第4話

文字数 1,979文字

『拝啓。
 残暑も漸く峠を越え季節は涼やかな秋となり、益々ご活躍の様子、その姿がラジオからもはっきりと覗えるようであります。
 先日、私のリクエスト曲を掛けて下さり、そればかりかお言葉迄添えて頂いた事、大変嬉しく思い拝聴致して居りました。
 と、本当は言いたいところではありますが、実のところは、私のイニシャルがラジオから流れて来た瞬間、嬉しさの余り、せっかく掛けて頂きましたリクエストの曲を満足に聴いて居りませんでした。
 年甲斐もなくとお思いでしょうが、私のように、世間様と縁が切れた者にすれば、そこに言葉にし難い喜びを感じたのだという事で、お察し下さればと願う次第でございます。
 貴女様の語り掛けて下さるお声は、私に安らぎを与え、静かな眠りへと誘ってくれます。
 それは、きっと私だけではなく、あの時間、ラジオの前で耳を傾けていらっしゃる多くの方々も、同様の思いで、ささやかながらも幸福を噛み締めてらっしゃるのではないかと、私は思って居ります。
 私には一人、弟が居るのですが、私という兄の弟であるが為に、筆舌に尽くし難い辛酸を舐めて居ります。
 愚かしい兄の為に、弟は人生に何の光りも見出だせないまま、歩んでいるのです。
 そんな弟に私は何もして上げられません。
 そこで、誠に厚かましいお願いではありますが、弟の為に彼の大好きな歌手の曲を贈って上げたいのです。
 曲名とかは詳しくは存じませんが、歌手の名前は、エディット・ピアフという外国の方であります。
 本当に厚かましい事とは思いますが、弟にも、私が感じたようなささやかな喜びを感じさせてやって下さいませんでしょうか。
 生きる事に、何の望みも喜びも見出だせないまま、彼の人生を終わりにさせてしまうのは、兄としても切ないものがあります。
 曲目は、お任せ致します。
 又しても不躾なお願いをしてしまった事を深くお詫び申し上げますとともに、ペンを置く事と致します。
 乱筆乱文、大変失礼致しました。
              敬具
            梶谷耕三
麻宮千晶様へ          
 追伸。

 弟の名前は達夫といいます。弟にも手紙を書き、必ず放送を聴くように伝えますので、一言、私の時のようにお声を掛けて下さいませ。
 長々と失礼致しました。』

 三通目の手紙を自宅のマンションで読みながら、千晶はそこに書かれた達夫という弟を想像してみた。
 何かの本で読んだ記憶があるが、犯罪に於ける被害者は、何も直接被害を受けた者だけではない。
 被害者の家族は勿論の事、実は、それ以上に加害者の家族は苦難のその後を過ごさねばならない……
 といった内容が書かれていたと思う。得てして、一番世間から忘れられがちな存在が、加害者の家族なのかも知れない。ましてや梶谷耕三のような殺人事件を犯した者の家族は、世間から彼らも加害者同然の視線を浴びる。中には、世間の目を苦にし、自殺迄する者も居るという。
 それも、世間の目を憚るようにひっそりと……。
 深い溜め息ばかりが、千晶の胸の中から生まれ出て来た。確かに梶谷耕三は、自らの死をもって償っても償い切れない罪を犯した。
 しかし、残されたその家族に迄、苦しみを与えて良いものであろうか。千晶は自分に置き換えてみた。
 もし、自分の父親が殺人犯であったら……。
 間違いなく現在のような仕事には就けていないだろうし、一生、人殺しの娘という名前を背負いながら、世間から隠れ、怯えながら暮らさなくてはならないだろう。
 堪えられない……。
 その夜、千晶は思うように寝付けなかった。
「よう、何だ夕べは飲み過ぎたのか?寝不足の顔してるぞ」
「寝てないのは確かだけど、ダイさんと違って飲み過ぎじゃないわよ」
「じゃあ、新しい男と朝まで愛を語り合っちゃったのか?」
「今日は、ダイさんの冗談に笑える心境じゃないの」
「そう気分を害すな。もうすぐオン・エアなんだから」
「ねえ、うちにエディット・ピアフの音源どれ位あるの?」
「おいおい、FM局のディレクターにする質問じゃないぞ。ピアフなら大概の曲があるぜ。クリアな音源という事なら、復刻版のCDを焼いたのもあるし、オリジナルの声に近い方がって事なら、昔のLPから録ったやつもある。より取り見取りだ」
「今度、特集やらせて」
「ピアフのか?」
「駄目?」
「いや、悪くない企画かもな。それにしても、ちぃがピアフとはな。お前さんの趣味からすると、モータウン辺りかと思ったんだけど」
「わたし、趣味で仕事してる訳じゃないわよ」
「俺はてっきりラジオは趣味で、飲むのが仕事だとばっかり思ってたよ」
「ダイさんとは違います。それに、わたしはおねえちゃん達に囲まれては飲みませんから」
「よし、いつものちぃに復活だな。さあ、時間だ時間。」
 大越のがっしりした後ろ姿を見ながら、千晶はかなわないなと、微笑んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み