。
そんなことをしてただ待っているだけじゃ、何も起きるわけがない。

重い気持ちで玄関を出る。日は既に高く上がっていた。
汗がべとついて、とても不快だ。春の終わりの熱い日光が嫌いだ。

最低な気分で登校する。あの日もそうだったな。こんな気持ちで登校して、Uターンをしようとした時、礼にあったのだ。あれは、いまだに僕の中で神聖な思い出なのだ。わかってる。そんな些細なことを何度も何度も反芻するなんて、まさにキモオタがやりそうなことだ。たとえ片思いの相手であっても、恋愛小説とかなら、きっともっといい感じの舞台で、シチュエーションで、それはそれは忘れられないくらい衝撃的な体験をするのではないだろうか?たかが通学路でばったり会ったなんてことを3か月間ずっと頭の中でループするなんておかしいだろう。

それでも僕には衝撃だったし貴重な体験だったのだ。それだけでよかった。通学路でもどこでもとにかく話をすることができれば。

しかし、今日も礼とは出会わなかった。あの日から一度も通学路であったことはないからやはり偶然は偶然である。学校で話しかける勇気もなく、ただ彼女を盗み見ることしかできていない。つまり、あの日から、一度も話をしていない。

対照的に、礼の彼氏とはかなり仲良くなった。東極の話題から外れてもっとプライベートな話になることが多くなった気がする。勉強の話や部活の話。好きなアーティストの話になったり好きな作家の話になって東極の話題にもどったりすることもしばしばあった。
日数を経るごとに、礼の彼氏のことを「礼の彼氏」として認識することが少なくなってきた。単純に話し相手として触れ合うことができた。僕自身も彼と話をするのが一日の楽しみのようになりつつある。

今日はどんな話だろうと考えながら屋上へ行く。東極の新作を片手に。これは話のタネになるかもしれないと思ってのことだ。
ドアを開ける。
朝より気温が高いはずなのに、不快な感じはしなかった。昼は精神が落ち着いているからだろうか。ふぅと息をつき周りを見回す。彼はまだ来ていない。5分、10分、15分しても来ない。嫌な予感がする。こういう時、「彼の身に何かあったのかも?」なんて発想はできない。「自分のことを裏切ったのかもしれない」、という利己的な考えしかできなかった。そんな自分がやはり嫌いだ。空気がちょっと湿度をもって重くなった気がする。相変わらず暑いままだ。あと5分で来なかったらもう屋上で待つのはやめようと決心した。その時だった。

「すまん、遅れた」

ドアをすごい勢いで開けて彼が入ってきた。
どすんと座り、すぐに口を開いた。

「なあ、俺、彼女いるの知ってる?」

一層、気温が上がった気がする。
僕の返事を待たずして彼は続ける。

「最近、俺さぁ、あいつからのLINEの返信無視してたんだけどさぁ」

「ふーん」

まともな返事が思いつかない。

「それでよぉ、今日不機嫌そうでさ、さっき、何でLINE無視するの?って急に怒りだしてよぉ」

「うん」

「そんなことでキレんのかよって喧嘩になってよぉ」

「うーん」

僕は上の空。

「ちょっと愚痴っていいか?お前しか話せる相手がいないんだよぉ」

「うん」

ここから、彼の愚痴が始まった。

僕はただうんうん頷くだけだった。彼はそれでもすっきりしたようで晴れ晴れした顔で帰っていった。愚痴の内容は束縛が強いとかそういう類のものだった。毎晩LINEを返すとかその程度のことだ。他の女子とあんまり親しくするなとか、下校は一緒に帰るとか。

羨ましい、と思ってしまう。僕の目の前にいた人は、礼と毎晩LINEを交わす権利というか義務というか、そういうものがあって、しかも向こう側からそれをするようにせまっているのだ。
怒りも感じる。なんでこの程度のことを束縛と称し礼を貶めるのか。もしも僕が礼の彼氏だったらそんなことはしないのに。もどかしい。もどかしい。彼氏への恨み半分、羨望半分。蒸し風呂みたいな屋上で僕はどんな顔をして立っているのだろうか、なんてちょっと客観的に考えても、嫉妬や怒りなどの感情で頭が爆発しそうだ。見せつけられている。このカップルの不和すら、二人をカップルたらしめるものだろう。そこに干渉できない、部外者の自分。部外者ゆえに相談される自分。

期待もしてしまう。
あのカップルの摩擦がどんどん大きくなっていって、破滅するのではないか。
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